ニート、故郷へ帰る
ニート、故郷へ帰る
一
「虹がみたいなら雨は我慢しなくちゃ」とポジティブ名言集的な本に載っていたが、現在の私の状況に当てはめるとこう言える
「頑張って雨に耐えていたら嵐になり、更に台風が来た」まぁ、名言なんてそんなもんだ。
山本A子31歳独身。
私は人生のどん底にいた。新卒で入った仕事が合わず2年で退職。その後続けていたバイト先がコロナ禍で潰れてしまい、あげく3個上の婚約者に三股をかけられていた。文章にしてしまったらこんなに短くまとまってしまうのは癪だが文才がないのだから仕方がない。
エネルギーが枯れ果てた。数少ない友達も結婚したり仕事で忙しいから電話する相手もおらず、週末はとにかく一人で酒を飲んで過ごしていた。断酒と引き換えに彼との結婚を神仏に祈願していたのだからヤケ酒である。
昼夜逆転の生活を3日ほど繰り返した時、しびれを切らした神様が救いの手を差し伸べるかのように普段連絡のない母から突然連絡があった。
「あなた次の日曜日空いてない?ツーデーマーチがあるんだけどお父さん怪我しちゃってね。代わりに出てくれない?」
ツーデーマーチとは私の地元埼玉県飯能市で毎年5月下旬に行われるウォーキングの大会のことだ。土曜日曜の2日間に渡って開催されるのでツーデーマーチと呼ばれている。
県外からも多くの参加者が訪れ、のべ数万人がやってくる市の一大イベントだ。
私が最後に参加したのは中学生の時のボランティアだったと思う。
ツーデーマーチにはいくつかコースがあり、私が参加していたのは5kmコースだったと思う。
まぁ、週末やることもないしいっか、最近運動不足だったし歩いて気持ちを切り替えよう。私は母の誘いを承諾した。
「よかった助かるわ。あなたが出なかったら私が出ることになってたから。私20kmも歩けないもの」
え?20km?
二
金曜日の夜に実家へ戻ることにした。何も予定がなかったからすぐにでも帰れはしたのだけど、バイト先が潰れたことも彼氏と別れたことも言えていなかったので予定が立て込んでる感じを装わざるを得なかった。
駅に着いたのは金曜日の15時。
久しぶりに降りた地元の駅は以前より少し綺麗になっていたように感じた。三島由紀夫先生が小説「命売ります」の中で飯能市を「散文的で平べったい町」と記述していたが、現在の飯能市は数年前にできたムーミンバレーパーク(通称メッツァ)のお陰で駅の中は駅名標から壁に掛けられた写真に至るまでムーミンとムーミンの生まれ故郷である北欧一色となっている。どうやら私の地元はフィンランドのアニメキャラクターに魂を売ってしまったようであった。駅の改札を出た目の前には真っ白いムーミンの等身大(多分)フィギュアが立てられていて、まるで入国チェックをする黒人のセキュリティのように無言でこちらの顔を見ていた。私は心の中で「コバトン※をどこへやったんだ」とムーミンに呟いた。※埼玉のマスコットキャラクター
明日の予報が雨だったので駅前の100円ショップで合羽を購入してからバス停へ向かった。時刻表をみるとバスの本数は昔より大幅に減っていて、次が来るまで1時間以上はあったので周辺を散策しようと思った。そういえばツーデーマーチのHPをみたらスペシャルゲストに女性二人組アーティストの「花※花」さんが来ると書いてあったのだが、何時からライブなのか詳細が書いてなかったので駅の観光案内所で聞いてみることにした。
案内所にいた六十代くらいのお話好きそうな女性の方に聞いたが「ここでは分からない」と言われ、駅前の市役所を案内されたが、そこでも「担当の課ではないから分からない」と言われる。「え、担当の課に取り次いでくれないの?」と思ったが大人しく諦めて、時間潰しに本屋へ立ち寄ってからバス停へ向かった。本屋は心なしか昔よりも小さくなってる気がした。
三
バス停には十人ほどが並んでいた。スマホで漫画を読みながら並んでいると「あーA子!」と誰かから声をかけられた。顔をあげると中学時代の同級生だった薫がこちらに手を降っていた。顔や雰囲気は相変わらずだが白いワンピースの上からでも分かるくらい大きくお腹が膨らんでいた。隣にいるメガネをかけた男性は旦那さんだろうか。紺のデニムにジュラシックパークの映画Tシャツを合わせていた。
「久しぶりだね。帰ってたんだ。てかお父さん大変だったね。骨折したんだって?」
薫は昔と変わらぬ天真爛漫な明るい笑顔と口調で私に言った。私と薫の両親は仲が良かったのできっとそこから話がいったのだろう。父が怪我をしたとは知らされていたが骨折だったとは聞いていなかったが薄情な娘だと思われないよう「そうなんだよー」と困ったような顔をして話を合わせることにした。
「薫もバス?」
「違うの。今は駅前に住んでてね、旦那の実家が近くにあるのよ。もうあんな不便なとこ住めないよー」と笑った。
私たちが生まれ育った場所は形だけ市と合併しているだけのただの村である。交通インフラがまともに整っていないので年々人は減っていき、老人と鹿と都心に家が買えない馬鹿な小金持ちが人口のほとんどを占めている。
「バス代なんか片道600円だよ?こっから電車で池袋行くほうが安いもん」薫はお腹の中の赤ん坊に相槌を促すように「大変だよねー」と言ってお腹をさすった。
(え、600円もするの?だったら親に迎えに来てもらえばよかった…)
ニートであることを隠すために母に迎えに来てもらうことを断ったことを後悔した。
「A子は一人暮らしだったよね?お父さんのお見舞いで帰ってきたの?」
私は薫にツーデーマーチのことを話した。
「ツーデーマーチか!懐かしい〜!中学の時一緒にボランティア行ったよね〜」
私と薫は学生時代同じテニス部でダブルスを組んでいた。私たちがペアを「組まされた」理由は単純で、部内で一番やる気がなかったのが私で、運動神経がなかったのが薫だったからだ。つまり誰も組みたがらない余り物同士だった。
それでも薫は一生懸命やっていたし、愛嬌があるから先輩たちからも愛されキャラとして定着していた。その結果薫は当時後輩人気が一番高かった男子テニス部のキャプテンに告白されて付き合っていた。
ちなみにその頃の私は同級生の男の子にひそかに思いを寄せていたが、特にアタックする勇気もなく、寝る前の妄想彼氏要員として長らく付き合っていただけであった。
もう少し思い出話に花を咲かせたいところだったが、旦那さんが薫の脇腹をさり気なくツンツンするのが見えた。きっと帰りの催促をしているのだろう。薫が旦那さんの顔を見つめて微笑む。チッ
「夕飯の準備があるからそろそろ帰らなくちゃ。あ、そういえば冬月くんもツーデーマーチ出るって言ってたな。会えるといいね」
「え、冬月くん?」
冬月くんは前述した私が人生で初めて好きになった片思いの相手で野球部のエースだった。
「前に地元に残っている人たちでプチ同窓会した時にA子の話題になって『会いたいな』って言ってたよー」と薫がなんの裏もなさそうに言った。
成人式で見た冬月くんの顔を思い出す。彼は背が20センチちかく伸びていて大学も野球部のスポーツ推薦で入ってたらしく肩幅も大きくなっていた。「おぉ!山本じゃん!大人っぽくなったな」と言われ、突然の奇襲攻撃のような声掛けに私は「お、おぉ…」とモブ丸出しの挨拶を返したのを思い出した。あぁ、死にたい。
健康的に日焼けした顔と爽やかな笑顔。冬月くんのことを思い出すと心臓がキュッとする。頭の中で妄想が膨らみだした。まさか、冬月くんと付き合うフラグ?10年ぶりの再会で?今度は女の子らしく挨拶できるかしら。沸々とツーデーマーチに対するモチベーションが生まれてきた。あぁ元カレよ。私と別れてくれて本当にありがとう。
バスが来て列が進みだした。頭の中でロッキーのテーマ曲が流れる。
四
私の実家はド田舎で、ただでさえバスか車がないと駅まで行けないへんぴな場所にあるのに、私の家はバス停から更に15分ほど歩く必要があった。父が子供の頃は私たちの住んでる方にまで駅を延ばすという話が出ていたというのだが、今となってはただの都市伝説である。
果てしなく続く緩ーい上り坂を進んでいると【熊出没注意】の看板が目に入った。前からこんなのあったっけ?と考えながら歩いてたらようやく実家へたどり着いた。これだけでもちょっと疲れている。明日20kmも歩けるかな。だんだん不安になってきた。
「ただいまー」と言って玄関を開けた。ガラガラガラッと横に引くタイプの戸は都内じゃもうあまり見られないから懐かしい。
「お帰りなさいA子」玄関とリビングをつなぐ戸が開いて母の顔がのぞいた。
リビングに入ると実家特有の懐かしい香りがした。「おぉ、久しぶりだなA子」テレビを観ていた父が言った。上下ともこれでもかというくらい毛玉のついたスウェットを着ていて、以前はなかった一人掛けの椅子に座って新聞を読んでいた。右足には真っ白いギブスが巻かれている。
「痛ててっ。よっこいしょっと。痛ててて。お帰りーA子。お前が帰ってきた祝いに今日はすき焼きだぞ」ワニワニパニックで頭を叩かれた時のワニのような声を出しながら父はに言った。
数年ぶりの娘との再会を父も母も嬉しそうにしていた。
「ほらどんどん食べてね。特売で安かったからたくさん買ってたの。明日のためにパワーつけてもらわないと」と母は私が食べ終わらない内からわんこそばのように私の皿に出来上がった肉をじゃんじゃん盛った。母の着る私の高校時代のクラスTシャツははねた油のせいでデザインが前衛的になっていた。
「そういえばお父さんどこで骨折したの?」
私は父に聞いてみた。
「あぁ、母さん言ってなかったのか。それがさ、本を読みながら歩いてたら駅の階段を踏み違えちゃって。すってんころりんで恥ずかしかったよ」
歩きスマホならぬ歩き読書。そんな二宮金次郎みたいな人が令和にもいたとは。
「それは気の毒だったね。でもお父さんが読書なんて珍しくない?一体何の本を読んでたの?」
「ここにあるよ。痛てて。よっこいしょと。痛ててて」父はビールとスナック菓子で膨らんだおなかをピエロにねじ曲げられたアートバルーンのように捻りながら椅子の下に手を伸ばし何冊かの本を取り出した。
「えーとどれだっけか?痛てて、あぁ、これだよこれ」
差し出された本の表紙にはこう書いてあった。
「一生折れない自信のつくりかた」
五
ツーデーマーチ当日
昨日の天気予報はなんだったのかというくらい雨は全く降らずの晴天。ルネサンス絵画のような真っ白い雲が陽の光を遮ってくれていたお陰で暑さそれほどなく、心地よいお散歩日和となっていた。私は昔から陰キャのくせに晴れ女だった。
昨日両親に確認した所、中学時代私が参加した時は10kmコースだったという。
「ほらあんた、薫ちゃんと『迷子になっちゃったー』って言って慌てて電話かけてきたじゃない。それで車で迎えに行って…」と母に言われたが私は全く覚えていない。(この恩知らず)
記憶にあるのは仮設トイレの掃除をしていたら私が鍵をかけていなかったせいで当時担任だった杉浦たまこ先生が掃除をしているトイレに【たまたま】入って来てしまい「キャアッ!」と悲鳴をあげさせて転ばせてしまったことくらいだった。あれ以来先生は授業中など事あるごとに「トイレの鍵を閉めない山本さん」とねちっこく言ってきた。大体女教師というのはねちっこいやつが多い。ゴキブリホイホイの主成分は女教師でできているのではないかと思っているくらいだ。ちなみに先生は丸メガネをかけていたこともあり、ちびまる子ちゃんのキャラクターの愛称にちなんで「たまちゃん先生」と生徒たちは呼んでいたが、その件以降私は心の中で「きん◯まこ」と一人で呼んでいた。たまことは卒業式以来会っていないのだが元気にしているだろうか。
それにしても両親の子どもに関する記憶力はすごいなと思った。これが愛というやつなのか。
六
飯能市長や飯能市出身の観光大使の女優さんの挨拶が済み、いよいよツーデーマーチが始まった。スタート地点は2つあり、吾野駅から始まる30kmコース、それ以外は市役所からのスタートだった。
20kmコースの私たちは市役所からの一番最初のスタートとなった。
スターターの合図と共に並んでいた列が一気に前へと動き出した。私の頭の中でジブリの「さんぽ」が流れ出す。
歩こう〜歩こう〜私は〜元気〜♪
受付で貰ったメッセージカード(名前やら意気込み、出身地などを書いたもの)はみんな大体リュックにつけて後ろから見えるようにしていたので私もそれに倣った。
懐かしい。そう言えば昔もこんなだったな。中学生当時のメッセージカードを母は保管しており、昨日見せてもらった一言メッセージには緑色のインキで「絶対完歩!」と書かれていたので今回も同じことを書いた。
歩き始めて5分くらいが経った。私の前方に【出身地 福島県】とメッセージカードに書いている夫婦がいて思わず声をかけた。
夫婦は70代前半くらいで今回が二度目の参加とのこと。夫が定年退職してからは各地の似たウォーキングイベントなどに二人で参加しているらしい。二人とも笑顔がそっくりでその表情はまるで恵比寿様と大黒天様のようであった。夫婦円満の秘けつを聞くと「お互いの欠点を愛することかしらねぇ」と奥さんが笑って言った。
夫婦で何かしらの目標を立てて生活することは素晴らしいことだなと思った。(私の場合まずは相手を探さないとだけど)
1kmも歩かないうちに喉が渇き始めた。スタート付近で配っていたペットボトルを開けて飲む。ラベルには【飯能産の水道水】と書かれていた。山と川しか取り柄がないのに水道水かよと思いつつ、キンキンに冷えた水が喉を通っていく感覚に気持ちよさを感じた。水を配っていた市役所の職員さんによると各地点で水は配られているみたいだった。念の為にとリュックに2リットル入りの水を入れてきたがただの重りになるだけで必要なかった。事前に言ってくれればよかったのに。これじゃあまるで亀の甲羅を背負って修行していたドラゴンボールの悟空みたいじゃないか。(年齢がバレるツッコミ)
七
1、2km進んだところで木が生い茂る避暑地みたいな広場に出た。草原で休んでいる人たちはピクニック気分でお菓子やなんかを食べてワイワイ楽しそう。子どもを連れた私と同い年くらいの親子もいた。先へ進む。
黙々と足を進めていると大学生くらいの男女数人のグループが前に見えた。まるでフェスの会場に向かうみたいに和気あいあいとしゃべりながら歩いている。ツーデーマーチは少人数のグループで参加しているような人たちが多い印象を受けた。一人で行動するのは基本楽なのだがこういう時には一抹の寂しさを覚えないこともない。というか覚える。あぁ、冬月くん…
八
日差しも出てきてちょっと疲れてきたからそろそろ一息つこうと思い、歩行ルートから少し外れたところにある神社に二人掛けのベンチがあるのが見えたので鳥居の前で一礼して中に入った。
ベンチに座り見るともなく歩行ルートの方を見ていたのだが、皆ぐんぐんと進んでいくので神社には目もくれない。ここは私のようなお一人様のために用意された隠れ休憩スポットなのだ。背伸びをしてくつろいでいた矢先、境内の裏から大きな生物がやってくるような物音がした。
まさか熊か、と思っていると裏から出てきたのは頭にタオルを巻いた男性だった。服装からしてツーデーマーチの参加者だと思うのだが、念の為人間か確認するために話しかけてみる
「こんにちは」
「こんにちは」
どうやら人間のようであった。例え熊だとしても口調が穏やかだから大丈夫だろう。
「裏に何かあるんですか?」
「えぇ。第二次世界大戦の戦没者の慰霊碑があるんですよ」顔から出る汗を袖で拭きながら男性は言った。
その方が去ったあと、少し休憩してから神社の裏手に回ってみた。学校の校庭のような乾いた土の匂いがする。クモの巣に何度も引っかかりながら奥へ進むとその人が言った通り、本殿の後ろにはいくつか祠があり、その中の一つに【魚雷艇戦没者慰霊碑】と書かれた祠があった
ネットで調べてみると魚雷艇とは魚雷と呼ばれる中型のミサイルを備え付けたボートのことだそう。
昔、新宿にある平和祈念館に行ったときにみた日本国旗に真っ黒い墨の字で「力」と大きく書かれた手ぬぐいの展示物を思い出した。その他にも村から青年が出兵する時には村中の女性が兵士が銃弾に当たらないよう祈りを込めて糸で「玉留め」を縫って渡したという説明を読んで胸が痛くなったのを思い出す。
一体、どんな思いで彼らは戦地へ向かったのだろう。そして、彼女たちはどんな思いで見送ったのだろう。
一応言っておくがこの時の「胸の痛み」は冬月くんのことを考えた時のそれとは全く別の種類のものである。人体とは不思議だ。
九
神社をあとにして歩みを進めた。ツーデーマーチはまだ始まったばかりだ。私の前を大学生くらいの男女が手をつないで歩いていた。私服にスニーカーという映画デートにでも行くような格好である。メッセージカードを見ると私と同様20kmコースの参加者であった。一言メッセージをみると男性の方には「期末試験合格!」と書いてあり女性の方には「頑張って〜」とあった。私の後ろにいた3〜40代くらいの男女のグループがそのカップルをみて「大丈夫かしらあんな格好で」とひそひそ話をしていた。
私も心配だった。途中で靴擦れでも起こしやして、彼女の方が「もーだから言ったじゃない。5kmコースにすればよかったって」なんて言って喧嘩になってそのまま別れてしまわないかと。(悲観主義者)
だが、その心配は無用であった。
私が休憩地点でイチャつく仲睦まじい2人を何度追い抜かしても彼らは再び私を追い抜かして行き、ついには私の身体の方が先にダメになってしまったのだ。
うぅ…痛い…苦しい…
無理やりに脚を広げられてストレッチした時のような股関節の痛みが知らぬ間に私の体を襲い出し、気付けば私の歩き方はまるで錆びついたゼンマイ仕掛けの人形のようになっていた。
「大丈夫ですかー?」ランナーのような格好をした30代前半くらいの女性に声を掛けられた。日に焼けた健康的な肌とランニング用の青いサングラスがよく似合っている。どっからどう見ても大丈夫じゃないのだが、私はこういう時、反射的に「大丈夫です」と言ってしまう性格だった。
大学生の頃、薫が大学の先輩に失恋して「大丈夫じゃないよー」と泣きながら電話してきた時のことを思い出す。励ましたい一心で薫の家へ急いで向かっていた途中で石に躓いて足を捻挫したことを思い出した。
まるで映画のどの場面を切り取っても不幸を煮詰めたようなシーンしかないような、悲劇的な人生である。(まぁ、ダンサーインザダークほどじゃないけど)しかし配役は変わらないし、このまま生き抜く他にやりようがない。
十
心の中でぶつくさ言いながらも歩みを進めると
40代くらいの夫婦が池の方を見て何かを話していた。軽装でリュックも背負っていないから散歩中の地元の人だろう。その証拠に二人の足元にはリードで繋がれた茶色いミニチュアダックスフンドが「撫でてくれ」と言わんばかりにコチラをみてブンブン尻尾を振っていた。
リードを握っていた旦那さんに許可を取りワンちゃんを撫でさせてもらう。「池に何かいたんですか?」と聞くと、旦那さんが池の方を指さして「あそこに何かの卵があるんですよ」と教えてくれた。見てみると池の中央にある草原にソフトボール大くらいの鳥の卵らしきモノが2つか3つほど仲良く並んでいるのが分かった。
「なんだか恐竜の卵みたいですね」と私がいうと夫婦は笑った。
池には恐竜の卵の他に白い蓮華が咲いていたのだが、蓮華を生で見たのは生まれて初めてだったかもしれない。
以前浅草を散歩していたときに人の家の前の鉢に咲いている蓮華を綺麗だなと思って見ていたら「それはおもちゃの蓮華ですよ」と家の主に言われて恥ずかしかったことを思い出した。
「ではそろそろ」と私が言うと、ワンちゃんは私を引き止めるかのように必死で手や顔を舐めようとしてきた。「こらピース。やめなさい」と旦那さんが犬のリードを引っ張ってなだめた。犬の名前はピースと言うらしい。私が昔飼っていたコーギーと同じ名前だったから「もしや生まれ変わりでは」と思った。名残惜しくも2人と1匹に手を振ると「完歩目指して頑張って下さい」と言われた。誰かに直接応援されると不思議と元気がわいてきた。
十一
しかし、声援のパワーも長くは続かなかった。
残り10kmに到達しないうちから私の股関節は限界に達していた。大学卒業以来、運動という運動は普段ほとんどしなくなっていたくせに、心は現役時代のままだったからロクに休憩もせずに淡々と歩いていたことが私の身体に悪影響を与えたようだった。
昔からポーカーフェイスに憧れていたからなのか「疲れた」とか「痛い」という感情を表に出すことは格好悪いことだと考えていた。(いま考えると相当痛い奴である)
その結果として私は辛い時に辛いということに気付いて貰えなし、悲しんでいる時にも悲しんでいると思われない孤独な人間になってしまったのである。斉藤由貴の曲にも似た歌詞があったと思う。「あぁ卒業式で泣かないと〜冷たい人と言われそう〜」実際思われてしまうのだ。
やっと次の休憩地に着いた。ヤマトのりのフタくらい小さな紙コップにお茶をいれて飲ませてもらい、スズメの糞くらい小さなチョコレートを一包みもらって食べた。戦時中の配給ですらもっと貰っていたように思う。(それは言い過ぎ)休憩用の椅子はおじいちゃんおばあちゃんに占領されていたので日陰になっている場所を探した。路肩のコンクリートブロックに5メートルくらい間隔を空けて若いカップルが二組座っていたので雰囲気を邪魔しないよう二組の間に静かに座った。目の前には喫煙者のアラサーアラフォー集団がアスファルトの上に座り込んで【栄養】を蓄えていた。
ホントはもっと休憩したかったのだが大量の蚊とカップルと煙草の煙が煩わしくなり、歩みを進めることにした。休憩所を出る手前ではさっきの「期末試験合格」のメッセージカードを掲げていた私服のカップルが身体を寄せ合って休んでいた。ふぅ。
十二
頭の中を流れていた「歩こう歩こう」がZARDの「負けないで」に変わり、疲労困憊のいまは「サライ」に変わっていた。
瞳〜閉じ〜れば〜浮かぶ〜景色が〜(2番かよ。1番にしろよ)
私は社会人時代の仕事が行き詰まった時のいつもの癖で頭の中でF1の実況中継をしながら老人のロボットと化した自分の身体を必死に動かしていくことにした。
「さぁ、レースももうまもなく残り5キロを切ってまいりました。楽勝だと思って20kmに挑戦中の吉田A子選手。化粧は全て崩れ落ちてしまって目も当てられません。仲睦まじいカップルや仲良しグループを尻目に一人歩みを進めております。友人も恋人も応援には一切来ておりません。一体誰のために、何のために歩き続けるのでしょう。しかし彼女は止まりません。目的も分からぬまま歩み続けていきます!」私はテレビを消すみたいに空想をブチンっと切った。
バカバカしい。空想なんてクソ食らえだ。あぁ、痛い。股関節だけでなく、リュックの重みで肩も痛くなってきていた。家から持ってきた2リットルのペットボトルが仇となった。
飲んでも飲んでも水は減らない。そればかりか「頑張ってねー」と途中で各所でボランティアのおばさま達に渡された大量の水道水ペットボトルのお陰で最初よりもリュックの重さは増していた。
よくやく最後の休憩場所に着いた。学校の名前は大川学園。もし私が就職活動で「東京で華やかな社会人生活を送ってやるぜ!」と判断を誤らなければ教員生活をスタートできていたであろう場所である。(もちろん、試験に合格していればの話だが)
もしタイムマシンか何かで8年前の自分に会えたら必ずや言ってやりたい。
「冒険するな安定を選べ。映画や漫画やTVドラマの聞こえのいい台詞に惑わされるな。現実を見ろ」と。だけどもしそんなことを当時の私に言えたとしても結局のところ現状は変わっていないんじゃないかとも思う。あれこれ考え、迷った挙句、私は今いる道を選んでいただろう。
十三
小さい子どもを連れた家族連れが沢山いて邪魔しちゃ悪かったのであまり休憩せずに軽くストレッチだけして歩みを進めることにした。トレーに載せてあめ玉を配っていた男子学生さんが「後もう少しです頑張って下さい」と声をかけてくれたので「ありがとうございます」と返したら私にではなく後ろにいた女子高生に言っていた。なんなんだよもう。平等に応援しろや。怒りをバネに前に進んでいくと、ゴールの市役所が見えてきた。朦朧とする意識の中、背中に30kmコースと書かれた人たちに次々と抜かされていく、さっきの私服カップルにもまた追い抜かされた。あぁ。
足の裏の感覚がなくなってきた。ゴールまでもう少し。会場の方から音楽やら人のざわめきやらが聞こえてくる。あぁ、腰が痛い、首も痛い。体の中で痛くないところなんてないんじゃないかとさへ思えた。もう限界だ。両手を膝の上において亀のようにノロノロとゆっくり少しずつ進んでいく。
市役所の前に来た。普段車が出入りする玄関口の奥には風船でできた黄色いアーチがあり、そこまでの道の両隣を中学生のボランティア達が「お疲れ様でーす」と拍手で迎えてくれていた。純粋無垢な笑顔で参加者を迎え入れる彼らは天使のようで、私はまるで天国の門に向かっている殉教者みたいだった。私が中学生の時もこんなことやってたっけ?あぁ、それにしても子どもたちよ。拍手なんていいからどうか私の顔を覗き込まないでくれ。化粧も崩れ、髪型も乱れ、汗だくで死んだような顔をしてる三十路過ぎの女の顔を青春真っ只中で若さいっぱいの君たちに見られるなんて羞恥プレイもいいとこである。嗚呼、あと、もう少しでアーチだ、私は一体はなんかい「あぁ」と言うんだろう?アーティストのハミングじゃないんだから。そんなツッコミをしているとどこからか歌声が聴こえてきた。二人の女性の天使のような歌声。もうホントにここは天国なんじゃないだろうかと思った。聞き覚えのある懐かしいメロディー。門をくぐった先にある市役所の、中央ステージから聴こえてくるこの歌声は、【花※花】だ。
やった。花※花さんの歌を生で聴くことができるなんて…もうこれで思い残すことは何も…な。
私はアーチをくぐり抜けると同時にフランダースの犬の主人公のごとくその場で意識を失った。
十四
「熱中症ですね」
目が覚めると、市役所に設置された救護室のベッドに寝かされていた。ぼやけた視界に徐々にピントが合い出すと、母と薫と男性の顔が映った。
「久しぶりだねA子ちゃん」
医療係のハンサムな男性は私の下の名前を知っていた。私の頭からはてなマークが出ているのに気付いた薫が「冬月くんだよ」と耳打ちしてくれた。
え、冬月くん?
10年ぶりで分からなかったが確かにそうだ面影がある。冬月くんは健康的に日に焼けた顔から真っ白な歯を輝かせて私に笑いかけた。
「冬月くん。久すぶり…」
「噛んだねA子」薫が笑う
「大事なところでヘマをするのよ」と母
「まだ無理しないでよ。ゆっくり休んだほうがいい。子どもたちがゴールしたみたいだから会ってくるよ。20kmお疲れ様」冬月くんは私の肩をポンポンと叩いて去って行った。
「お疲れ様」冬月くんに労ってもらえるなんて頑張って歩いた甲斐があった。これは恋人フラグ確定じゃないか?これを期に二人でデートを重ねて、結婚して、子どもをできて、、ん?子ども?冬月くんさっき子どもがどーとか…
鉛のように重たくなった体を持ち上げて冬月くんが去って行った方向をみるとたったいまゴールしたのであろう小学校低学年くらいの男の子とママさんモデルみたいな背の高い女の人が仲良さげに話していた。
「あれは…冬月くんの妹さんとその子どもだよね?」一抹の望みをかけて私は薫に聞いた。
「あ、そっかA子知らなかったんだっけ?冬月くん結婚してるの」そう言って薫は三人の仲睦まじい光景を眺めながら微笑んだ。まるで冬月家の家族像に自分の未来を重ねているように。
幸せそうで何よりだ。そう思った矢先、母が追い打ちをかけるように話を聞かせた。「素敵よねー。面白いのがさ、奥さんは冬月くんの大学時代の野球部のマネージャーなんだけど、その人が杉山先生のお孫さんなんだよ。A子覚えてる?中学の時の担任の杉山たまこ先生」
「たま…こ…」私は初めて日本語を教えられた宇宙人のようにその名前を繰り返した。
クソっ…き◯たまこめ…私がツーデーマーチのトイレで驚かしてしまったことをまさかここまで根に持っていたとは…なんてしつこ…
そう言い切らぬうちに再びエネルギーが切れてしまい、私はまたベッドの上へ倒れ込んでしまった。
「A子?大丈夫?A子ー!」母と薫の声が遠くに聞こえる。
「大丈夫…じゃない…」
こうして私のツーデーマーチは終わりを告げた。




