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第20話 遮那王

 

 

 

 

 

 『それを手に入れた者は天下を制する。』かつて、そう謳われた秘宝があった。その秘宝の名とは“龍宝”。伝説の天翔る龍神が手に持つ宝玉の事である。にわかには信じがたいその逸話はいつの間にか人々の語り種となった。そして、今から八百余年の昔。この国には、その“龍宝”と呼ばれた男が実在した。





自作小説


  『Dime†sion』





 西暦1159年、平治元年。京都洛北で一人の男の子が産まれた。母は常盤御前。父は源氏の大将、源義朝。幼名を牛若丸と名付けられた。しかし、悲劇的な事に生後直後のその年、12月。宿敵、平清盛に父、源義朝が討たれる。後に平治の乱と言われるその戦は牛若丸の人生を大きく変えた。数奇な運命の果て、少年は預けられた寺で健やかな成長を遂げる。そして牛若丸はいつしかその名を遮那王と改めていた。


 遮那王は青春時代を京都、鞍馬山で過ごす。伝承によれば、武芸と学問の教養をその山に棲む大天狗に教わったとある。遮那王、15歳の秋。彼はある一人の旅の僧に知らされ、自身の真の生い立ちを知った。不運な父の最後、憎むべき敵の存在。燃え上がる復讐の炎に身を焦がす遮那王は『打倒、平氏』を成し遂げるべく世話になった寺を飛び出した。


 寺を出た遮那王は手引きと施しを行ってくれる人々を頼りに奥州、藤原氏の下で武芸に励んだ。藤原氏の庇護を受け、見目麗しい青年へと成長した遮那王。だが、復讐心に燃え、東北の地でじっとしていられなかった彼は上洛し、京都に入る。


 深い闇の中、京都、五条大橋の上。怪僧、武蔵坊弁慶を成敗し家来として召し抱えた遮那王。この頃、彼はその名を本来の“源氏”に関する物に改めていた。


 京都、鞍馬寺を出て6年後。目覚ましい成長を遂げた幼名を牛若丸と名付けられた青年は“駿河=現在の静岡県”の黄瀬川で生き別れた実兄と対面を果たす。この出会いが再来する悲劇の始まりとは知らず二人は涙を流して再会を喜んだ。「源氏再興の為、兄上様の為に、この身を粉にして尽くしましょう。」兄の威厳に感激した弟が命を賭する事を誓った。


 4年後、西暦1184年。元暦元年2月7日、源氏軍の大将軍へと出世を成した遮那王と呼ばれた青年の姿が“摂津=現在の兵庫県南東部”、一ノ谷の崖の上にあった。


 「なぁ、弁慶よ。この戦こそ私の晴れの舞台かも知れないな。」大きく成長を遂げた青年に遮那王の面影はもうない。「ははは、派手にやってやりましょう。」一の家来、武蔵坊弁慶がそう言って笑った。「皆の者、平家軍は油断している。今が好機。この崖の上から強襲し、奴らの度肝を抜いてやろうぞ。」高々と集った侍達に宣告すると男は先陣を切り、猛然と崖を駆け降りて行く。男が敵軍に向けて叫んだ。


 「やぁやぁ、我こそは源氏が棟梁、源頼朝が実弟、源義経なるぞ。寄らばよって目にも見よ。この世に悔いなき者はこの首をとって武功を上げる夢に散れ。いざ、かかって参れ。」


 牛若丸、遮那王。激動の運命の果てに歴史の表舞台に立った源九郎義経。一説によれば、その戦術はまるで未来が見えていたとさえ囁かれた武神である。彼の参戦で成し得たとさえ言われる平家滅亡。同じく未来を見通す能力に目覚めた龍楽と出会うのは、まだまだ先のお話である。



自作小説『Dime†sion』 =第20話=



つづく




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