第十一話
アシュレイの登場を持って、当吾の気力の枯渇は時間の問題だった。
それに気づいたのかアシュレイは当吾を一瞬で担ぎ、獅子を警戒しながら飛ぶように移動する。
辺りを見渡し安全を確認すると、アシュレイは当吾を大木に寄りかからせ、肘から先が失くなった彼の腕を握った。
「っ!」
失った左腕が痛み出し、眠りかけてた意識を覚醒される。おぼろげな視線でアシュレイの顔を見ると、いつも自信で満ち溢れていた顔が申し訳なさそうな顔でゆがんでいた。
「済まない」
短い謝辞だったが、当吾はそれだけで充分だった。気持ちは十二分に伝わったし、こうして当吾はまだ生きている。それだけで充分だった。
『塞がれ』
短い言霊。それだけで当吾の腕の出血は見る見るうちに止まっていた。
しかし、腕は生えてこない。
「腕を生やすのは俺には無理だ。腕が残っていればくっついたかもしれないんだが」
当吾の腕はあの獅子の突進をうけて無くなった。正確には、ばらばらに砕け散ったのだ。思い返してみれば、地面に千切れた指が落ちていたのを思い出した。
「意識が朦朧としているんだろう。あれだけの出血だ、仕方がない。青年、ここでおとなしくしていてくれ」
木々が倒れる音がする。
「はあ、一息すらつかせてもらえないのか」
目の前の木が倒れる。巻き上がった砂塵の向こう側から出てきたのは、一角の獅子だった。その表情は目に見えて怒り狂い、当吾ではなくアシュレイを見ていた。
「その顔覚えがある」
気炎を吐きながら、獅子は口を動かす。
「我が主に恥をかかせた男だなぁ!」
そう怒鳴りながら獅子は褐色の偉丈夫に飛びかかる。牙と爪がギラリと光り、アシュレイの体に迫っている。
「ふん!」
気合とともに、剣が振り落とされる。
空間ごと叩きつけられたかのように、ドスンと獅子の体が地面を叩いた。地面もその部分だけ心なしかへこんでいる。その獅子の顔面はアシュレイの握っていた剣がめり込んでいた。
「…やったのか?」
当吾は実に呆気無くやった本人に聞くが、返事はない。
しかし、今のアシュレイの攻撃は恐ろしかった。凝縮された魔力が一瞬で腕に集まり、そのまま強化された腕力で叩きつけたのだ。当吾が獅子熊にやったものなんて比べ物にならない。
「青年、移動だ」
ついてこい、と短く言い、駆け出す。
当吾自身まだ目眩などがひどかったが、何とか動けるまでには回復した。とは言っても休んでいたのは一瞬のため、それほどでもないのだが体は動いた。
少し移動して、後方で何か違和感を覚えた。
振り返ると、先程まで倒れていた獅子がすくっと立ち上がっていた。
「い、生きてた!」
「ああ、やっぱりか」
ぽたぽたと赤い液体が獅子の額から零れ、その顔には斜めに傷が出来ていた。
「あいつの骨は固すぎたから脳まで行かなかったからな、さっきまでは気絶してただけだ」
「ならなんでとどめを…」
そう言ってアシュレイの握っていた剣を見た。
刃がぼろぼろだった。
さらにヒビまで入っている始末だ。
「これで刺せると思うか?」
だから逃げる、とアシュレイは足を速める。
「今俺が一本創る!」
「出来ればいいけどね…」
残り少ない魔力でどうにか切れ味のいい剣を創ろうとして、後ろから爆音が響く。
黄色い閃光が爆ぜる。
後方から凄まじい勢いで迫るそれは、暴走状態の巨大トラックを連想させた。
触れたら死ぬ。簡単に想像できた。
ドン、と肩を押される。アシュレイと並走していたはずなのに彼が当吾の肩を押して距離を作る。そのできた間の空間に、黄色い巨体が割って入った。
アシュレイと当吾を簡単に追い越し、道を塞ぐかのように獅子は立ちはばかる。流石のアシュレイも折れかけの剣を構えていた。当吾の手にはなにもない。
「…どうやら我は命拾いしたようだ。貴様の持っている剣がなまくらでなければ、今頃冥土にいる」
「こっちもこれが業物だったらよかったんだが。どうも都合よくいかないんだな」
軽口を叩くアシュレイ。
「…本気で行こう」
獅子は一言そう言って、膨張した。
体中の筋肉が蠢き、前足がゆっくりと持ち上がっていく。
その異様な様を当吾は見ているしかなかった。
大咆哮。
空間が震える。
片耳だけでも抑えた当吾は目の前に信じられないものを見た。
先程の獅子が立っていた。まるで人のように、二本の足を地面につけて。
「獅子人」
アシュレイがポツリと呟く。
獅子人は変身、この場合は変形なのかもしれない、を終えて二人を睥睨する。
「我は魔王を主とする獅子人ザダルガン。貴様らを好敵手として我が名を語ろう」
獅子人ザダルガン。金色の鬣に、金色の毛皮纏った威風堂々の姿。筋骨隆々にしてその体躯は高さだけでも1丈、3メートルに達している。
それを見て当吾は先程以上の威圧感と恐怖を感じた。
「そして眠れ」
強烈な殺気を感じ取り、当吾は頭を下げた。
先程まで頭のあった空間に歪みが生じる。気づけば目の前に黄金の巨体が迫り、爪を薙ぐような形で止まっていた。
「ほう、まだ躱すか」
頭を下げなければ今頃あの手の中にこの首があるはずだった。
高速の突きが横から飛ぶ。折れる寸前の剣でもアシュレイの剣筋は変わらない。それら一つ一つが必殺の剣だった。
しかし、それは金色の毛皮に小さな切り傷を作るだけだった。
パキっと割れるような音を立ててアシュレイの手の剣はその役目を終える。
獅子人は標的をアシュレイに変え、その爪で襲う。対するアシュレイは意味のない剣の柄を投げ、命を刈り取ろうとしている爪を皮一枚で躱す。その高速の駆け引きは思わず見入ってしまうほどであったが、当吾は今のうちにと駆け出した。
できるだけ全力で、できるだけ速く、向かうのは獅子人に最初に会った場所だ。
アシュレイが爪を躱し続けてどれくらいたったか分からないが、目的の場所にたどり着いた。
魔力で剣が作れないなら、あるものを使うしかない。幸い、自分で作りあげたものの所在は感じ取れていた。
地面に置かれたままの大剣。獅子熊に止めを刺した当吾の剣だ。まだ新品同然のそれは自分の出番をまだかと主張するように光り輝いており、当吾は残っている右手でそれを掴みとる。
流石に片腕でそれを持ち上げるには厳しかったが、命がかかっていると思えば重くなんて感じてはいられない。
握ったついでに刃をなけなしの魔力で新調し、硬さを上げた。それにより密度が増して重くなったが使うのは五体不満足の当吾ではない。
「アシュレイっ!!」
喉が裂けるほどに声を張り上げ、未だに回避を続けている戦士に大剣の存在を知らせる。
それにより獅子人もこの武器に気づいたが、こちらを見た瞬間の隙にアシュレイは地面の土を掬い上げ、獅子人の顔面に投げた。
一瞬の攻防に思わず呆けるが、アシュレイは加速してこちらに近づき、獅子人は目に入った土を取り除くことに必死だったが、すぐさま立ち直りこちらを肉薄する。
「悪いな、青年」
アシュレイの顔や体は切り傷で赤く滲んでいた。血は少なくとも確実に攻撃を躱し切れなかった証拠である。
当吾は自分の創り上げた大剣をアシュレイに差し出す。
「勝ってくれ」
「任せろ」
大剣の柄を握ると、アシュレイは即座に後ろを向きその勢いで迫ってきていた獅子人を薙いだ。あまりにも咄嗟の攻撃だったためか、獅子人はそれを受け止める。つもりがそのまま吹き飛んでいった。
木に叩きつけられたと思えばその木ごとへし折れ、獅子人はそれの下敷きになった。
またしても呆ける当吾であったが、アシュレイは大剣の柄の握りを見ている。
「悪くない」
一言だけの評価だったが、正直今の攻撃が出来るとは思わなかった。それに刀身自体は硬化したおかげか傷もなさそうだ。
「青年、安全なところで見てろよ」
流石のアシュレイも先程の攻撃だけで終わるとは思ってはいなかったようで、木の下敷きになっていた獅子人はその怪力にものを言わせて普通に立ち上がってきた。その腕には浅くないほどの切り傷が出来ているのが確認できる。
「武器を持つだけでこうまで変わるか。貴様ら人間は爪も牙もない癖にやたら武器や魔法は強力だ。それだけは驚嘆に値する」
そして獅子人は先程折れた木を見下ろし、その鋭い爪で裁断した。
なんのつもりだろうか、当吾とアシュレイは下手に動けず、獅子人ザダルガンはさらに爪でその倒れている大木を切っていく。そして、その幹の中心とも言える場所に、おもいっきり腕を押しこんでいった。
「まさか…」
思わず声に出てしまう。信じたくないが、この獅子人は武器を作っている。実に単純で強力な武器を。
「待たせた」
それはゆっくり持ち上がっていく。ただ切り揃えられた木だった。なるほど、それを棍棒と言えばそうかもしれない。鈍器だってれっきとした武器である。しかし、それの長さが異常であった。
巨大な獅子人の体が小さく見えるほどの高さ。目算、2丈、6メートル近くある。
歴史上、サリッサと呼ばれる長槍がある。それは人間が集団で扱う槍の中でも最も長いとされたもので4から6メートルとされている。しかし、そんなものを高速で振れる人間なんていないだろうし、遠心力を使おうともさほどの効果は期待できない。
だが、目の前の棍棒を操るのは人間ではないのだ。
人間以上の膂力を持つ、獅子人。人外の怪物。
黄金の体が動く。もうひとつの腕をも大木に突っ込み、両手でその棍棒を振るう。
木々が邪魔することも厭わず、獅子人は横薙ぎにその2丈の棍棒をアシュレイに叩きつけたのだ。
当吾は内心絶望した。
そんなものを叩きつけられたら、形なんて残らない。
「アシュレイ!」
思わず叫んだ。何も出来ない歯痒さと失望感で押しつぶされるのが嫌だったからだ。しかし、叫んだところで何も変わらない。
「まーかせろって」
褐色の偉丈夫は、平常のように振舞っていた。何も心配いらないとその表情が物語っている。
大きな丸太がアシュレイを捉える。アシュレイは大剣を盾にして、それを防いでいた。
当たり前のように、それを受け止めていた。
「むう」
獅子人は唸っていた。それもそのはずだろう。自分より小さい人間が、頭上から叩きつけられる巨大な武器を受け止めているのだ。本能的に考えてもおかしい現象だ。
「本気で行くぜ。ザダルガン」
あまつはてにその鈍器を弾き返すアシュレイである。
当吾はアシュレイの体が光り輝いているのを見た。昨日手合わせしていた時にも見た、怪力を出していた時の光。それが今アシュレイの体中に纏わり付いている。
「それが、貴様の力か」
獅子人は丸太を構えなおして、アシュレイと対峙する。
「そう、適当に名前をつけるなら“剛体法”とでも言おうか」
多くの魔力と精密な魔力の操作技術を持っているからこそ出来る、と付け加える。最後の言葉は半ば当吾に向けて言った言葉のように思えたが、アシュレイの体から大きな力強さを感じるのは確かだ。
「その力があったから我が主はぁ!」
もう一度丸太を振り下ろす獅子人。その衝撃が大地を揺らすが、アシュレイはすでに獅子人の後ろを取っていた。
「むう」
「遅い遅い」
アシュレイは大剣を獅子人の首筋に突き立てようとしたが、そこは獅子人も並の反応ではない。自分の腕を犠牲にしてでもそれを受け止めた。腕の筋に沿うような大きな傷が出来る。
「流石に簡単にいかないか」
アシュレイは依然大量の魔力を纏いながら獅子人と距離を取った。そして大剣を構えてその魔力の一部をそこに集める。
「魔法にはこういう使い方もある」
大剣の剣身に大きく文字のようなものが現れた。当吾にはそれがどういう意味の文字かは分からなかったが、自分の創ったものに変化が起こったことだけは感じ取れていた。
大剣の質が変わった。
正確には変えられた。アシュレイが魔法を行使したことで変化が起きたことは間違いなかった。
「これは、まあ言うなれば“付加”だ」
大剣が熱されたかのように赤く輝きだした。
「単純だが、これが強いのさ」
アシュレイが踏み込む。一瞬の早業で相手の間合いに入り込み、かち合った獅子人の丸太が一瞬で燃え広がった。
「ぐぉおおおおおおおお!!」
深く食い込んでいた丸太をすぐには外せず、巨大だった丸太が燃えていくのを獅子人は至近距離で眺めているしか出来なかった。
「おお、我が手が…」
獅子人の手が丸太から抜け出せたのは丸太の大半が焼け焦げ、手を突っ込んでいた部分が焦げて脆くなる頃だった。当然、彼の手は熱でやられる。遠目から見ても火傷がひどく、焼け爛れた皮膚さえある。更には大剣で斬りつけられた傷も多々ある。
「俺の弟子とお相子だな。ただそちらはまだ使えそうだが」
何気にひどいな、我が師匠は。とは決して口には出さない当吾であったが、内心安心できないでいた。
明らかに今の状況ではアシュレイが圧倒的に有利だ。しかし、先日獅子熊の話をしている時のあのアシュレイの不安そうな顔はなんだったのだろうか。当吾はあの時アシュレイが勝てないほどのものを想像していた。だが、結果を見るとそんなことはない。逆に簡単に勝てそうではないか。
「アシュレイ、早く止めを刺してくれ」
思わず催促するようなことを言ってしまった。不安だった、焦っていた。
アシュレイは当吾にそう言われて、ゆっくりと獅子人に近づいた。
「え…?」
当吾は絶句した。先程まであれだけの速度で動いていた彼が、ゆっくり歩いている。
その普通のようで異常な光景を、当吾は信じられなかった。
当吾の予感は、期待を裏切らなかった。
褐色の偉丈夫はその場で膝を折り、胸を押さえて倒れてしまった。
「あ、アシュレイ…、どうしたんだ!?」
当吾が近寄ろうとするが、それを獅子人が制した。すっ、と現れて油断していた当吾を腕で吹き飛ばした。
「がっ」
背中を強打し、肺の中の空気が抜けていく。一瞬呼吸困難に陥ったが、意識だけは手放さなかった。
「…20年ほど前に我が主の呪いを受けて、まだ生きていたことには驚嘆の念を隠せずにはいられない」
獅子人ザダルガンはポツリと言葉を漏らした。
「普通の人間が、いやどのような人間だろうともあれだけの怨念を送られて即死しないはずがないというのに。貴様は生き残ったな、アシュレイ・ノヴェディーン」
獅子人は激痛が走っているだろうその手でアシュレイの体を掴むと、そのまま高く掲げた。宙に浮くアシュレイの体は先程まで纏っていた力強さもなくなり、当吾が見たこともない弱々しさを漂わせていた。
「…もう、少しだけ…持ってくれると思ったんだが…歳を食ってしまったな」
「今まで生きていたことこそ異常なのだ」
獅子人の鬣が黄金に光り輝く。あの魔力の流れは、当吾はよく知っている。
「せめてもの情けをやろう。跡形もなく消え去れ」
獅子人の口が開かれる。あの口から放たれる『砲哮』の威力は計り知れない。
だが、助けなければならない。あの人は恩人だ。助けてくれた人だ。剣を教えてくれた人だ。魔法を使えるようにしてくれた人だ。
当吾は満身創痍の体でゆっくりと立ち上がった。その様子を獅子人はまるで路傍の石のように眺めていた。
「待っていろ、異世界人。この男を殺したら、次は貴様だ」
そんなことは言われずとも分かっている。当吾は、霞み始めた自分の視力で獅子人を見た。
黄金の毛皮に、筋骨隆々の体躯、鋭い爪も今は鳴りを潜めたが、依然それは殺傷能力を失ってはいない。
獅子人は当吾が何も出来ないことを確認すると、視線をアシュレイに戻した。
__集中しろ。
当吾は少ない時間で回復した僅かな魔力をゆっくりと気取られないように足に集中させた。
__集中しろ。
機会は一度だけだ。しかも、非常に厳しい。
__集中しろ。
獅子人の魔力が鬣に集約しきった。
__今だ!
獅子人の口が開かれる。そこから『砲哮』が放たれた。
しかし、獅子人の顔は横から飛んできた当吾の蹴りによって無理やり変えられ、『砲哮』は空へと飛んでいった。都合の良い事に当吾の蹴りで獅子人は思ったより吹っ飛んでしまい、その拍子にアシュレイも地に倒れた。
「むおっ、小賢しい人間がぁ!」
恐ろしい形相で迫る獅子人だったが、当吾はそれを相手せずアシュレイを片腕と肩を使って運び、一目散に逃げた。
「…バカだなぁ。青年」
「…あんたもな」
つぶやくような声に何とか言葉を返し、当吾は追いつかれるであろう獅子人を見やった。
『土よ。動け』
ちょうど獅子人が追っている地面が盛り上がり、土の壁が出来上がる。しかし、それが当吾の狙いではない。土が盛り上がった際に影に隠した落とし穴が目的だった。
頭に血が上っているだろう獅子人を落とし穴に嵌めるのは、思いの外楽だった。
狙い通りに獅子人は穴に落ちる。更に盛り上がっていた大量の土砂を、穴を塞ぐ形で降らせた。それほどの量はないが、動きを奪うには充分だろう。
圧殺できれば満点、窒息させれば満点、出てきてしまえば赤点だ。
しかし、穴を魔法で創った当吾は予感していた。
獅子人は出てくる。だが、ある程度の疲労はあるだろう。
「……出てくるぞ」
アシュレイも分かっているようだ。
当吾はアシュレイを下ろして、アシュレイは胸を押さえながらも何とか立ち上がっていた。
「昔な。えらい強いのと戦ったんだ。俺が、青年と変わらないくらいの時だ」
いきなりの独白であったが、当吾は何も言わなかった。正確には、何もすることができない。五体不満足、魔力不足、体力限界。文字にするだけでも満身創痍だ。
「世界征服しようとした馬鹿だったんだが、それだけの実力はあった。各国で有志を募って軍も出して、俺が先陣を切った」
獅子人を倒す手段を持っているのはアシュレイだけだ。しかし、そのアシュレイの今の状態は不安定な爆弾のようなものだった。
「何万もの犠牲を払って、ようやく俺は奴を倒した。いや、倒させてくれたというべきか。それにあいつの話じゃ、復活しかけか。倒した際に、強烈な呪いを浴びてしまってね」
呪い。獅子人曰く、即死級の呪い。
「……魔法を使うと、体が言うことを利かなくなる。最近調子がよかったからどうも勘違いしてしまったようだな。自分の限界がどれだけ簡単に来るのか分かってたはずなのに」
「他の人は知ってるのか?」
「有名な話になっているからな。子供たちも知っている」
悔しそうな顔で言うものだから、当吾は真っ直ぐに彼の顔を見られなくなった。
しかし、なぜ獅子人の主は異世界人を狙っているのだろうか。
「だが、分かっている。今は少し無理してでもあれに止めを刺さなければならないな。だから、青年はこんな時間稼ぎに出たんだろう?」
9割正解、1割不明。
当吾の冷静な部分はこう判断していた。確かに、呪いのため行動が制限されているアシュレイでも一瞬ならば休息を入れることで、先程までの実力を出してくれれば今日は生きて帰られる。しかし、この短い休息を入れたとしても回復しなければ死ぬ可能性が高い。
だから、今考えている。どうすれば、この状況をアシュレイの不確定要素を抜きにして切り抜けられるのかを。
幸いにも、ここの魔素は濃い。そのために短い時間でも魔法を少し使用できるくらい回復した。今だって、魔素を取り入れて当吾の魔力は微力ながら回復している。
剣の一本は造れそうだった。だが、今の当吾は左手がない。今の当吾では右手だけで獅子人に立ち向かうのは無謀に等しい。
だから、行き着く。ここで何か新しいものを得なければならない。とは言うものの、それはご都合主義だ。そんな簡単に何かを閃いたなら、獅子人にやられた討伐組合の人たちだって死にやしなかった。
「……何か魔法でもあれば」
「青年があとひと月早く俺に、いや俺達に出会っていればまた話は別だったかもしれないな。そうすりゃ、今ここに無い物も簡単に造れるくらいの魔法士になっていただろう」
こんな時に『たられば』の話は意味が無い。
やはり、ないものは作り上げないといけないようだ。
「……そうか、ないなら創ればいいんだ…」
「青年?」
アシュレイが心配そうにこっちを覗き込んだが、こっちからしてみればお前こそ大丈夫かと言いたい。基本成功率の高いのはアシュレイの回復による攻撃だ。それ以外は、失敗の可能性のほうが大きい。
「…創製魔法で、無くした手を創る」
剣を造れるんだ。手だって頑張ればいけるはずだ。
「青年、それは難しいぞ」
「そんな事は分かっている。どれだけ人体が複雑な構造なのかはこっちの世界のほうがよく知っているんだ。神経、筋肉、骨、血管、関節…ああ、くそ、創り上げるものが多すぎる」
しかし、今更腕を作ったって、獅子人に勝てる道理などなかった。しかし、足掻きはどんな動物にだって許されるはずだ。
その時、土が盛り上がった。
轟音とともに獅子人が飛び出てくる。『砲哮』を利用して脱出したらしく、空から吹き飛ばされた土砂がザーと雨のように当吾とアシュレイの体を叩く。地味に痛い。
それでも二人は動じることはなかった。
「青年。お前は逃げろ」
「どこに?村に逃げてもこいつ来るぞ」
当然の帰結だ。アシュレイがここで敗れたとして、異世界人を狙っている獅子人は当吾を殺しにくる。それがどこだろうともやってくるだろう。
「満身創痍。それは我々の状況を如実に表したものだ。しかし、見るからに我のほうが有利のようだ」
怒り狂っていたはずなのに、穴の中で冷静になったらしい。まあ、そうだろう。冷静じゃなかったらあんな脱出をすぐに思いつくはずがない。地面の中っていうのは筋力だけで逃げられるものではないのだ。
獅子人の鬣が光る。また『砲哮』か、と身構えた瞬間当吾は吹き飛んでいた。
空中で何回転かして、うつ伏せに倒れる。
被害は思いの外軽いが、体力も限界だったため起き上がる気力が湧いてこなかった。こうなると立っていたのが不思議であったくらいだ。
どうも『砲哮』は溜めを省略することで威力は著しく落ちるものの、速く狙った所に放てるものになるようだ。大砲の玉から小口径の銃弾に移行できるわけか。よく出来ている。
感心している場合ではないのだが、顔を動かすとアシュレイがまだ胸を押さえながら大剣を構えていた。しかし、そこからは力強さなど微塵も感じない。どうやら、時間稼ぎは無駄に終わったようだ。
「だから、逃げろと言ったのに」
「…今更遅いよ」
距離があったから聞こえているかは分からない。
溜めなしの『砲哮』を連続的に放つ獅子人。それを大剣を盾にしながら防ぐアシュレイ。この攻防の結果など火を見るより明らかだった。
次第に崩れていくアシュレイの姿勢に対して、獅子人は確実に距離を詰めていく。
やがて獅子人が疲労困憊のアシュレイの目の前に迫ると、腕で大剣を飛ばした。それは力なく地面に落ちた。
「これで終わりだ」
「…そうかも、な」
それでもアシュレイは笑みを絶やさなかった。それは誇りか矜持か、当吾には知る由もない。
「魔王様に土産話ができた。礼を言う」
「阿呆が、自慢話の間違いだろ」
獅子人ザダルガンは大きく腕を広げ、爪を目立つように見せた。
それでアシュレイの命を刈り取るということを殊更に思わせる。
爪が動く。アシュレイは意を決したかのように微笑んでいた。
一瞬が、永遠になる。
当吾にとってこの感覚は何度目かもう数えきれない。
もうアシュレイは諦めている。しかし、当吾は諦めていなかった。
__冗談じゃない。
このまま惨めに死にたくない。何でもいい、『力』が欲しい。
だから手を伸ばす。無意識に伸ばした手は、無くした左手だった。
永遠が、一瞬に戻る。
「なっ?」
その声の主は果たして誰だっただろうか。
爪でアシュレイの命を絶とうとした獅子人だったかもしれない。
命を差し出していたアシュレイだったかもしれない。
信じられないものを見ている当吾だったかもしれない。
見えない腕が、獅子人の腕を掴んでいた。
この話で色々と風呂敷が広がってしまいます。これによって今後の話の展開が安っぽくなると感じる方もいるかもしれません。納得のいかない方もいることでしょう。それでもいいと言ってくださる方がいれば救われる思いです。
ここ数日のPV数とお気に入り件数が更に跳ね上がったのを受けて尚の事重圧を感じます。皆さんが楽しめない展開になると思うと心苦しい思いでいっぱいですが、頑張っていきたいと思います。
最後に、こんな駄文を読んでくださる皆様に感謝の意を送りします。
ありがとうございました。