第19話 龍の骨
本州の対岸、九州の大地に降り立った戸丸。純白の山犬、小太郎が導く下、愛馬、桃の背に跨がり丸一日南へと街道を駆け抜けた。野を疾駆する愛馬の馬上から見る景色は、色とりどりの風が吹き抜けて行くようだ。平家軍下関駐屯地の将、小林喜一朗から賜った馬は類い希なる名馬であった。
「自分の名前の意味か。」野営の場に決めた“豊後=現在の大分県”の山中。パチパチと燃える焚き火に照らされながら戸丸が呟いた。戸丸はここに至るまでの道中、愛馬、桃を駆る満足感に満たされる一方で、ずっと一つの事ばかり考えていた。その物思いの発端は関門海峡を渡る船に乗る直前、平家軍の将、小林喜一朗が戸丸へ言った一言にあった。
「戸丸よ。一つ、私の思いを聞いてくれないか。」小林喜一朗は別れの直前、戸丸へと唐突に切り出した。「なんでしょうか。」戸丸が尋ねると小林は胸の内を明かした。「私はな、戸丸よ。お主の名前が疑問でならない。何故、“とまる”なのだ。」小林喜一朗の不可解な疑問に戸丸は首を傾げた。小林は続ける。「“とまる”とは“止まる”事。その歩みを止める意味だ。しかし、私にはお主が止まっているようには見えないのだ。」薄々と戸丸は小林の言葉の意図する所が分かってきた。「お主は誰よりもその生を、その流れを楽しんでいる。ましてや、歩みを止める事などこれからも絶対にあるまい。」小林は真っ直ぐに戸丸の目を見据えて言った。「今後、流れを楽しむという意味で“流楽=りゅうらく”と名乗ってはどうか。私はお主の生き様には戸丸より、この名が相応しいと思う。」戸丸は小林の言葉に困惑した。突然、自分の名を変えろと言われて応じられるはずもなかった。「ありがたい申し出ですが、とりあえずは参考までにて失礼します。」戸丸がそう言うと「おう」と笑いながら小林は力強く握手をして来た。「道中、気を付けてな。」小林が別れを告げた。戸丸達が乗った船がついに出航する。遠ざかり、小さくなっていく小林がずっと手を振っている。戸丸の胸には小林のその姿と、あの言葉が突き刺さったままとなった。
「戸丸は“止まる”の意味、か。」満天の星空を眺めながらその星々に手を伸ばし、かざした右手を見つめながら戸丸は考えを巡らせた。「わからない物は、わからない物だ。」戸丸はそう言うとかざしていた右手で顔を覆い、そのまま眠りについた。
チュンチュン。戸丸の寝苦しい夜が過ぎ、朝が来た。季節は初夏を過ぎ、本格的な夏を迎えようとしている。夜明けは早く、南国の日差しはことさら眩しかった。戸丸が目を覚ますと小太郎が狩りを済ませ大きな蛇を捕って来ていた。「おっ、小太郎。よくやったな。」戸丸はそう言って小太郎をねぎらうと手際良く蛇の皮を剥ぎ、焚き火で焼くと二人仲良く分けて食べた。彼方では桃が草をはんでいた。
その日も早朝から戸丸は小太郎の先導の下、桃に跨がり南へ南へ向かって駆けた。風は心地良く、色とりどりの景色は後ろに流れていく。なんという爽快な旅だろうかと戸丸は自分の人生を心から楽しんでいた。「答えは風の中にある、か。」戸丸は小林の言葉を反芻するとその答えが少しずつ見えてきた気がしていた。戸丸は胸中に新たな兆しが感じれた事に人知れず喜びを抱いていた。
その夜の野営地は“肥後=現在の熊本県”の山中であった。近くには川が流れ、少し虫が気になるが涼しくて過ごしやすかった。今宵の夕食はまたも小太郎が捕らえた獲物、それはそれは大きな猪であった。「自らに枷を付け、制限するは物知る事の妨げなる、か。」小太郎と共にたらふく猪を食った戸丸が満足そうにそう言った。自らを「拙僧」と名乗り、僧としての志しを持つ戸丸。されど、彼は肉を食らえば酒も飲み、時には女も抱いた。だが、戸丸はそんな自分の行いを恥じてはおらず、“経験”として自身に蓄積させていた。
「さぁ、今夜は良い夢が見られそうだ。」戸丸は食べ残した猪の肉を焼いて今後の食料に仕上げ終わると、ごろりと横になり眠りについた。満腹感も手伝ってすぐにいびきをかき始めた。小太郎はそんな戸丸を微笑ましく思うと彼のそばで横になった。
「ワッハッハ、ガッハッハ。」朝になり、大笑いする戸丸の姿があった。小太郎と桃は近くの大木の下で雨宿りしている。昨夜は明け方から豪雨となっていた。ところが、戸丸はそんな豪雨に打たれながら小太郎が揺さぶり起こそうとするのにも気付かず朝まで眠り続けていた。戸丸の大笑いの原因は自分の滑稽さゆえの事であった。「小林殿、これも流れを楽しんでおるって物ですかな。」しばらく笑い転げた戸丸がそう言って呟いた。
ガラン、ガラン、ガラン。突如、大岩が転がるような音がした。戸丸は音の方を急ぎ見ると水かさが増した川の中を何かが転がって行く。戸丸はその音の正体に何かを感じ取った。途端、我が身の危険も省みず川に飛び込むと音の主を拾い上げた。「これは、骨か。」拾い上げたそれは下顎はないが間違いなく何か獣の頭骨であった。頭頂部には立派な角が生えている。「角がある獣、鹿か。いや、それにしては。」その骨は一見すると確かに鹿の骨であった。が、その口には恐ろしげな牙がズラズラとならんでいる。「これは、もしや。伝説に聞く“龍”という生き物の骨では。」戸丸は拾い上げた代物に驚愕した。それは間違いなく龍の頭骨であったのだ。
雨はまだ止んでいない。ずぶ濡れの戸丸はその雨に打たれながら拾い上げた龍の頭骨に見入っていた。「そりゃ。」不意に戸丸はその龍の頭骨を頭にかぶって小太郎と桃に見せた。「どうだ。似合うか。」戸丸が聞くと小太郎と桃はいななきながら首を縦に振った。「そうか、そうか。」二人の態度にご満悦の戸丸。頭にかぶった龍骨の兜をさすりながら彼は言った。「小林殿、貴方が私に教えて下さった名前、使わせていただきましょう。」その時、不思議な事が起きた。さっきまで降り注いだ雨が嘘のように止み、雲が割れ光が射したのだ。「流とは龍。森羅万象の化身。ならば、私はその龍となりこの世界全てを楽しみたい。」ずぶ濡れの戸丸の火照った体から水蒸気が立ち上り、射した朝日がまるで戸丸が炎を纏ったような姿を見せた。「我が名は、“龍楽=りゅうらく”。龍楽だ。」戸丸と名乗っていた若い僧侶はそう言って大声で叫んだ。雨が上がり、光射す空。明け方には珍しい虹が立っていた。それは天から龍楽に贈られた祝福か。小太郎、桃、そして龍楽で交わし合う笑い声は目的地の薩摩を前にして新たに生まれた命の産声のようであった。
自作小説『Dime†sion』 =第19話=
つづく




