第1話 始まり
兎神真也は前を行く少年の腕をつかむとその手を放さなかった。突然の出来事に、少年は不思議そうに顔を見上げたが真也はその視線に青ざめた顔で首を振った。隣では我が子に不可解な行動をとる青年に怯える母親の姿があった。
兎神真也は昨日、18歳の誕生日を迎えた。都会という都会でなく、田舎という田舎ではない地方の町で育つ真也の生活はごくごく普通の物であった。通う学校は並レベルの高校で、まだ彼女もいない彼には男友達とふざけあう日常が楽しかった。父はありふれたサラリーマン、母もまたどこにでもいる主婦だ。だからこそ、真也も自分の人生は周囲と同じありきたりで平凡な物になると当たり前のように思っていた。けれどそれは、後少し時間が経てば儚い絵空事だったとわかるのだった。
きっかけはどこからだったのだろうか。その日、母が作った真也のバースデーケーキが切り分けられる前に帰宅した父が彼に一つのアクセサリーをくれた。緑色の不思議な雰囲気を纏った石が銀の縁取りで飾られたペンダントだった。「もう18歳なんだから一つくらいこういうのも必要だろう。」そう言って父が渡したペンダントを首にかけた瞬間、自分の意識が僅かに遠退いた気がした。後で知った“モルダバイト”という石の名前。今思い返せば、その石と出会った瞬間がこの終わりなき旅の始まりだったのかもしれない。
「痛い、放して。」「やめて下さい。放して下さい。」真也の行動に親子が懇願する。彼自身もまた意味不明な自分の行動に困惑していた。ただ、不吉な予感が拭いきれずこの手を放しては駄目だという事だけがわかっていた。
夢を見たのはその夜だった。通い慣れた通学路にある光景。自分と2人の友人、3人で歩く帰り道。2人と別れた先に足留めされた信号機が目に映っていた。それから、それから、そう、前を行く子連れの母親。信号が青に変わって駆け出す男の子。そして、なんだったであろうか。思い出せない不吉な何か。
「渡ってはダメなんだ。」真也は少年に強く言い放った。デジャヴとは違う、確信のある悪夢の結末がその青信号に重なっていた。「いい加減に。」母親が我が子の苦痛に満ちた表情に殺気だった声を上げかけた。それと同時に彼女と少年の後方、横断歩道上を猛スピードの車が走り抜けた。
真也の見た悪夢の結末は信号無視の赤いスポーツカーだった。その車は横断歩道を通り過ぎると先ほど別れた2人の友人のいた場所で轟音をあげた。赤い車体に飛び散った友人達の血は車のボディとは違う色の赤に周囲を染めている。
親子は震えていた。真也がいなければあの赤に染まった者が自分達であった事に。だが、真也を見つめる2人の眼差しには感謝はなく、ただ、真也自身への恐怖の色に染まっていた。
自作小説『Dime†sion』 =第1話=
つづく