第九章 時間
二〇三〇年春、ジュネーブ近郊で非公開の研究合宿。
元UAP調査官のリチャード・カーターが招かれていた。五十代、角刈りの頭に灰色の目をした男で、退役後はワシントンでコンサルタントをしているという。ハーヴェイの古い知人だった。
カーターは個人的な体験を語った。
「二〇一六年、太平洋上の空母で。頭の中に、自分のものではない感覚が入り込んできた。五秒ほどだった。言葉ではなかった。何かの構造のようなものを一瞬だけ感じた。それが何を意味するか、俺には分からない。ただそれ以降、世界の見え方が変わった」
午後のセッション。黒川が「時間の多層性」を展開した。
「各スケール相は固有の時間を持ちます。ねずみと象では心拍数がまるで違うように、体のスケールが時間の経験を決めている。スケール相の間にも同じことが言えます。人類の百年がN+1相にとってはほんの一瞬でしょう。それでも隣接相であるN+1相からは、N相の出来事は追える。識別できる。だから薬を送り込み、効果を観察できる」
「なお、時間と空間は分けて考えることができません。相対論以降、時間と空間は時空として一体のものです。スケール相の間の時間の差は、同時にスケールの差でもある。この二つは本質的に同じことの異なる側面です」
「ではN+2相からは」と守屋が聞いた。
「N+2相からN相を見たとき、何が起きるか。我々がN-2相——量子の世界——を見たとき、それが重ね合わせとして現れるように、N+2相にとってもN相は、似たような——個々の出来事が溶け合った、分かちがたい状態として見えるのかもしれません」
蒲生教授が口を開いた。「因果応報と関係がありますか」
「はい。行為と報い。我々はそれを時間的順序で経験します。しかしN+2相にとっては、N相の全時間軸が一つの状態に溶け合っているのかもしれない。行為と報いはもともと一つのものの異なる面であり、それが時間差で起きるように見えるのは、N相の内部にいる我々の認識の仕方かもしれません」
「ただし」と黒川は言った。「薬を送り込めるのはN+1相から。隣接相だから。N+2相以上からは、おそらくそうはいかない。この違いは重要です」
「下方向にも同じことが言えます。N-1相——細胞や微生物——は人類の隣接相です。だから識別でき、薬を送り込める。N-2相——量子の世界——は二つ離れた相であり、人類にとっては重ね合わせとして現れる」
「しかし」と守屋が言った。「N-2相の内部には、その世界なりの時間がある。量子の世界の内部では、出来事は確定的に展開しているのかもしれない。人類がそれを重ね合わせとして認識するのは、二つ離れたスケール相から見ているからであって、対象世界の本質ではないかもしれません」
最終日の夜、テラスにて。星空。
「N+1相の存在もN+2相にとっては同じなのでしょうか」と守屋が聞いた。
「フラクタルの帰結として、同じパターンがすべてのスケールで繰り返される。ただしスケール比は異なり具体的な形も異なる。統計的自己相似だ」
「この入れ子はどこまで続くのでしょうか」
「すべてのスケール相が一つの構造の異なる面であるなら——『どこまで』という問い自体が成り立たないかもしれない。外側を想定しているからだ。しかし一つの構造に外側はない」




