第9話 龍楽討魔伝
ある豪族の長老がその日、「私は全てを手に入れた」と言った。以来、老人は富としての豊さよりも心の豊かを求めて大きな寺院を訪れ、僧正に“悟り”について教えを乞うた。
僧正は言う。「貴方に2つの悟りを授けましょう。1つ、“汝の隣人を愛せよ”。2つ、“汝、殺生するなかれ”。」僧正に悟りを教授された老人はさっそく里に帰ると教えを実行する。翌日から老人は家族をかえりみる事なく、邸宅の近隣に住む者達に施しを行った。里の住民は老人の施しを喜ぶと大いに褒め称える。気を良くした老人は続いてもう一つの悟りを実行した。
幾月か過ぎ、村は長老が命じた“殺生を禁ずる”の御布令に荒れ果てていた。田畑は農作物を喰い荒らす害虫と害獣に踏みにじられ、凶作に陥った村人は日々の食べ物にも困るようすであった。それでも老人は“汝、殺生するなかれ”の教えの元、菜食主義を貫き、独りよがりの満足に酔いしれていた。
ある日、その村を1人の若い僧が通りかかる。豪族の長老は村人からその一報を聞くと自分が極めた悟りを説いてやろうと自宅へ招いた。道すがら老人の邸宅までの道中の荒れようを若い僧は見て回った。すれ違う村人は全てやせ細っていた。「これは何事か。」事情を知らない若い僧はその顛末を不思議に思った。
目の前には山菜をメインにした肉気のない質素な食事が並べられていた。若い僧は長老に勧められるままに皿を平らげた。しばらくして若い僧は村の荒れようについて長老に尋ねた。すると老人は事情の説明もそこそこに若い僧へ教えられた“悟り”について説いてみせた。若い僧は老人の話を聞くと「なるほど、それで」と答えた。すると若い僧は座っていた席から立ち上がると長老に対してはっきり「違いますよ」と言ってのけた。途端、長老は烈火の如く怒り、この無礼な若僧に罵声を浴びせた。「このヒヨッコが、ならば貴様が解いてみせい。出来なければその首ねじ切って路上に転がしてやる。」若い僧は軽くおじぎをすると流暢に語り出した。
「ご老人、貴方は言葉を言葉の意味のまま受け止めてしまった。それがそもそもの間違いの始まりです。」長老は若い僧の語りの出だしにカチンとする物を感じたがこらえる。そして「続けいや」と促すと浮かせた腰を椅子に落ち着かせた。「まず、“汝の隣人を愛せよ”は近隣に住む人間に施せという意味ではありません。」若い僧は説明の最中、首を振りながら上げた右手を顔の前でブンブンと振った。またカチンとした老人の気配を察し、後ろに控えた家来が腰にある剣に手を当てたが長老はやめるよう指示をした。若い僧は続けた。
「“汝の隣人を愛せよ”とは、“自分への悪意を受け止めろ”という意味ですよ。貴方を慕う人物は今、最大の愛情を持って接しています。ならば、今あるがままに接すれば良い。」老人の眉がピクリと動いた。そして続く言葉に耳をすました。「逆に“自分に向けられた悪意”とは貴方が改め、それに向けて歩み寄らねば敵が増える一方となります。と、なれば今、村の現状はどう判断出来ましょうか。」長老はウムムと若い僧の言葉に怯む素振りを見せた。
「次に“汝、殺生するなかれ”とは今もまだ矛盾しております。野の生物を殺さずにあっても草花とて生命。なれば菜食主義を貫こうとも殺生という罪から例外とはされないと判じます。」若い僧の言葉に長老の顔に悔しさが滲む。若い僧はさらに続けた。「人は知らず知らずに生き物を殺します。一寸の虫にも五分の魂、されど我々にとって尊い命とは家族であり、人ではないでしょうか。」敗色濃厚な討論会に長老は目を閉じ、虚空を見上げる。若い僧はその老人の姿を見て締めくくるように諭した。
「“汝、殺生するなかれ”とは、生命の尊厳を卑しめたり弄ぶなという事。つまり、必要であれば仕方ない。ただし、無駄にはするなという精神です。わかっていただけたでしょうか。」若い僧は長老を真っ直ぐに見据えていた。老人は言葉の裏に隠されていた真実を知り、その頬にスッと涙の筋を浮かべた。
「ならば、私はどうすれば良い。」長老は若い僧に問いただした。若い僧は答える。「特別な事などしなくて良いのです。貴方のありのままで。」老人はその言葉に感銘を受けると頭を垂れ、その下にボタボタと雫を落とした。そしてしばしの間沈黙の時間が流れた。
家臣は老人に拭き物を差し出した。長老はそれを受け取ると顔をゴシゴシと拭い、最後に大きく鼻をかんだ。そして最後の質問にと若い僧に問うた。「“悟り”とはどうすれば得られるのだ」と。
若い僧はニコリと微笑んで答えた。「笑って下さい。それで良い。」長老は若い僧に問答を問答で返されたのだと唖然とした。「この者、儂をあざ笑うか。」心の中でそう呟くと歯ぎしりをした。けれど若い僧にそんな様子は微塵も感じられない。若い僧が「さぁ」と言って手を差し出したので試しに老人は口元をククッとあげてみた。すると、悪い気はしない。老人は若い僧の言葉の意味を理解すると大きな笑い声をあげた。そして「おい、酒だ。馳走も持ち直せ」と家臣を走らせた。そして最後に長老は若い僧に告げた。「あの御布令は早急に取り消そう。」若い僧はニコリと笑うと嬉しそうに「ありがとうございます」と長老に返答した。
この若い僧、実は僧とは名ばかりのただの風来坊であった。名を戸丸といい、後に龍楽と呼ばれる事になる兎神 真也の幾つかの前世のうちの1人である。時を経て彼の足跡は『龍楽討魔伝』としたためられ人々に長く語り継がれるが今はまだ誰も知る由もない。
自作小説『Dime†sion』 =第9話=
つづく




