第三話
異世界に来て早3日が経った。
さすがに何もせずに居候は体が悪いので、簡単な家事は任されるようになった。そのついでに子供たちの世話も割り振られてしまった。
レイヨールをはじめとするこの家の子供たちは全部で5人いる。男3人に女2だ。
レイヨールはアシュレイとマルシェルカの間の子供であるのは疑いない。褐色の肌に、小さいながらも耳が尖っていた。遺伝というのは実にすばらしいと思わせる。
アシュレイは初めに皆人見知りと言っていたが、それは本当に最初だけで、今では暇さえあれば構ってほしいのか、服を引っ張られる始末である。
これでも一男であるから、家長のマルシェルカから割り振られる仕事はそれなりにあるが、子供たちはそれを承知した上で服を引っ張るのである。勿論、この世界での技術段階は元の世界よりはるかに下だ。子供たちも生きるために簡単な仕事をしている。家での掃除や、軽いものを運んだり、家畜の世話である。たまに散策で木の実や果実を取りに行くらしいが、この三日間そのような事はなかった。
しかし、仕事があると言っても余所者である当吾に仕事はそんなに来ないわけで、余った時間は子供たちと共有するのが彼の日常となった。
「今度はトーゴ兄ちゃんの番だよ」
そう言って、当吾の服を引っ張るのは短い茶髪が似合う最年少のニーケである。最年少と言っても6歳であり、彼らの中で年長者は12歳の自称この家の長女アドニアである。
全員、アシュレイの影響を受けてか、好奇心が旺盛であり、当吾に対しては何の偏見もなしに接してきた。ましてや逆に「なんだ、本当に鱗とか角はないんだ」と落胆されたほどである。
「ほら、お兄ちゃん」
そう言って手渡されるのは拙いラケットである。子供たちに何かできないかと思い、適当な廃材を使って作ったのがこれである。
簡易的にも子供たちにバトミントンを教えたのだ。
適当な枝を使い、ガットには竹を編みこんだ。丈夫で壊れにくい素材と言われても、これくらいしか思いつかなかったからだ。これを二つ作るだけでそれなりの時間を使ってしまったが、こうも遊んでくれるなら作った本人としては喜ばしい。
「いいよ、俺は。皆で楽しみな。ほらアリュンがこっちを見てるから、アリュンに渡しな」
視線の先にはやや緑がかった長髪で顔を半分ほど隠していながらも、その少年の目線はトーゴに差し出されたラケットに向いている少年がいた。
「でも順番だよ」
「なら、俺が渡そう。それで文句ないだろ」
自作のラケットを受け取り、物欲しげなアリュンにそれを手渡す。アリュンは視線だけで「いいの?」と聞くが、当吾の返事は頷くだけだった。
「ありがとう」
子供たちの中では比較的口数の少ないアリュンであるが、礼儀はしっかりしている。やはりお礼というのは何度聞いてもいいものだ。アリュンはラケットを片手に相手であるレイヨールの所に走っていた。
「いやあ、皆見事に青年に懐いたな」
そう言いながら褐色の偉丈夫は子供たちの所にやってきた。
「仕事はもういいのかい?」
「ああ、村で出来ることはもう終わった。いつもならここで子供たちの相手をするんだが、それは青年に取られてしまったしな」
またしても太鼓のように響く笑い声がこの男から聞こえる。豪放磊落とは、こういう男に使うのだろうと、当吾は内心思いつつ、さらに声をかける。
「何かあったんですか?昨日はこんな時間に帰ってこなかったでしょ?炭の支度はこれくらいじゃ終わりませんよ。少なくとも俺の世界では」
アシュレイの仕事を聞いたら、「今は炭を作ってる」と答えた。「今は」というにはいろいろ手を出しているのは明白だったし、この男から俗に言う出来る男という雰囲気をこれでもかというくらい垂れ流すので、誰から見ても有能な人間なのだろう。
そんな彼が、また日も落ちない時間に戻って来たのだ。何かあったと不思議がっても罰は当たらないだろう。
「ああ、そのなんだ、やっぱり異世界人ていうのは頭が良い上に、勘も鋭いのかねぇ」
ばつが悪そうに少し頭を掻きながら、そう言うアシュレイは本当に嘘のつけない男なのだと、当吾は感じた。なんというか、分かりやすい人間だ。
「実はな、村の奴らも青年が悪い人間じゃないって分かり始めてきてな。村の仕事を任せようかと推薦したんだ。俺は、俺の助手にしたかったんだが、手の足りないところが名乗りを挙げてきた。しかし、なぁ」
アシュレイは当吾の体を見やりつつ、それから口を噤む。どうやら言い難いことなのだろう。
「いいよ。教えてくれ、アシュレイ」
そう言うと、彼は大げさな溜息を吐いてから、言葉を続けた。
「狩りの方なんだ」
実に困った。手先の仕事や炭の作業を期待していた当吾にとっては、これは斜め45度を行く解答である。
予め、アシュレイには自分が元の世界でただの学生である事を伝えてあったし、ましてや剣や斧を見たのもこの世界にきて初めてであると教えてあった。
だからこそ、彼の言葉が心に重く圧し掛かった。
「…理由は?」
聞かずにはいられなかった。当吾はまるで裏切られた心地だったし、ましてやアシュレイだってこんな事を彼に教えるはつらいだろうとは知りつつも、聞かずにはいられなかった。
「自分の食いぶちは自分で。というはただ建前だ。本題は…」
彼の顔に不安のようなものが過ぎっていた。苦しそうな、そんな時にする顔だ。
「獅子熊が冬眠から覚めたんだ」
決定的な、単語だった。
「…それの責任を青年、君に押し付けようとしてるんだ。彼らは。森にいたから寄って来たとか言ってさ」
当吾は何も言えなかった。いや言えるはずもなかった。本当に苦しそうで、本当に悔しそうな、アシュレイの顔を見てしまっては、掛ける言葉なんて見つかるわけがなかった。
「あ、も、勿論、直接的な原因が青年にあるというわけではないんだ。本来まだ眠っているはずの獅子熊の生態は分からない事の方が圧倒的に多いし、奴らの縄張りに決して入らなければ危険は少ない」
おそらく今の自分は酷い顔をしているのだろう、それを慮ってか、アシュレイは少しでも弁護しようとしている。
「それに、まだ実質的な被害が出たなんて話はないし、まだ姿を見た奴だっていない。ただ彼らの真新しい足跡やフンや爪痕を見たってだけであってだな」
そこまで言えば、完全に冬眠から目覚めているじゃないか、と当吾は反論したくなったが、必死な彼を見て口を閉じる。
「…で、どうする?一応な、城下町にある組合の方に退治依頼を出そうという話にはなっている。さすがの俺も獅子熊相手では勝てないからな。村の狩り連中も獅子熊がいないから狩りをやっているんだ。当分、森にはいけないさ」
森には行けない。だから、炭に使う木も取りに行けないから、アシュレイの仕事が止まっているんだ。おそらく、自分の所為で。
「…そんなに獅子熊は怖いのか?」
聞くまでもないだろうと、内心思っていた。元の世界の熊でさえ、体長は大きいし、爪は鋭く、種によっては獰猛で、人を襲う事だってある。しかし、熊除けの鈴や、今ここにいるという音などを発生させていけば、彼らは怖がって近寄ってこないものである。
しかし、ここは当吾が元いた世界ではない。
アシュレイの顔や声の調子を考えてみるに、明らかにその獅子熊に対して怯えていた。
ここにきてアシュレイが剣や武器を使うのがとても上手なことを知り、彼は武芸者なのだと知っている。彼は身長こそ当吾さほど変わらずとも、胸板の厚さや筋肉の総量にはっきりとした差があった。
そんな彼でも、その獅子熊が怖いというのだ。
おそらく、人を喰らう熊なのだろう。
だから、ここまで神経質になる。だからここまで、当吾を心配するのだ。
人身御供とはこういう状況を言うのだろう。
「…青年?」
彼らしくない声だった。まるで消えそうなか細い声。
「アシュレイ。頼みがあるんだ」
もう、なりふり構っていられない。
「剣や弓の稽古をつけてくれないか」
この世界で生きるためなら、割り切ってやるしかないと、当吾は心に決めた。