第十四話
獅子人一体、獅子熊一体を創製魔法で創ったソリの上に乗せ、当吾たちは森から無事に村へと戻った。
流石に巨体二つとなると総重量180貫、約720キログラム、にも達し普通の人間ならば持ち運ぶのも無理だ。しかし、そこは都合の良い腕である。紺色に輝いている間は、並の膂力に非ず。アイリンシアと一緒にソリを引いていたが、全く苦にならなかった。
その間は子供たち、特に男の子連中は当吾の腕を羨ましがってたが、正直それはどうなのだろうかと思う。女の子たちはいうと、アイリンシアと当吾が一緒に森の奥から来たことに何か勘ぐっているらしく、特にメルティナはアイリンシアに執拗に何かを聞いていた。アドニアもそれに聞き耳立てていたことはバレバレだった。
森を抜けた先にアシュレイとマルシェルカが待っていた。どうやら体調も戻ったらしく、アシュレイの血色はよかった。
「よう、皆ご苦労」
軽快な口調でアシュレイは労う。言葉だけでも、嬉しくなるものだ。
「ほら、お父さん。いっぱい見つけてきたよ」
最大の功労者であるアリュンが籠いっぱいの食材をアシュレイに見せつける。
「おお、結構取ってきたな。偉いぞ、アリュン」
アリュンの頭をガシガシと撫でながらアシュレイは褒めていた。他の兄弟達は持っていた籠を家に持っていくのを優先して、そのまま行ってしまう。おそらくいつもの光景なのだろう。
ただ、そのいつもの光景とはかけ離れているものが当吾とアイリンシアの後ろにある。
獅子熊と獅子人ザダルガンの死体。
アシュレイは子供たちをマルシェルカに任せてソリに乗せられている遺体に近づく。
「なんだか、こいつに殺されかけたとは思えんな」
彼は獅子人の前で軽く手を合わせた。死者への挨拶はそれでいいのか、と当吾は納得する。
「お、これが今回仕留めた獲物か」
村の狩人衆が集まってきた。彼らはまさに歴戦の勇士と思わせるくらいの体をしており、当吾を彼らの横に並べたら随分当吾が小さく見えることだろう。
体のいたる所に鋭い切り傷の跡が残っているのを見ると、ただの狩人たちではないのかもしれない。アシュレイの過去を考えると、どこかの国の兵士だったのかもしれない。
「本当にこの兄さんが仕留めたのか?俺たちは未だに半信半疑なんだぜ」
「彼の左腕を見てご覧よ。普通じゃないのさ」
アシュレイが言うと、狩人たちの視線が一斉に当吾に向いた。正確には当吾の紺色に輝く左腕であるが、すぐさま当吾の顔にも視線が移る。
「悪くない面構えだ」
狩人の中でも特に強面の人が近づいて当吾に言う。毛むくじゃらの顔をしているが、そこには歳と共に取ってきた経験が滲み出ている。やはり普通の狩人ではないと確信した。
「異世界人がデタラメに強いのは知っているが、数日で獅子人を倒せるだけの実力がつくものなのか?」
「言っただろ。普通じゃないのさ、俺の弟子は」
「弟子だぁ?こいつを自分の弟子にするのかよ。てめぇは」
普通じゃない、という単語よりも弟子という単語に彼は酷く反応した。
「ハッハッハ。そうか弟子か。よかったな、兄ちゃん。あいつはな、昔っから弟子を取ったことがないのに一端の師匠気取りだ。あんな体なのによ」
何が面白いのか、強面のおじさんは声高らかに笑っていた。その様子をアシュレイは少し恥ずかしそうに顔を赤くして、他の狩人たちもこのおじさんに釣られるように笑っていた。
「おっと、すまねえ。あいつとは昔馴染みでな。あまりにもおかしかったもんで、つい」
笑うのを止め、強面の狩人は手を差し出す。
「俺の名前はラウゲン。この村の狩人の元締めみたいなものさ。数日遅れで済まないが、異世界の兄さん。俺達はあんたを歓迎しよう」
当吾は強面の狩人、ラウゲンの大きな手を取って握手する。その手はマメや厚くなった皮で実にゴツゴツしていた。
「よう、兄さん。アシュレイにはその気にさせてやってくれ。内心ずっと喜んでいるのさ」
小声で言うものだからどれだけこの村の人がアシュレイのことを気にかけているのが窺い知れる。
「それに俺達も獅子熊の餌にならなくて済んだからなぁ。アシュレイか兄さんが死んでたら村は全滅さ」
「その時はアイリンシアがいますよ」
「あ、この姉ちゃんか?」
ラウゲンはジッとアイリンシアを見る。当の本人は薄く笑っているだけだ。
「ハッハッハ。確かに、こりゃ手も足もでないくらい強そうだ!」
冗談めかして言っているが、先日の獅子熊の雌の肉にどうやってありつけたのを、彼らは知っている。
触らぬ神になんとやら。どうも、彼らには薄い壁がある気がした。アイリンシアとの間にだが、何か違和感を覚えた。
「よし、今夜は収穫祭だ。酒は飲めるんだろ?」
気づけば横に立ち、大きな手で当吾の背中をドシドシ叩いている。痛くはないが、勢いが強い叩き方だ。
「生憎、未成年でして」
「兄さん、この世界では15才以上が大人だ」
「なるほど。それもそうでした」
何も今更自分の世界に縛られることもない。まだ20才になっていないが、元の世界の神様も少しの飲酒も目を瞑ってくれるだろうさ。
「では今宵の主役を連れて行こうとしますか」
連れてかれた先には村の広場があり、大きな丸太が四方に置いてあった。中心を座れるように括り抜いた簡易的な椅子に成っている。どちらかと言うとベンチだった。
更に中心には大きな櫓が立っている。それには藁が積まれており、既に誰かが火を入れていた。火種は魔法だった。
ただ、案内されていくとラウゲンは一つの椅子へと当吾連れて行く。四方に丸太があるのに、その中心にいかにも櫓と玉座、この場合は上座と言うべきか、造りの凝った座椅子があるのだ。後ろには火のついた櫓があるのだが、とても熱そうだ。
――まさか、ね。当吾の背中に冷たい汗が伝う。
「さあ、主役はここにどうぞ」
恭しく頭を下げる姿はまるで家臣のようだ。ラウゲンは手でここに座れと主張し、更に目も早く座れと言っている。正直、これは拷問に近い。羞恥心で死にそうだ。
「いいから、座れ」
後ろからアシュレイが足蹴に無理やり座らせる。すでに手には酒の入った器が波々と注がれていた。
「ほら、青年の分だ」
渡される紫色の液体。すでに日も落ちかけているため、橙色に見え始めた液体に当吾の顔と後ろの炎が写る。
香る葡萄酒。どうみても高級品だ。
「いいのか?飲んで」
「飲んでもいいが、呑まれるなよ」
決まり文句を言われて、当吾は覚悟を決める。
実は、酒は苦手なのだ。親の嗜む姿に憧れはしたものの、一口だけでもう逃げてしまったことがある。
ここで飲まなければ、場を白けさせてしまう。
まだかまだかと村人、特に男連中は当吾が飲むのを待っている。こういう時は、やはり空気を読まなければいけないようだ。
「では、乾杯」
杯を傾ける。喉が焼けるような感覚とともに、当吾は倒れるように上座に座る。嚥下していく音が生々しい。
そして、ゆっくりと杯から口を離し、空になった杯を逆さにして飲み干したことを強調した。
「おお、やるじゃねぇか!」
「流石!」
どうやら掴みは上々のようだ。しかし、これは酷い光景だ。
毛むくじゃらのおじさんが4人重なって見える。
アルコール中毒にでもなってしまうのではないか、と思ったが少しずつ体が冷めていく。どうやら、酒もある程度耐性が出来たようだ。
口火を切ってしまうと、主役のことなんてどうでもいいらしく、当吾以外の男連中は各々で叫びながら酒を飲んでいた。実に楽しそうな飲み方だ。
「こんばんわ」
赤く熱い顔をひんやりしている黒い手で押さえながら、当吾は声を掛けてきた人物に目を向ける。
茶髪の映える可愛らしい顔立ちの少女、いや女性が当吾の前に立っていた。年は当吾やアイリンシアとそう変わらないだろう。
「えーと、トーゴさんだっけ?」
「そうだけど、何か?」
彼女の手にも杯はある。どうやら、話し相手が欲しいだけのようだ。
「獅子熊を倒せるような人には見えないね」
「よく思われるよ」
よく言われるとは言わない。
「でも、やっぱり普通じゃないって感じがするよ」
「それはどうも」
酔いの所為か何も気の利いた事が言えない。そういえば、アイリンシアはどこにいった。
「あ、目の前に女の子がいるのに、別の人のこと考えているな」
すぐに気づかれることから、やはり自分は顔に出やすい男なのかもしれない。
「あたしはラウゲンの娘のルーサ。これでも狩り手伝いをしているのよ」
正直あまりない胸を張りながら言われても欲情も出来ない。失礼なことだが、あまりも山師そのもの雰囲気を持ったラウゲンの娘にしては似てない。あまりにも似ていない。母親に感謝しておこうか。
あと、家事手伝いの間違いじゃないのか。
「弓くらいしか使えないけどね。魔法はからっきし。でも遠射は得意よ。同じ年代の男連中よりはよっぽど上手い自信があるわ」
どうやら、狩り手伝いで合っているようだ。
「ああ、そうですか」
酒に酔うと陽気になる人と、逆に口数が少なくなってしまう人がいる。当吾は間違いなく後者である。気分が沈んでいく感覚が気持ち悪い。
「……やっぱり、いきなり声掛けてくる人とは喋られないか。楽しくないもんね」
少し冷静になると、この女性は獅子熊を倒せるだけの実力を持った当吾だから近づいてきたようだ。やはり、実力があるとモテるのか。特別、モテたいとは思わないのだが悪い気分じゃない。
「あの金髪の人、綺麗だもんね。そうだよね、あたしじゃ足元にも及ばないや」
俯きがちに、ルーサは当吾から離れていった。
正直、あのままラウゲンに言いつけられて、怖い顔して『俺の娘じゃ文句あるのかぁ!』とか言われそうで半ば戦々恐々していたが、向かった方向からしてどうやらルーサはそういう類の女性ではなかったようである。
「おい」
ラウゲンが来ないとほっとした瞬間、今度は精悍な青年が立っていた。短い茶髪にややつり目、この青年も当吾とあまり年が離れていないように見える。
「ルーサに何を言った?」
語尾に微かな怒気が見えている。というより、既に目が怒っていた。
どうやら、文句に言いに来たのは父親ではなく、男友達のようだ。実に分かりやすい。
「何も、勝手に解釈して、勝手にどこかいった」
「そんなはずがないだろ。あいつ泣いてたんだぞ」
なるほど、それは性質が悪い。
「なんか言ったらどうだ?」
青筋を立てて青年は怒る。
「君は、彼女のことが好きなのか?」
「な、何を…」
慌てるところを見る所、やはり青年はルーサに恋慕しているようだ。好きな相手が無碍に扱われて怒らない男性はいないだろう。少しだけ当吾はこの青年に好感を持った。
「自己紹介がまだだったな。俺は当吾。ご覧の通り、異世界人だ。君は?」
相手の名前を聞く前には自分が名乗る。
「……マディンだ。この村の狩人見習いだ」
当吾は広場の椅子に座っているので、この青年に対しては見上げる形になっていた。しかし、それも失礼だと思い、立ち上がる。たとえ今回の騒ぎの主役でも礼は失しない。
「マディン。君は俺に文句を言いに来る前に彼女の所に行くべきじゃないのか?もしかしたら、気の利く男だと思われて好感が持たれるかもしれないのに」
立ち上がるとマディンは当吾より身長が高かった。だが、雰囲気からか、そんなに強いとは思わない。
「……おお、確かに」
最初にその可能性を思いついておけよと心のなかで思うが、それだけは顔には出さない。
「ただな。ルーサは子供の時から、その時一番の男にくっ付く癖があってな」
どうも本能の思うがままに生きている女性らしい。
確かに女性はより強く、より遺伝的に遠い男に惚れやすい。語弊があるといけないので好きになりやすいと言っておく。つまりそれだけ強い種を残せるし、遺伝的にも病気に強くなる。
しかし、自分は異世界人だ。遺伝的に最も遠い存在だろう、それが逆に作用することもあるかもしれない。それに悪いが彼女には興味がない。
「そこは押しの問題じゃないのか?俺も恋愛には疎いから何とも言えないが」
「……どうも勘違いしてたみたいだ」
先程と打って変わって態度が変わる。マディンは当吾に向けていた敵愾心を引っ込め、逆に人懐こい雰囲気さえ出している。
「異世界人ってのは皆いけ好かない奴らばかりだと思ってたけど、あんたは違うみたいだな」
「誰と比較しているのかは知らないけど、少なくとも敵は作りたくない性分なんでね」
「悪かったよ。というわけで、忠告通りルーサに声を掛けてこよう。じゃあ、祭を楽しめよ」
そう言ってマディンは踵を返し、ルーサが向かった方に行く。その足は実に軽やかだ。
しかし、言われたというものの何を楽しめばいいのか全く分からない。
「はい、料理が出来ましたよ」
ひょい、と大きな器に大量の料理が盛りつけられて登場した。それを運ぶのはマルシェルカを筆頭とする村の女性陣、おそらく既婚者中心なのだろう。身重の女性が見受けられた。
「今から本番ですよ」
マルシェルカは当吾の前に簡易机を置いて料理を並べていく。
当吾が気に入った鶏肉の唐揚げを始め、獅子熊の肉、川魚の串焼き、その他諸々。言葉に表せないほどたくさんの料理が並べられていく。
「では、今回の主役が最初にどうぞ」
マルシェルカが言う。
並べられた料理に思わず喉が鳴る。それだけ飢えていたと再認識した。
当吾は串を二本ほど取り、それを頬張る。肉汁が溢れて、口が熱い。しかし、美味い。
当吾が料理に手を出したことで皆の手が次々と料理に伸びていく。大量にあった料理が無くっていくさまは実に不思議なものだ。
日も完全に落ち、気温が下がってきた。
そろそろお開きかと思い、当吾は上座から立とうとするが、そこにマルシェルカがお腹の大きな女性を連れてやってきた。
「お腹を撫でてあげて」
近くで見ると随分とお腹が大きかった。妊娠9ヶ月と言ったところか。
「祭の主役は村で一番活躍して元気な人と決まっているの。それにあやかってね」
つまり元気な子が生まれますようにと願掛けと言う事だ。どこの国、どこの世界においても、そういった願いは共通のようだ。
ただ、願かけられる身になるのは気恥ずかしいものがあるが、気分はいい。
いざ妊婦のお腹を触ろうとした際に、思わず黒い左手が出た。一瞬それは躊躇ったが、母になろうとしている女性はそれでも優しい眼差しを変えなかったため、そのまま撫でる。
無機質な黒い腕でも感じ取れる暖かさと命の鼓動。
やはり世界が変わろうともこういうものに尊さを感じるのは生物として当たり前なのだろうか。
「どうか、強く健やかな子が生まれますように」
「ありがとうございます」
気障ったらしいが、礼を言われ一種の感動すら覚える。
その光景を見てか、次々と女性が上座に群がった。「私もお願い」とややお腹が小さいが妊娠している女性が現れる。当吾は先程と同じことを行い、それが数回続くと、今度は父親と一緒の男の子が現れた。
「どうか、この子にも祝福を」
「あー、俺は偉い人でも神様でもないのだけど」
「慣習なので」
慣習の一言を言われると仕方がない。気分を害さないように、黒い腕で男の子の頭をゆっくり撫でた。
「あー、早く大きくなって皆の役に立つ男になれよ」
「えへへ、うん」
子供独特の可愛らしい屈託のない笑顔と仕草。思わず当吾も笑みを返す。
「次は俺の子も」
「その次はうちの息子を」
「次俺…」
そう言った感じで当吾はもみくちゃになりながらも、祭の主役をこなしていく。
最終的には村の子供達の9割を祝福し、今は数人の子供、特にレイヨール達が当吾の黒い腕を触りながら騒いでいる。当吾は疲れたために上座に座りながら、なすがままである。
「いいなぁ、トーゴ兄ちゃん。僕も獅子熊倒せるくらい強くなりたいよ。魔法も貧弱だし」
黒い腕も欲しいとその輝く瞳が当吾を見つめるが、それは止めておいたほうがいい。
「……レイ。今更だが、この腕はなんで俺の左腕になったか分からないんだよ」
「え?兄ちゃんの魔法で創ったんでしょ?お父さんもお母さんもそう言ってたよ」
「難しいことを言うと、アシュレイもマルシェルカ姉さんもそれで納得したんだ。俺が創った腕かどうかも怪しいものさ。混乱すると思うけど、ある意味でご都合主義で出てきたものなんだよ。なんの理論も計算もせずに現れた。俺は未だ納得できないが、これのおかげで助かったのは否定できないがね」
「……お兄ちゃんの話は難しいや」
確かにまだ難しい話だったかもしれない。しかし、魔法を使えるということはいつか分かる日がくるだろう。とどのつまり、魔法も一種の法則がある。それには確かに理解しがたいものもあるが、必ず根底に理論や思いがあるはずだ。
水を操りたければ水に関連する言霊を、呪文を紡げばいい。
何かを作りたければ頭で精巧に想像し、創造すればいい。
だが、この腕にはそういうのがなかった。
あったのかもしれない。気付かなかっただけなのかもしれない。それでも、いくら推察しても答えがでない。それが当吾を苦しめる。
当吾がふと目をレイヨールたちに向けると彼の目はとろんと焦点がぼやけていた。目をこすり、まだ起きていられるとこちらに笑いかけるが、結局当吾の黒い左腕にもたれかかるように寝入ってしまった。
「酷い寝方だ」
当吾は魔力を練る。巨大な魔力の腕が現れ、子供たちをゆっくり包み込むように掴んだ。腕の延長線上しか動けないと思っていたが、意識さえしていればある程度の自由は利く腕だ。
当吾は包んでも見える子供たちを運びながら、この腕の名前を直感的に思いつく。
幻のように現れて消えることから“幻拳”と呼ぼう。我ながら安直な名前の付け方だが、分かりやすいのが一番いい。
幻拳で二人運び、空いている両手でレイヨールを抱っこする。レイヨールは10才近くと言っても成長が遅い方らしく、この血の繋がらない兄弟たちは背丈が似ている。
家に戻り、レイヨール、アリュン、ニーケを寝台にゆっくりと乗せて、当吾は祭の後片付けに入る。
上座のあった場所にまで戻ろうとしたところ、途中でアシュレイと当吾に対し背を向けているアイリンシアを見かけた。
声を掛けようとしたが、あまりの様子の不自然さに動作が止まる。
「私からは何も叔父上に話せません」
「そうか、まあそうだよな。それが正しいさ」
まだ祭の熱が残っているのに、そこだけ冷め切っている気さえする。
暗闇の中、炎を照り返す金髪は見事なもので、殊更アイリンシアの美しさを際立たせていたが、そこから伝わるのは熱ではなく冷気と勘違いするほどだ。
「おお、青年。ちょうど良かった」
アシュレイが人好きのする笑みを浮かべながら、当吾を見つける。それに気づいたアイリンシアは振り返る。形のいい顔からはいつも通りの飄々とした笑みが張り付いているが、少しだけ陰があった気配がした。
「今から、簡易的な葬儀をする。埋葬者は、まあ言わずもがなといこうか」
「ああ、分かったよ。いくらでも手伝うさ」
「祭の主役には仕事を押し付けちゃならないんだが、許してくれよ」
「いや、こっちから手伝いたかったくらいだから気にしないでくれ」
既に夜で辺りも当たり前のように暗かったが、月が明るいためか特に苦はなかった。
村の共同墓地のような所に案内され、そこには昼間に会った討伐屋が既に亡くなった仲間の遺体を並べて祈りを捧げていた。
一人は額に左手をあてがい、一人は左胸に右手を。場所も違えば文化は変わるといったところか。
当吾が彼女らに対し軽く会釈すると、遺体が少し修繕されているのに気づいた。無くなっていた首には太めの糸で縫い付けられ、弾けていた四肢はある分だけ並べられている。
アシュレイは家の納戸から鍬を持ってきて穴を空けようとする。そこは魔法を使えばいいのではないかと思いたいが、誰もそうしないことからそういう決まりなのだろう。
しかし、鍬や鋤では埒が明かないので、当吾は創製魔法でスコップを創造する。雪かきなどによく使ったから想像も楽である。
「青年、変わった道具だな」
「丸い匙だから円匙って言う道具だ。穴を掘るにはこれがいいはずだよ」
自分の世界ではね、とは部外者がいるために大きな声では言わない。
試しにスコップを地面に差し、土を抉る。この世界に来てから筋力もある程度上がったためか実に快適に作業できる。
「私にも一本創ってくれないか?」
先程からあまり喋っていなかったアイリンシアも流石に黙っていなかった。異世界の道具にはやはり興味があるのだろう。
「どうぞ」
「ありがとう」
すぐに創り上げ、彼女の手に握らせる。彼女はその金色の目でそれをまじまじと見ながら、当吾がさきほどしたように地面を掘り始めた。少しぎごちなかったが、すぐに修正されていく。
「青年。俺にもくれ」
アシュレイにも同じものを創り、放る。問題なくスコップを握り、アイリンシアと同じようにテキパキと穴を掘っていく。
道具が良かったのか、それとも穴を掘る人が良かったのかは判断できないが、すぐさま二つの墓穴が出来た。
そこに討伐屋の二人は自分の仲間の遺体をゆっくりと並べていく。
並べ終えてから、当吾以外の皆が祈りを捧げ始める。当吾もそれに倣い手を合わせた。
黙祷のまま数十秒ほど過ぎ、アシュレイたちは土を遺体にかけ始める。そのまま彼らの遺体は見えなくなり、討伐屋の二人はその上に卒塔婆のような木の板を指す。そこには文字が書かれており、当吾には判読できなかったが、おそらく二人の名前と安らかに眠ってくれという旨が書かれているのだろう。
「明日村の皆でちゃんとした葬儀をしよう。残念な結果になったが、報酬は全額払おう」
「ありがとうございます」
背の低い茶髪の女性が頭を下げ、そのまま村の宿に二人戻っていった。その背中は悲壮感が重々に伝わる。
「……これ、なんて書いてあるんだ?」
当吾はアイリンシアに問う。彼女は立てられた木の板を見やる。
「幾多の地を旅し、幾多の外敵から人を守りし者。ここを最後の地とし、安らかに眠らん」
凛とした声から伝わるのは一種の淡白さ。まるで言い慣れた節さえある。
「この言葉は討伐屋や冒険者に当てられる送り言葉だ。当てられる言葉で生前なんの職に就いていたが分かるようにね」
アシュレイが補足するように説明してくれた。
「俺にはなんて書かれるかな」
「縁起でもないことは言わないでくれ」
「仮にも英雄だったからな。興味がないでもない」
その言葉を紡ぐ褐色の偉丈夫は、とても寂しそうに見えた。ただでさえ呪いで生活がままならないというのに、儚げな彼に対して当吾は哀れみ以外の情を禁じ得ない。
「私にはきっと何も書かれないだろうさ」
金髪の麗人は淡々と言う。
「ハハハ、アイリンシアも止してくれよ。冗談にしても笑えない」
苦笑いしながら顔に動揺を表さないように必死だった。何気なく言っている彼らの心境に当吾はついていけなくなった。特に彼女の台詞には反応に困る。
ましてやアシュレイがアイリンシアに対して叱るのかと思いきや、何も言わないのである。それが、更に当吾を当惑させる。
嫌な沈黙が流れた。
その沈黙の所為か、まるでこの二人とは違う世界に生きているかのような気になる。
実際に別の世界に来ているだが、ここまで疎外感を覚えるとは思いも寄らなかった。確かに彼らと自分の常識は違うだろう。宗教観、人生観も全く違うだろう。
しかし、距離にしてほんの数尺。彼らとの距離が随分遠く思えた。近いけれども、永遠に届かない近さ。ずれた位相。理解し得ない共感。
この世界で生きることは、獅子熊の幻の前で誓った。けれどもまだ甘いようだ。
――仕方がないか。
当吾は決心する。彼らの感覚に共感出来るまでは、自分は自分らしく生きようか、と。
だから、気障ったらしくも今はこう言う。
「なるべくしたくないけど、その時は俺が言葉を当ててやるよ。分かりやすくて格好いいのをね」
内心恥ずかしくもあったが、後悔は微塵もない。
当吾の言葉に二人はお互いの顔を見やり、分かり易いほどに破顔した。
一人は腹を抱えて笑い、一人はやや上品にも手を口に当てて笑う。
「ではその時は、とびっきりいいのを頼もうか」
この叔父と姪はそっくりな笑みを当吾に向けて言い放つ。
「すぐに来ないことを期待するよ」
当吾も彼らに釣られて薄く笑みを作る。少しだけ彼らと同じ位相に立てたと思えた。
そのまま祭も完全な終わりを迎え、先程までの熱も冷めていく。
新しい明日がやってきた。
何もかも変わっていく明日が来たのだった。
遅筆にもほどがあると我ながら恥ずかしい気持ちでいっぱいであります。それでいて展開も遅いのはいかがなものと、自分で自分を責めたくもあります。現実が忙しいなどと言い訳はあまりしたくないのでございますが、それでも待っていてくれている方に駄文であろうと頑張りたい所存であります。
最後に、こんな駄文でも目を通してくださる皆様に感謝の念をお送りいたします。ありがとうございました。