【3】
「運命の石?」
老紳士の言葉に、今まで黙って話を聞いていた田口は、思わず声をあげた。
石を食べたがっているということがどうにも信じられない。石は食べられるものではないはずだ。
「俺は石が食べられるなんて、聞いたことありませんよ」
そもそも「運命の」という言葉には、宝石のような響きがある。田口が始めに連想したのは、結婚指輪だった。
テレビでよく目にする認知症は、症状の悪化と共に、記憶の喪失やせん妄を引き起こす病気であったはずだ。もしかしたら病気の影響で記憶があやふやになって、勘違いしているのではないかと田口は思った。
「私も、施設の方々も、石は食べ物ではないと言い聞かせました。しかし妻は、何度言い聞かせても運命の石が食べたいと喚き散らすのです」
「病気の影響で何かと勘違いしてるんじゃないんですか」
田口は自らの考えを口にした。その考えに老紳士は頷き、
「施設の方はこのようなことは日常茶飯事らしく、勘違いで片づけられたようです。しかし、私はそうは思えない。可能ならば彼女の願いを叶えてやりたい。そこで食べ物と言って最初に思いついたのが、メイさんだったのです」
と言って、店主を見やった。その横で田口は思う。これはよいところを見せる絶好のチャンスではないだろうか。ここで老紳士の悩みを解決すれば、不甲斐ないという汚名を返上できるし、店主も店に出入りすることをとやかく言えなくなる。一石二鳥だ。
田口は素早く行動に出た。
店主が口を開く間を与えず、「川村さん」と老紳士の名を呼ぶ。すると、老紳士の視線は再び田口へと向いた。
「インターネットで情報は集めましたか?」
それは田口が老紳士に協力する上で、最低限知っておかなければならない確認事項だ。
田口や田口の父親の年代では考えられないことだが、この年代の人の中には、まだまだ満足にパソコンや携帯を扱えない人も多い。案の定、老紳士は恥ずかしそうに口ごもりながら、
「お恥ずかしながら、機械には疎いもので」
と少しばかりの言い訳を口にした。その言及をとってしまえば容易いものだ。今時、ネットで調べられないことの方が少ないから、勘違いでないなら何かしら情報は得られるはずだ。そう考えて、田口は率先して携帯端末を取り出した。
「ちょっと、俺が今から調べてみますよ」
だが次の瞬間、ディスプレイを見て田口は肩を落とした。ディスプレイはボタンを押しても明るくなる気配がない。田口には、電源を切った覚えなどなかった。そこで、記憶を辿れば思いあたる節は一つだけある。昨日、帰宅してから、充電するのをすっかり忘れていたのだ。
田口は、ディスプレイを横から覗きこんでいた老紳士を申し訳なさそうに見やった。
「すいません」
肩を落とし、声の張りを失くした田口に、老紳士は「一生懸命になっていただけただけで嬉しいですよ」と言葉を返した。そのやりとりを無言で見守っていた店主は、
「まったく……」
と、呆れたように溜息をつく。
「やはり、少年は不甲斐ない」
ぼそり、と呟かれた言葉に、田口は店長にくって掛かった。
「なら、あんたはわかるっていうのか」
「もちろん」
店主が胸を張って肯定を示したと同時に、田口は隣で老紳士の気配が揺れたのを感じた。