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砂糖菓子のレシピ  作者: 黒崎メグ
3 幸福の種
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【4】

 その言葉に、今度は田口が目を瞬かせる番だ。それには間をおかず、店主の叱責が飛ぶ。

「少年、驚いてないで、真っ先に言う言葉があるだろう」

「おめでとうございます」

 田口が祝いの言葉を口にすれば、「ありがとう」と、若い男女の声がきれいに重なる。そこで田口は、改めて二人の関係を認識した。

 言われてみれば、彼は彼女を始終気に掛けていたし、これからお菓子作りをしようというのに、彼女の左手の薬指にはしっかりと婚約指輪が輝いている。店主の性格なら外せと言いそうなものだが、結婚が近いということで大目に見たのだろう。

 田口が指輪に気付いたのを見てとって、店主は苦笑いを浮かべた。田口はそれに対し口を開きかけたが、店主は誤魔化すように手を叩く。

「さて、準備もできたし、そろそろ始めようか」

 それに慌てたのは他ならぬ田口だ。

「待てって。俺、まだ幸福の種の正体を教えてもらってないぞ」

「ああ、そうか。ここに書かれているのが、今日のレシピさ」

 店主はテーブルの上に置かれたA4サイズのコピー用紙を手にとって、田口に渡す。

 左上には「カフェ・アンジェ」のロゴが入り、その下には太文字で「ドラジェ」と記されている。さらに材料には、アーモンドと砂糖の文字が見てとれた。幸福の種は、「ドラジェ」という名前らしい。

「……聞いたことない名前だけど」

 田口がその音の響きに首を傾げると、男は助け船を出すように、

「確かに、男性には馴染みの薄いお菓子ですね。僕も彼女に教えてもらうまで知りませんでしたから」

 と言った。

 彼のパートナーは、彼を見上げて苦笑を浮かべる。

「そうだったわね。太一(たいち)、ちゃんと私が説明した話覚えてる?」

「もちろん」

「ほう、じゃあ、少年に説明してやってくれるかい」

 店主の言葉に、彼は田口に向き直った。

「ドラジェに使われるアーモンドは、実をたくさんつけます。だから多産や繁栄を意味し、幸福の象徴だと言われているのだそうですよ」

「イタリアでは幸福、健康、富、子孫繁栄、長寿の願いを五粒のドラジェに込めるそうだよ。それらの風習が日本にも伝わって、結婚式の引き出物にドラジェが加えられるようになったんだ」

 店主の補足が入り、そこでようやく、田口は全てに合点がいった。どうしてドラジェが幸福の種であるかも、結婚を控えた彼らがドラジェを作ろうという理由も。

「だから私、どうしても手作りしたかったんです。そうすれば、よい思い出にもなるでしょう」

 田口の中に生まれようとしていた感情は、その言葉で心の内に芽吹いていく。

 店主の教えたドラジェが結婚式の思い出の味となる。そして、この先ずっとずっと、それを口にする度に、彼女達は幸福の時を思い出すのだ。

 できることなら自分も、誰かをそんなふうに幸福にできる仕事に就きたい。その思いがどんどん大きくなるのを田口は感じた。

 そんな田口の思いなどいざ知らず、店主は皆に指示を飛ばす。

「さて、今度こそ始めよう。少年は邪魔にならないように向こうに行っておいで。太一さんには、粉砂糖をふるうのを手伝ってもらおうか」

 言葉と共に店主は、鍋に砂糖と水を加え、火をつけた。それから木ベラを女性に渡し、焦がさないように混ぜるように指示を出す。

 カウンターへ追いやられた田口は、その一連の動きをじっと見つめながら川村に語りかけた。

「あの人はお菓子を売るだけでなく、その作り方を教えることで思い出を作り出している。あの人が思い出の味を届ける方法は、一つではないんですね」

 田口の視線の先を目で追って、川村は苦笑を浮かべた。そこには先程の田口の問いに対する答えも含まれているのだろう。

「そうだね。むしろ彼女が作り出す思い出の味は、あんなふうにお菓子教室から生まれることが多いのかもしれないね」

「あの人は、以前からお菓子作りを教えたりしているんですか?」

「かれこれ五年ほど前からかな。月に一度はお菓子教室を開いているね。ドラジェを作っている彼女も、その教室に通っていた一人じゃなかったかな」 

 五年前――その時期に田口は覚えがあった。田口の記憶が正しければ、それはちょうど母がお菓子作りに凝り始めた時期だ。もしかしたら、それこそがあのティラミスの謎と関係しているのかもしれない。 そこで田口は、ある可能性に思い至って愕然とした。

 母が店主のお菓子教室に通っていたとしたら。

 店主が母のレシピを使っていたのではなく、母が店主のレシピを使っていたということはないだろうか。

 田口は、先程店主から渡された手の内のレシピに目を落とす。今まで店主の方にばかり手掛かりを求めていたが、母の方にこそ手掛かりが残されているのかもしれない。そうなると、母のレシピ帳を見つけ出す必要性がありそうだ。

「川村さん、ありがとうございます!」

 田口は川村に頭を下げて席を立った。母のレシピ帳を探すために、すぐにでも家に帰らなければならない。

 レシピという名の手掛かりを求め、田口は店を飛び出したのだった。



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