「君が撃てないなら」
※本編で出る描写はR-15程度になります。
※BL表現は心理描写がメインになります。
009.
――隊員の無線から、「接触圏内に入る」という声が聞こえてから、ほんの数秒。
張り詰めた沈黙を破るように、廃工場の錆びついた窓枠を突き破って、三名の追撃班が駆け込んできた。
その足音と同時に、鋭い号令が飛ぶ。
「照準、固定! 発砲許可、撃てッ!」
銃声が、夜気を裂いた。
狙いは正確だった――梁の上に立つ赤毛の男、その眉間を貫く軌道。
けれど――
男は、撃たれるその刹那に、にやりと笑った。
「――ああ、時間切れか。乗ってこなくて、残念だよ、トラフィム」
その言葉と同時に、男の体が滑るように横へ傾く。
まるで、弾道を知っていたかのような動き。
銃弾は空を裂き、背後の鉄骨に火花を散らした。
男は、そのまま両手を顔の横でひらひらと振る。
まるで、舞台のカーテンコールに立つ道化のように、楽しげに。
「ばいばーい、かわいい弟。……次に会った時は、ちゃんと殺してあげるからね」
ひらひらと手を振ったまま、男は梁の端に踊るように進み――そして、頭から逆さに飛び降りた。
「落ちた!?」
誰かの声が響くが、その瞬間にはもう地面にいた。
男の身体は一回転しながら軽やかに着地し、そのまま無駄な動きひとつなく駆け出す。
瓦礫を越え、崩れた床を跳ねるように踏みつけて、壁際の窓へ――
ショウはとっさに銃を構え、走る足元を狙って引き金を引いた。
だが、その一発すらも。
男は、まるでリズムに乗るように、ステップ一つでひらりと避けた。
そして、くるりと振り向き、肩越しに楽しげに笑う。
「二度目は当たってあげないよ、“猟師くん”」
そう言い残すと、窓枠に片足をかけ、スッと身を外へと投げ出す。
「止まれ! 捕まえろ!」
外で待機していた隊員たちが叫び、銃を構え、指示が飛び交う。
だが、男は誰にも捕まらなかった。
ショウも身を乗り出し、追いすがろうとする。
だが、見えたのは――混乱する隊員たちの姿と、物陰を縫うようにひょいひょいと逃げていく影。
飛び、跳ね、角を曲がり、数秒後にはその姿すら見えなかった。
「……っ、逃げられた……!」
無線からは、怒号と混線が重なり合う。
あの夜の空気に、苛立ちと悔しさが交錯する。
ショウの肩に、背後から静かに手が置かれた。
追撃班の一人だった。
「……惜しかったな。だが、いい動きだった。名前は?」
ショウは息を整えながら、視線を少し落とし、短く答える。
「……ショウ・アヴェリンです」
「覚えとくよ。冷静だった。おまえの判断がなかったら、もっとまずかったかもしれん」
言葉に、ショウは小さく頭を下げる。
けれど、唇を強く噛みしめたその顔には、深く滲む悔しさが残っていた。
ふと視線を巡らせる。
そこにいたのは、拳銃を下ろせずに立ち尽くすトラフィム・マルカヴィッチ。
その肩に、同行していた部隊員がそっと手を置き、背を撫でていた。
「……よくやった。気張ったな、マルカヴィッチ」
けれど、彼は応えない。
俯いたまま、握りしめた銃を、ただ離せずにいた。
ショウは、ゆっくりと歩み寄る。
無言で、トラフィムの拳銃を持つ手の上に、そっと自分の手を重ねた。
その手は、冷たく、震えていた。
指先をなぞるように撫で、もう一方の手を伸ばす。
そして、何も言わずに――そっと引き寄せた。
抵抗はなかった。
ただ、すとんと、ショウの肩口に額を預けた。
「……トラフィム」
「……」
「トラフィム」
「……ん」
小さな応答が、沈黙の中に落ちる。
その頭を、何度も何度も撫でる。
まるで感情をなだめるように、静かに。
ようやく、拳から力が抜けた。
ショウは、丁寧にその銃をホルスターへ収める。
そして、彼を、そっと両腕で抱きしめた。
「……こわかったなあ」
その呟きに、周囲の隊員たちは怪訝そうな視線を投げた。
けれど、ショウは気にせず、ただ肩に触れる呼吸を感じる。
彼は、確かに震えていた。
怒りだけではない、何か深く澱んだ感情を飲み込んで。
「頑張ったな、お疲れ、相棒」
「……ゔ、ん……」
そして。
だらりと垂れていたトラフィムの腕が、ゆっくりとショウの背に回される。
強く、しがみつくように。
まるで、そこに確かに存在するものだけを手がかりに、崩れ落ちるのをこらえているように。
その重みを受け止めながら、ショウは静かに目を閉じた。
今は、何も聞かない。
ただ――彼の全てを、この腕の中で受け止めようと、そう決めていた。
*
トラフィムの腕は、しばらくのあいだ、ショウの背から離れなかった。
あの男が残していった言葉も、笑顔も、瞼の裏で焼き付いて離れないのだろう。
声にならない呻きが、肩口に熱を帯びて染み込んでくる。
ショウは、ただそれを受け止めた。
背をさすり、頭を撫で、絡めた指先を、言葉の代わりにそっと動かす。
しばらくして。
トラフィムの体が、わずかに動いた。
まだ目は合わない。けれど、彼の胸から、ようやくひとつ、深い息が吐き出される。
「……落ち着いたか?」
問いかけは柔らかく、子どもをあやすようで――どこか、祈るようでもあった。
トラフィムは、ほんのわずかに頷いた。
それだけで、ショウには十分だった。
「……なあ、」
かすれた声が、ショウの胸元で転がった。
「……おれ、指、動かなかった」
「そっか」
「次、あいつと対峙しても、おれ、おれ……」
そこまで言いかけて、トラフィムは口を噤んだ。
涙ではない。でも、怒りでもない。
ただ、感情が飽和して、言葉にならないだけの声だった。
ショウは、その言葉を遮るように、そっと彼の手を握った。
「……その時は、俺が撃つよ」
「っ……」
トラフィムの肩が、わずかにぴくりと震えた。
「お前が引き金を引けないなら、俺が撃つ。」
言いながら、ショウはほんの少しだけ笑った。
「そんで、俺が打てなかったら、トラフィムが代わりに撃ってくれよ」
首を傾げて問うと、トラフィムの瞳がゆっくりと持ち上がった。
その目にはまだ戸惑いと痛みが残っている。……けれどその奥に――わずかに、光があった。
「……ありがと」
その一言に、今度はショウが一瞬だけ言葉を失った。
こんな声を、こんな顔を、彼から聞けたことが、どれだけ貴重で、重たいことか。 喉の奥で押し殺した感情が、熱となって胸を満たした。
「……礼なんか、いらないよ、相棒だろ?」
ショウはわざと少しだけ口角を持ち上げ笑ってみせた。
その様子を見て、トラフィムも小さく笑った。
それは、ほんとうに微かな、けれど確かに“彼の”笑みだった。
「これから本部へ帰還する。輸送車両に集合しろ。負傷者は別送だ」
「了解しました」
ショウとトラフィムは揃って敬礼し、隊列へ戻る。
車両に乗り込む前、ちらりと互いに視線を交わした。
言葉はない。
けれど、それだけで、十分だった。
*
帰路。
輸送車両の揺れが、疲れた身体にじわじわと響く。
ショウは背もたれに沈み、ぼんやりと窓の外を眺めた。
夜の街並みは静かで、ところどころ灯りが滲んでいた。
ふと隣を見ると、トラフィムが腕を組み、目を閉じていた。
眠っているわけではない。けれど、言葉を発する気力もないようだった。
そんな彼の肩に、そっと自分の肩を預けた。
触れるか触れないか、ぎりぎりの距離で。
数秒後――
トラフィムも、わずかに重心を傾けてきた。
互いに寄りかかる、静かな共有。
「……さっきのさ」
小さく、トラフィムが呟いた。
「ん?」
ショウが聞き返すと、彼はほんの少しだけ言葉を探して、ぽつりと続けた。
「……あいつ、逃げたとき、笑ってた」
ショウは少し目を細め、思い返す。
あの――飄々と笑って、全てを玩具みたいに扱った男の顔。
「……そうだな」
短く応じる。
トラフィムは、それだけ言うと、再び黙った。
けれど。
その背中からは、さっきまでのような緊張も、怯えも感じなかった。
ただ、静かに、重みを分け合うように――同じ夜をくぐり抜けた、そんな体温だけがそこにあった。
車両が、大きく一度揺れる。
誰かが小さく文句を漏らし、誰かが乾いた笑い声をあげる。
その中で、ショウとトラフィムはただ静かに、並んで揺られていた。
――もうすぐ、夜が明ける。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
なろうサイトに不慣れなので、もしタグ付けや、文章について至らないところがありましたらぜひ教えてくれたらと思います。
一旦アクション回は終了です。
次回中休み回を挟もうと思ってます〜!よろしくお願いします!