第四話
当吾は理系大学へと駒を進めたが、特別運動が苦手というほどではない。逆に体を動かすのは得意な方である。ただ自分にはスポーツで大成できるだけの才能を持ち合わせていないという事を昔の経験から悟り、素人同士のスポーツくらいしか楽しめなくっていた。それ以上の事を望むと、不真面目な自分が、真面目な他人の気分を害したり、逆に能力を下げてしまう。
しかし、ここにきて命を懸けなくてはならなくなった。
狩りの基本を頭にたたきこみ、体を慣らしていく。相手は、アシュレイである。
彼は、この村に来る前まで武人として大成していた人物であることは、彼の一挙手一投足を見れば素人の当吾ですら感じ取れた。それだけこの男が剣を握ると人が変わるのである。性格とかそういうものでは決してなく、存在が武人になるのだ。
「足が甘い」
そう言いながら褐色の偉丈夫は容赦なく足ではなく胴体を狙ってくる。当然の牽制であった。
刃引きした剣だろうとも、当たれば容赦なく痣をつくるし、運が悪ければ骨を砕く。
彼の一撃を、勿論手加減されているだろうが、それを剣の腹で受け、弾く。
「うん、引っかからないか。感心したぞ、青年」
余裕のある声が妙に苛立たせる。これは挑発であることは百も承知で、当吾はそれを言い返す余裕すらなかった。
「本当は獣で訓練した方がいいんだが、森には近づけないからな。こうして、なるべく一太刀一太刀体で覚えていくしかないだろう?」
今当吾がやっているのは単純な稽古だった。アシュレイと剣を合わせるだけ。
これを既に三日。ほとんど休みなく続けている。
最初のうちは彼の太刀筋に全く反応できず、何回も気絶する羽目になり、それが夜になろうがお構いなしの状態であった。
それが三日である。食料は水だけである。おかげで空きっ腹も良いところだ。
これが何の役に立つのか、と思っていたのは最初のみ。
容赦ない剣がまた腹部を狙う。それを一歩下がって躱し、そのまま彼の胸に剣を突き付ける。しかし、当然のように躱され、今度は袈裟がけの一撃が放たれる。
肩口を狙ったその一撃は酷く重く、彼の体の動き否応にも止める。その衝撃で当吾は膝をつき、剣先は地面を突いた。
「どうした、へばったか?」
アシュレイの剣先はこちらに向き、汗を流すもまだ涼しげなその顔は尚も焦燥を抱かせる。
こちらは既に虫の息と言っても差し支えない状況であり、汗は滝のように流れて地面を濡らしていた。
「これはな、魔力の修行でもあるんだ」
この荒技を始める前に、当吾は魔法の講義をマルシェルカから受け、魔法を使ってみることにした。しかし、使えなかった。一時自分に落胆したものの、彼女ら曰く、当吾から魔力は感じるから使えない事はない、と言われたがどうしても要領を得なかった。
「おそらく感覚が鍛えられてないんだ」
様子を聞きつけた褐色の男は開口一番そう言った。
「感覚を鍛えてないからうまく自分の中のものを取りだせない。意識をしたことがないからな。まあ、こればかりは仕方がない。異世界には魔法がないんだから」
つまるところ、感覚を掴む訓練をしたことがないから魔法を使うための魔力を感知できない。体を動かすことを意識してしたことがないから、体の感覚を掴みきれない。また、体以外のものを感じ取る訓練をしたことがない。
結論を言うなれば、第六感に当たる部分が弱い。
霊感があるとか、直感とか、そういうものが弱いから、魔法を使えない。言われてみれば納得できる話ではある。昔の人ならいざ知らず、現代の人間では機械文明に頼り、自分の感覚を多く使っていない。
だから、今アシュレイと組み手を行っている。
自分の体の細部を意識しながら動かし、内にあるものを意識し理解する。
魔力を探る訓練と同時に体力づくりというわけだ。
「うん、折るつもりでやったんだが、うまく魔力で防いだな」
打撃の感覚がずれていたのだろうか、アシュレイはさっきの一撃を、力を使って防いだと思っている。だが、こちらはそんな意識はしていない。というより、折るつもりで振り下ろしたのか、この男は。
「もしかして無意識で防いだか、まあそれでも進歩が見えてきた。良い傾向だと思うぜ」
確かに、昨日よりは体は楽になった上に、体に熱以外のものを感じられるようにはなった。さっきの袈裟切りに対して肩に意識が行ったのも事実だった。
「何かが流れたのは確かだよ」
立ち上がり、剣を構える。見据える先はアシュレイの首。
「おう、いいねぇ、青年。良い目になって来た」
当吾の剣呑な雰囲気に呼応して、アシュレイもようやく構えらしい構えを取った。この世界の剣術の型は知らないが、剣道で言うところの正眼の構えをやや半身にして剣を構えている。正直、そこから隙はまったく窺えない。
ようやくこの男の片鱗を味わえたということか。当吾はようやく同じ土俵に立てたと実感する、ただし、えらく距離のある土俵である。
体の内から流れるものを少しずつではあるが、掴みかけてきた。まるで水のようなものが体に流れている。ある時は空気、風、例えはいくらでも言えるだろう、このとき当吾にはそれが体から流れる水に思えた。
その水を意識して体の中に流す。疲労していたはずの体が少しずつ活性化する。
その感覚を忘れないように更に操り腕に流していく。理論上、これで筋力が上昇するはずである。
「ほう、もう使い始めるか」
全く身動ぎもせず口だけが動く。体の流れが見えているのか、感じ取られているのかはさておき、アシュレイには当吾の手の内が分かっているようだ。
「…行くよ」
決するように声をかける。
「来い」
返事は短かった。
一歩踏み込み、水平に薙ぐ。狙うは彼の左脇腹。しかし、それに合わせるようにアシュレイはその剣を掬い上げ、そのまま当吾目がけて振り下ろす。その速度は今までの比ではなく、当たれば頭蓋は簡単に割れることが直感できた。
一瞬の逡巡。
体を少しだけ横にずらし、それを躱すと続けざまに突きを繰り出す。
しかし、それを好機と見たかアシュレイは一瞬で剣を戻すと一歩踏み込み、その突きを最小限の動きで躱し、剣は既に当吾の首元にあった。
勝負あり。
「これで六七戦全勝だな」
「いけると思ったんだがな」
「昨日今日で剣を初めて持った奴に負けられてやれんよ。そんな簡単にな。それに__」
アシュレイは顎で指す。
「家族が見てる。家長が負けれるもんじゃない」
そこには木剣で稽古めいたことをしている子供たちがいた。さきほどまでアシュレイと繰り広げていた真剣なものではないが、その空気は真剣そのもの、実に微笑ましくなる光景でもある。
「まあ、青年の技量はこの三日で随分変わっただろう。剣術は仕方ないとして飯も抜いた感覚掌握法は少々荒っぽかったとは言え、成功と言っていいだろうさ。最後なんて手が痺れたぞ」
随分と褒められている気がするが、その一撃を難なく弾いたアシュレイこそ恐ろしいと思う。
「さて、感覚は掴めただろうし、こんな荒業はもうやめてしまおう。体力が持たん。青年、口数が少ない理由はちゃんと理解しているぞ。おーい、マール。ちょっと早いが飯にしてくれないか?」
ああ、この男は本当に優秀だ。心からそう思う当吾である。今すぐにでも気を緩めたら気を失ってしまいそうなくらい、空腹だった。
そんな当吾を見てか、アシュレイは笑いながら肩を叩いてくる。
「心配するな、たらふく食わせてやるから」
一々格好良い男である。当吾にはその広い背中がとても眩しく見えた。
あの後この世界に来てから初めて腹いっぱいになるまで飯を頬張った。ここは自分の家ではないから、ましてや自分の世界でもないから無意識の遠慮があったのかもしれない。しかし、今回だけはそんな事を忘れてしまうくらいに食事を楽しんだ。
あまりの食いっぷりにアシュレイとマルシェルカは一時も笑いを絶やさなかったし、子供たちとは料理の争奪戦まで繰り広げてしまったほどだ。特に肉団子の揚げ物のようなものをいくつも取りあった。あれは鳥の唐揚げのような味だったが、元々好物であるそれを子供たちに譲るつもりはなかった。勿論、それがこの世界で言う贅沢品であっても、譲ることはなかった。
「意外に食い意地が張ってるなぁ、青年」
アシュレイはその光景を肴に葡萄酒のようなものを飲んでいた。マルシェルカもそれを少し頂いていたが、赤面していてそれ以降口をつけてはいなかったようだ。
そんな食卓の一風景が去った後、気付けば寝入ってしまっていたようで、既に外は暗かった。
とは言っても月はまだ登り切っていなかったし、まだ日も沈んで間もないくらいであったが、風がひどく肌寒く感じる夜だった。
「あら、起きました?」
「はい」
この家の母は裁縫をしていた。
その手にあるのは元の世界の基準でいえばぼろきれのような服であるが、この世界の基準でいえば充分な服である。その服、大きさからして最年少のニーケのそれは、マルシェルカのたおやかな指で補修されている。使っているのは変哲もない針と糸である。しかし、そこに小さな違和感を覚える。
「ニーケはこれで五着目よ、穴開けたのは。小さな子ほど手がかかるものね」
「え、あ、そうですね」
いきなり話題を振られて驚いたが、彼女の横顔はまだ自分そんなに変わらないだろうに、まるで元の世界に置いてきた母親のような顔だった。それだけ、彼女が愛情深い人物なのかもしれないと勝手に思い込んでみる。個人的に彼女は母親というよりは姉のような存在である。母と呼ぶには歳が近すぎた。
「なんだか堅苦しい話し方ね、気軽にお母さんとでも呼んでも良いのよ。それとも何か後ろ暗いことでもあるの?」
微笑みながらそう言うものだから焦ってしまうのは人生経験が足りない所為だろう。あるいは女性慣れしていない所為か。おそらく両方だろうと結論付ける。
「いえ、お母さんというよりは、お姉さんだと思いましてね」
「ふふふ、お姉さんか。いいわよ、好きに呼んで。そしたらトーゴの事弟のように扱ってあげるから」
「…まだ居候でいいです」
「あら、恥ずかしがらなくてもいいのに」
笑みを絶やさずに言いのけるのは流石と言うほかない。それに手の動きは全く止まっていなかった。
「ところで、何だか針が気になって仕方がないんですが」
先ほどの疑問を投げかけてみる。
「ああ、これは魔力で作ったの」
そう言って、マルシェルカは手を止めてその針を当吾の手の上に乗せた。重さも大きさも変哲もない針だが、微かな力を感じた。
「魔力で作ったものを総じて魔晶とか魔鉱とか言うんだけど、魔力の量でその強度も変わってくるの」
当吾の手から針を取り上げ、また裁縫に戻る。
「こういう単純なものでも立派な魔法よ。創製魔法と呼ばれているわ。魔力だけで剣や弓矢を作り出せる人もいるくらいだわ。こんな針は初歩のようなものよ」
創製魔法か、と当吾は反芻し思い立った疑問を続ける。
「でもわざわざ魔力で作るより金属を鍛えて作った針の方が効率はいいんじゃないんですか?」
こんな小さな針でも魔力を消費する。それにまだ当吾はまともに魔法を使ったことはないが、こんな細くて小さな針に極度の集中が必要な事は分かった。
「そうね。もっともな意見よ。まあ、練習のようなものでね。あと、こうして自分の魔力を流し込めば、一瞬でも硬くしたり、また自由に大きさや太さを変えられるわ。私は才能がなかったから結構時間がかかったけどね」
ほんの少しだが針が長くなった。それとマルシェルカの魔力が針に流れていくのを視覚的に感じた。
今までこんな事なかったのだが、あの荒技は当吾の魔力の感覚を掴むためやったはずなのだが、思わぬ副産物のようだ。
「荒技は上手くいったようね。今見えたんでしょ?」
どうやら魔法の先生はすべてお見通しのようだ。
「意識せずに見えたなら充分才能があるわ。私は意識しないと見えないから、少しだけ羨ましいわ」
悔しさなど億尾にも出さずに言うものだから、思わず居たたまれない気持ちになってしまう。
「そんな申し訳なさそうな顔をしちゃダメよ。これの才能があなたの生死を分けるのよ。少しは自信持ちなさい。あなたは異世界人でも思慮深いし、ちゃんと自分を見つめなおせる人だから、これからずっと伸びていくわ」
こんな事を言われているが、当吾は未だに魔法らしい魔法を使ったことがない。だけど今なら、充分に使えそうな気がした。
体の芯から流れ出る力を掌に集め、それを凝縮する。押しとどめる。
握った手はゆっくりと開かれ、そこには一本の針が表れていた。正真正銘、当吾の初めての魔法である。
「ほら、出来た。やれば案外出来るものよ」
手の上にあるそれを見てマルシェルカは微笑みながらそう言う。
何だか気恥しくなり、作りだした針をマルシェルカに渡す。
「何だか熱くなったので頭を冷やしてきます」
勿論嘘であったが、この場を紛らわすために当吾はそう言うしかなかった。それに元々外に出るつもりだったのだ。嘘ではない、本当だ。
「そう、森には近づきすぎてはダメよ。熊たちの縄張りだから。あと、これはもらっておくわ」
その言葉に、内心嬉しくなり、逃げるように家を出た。
朝起きるとお気に入り件数が1件ありました。まだ夢の途中だなと思っています。お気に入りにしてくれた方、感謝します。