プロローグ
包丁の切れが悪くなっていた。
細長い青パパイヤをまな板へ置き、男は刃を立てる。
硬い皮に浅く切れ目を入れ、包丁を縦に細かく打ち込んだ。
トントントン、と乾いた音が狭い台所に響く。
しかし、うまくいかない。
屋台の女主人は、まるで鉛筆でも削るみたいに青パパイヤを刻む。
その迷いのない手捌きには、ある種の神々しささえあった。
だが男の手元では、ただ野菜が壊れていくだけだった。
包丁を入れる角度が悪いのか、太さが揃わない。
細く削いだつもりでも途中で繋がり、千切りというより、ささくれ立った木片みたいになる。
「……こんなもんか?」
独り言を呟き、男は苦笑した。
包丁の切れが悪いのか、それとも自分の手が鈍ったのか…。
この歳になっても、料理だけはどうにも上達しなかった。
若い頃は興味すらなかった。
商社勤めで帰宅は遅く、飯は外で食うものだった。
タイならなおさらだ。屋台の方が早いし安い。
わざわざ自分で作る理由がない。
結婚してからも、妻の手料理に期待したことは一度もなかった。
タイ人の妻は料理が嫌いではないが、面倒臭がりだった。
気分が乗れば場違いなほど手の込んだ料理を作る。
だが乗らなければ市場の惣菜を袋ごと並べる。
それで十分だった。
タイでは、誰も「ちゃんとした家庭料理」など神聖視しない。
それが妙に楽だった。
男は青パパイヤを水へさらし、小さく息を吐いた。
スクムヴィットの外れに借りた古いコンドミニアムは、築三十年を超えていた。
赴任した頃には「新築高級物件」と呼ばれていた建物だ。
あの頃、バンコクには次々と高層コンドミニアムが建ち、日本人駐在員向け雑誌には豪華な部屋の広告が並んでいた。
今では不動産屋のチラシにも掲載されなくなった。
エレベーターは時々止まり、廊下の蛍光灯は半分死んでいる。
雨季の豪雨が来れば停電も珍しくない。
非常階段には野良猫が住み着き、管理人は昼間からテレビを見ながら寝ていた。
だが、不思議と落ち着いた。
会社から本社勤務への打診が来たのは、二年前だった。
役職付きで戻る道もあった。
だが、その時にはもう日本で暮らす自分の姿が想像できなくなっていた。
日本に家はある。
米寿を迎えた老いた母親だけが、少し気がかりだ。
我が妻は「私は実家の母の下で暮らすから」と言ってチェンマイへ戻ったきりだった。
別居。
だが離婚でもない。
離婚届は出していない。
だが、もう何年も一緒には住んでいなかった。
タイ人と日本人の夫婦には、時々そういう曖昧な終わり方がある。
娘は南部の商業都市、ハジャイに嫁いだ。
現地の華僑系実業家と結婚し、今ではプーケットやサムイ島でリゾート関係の仕事をしている。
来月には初孫も生まれる予定だった。
だから男はタイに残った。
少ない退職金と、少しばかりの貯金。
しばらくはそれで何とか生きていくしかない。
五十八歳。
隠居と呼ぶには、まだ妙に体力が残っている年齢だった。
冷蔵庫のモーター音が、湿気を含んだ夜気の中で低く唸っていた。
窓の外では、遠くを走るバイクタクシーの排気音が聞こえる。
スクムヴィット通りの夜は相変わらず、日付が変わっても完全には眠ることはない。
男は流し台の横へ置かれたノートパソコンを見た。
画面には、書きかけの文章が残っている。
『スクムヴィット・ソイ39のソムタム屋台』
そんな題名だった。
最初は暇潰しだった。
定年後、何もしないのも落ち着かず、昔話でも書いてみるかと思っただけだ。
三十年もタイに住めば、多少は人に話せるネタもあるだろう、と。
だが不思議なことに、書き始めると仕事の記憶は出てこなかった。
本社役員の接待。
タイ財閥との契約。
ゴルフ場の商談。
夜のカラオケ。
そんなものは、どれも似たような顔をして消えていた。
代わりに浮かぶのは、ひたすら胃袋を搔きまわされた、どうでもいいタイ飯屋ばかりだった。
橋の下のクィッティオ。
深夜三時のカオトム屋台。
古臭いホテルのカオパッド。
汗臭いディスコ帰りのカオマンガイ。
屋台の炭火の煙が目に刺さるガイヤーン。
氷だらけのクロスター・ビール。
そして、ソイ39の角にいた、あのソムタム屋台のおばちゃん……。
男は小さなクロックを手に取った。
石のすり鉢へ刻んだニンニクを放り込み、唐辛子を入れる。
ライムを搾る。
ナンプラー。
椰子砂糖。
干しエビ。
コン……コンコン。
石臼を叩く音が、静かな部屋へ響いた。
昔、この音が嫌いだった。
いや、正確には怖かった。
一九九二年三月。
二十三歳だった男は、初めてバンコクへ降り立った。
ドンムアン空港の熱気。
甘ったるい排気ガス。
意味不明のタイ語。
笑っているのか怒っているのか分からない顔。
肌にまとわりつく熱気、湿った風。
空港を出た瞬間、白いワイシャツが背中へ張り付いた。
当時の若い商社マンにとって、それは出世コースの入口だったはず。
少なくとも男は、そう信じていた。
それが最初で最後の海外勤務。
日本はまだ強かった。
高速道路には日本車が溢れ、日本企業の看板が街に並んでいた。
現地社員のタイ人たちは「日本式」を学び、日本人駐在員は高級クラブで接待を受けていた時代だった。
男もまた、自分が“来てやった”側の人間だと思っていた。
だが、その考えは、一皿のソムタムで壊れることになる。
クロックを叩く。
コン……。
唐辛子の刺激臭が鼻を刺した。
男は少し咳き込み、それから笑った。
「……まだ慣れねえな」
三十年住んでも、辛さの加減だけは分からない。
手のひらほどのサイズの石臼をもう一度叩く。
すると突然、あの夕暮れが戻ってきた。
オレンジ色の空。
渋滞。
排ガス。
スクムヴィット通りの雑踏。
そして、ソイ39の角でクロックを叩いていた、日に焼けたソムタム屋台のおばちゃんの顔が、夕暮れの排気ガスの向こうにぼんやり浮かび上がった。
おばちゃんは、汗だくで椅子に座った若い日本人を一瞥した。
タイは微笑みの国だと、誰かが言った。
だが、目の前の女主人は目じりに不気味な笑みを浮かべ、赤い唐辛子を一本、黙って多く放り込んだ……。
"今、思い出した、そうだったのか‥‥!”
男の手が小刻みに良いリズムを刻み出した……。
(第一章へつづく)
――包丁の音から始まるこの物語は、ひとりの日本人が三十年の歳月をタイで生きた記録です。
異国の台所で青パパイヤを刻む音は、若き日の熱気と、人生のほろ苦さを呼び覚ますリズム。
「ソムタムを叩く音」は、過去と現在をつなぐ記憶の拍子です。
これから綴られる十五のエピソードは、タイの屋台、家族、仕事、そして人々との出会いを通して、
“生きることの豊かさ”を問いかける小さな人生譚。
どうぞ第一章「スクムヴィット・ソイ39の洗礼」から、彼の旅の始まりを味わってください。




