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魔を掴む  作者: volare
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第十三話

 魔王とは20年近く前に数多くの部下と魔物達を引き連れて世界を滅ぼそうとした者に与えられた“名前”だった。

 “名前”というからには魔王ナニガシと固有名詞のようなものを思い浮かべるが、魔王とだけ伝わっているらしく誰もその魔王の本当の名前を知らないらしい。ましてやその特徴も何も後の人たちは知らなかった。

 ただ、“英雄”アシュレイと数多くの異世界人や実力者たちが犠牲になって倒された、それだけが事実のようだ。

 当時の人たちにとってはそれだけが肝心なのだろう。それだけ魔王を恐れていたに違いない。事実、20年前まで存在していた国がいくつも破壊され、断絶したらしい。

「こんなことはこの世界の誰でもが知っているお話だ」

 金髪の麗人は横目で当吾を見て話す。

 獅子人を倒した翌日、当吾たちは子供たちを連れて森に入っていた。

 目的は食材集め、という前提と倒した獅子熊や獅子人の剥ぎ取りである。剥ぎ取りというとまるでハイエナのようだが、倒したからにはその体は無駄にしてはいけないという暗黙の了解があるらしく、当吾たちはそれを少しでも回収しようと森を訪れていた。

 アシュレイは無理をしたため、寝込んでいる。そこで当吾とアイリンシアが代わりに付き添いになった。本来、当吾も流した血も膨大で普通ならば安静にしていなければならないのだが、大量に飯を喰らった事で体調は回復していた。我ながら酷い体力である。

 獅子人を倒した男がいるから獣とかは問題ないだろうとアシュレイは寝言のように言っていたが、アイリンシアがいれば問題ないだろう。

 当吾たちが獅子人に掛かり切りの時に、彼女は2匹ほど獅子熊を仕留めていたらしい。証拠として見せつけられたときの彼女の顔は得も言えないしたり顔が、当吾を苦笑させた。

「トーゴ兄ちゃん、このきのこは食べられるよ」

 そう言って傘の広い茶色のきのこを見せつけるのは、普段は大人しいアリュンであった。長い前髪で顔を隠している少年だが、この時ばかりは輝いた笑顔を見せていた。

「おう、そうか。アリュンは物知りだなぁ」

 当吾は感心していた。こんな小さな子でもこうして食材を集めるのに必死になっている。当吾が同じくらいの歳だった時はどれが食べられるきのこだなんて気にしたこともなかった。

「お父さんに教えてもらったの。レイ兄ちゃんとかアド姉ちゃんとかより知っているんだよ」

 比較に出された長男と長女は一瞬ビクっとなりながらも、しゃがみ込んで食材を探していた。先程より手つきが速くなっているところを見ると、負けず嫌いも分かりやすい。

「トーゴ。向こうで獅子熊の死体を見つけた。大きな斬り口だったが、本当に君が倒したのか?」

 少し離れた所にいたアイリンシアは、やや怪訝そうな顔で当吾を見つめていたがどこか嬉しそうな笑みを作っていた。

「無我夢中だったからな。しかし、なんで嬉しそうなんだ?昨日までは俺を嘘つき扱いしてただろうに」

 アシュレイを背負って村に帰ってきたときにアイリンシアは大層狼狽した顔をしていた。第一に獅子熊の金色に当吾が出くわしたこと。第二に当吾の腕のこと。第三に当吾が獅子熊と獅子人を倒したこと。

 腕は証拠があるため彼女は納得していたが、獅子人と獅子熊の件は疑っていた。やはり当吾の思っていた通り獅子熊というのは上から数えたほうが早いほど強い生物だったらしい。ましてや獅子人はもっと上の存在だ。そんなのを相手して勝ってきたと信じてもらうのは無理があったようだ。おかげで、今の今まで嘘つきと呼ばれてしまった。

「いやなに、自分の見初めた男がそれだけの実力があると思うと嬉しくなるだろう?」

「同意を求められても困る。俺の世界では狩りは一部の人間しかしないからな。おかげで3回は死にかけた」

 そんな風に言い返す当吾であったが、顔は赤く染まり動悸も激しくなっていた。

「お兄さん、顔赤いですよ」

「茶化すな、メル」

 食材集めもそっちのけで終始こちらの観察をしていたメルティナだった。やはり女の子なのか色恋沙汰には目がないらしい。アイリンシアは気にしないらしいが、人目を気にする日本人当吾は気にしていた。

「では私は獅子熊の毛皮を剥ごう。子供たちには酷だろうからな」

 ここは任せた、とアイリンシアは獅子熊の方へ向かった。当吾はその背中を見送って、周囲を見渡した。

 一面緑一色。

 今回は鳥の囀りや虫の声もはっきり聞こえていた。昨日までの静けさとは大違いである。

 子供たちを見やると籠の中身が順調に増えていっていた。とは言うものの、アリュンが見つけては片っ端から近くの籠にいれているため、子供たち自身の実力ではなさそうである。

 適材適所もここまでくると苦笑いしかでない。

 当吾は顔を黒い手で掻いた。当吾の命を救った左手は、昨日の暴れっぷりが鳴りを潜め、今は黒い。さながらの休止状態である。

 昨日当吾が家に戻ったときはまだ紺色だったのだが、しばらく経つと黒くなり、『魔食』も発動しなくなった。時間制限があるのか、それとも『魔食』の吸収制限があるのかは分からないが、何かと都合の良い腕である。

 当吾も何かないかとしゃがみ込んで捜すと、肌色の細長いものを見つけた。

 それを取って見てみると、なんだか見覚えのあるものである。

「……ああ、指だ」

 すっかり血も抜けて乾燥してしまった人の指である。当吾は子供たちがこれを見ないようにサッと拾い上げ、自分の右手と見比べた。

 よく見れば乾燥しているとは言え、指の太さがまず違う。この指は当吾のより太い。おそらく討伐組合から来ていた傭兵のものだろう。

 黄金の獅子の突進を受けて、バラバラになってしまったと推測するのが自然だ。

 昨日、討伐組合から来ていたのは4人。男が二人に、女性が二人。その内の男性陣は女性陣を逃がすために無残にも散ってしまったというわけだ。逃がされた女性達はアイリンシアが当吾と別れた際に保護していた。

 実はこの散策にその女性達も来ていた。二人とも魔法士らしく、決して弱いわけではないらしい。

 組合には評価段階があるらしく、入りたての者は“伍”、その次が“肆”、“参”、“弐”、“壱”と位が上がっていくらしい。更にこの上に“特”があるらしいが、噂程度のものと考えるほうが自然だとアシュレイは話していた。

 この階級が上であればあるほど実力を有していると見なされるらしい。階級の付与は所属している組合の貢献度がものを言うらしいが、基本は経験値の多さで決まるようだ。

 今回、獅子熊の討伐に来た4人は階級“弐”。世間一般では一人前の中の一人前という評価からして、決して弱いという人たちではなかったはずなのだ。

 それが、この惨状である。

 当吾は茂みの中に血溜まりを発見した。そこには誰かが着ていたと思われる甲冑のようなものが散乱しており、首のない胴体が二つ横たわっていた。

 腐乱自体はそれほどでもなかったが、蟻のような小さな虫たちがそれに群がっている。やはり、四肢は千切れていたり、あらぬ方向に曲がっていた。それだけあの獅子人の黄金の突進が凄かった証拠である。

 当吾は死体の近くを探り、黄色い三角錐状の石を彼らの骸の服から取り出し、それを指で一度弾く。そうすることで、この石が振動し、最後にかち合った石が共振して場所を知らせる。“呼び鈴石”というらしい。

 これは班を組んだ討伐屋が最初に行う儀式らしく、それにより仲間であることを確認する。一時でも仲間内である場合でも行うらしい。

 石から波のようなものを感じことから、おそらく簡易的なソナーだ。弾くことで仲間の石の位置を知ることが出来る。かつ自分の居場所を知らせられる。ファンタジーとは便利なものだ。

 当吾は子供たちがこの場所に来ないように見張り、二人の女性が来るのを待った。

 森の奥から小柄な二つの影が見えると、当吾はその場を離れる。

 一時の仲とは言え、仲間の始末は仲間がするべきだ。供養の真似くらいはできるが、それはこんな場所でするようなことではないはずだ。

「ありがとうございます。見つけてくださいまして」

 消え失せそうな小声だった。一際背の小さい茶髪の女性が声を掛けてきた。

「いえ、見つけてしまっただけです。子供たちが見なくて幸いでした」

 呼び鈴石を弾くように言ったのは彼女たちであったため、見つけたからそうしただけだ。当吾は礼を言われる筋合いはなかった。

 そもそも彼らが死んだ理由の一端は、当吾にある。

「重ねてもう一度、仇を取ってくださってありがとうございます」

 茶髪の女性と濃い緑色の髪をした女性が二人とも頭を下げた。

 当吾は複雑な気分である。当吾とて取りたくて取った仇ではない。ただ、偶然左手が獅子人を倒しただけであったのだ。正直、自分の実力であるなどと露とも思えなかった。

「……今ソリを創りますから、彼らの遺体はそれででも運んでください」

 当吾は人が二人は寝られそうなソリを魔法で創ると、二人とも驚いたような表情をしていた。

「やっぱり、獅子人を倒せるような人は凄い魔法を使えるんですね。それに英雄のお弟子さんですし」

「これしか脳がないだけです」

 やはり自分の分相応が分からないと困る。これからはこの創製魔法と手のことは控えたほうがいいようだ。

 彼女たちはゆっくりと仲間の欠片をソリに乗せていく。バラバラになっても成人男性の体だ。重そうに彼女たちは顔を歪めていたが、一度も当吾に手伝ってくれと言わなかったし見向きもしなかった。

 そうして乗せ終わると肝心の部分がないことに気づく。

 首だ。

 獅子人が切り落とし、当吾の目の前に転がしたまま回収していなかった。あの時はそこまで考えが回らなかった上に、それどころじゃなかった。

 しかし、やはり責任は感じてしまうものだ。獅子人の言では『可能性』があるというだけで殺された彼らには申し訳ない。異世界人と言っても獅子人に取ってはどれも同じ人間でしかなかったのかもしれない。

「レイ。悪いけど、少し外すよ」

 籠を抱えていたレイヨールに声を掛け、当吾はその場を離れた。居たたまれなかった、それもある。身体が揃っていく中でやはり首がないのは悲しいものだ。

 当吾はあてにならない記憶と勘で進むことにした。幸い、戦闘の被害が出ている木々も見えている上に昨日当吾たちが戦っていた部分は不自然なくらいの跡が残っていた。土が盛り上がった部分、あるいは強い力で踏み潰された跡、ひしゃげた跡など、これを辿っていけば彼らの首に辿りつけるかもしれない。また獅子人の遺体にだって辿りつけるはずだった。

 ゆっくり歩み、当吾は釈然としない息苦しさを感じ始めていた。まるで誰かに見られている気分である。

 この世界に来てからというものの不思議な感覚に陥ってばかりだったためか、下手に鋭敏になっているようだ。五感が、いやこの世界では六感か、通常ではないと思い始めている。

 もしかしたらそう思い込んでいるだけなのかもしれない。心霊番組を見た後で暗闇が変な感じがするのと似ている。もしかしたらいるのかもしれないと、無駄な想像力が働いているだけであってほしいものだ。

 しばらく戦闘跡を沿って歩いていると、やはりあった。

 獅子人の赤く滲んだ骸だった。

 その遺体は不自然なくらい胴体が凹んでおり、体全体の骨格も曲がっている。こんな形の生物はいないだろうなと思わせるには充分な不自然さだ。

「……我ながら酷い事をしたな」

 不意に口に出てしまった。

 当吾は、命を取り合った相手であったがそれに対して手を合わせた。合わせてからこの世界の死者の弔い方を知らなかったな、と少しばかり後悔した。

 とは言えこのやり方も仏教なのか道教なのか神道なのか当吾も知る由もなかったが、気持ちが伝わればいいのかもしれない。

 当吾はこの巨体をどうやって運ぼうか考えている時に、後ろから草が動く音がした。

 振り返るとそこには影が立っていた。

 影と思いたくなるほど黒く塗られた鎧武者だった。

 その全身が黒い金属で覆われており、篭手も脛当ても腰掛けも胸当ての部分も、兜もすべて黒い。特に兜の顔の部分に関しては覗き穴すら空いていない。少し三角形状に出っ張っているだけで目の位置も鼻も口の場所も伺いしれない。最低でも呼吸するための穴くらいは空いていると思いたいのだが、全身が黒いためか、関節部すら把握できない鎧だ。

 色の所為か、遠近感が狂う。おかげでそれを着ているのが男性か女性かすら判断が付かない。

 鎧武者が腕を動かした。

 ごとごと、と二つの物体が転がった。探していた傭兵の首だった。

 当吾は絶句した。傭兵の首が目の前に転がってきたのもある。目の前にいきなりよく分からない存在が出てきたのもある。この目の前の鎧からは金属がぶつかり合う音すら聞こえなかったのだ。それが一番恐ろしかった。

 今思えば、近づかれたことにも気づかなかった。この世界に来て鋭敏になったとか思い違いもいいところだったようだ。

 それにしても目の前の鎧からは何も感じないが、一つだけ理解したことがある。

 ――こいつはやばい。

 当吾は今まで以上の命の危険を感じ取っていた。その証拠に、左腕が紺色の光を放っている。

 先程まで炭のような黒さをしていたくせにと思いながらも、左手から伝わってくる動揺のようなものが当吾を冷静にさせていた。

 だから、思い切って声を掛けることにした。

「あ、ありがとう。それ、探していたんですよ。知り合いの首で、見つけて供養しようと思いまして」

 知り合いというのは嘘だったが、あながち間違っていない気がした。

 黒鎧は何も言わない。ましてや息遣いも感じ取れない。

 当吾は気持ち悪くなってきた。心臓や内臓が不規則な運動をし始めるのを感じ取れてしまう。

 突然、無音になった。

 先程まで鳥の囀りも風の靡く音も聞こえていたはずだったが、今は何も聞こえない。心臓の音だけだ。

 そして空気が重くなった。言葉通りである。体の上から何かがゆっくりとのしかかって来るような、そんな感覚。思わず膝を折りたくなった。

 しかし、それは目の前の存在が許さない。

 当吾の心臓に刃物が突き刺さった。

「あ…」

 刺されたと思った瞬間に手を胸に合わせると、何もない。

 今確実に何かが刺さったはずだった。感覚は覚えている。冷たい何かが体に入っていく感覚。

 しかし、胸にはなにもないし黒鎧も動いていない。

 ならば、今のは何だったのか。当吾には一つしか思い当たらなかった。

 殺気。

 お前を殺すぞ、という気持ち。

 まさか、自分がそんなものに当てられるとは思わなかった。ここまで鋭利なものだなんて思わなかった。

「はぁ、はぁ」

 気づけば口で呼吸していた。心臓が飛び出てきそうなくらい激しく動いている。

 気持ち悪い。

 “喰らえ、喰らい尽くせ”

 また声が聞こえた。その声に呼応するように紺色の腕が輝きを増す。獅子人に放ったあの魔法を放てと催促している。

 この腕はある意味で意思を持っている。用がなければ寝て、危機が迫れば起きる。

 そして、当吾の根底にあった考えを実行しようとする。

 左腕の輝きが更に増した。昨日獅子人に放った『砲哮』より威力は格段に上がっているのが伝わってくる。

 当吾が無意識に目の前の黒鎧を獅子人より格上と決めてしまっていた。それから伝わる恐怖などは獅子人、いや獅子熊よりも感じられないというのに。

 左腕を突き出して『砲哮』を放とうとした。

「え…?」

 スッと、黒鎧は音もなく間合いに入っていた。何も感じず、何も気づかなかった。目の前にいたはずなのに、目を離さなかったはずなのに。

 奴の右手が当吾の突き出した左手を掴んでいる。それは空に向けられて、放とうとしていた『砲哮』はそのまま放たれて霧散した。

 肝心な所で集中を乱したため、ただのそよ風くらいの威力しか出せず、結局黒鎧には当たってもいない。

 黒鎧の無機質な鉄仮面が目の前にある。距離にしてもお互い接吻できるくらいの位置だ。

 それからは何も感じない。息遣いもこの位置ですら感じ取れない。それだけ、次元が違う。

 戦士として、武人として、いや生物として目の前の存在とは格が違うと理解してしまった。

 ――まな板の上の鯉の気分だ。

 昨日の命を差し出していたアシュレイとは心境が違うだろうが、当吾はこの相手に何されてもおかしくない状態だ。命を取られるのが目に見えている。

 しかし、黒鎧は興味を失ったかのように当吾の左手を解放すると、背を向けて帰っていく。

 手を離された拍子に当吾は、身体の力が抜けて地に膝をついた。視線も地に移る。

 荒れたままの呼吸で恐る恐る視線を上げると、誰もいなかった。

 音もなく、影もなく。

 助かった。普通の人ならばこうすぐに思うはずだ。

 しかし、当吾は違った。

「冗談じゃない」

 死に体だった当吾に何もせずに行かれたことに、腹を立ててしまう。

 曲がりなりにも当吾は戦士のつもりだった。こんな風に弄ばれることをされて助かっただなんて、思いたくない。

 しかし、あの黒鎧との間に埋めようのない実力差があるのは明白だった上に、当吾は手も足も出なかった。

 当吾の目は、無意識にも相手の魔力の流れが見えるはずだった。獅子人の時だって『砲哮』を放つ時や攻撃の際の魔力の流動を確認出来たくらいである。

 しかし、あの鎧の所為なのか、それが全く掴めないでいた。先程の動きも足に魔力を集めている所作が見えていたならば反応できたはずだった。

 だが、冷静に考えてみるとそうやって魔力の流れを隠すのが戦術なのだと気づいた。魔力の流れを感じ取られるということは次の攻撃が読まれる可能性が高い。

 戦術的にも戦略的にも当吾は負けていたのだ。

 もはや悔しさを通り越して自分に呆れ果ててしまう。

 気づけば左腕は黒くなっていた。魔素が濃いというのにそれを喰らおうともしない。まるで当吾の心境を表しているかのような体たらくだった。

 やっぱり、この腕は当吾の感情に左右されるのかもしれない。

 当吾はゆっくり立ち上がり頭を振った。

 世の中不思議なことがいっぱいある。アシュレイも言っていたではないか、説明できないことはあると。

 あれもこれも今はそう思えばいい。黒い鎧は当吾の命を取らなかったから敵じゃないと今は思えばいい。もっとこの世界のことを知ってから考え直しても遅くないはずだ。

「何を呆けてる?」

「え?」

 目の前に金髪の麗人が呆れた顔で立っていた。

「アイリンシアか」

「アイリンシアか、じゃない。さっきの魔力はなんだったんだ?心配になって来てしまったではないか」

 腕組みをして少し怒っているような仕草をするアイリンシア。なんだが可愛らしい。

「いや、全身黒尽くめの鎧に弄ばれてしまって」

「何を言っているかまるで分からない。もっと詳細に大きな声で」

 口調の中でも怒気が混じる。

「後ろに黒鎧の誰かが立っていた。やばいと思って魔法を使った。使おうとしても防がれた。いつでも殺せたのに殺さずにどっか行った!」

「まだ不明瞭だが、まあいいだろう」

 アイリンシアは当吾を可哀想な目で見てそう言う。正直、むかつく表情だ。

「黒い鎧か、噂で聞いたことがあるな。どこかの国の顔も明かさない武人だ。私自身は出会ったことはないのだが、おそらく強敵だろうな」

 淡々と喋る彼女。流石に同業者の情報は持っているのだ。やはり、偶然なのかもしれない。修行の途中で出くわしてしまって少しちょっかい出されただけだ。

「顔は見たか?」

「いや、完全に隠れていたから見えなかった」

「そうか、いつかはその顔を拝んでみたいものだよ」

 まるで他人事だ。実物を見ていないとやはりこんな対応だろう。

「さて、獅子人の体を運ぼう。早くしないと日が暮れてしまう」

 アイリンシアはそう言って獅子人の遺骸に近づくが、当吾は動けない。

 立ち上がっても、足が竦んでしまっていた。震えていた。随分と遅い恐怖の到来。獅子熊と対峙したときと同じだ。安心するころに出てくる。

「悪い。すぐには動けそうにもない」

 当吾の状況にアイリンシアは何も言わなかった。ただ一瞬微笑んで、当吾に抱きついた。

「なっ?」

「どうだ、安心するか?」

 安心するも何も、思考も止まってしまう。心臓も先程より熱く激しく鳴っている。体が沸騰しそうな錯覚さえ起きる。

 服越しでも彼女の胸の感触が生々しい。それが当吾の胸の辺りにぶつかっている。

 アイリンシアの身長は当吾より少し小さい程度のため、当吾の目の前には彼女の顔がほんの少しの距離しかない。流れるような金髪からはいい匂いがした。

 凛とした雰囲気の、切れ長の金色の目。それが少しだけ熱っぽく感じた。

「ここなら誰も見ていないぞ」

 そう言って、お互いの唇が触れ合った。短い接吻。すぐにも彼女の顔は離れた。

「震えは止まったか?」

 気づくと体の震えはなかった。

「止まったよ」

「そうか、それはなによりだ」

 満面の笑みを浮かべてアイリンシアは当吾から離れた。先程までの感覚が名残り惜しくなる。出来ればもう少し感じていたかった。

「早く片付けるぞ。子供たちだっていつまで待っててくれないだろうからな」

 獅子人に近づいていくアイリンシアの後ろ姿を見て、当吾は声を掛けようとしたが、寸前で飲み込んだ。

 ――俺達の関係は何なんだろうな、と当吾は聞きたかったが、聞かなかった。

 出会って数日程度の関係だが、聞いたらこの淡い何かが崩れてしまいそうな気がしたからだ。それに、この距離は当吾にとって好ましい距離だった。

「にやけているぞ」

 彼女がにこやかに言う。

「お互いな」

 お返しに当吾は応える。

 軽口を言い合える仲。それだけでいいのだ。今はまだ。


お待たせいたしました。前回の投稿より日をあけてしまい申し訳ありません。遅筆もここまで来ると、自分を殴りたくなります。



誤字脱字、意見、感想がございましたら遠慮無く申してください。


こんな駄文を読んでくださる方々に感謝の意を送りします。


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