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「照準の先、沈黙」

※今回はアクション回です

※BL表現は心理描写がメインになります。

008.




 荒れ果てた旧工業区の通路を、三つの影が駆ける。


 


 先頭を切るのは現役の隊員。ショウ・アヴェリンとトラフィム・マルカヴィッチはそのすぐ後ろを、足音を殺すようにして追っていた。




 空気は重く、錆と油の匂いが鼻を突く。


 散乱した瓦礫、抜けた鉄板、傾いた支柱――


 夜の闇に沈んだ工場跡の足場は劣悪で、追撃には決して向いていなかった。


 


 その中を、隊員の鋭い声が響く。


 


「慎重にいけ。足場が悪い、視界も制限されてる。飛び出しには備えておけ!」


 


 ショウとトラフィムは頷き、地を蹴る。


 だが、数十メートルも進まぬうちに、彼らは視線の先を見失った。


 


 犯人の姿は――ない。


 


「見失った……!」


 


 隊員が小さく舌打ちする。


 だがその直後、ショウが立ち止まる。


 片膝をつき、地面をじっと見つめた。


 


「……血だ」


 


 指先で、濡れた鉄のような赤をなぞる。


 その痕は点々と、剥がれた舗装の縁に沿って続いていた。


 


「間違いない……犯人の血痕です。まだ乾いてない。新しい」


 


 ショウの報告に、隊員が目を細めた。


 


 そして、しばしの沈黙ののち、静かに呟く。


 


「……おまえ、眼が利くな。よし、ここからはおまえが先行しろ」


 


「……俺が、ですか?」


 


「ああ。俺とマルカヴィッチは一歩下がってつく。無理に追い詰めるな。捕まえるのが目的だ」


 


 隊員の言葉に、ショウは緊張を押し殺して頷いた。


 


 もう一度、血痕の流れを視線でなぞる。


 その先には、低い鉄柵を乗り越えたような跡が残っていた。


 


「こちらです。気をつけてください」


 


 囁くように告げて、ショウはそっと前に出る。


 


 慎重に、足を運ぶ。


 照明の壊れた渡り通路を抜け、古びた配電室の裏手へ――


 


 


 そのときだった。


 


 


 ――パンッ!


 


 乾いた銃声が、突如として夜の静寂を裂いた。


 


「っ……!」


 


 閃光とともに鋭い金属音が跳ね返り、ショウは咄嗟に身を屈めて遮蔽物に滑り込んだ。


 数メートル先、鉄板を撃ち抜いた弾が火花を散らす。 直後、トラフィムと隊員もそれぞれ遮蔽物に身を隠す。


 


「視認した! 距離二十メートル、倉庫の鉄梁上!」



 隊員の声に、ショウは鋭く目を凝らす。

 銃撃の出所は、配電室の上部――鉄骨が剥き出しになった梁の上。


 そこに、人影があった。


 

 長身の男。赤みを帯びた長い髪が揺れ、ふわりとした動きで銃を構える姿。


 


 発砲。

 だが、反応は遅い。

 


(――遅い?)


 


 すぐにわかった。相手は焦っていた。

 リズムが狂っている。狙いが甘い。なぜか?


 


 一発、二発、三発――


 


 銃声の間隔が空き、ついには――止まる。

 スライドが戻らない。音もしない。


 それを見て、ショウは瞬時に判断した。


 


「……弾切れだ!」



 その言葉が届いたか届かないかのうちに、トラフィムが遮蔽物から飛び出した。

 


「トラフィム、待てっ!」


 


 ショウが呼ぶ。


 だが、その腕を、隊員が掴んで制した。


 


「止まれ、アヴェリン!」


「でもあいつは――!」


「よく聞け」


 


 隊員の耳元にある小さな無線から、かすかな音が漏れていた。



『……追撃班、接近中。目標は捕捉済み。……どういう関係かは知らんが、もう少し時間を稼いでもらおう』



 その一言に、ショウの全身に冷たいものが走る。

 利用されている――トラフィムの動揺ごと、すべて。



 背中越しに聞こえる隊員の無線。そこから漏れた声――「時間稼ぎをしてもらおう」という指示が、まるで氷水のようにショウの体を冷やした。






「やあ、トラフィム」


 


 その声は、柔らかく、ふわりとした響きを持っていた。 けれど、それはまるで、氷のような冷たさを孕んでいた。

 目の前に飛び出してきたトラフィムに、男は優しく目を細めて、笑った。




「こんなとこで会うなんて。運命ってやつかな?」




 ふんわりとした口調、緩い立ち居振る舞い。けれどその一つ一つの動作に隠された、意図的な“間”が、あまりにも不自然だった。どこか芝居がかっている。


 それはただの気まぐれでも、愉快犯でもなかった。




 ――“あいつ”は、楽しんでいる。



 目の前の標的も、対話も、トラフィムの動揺すらも、すべて玩具にしている。




 ……理解はしている――今は撃つべきではない。


 けれど、その判断が正しいほどに、内臓を握られたような苛立ちが残る。




 感情で動けば、トラフィムを巻き込む。


 だから、今は耐えるしかない。


 


 ショウは拳を握り直し、構えた銃を微動だにさせぬまま、じっと息を潜めた。


 冷静に。冷静に――。


 


 けれど、視線だけはどうしても逸らせなかった。


 トラフィムの背中。そのさらに向こう。


 



 あの男と、再び視線が交差する。




 


 沈黙。



 トラフィムの手が、わずかに震える。


 


「……なんで、おまえが……ここに……」


 


 言葉が、喉の奥で途切れる。

 



「ひどいなあ、そんなに睨まないでくれよ。――せっかくの再会なのに」

 


 その口ぶりは、まるで旧友との再会でも楽しんでいるようだった。


 ひどく馴れ馴れしく、それでいて――悪意に満ちている。

 男は唇の端をゆるやかに歪めながら、芝居がかった声色で続けた。


 


「でも、へえ……トラフィム、まさか民警になってたなんてさ。

ずっと探してたんだよ? いきなり消えちまうから、“にいちゃん”、ちょっと心配してたんだ。」


 


 その言葉に、トラフィムの肩がびくりと跳ねた。


 ショウもまた、無意識に銃口をわずかに持ち上げていた。


 “兄”――その一語が、まるで空気にヒビを入れたかのように、場の温度を変えた。


 


「でもさすが、俺の“弟”じゃないか。こんな歳で、現場にまで出てくるなんてさ」





「トラフィム。……おまえは、“自慢の弟”だよ」


 


 その口調は、優しげですらあった。

 だが、声の底には確かな悪意が滲んでいた。


 追い詰められているはずなのに、男は一切動じていなかった。

 まるで、自分の芝居の幕を下ろす瞬間を楽しみに待つ役者のように――舞台の主役として、場を支配していた。


 



「――ッ! 黙れ、…だまれ、だまれだまれ!!!」


 


 爆発するような怒声が、トラフィムの喉から飛び出した。

 拳銃を握る両手が震え、額には汗が滲んでいる。


 それでも照準は男の胸元を正確に捉えたままだった。


 


「おまえなんか、兄じゃない……!!」


「俺の家族を殺した、くそったれの殺人鬼が!!」


 




 ショウは思わず息を呑んだ。

 今にも引き金を引いてしまいそうな、その震える指。

 怒りに支配され、彼の目の奥に浮かぶのは、さまざまな感情。



(……頼む、耐えてくれ、トラフィム)


 


 引き金にかけられた指が、わずかに引かれる気配に、冷や汗が伝う。






 ――その時だった。


 


 無線から小さなノイズが走り、それが一瞬だけ、明瞭な言葉へと変わった。




 『……対象、座標確定。追撃班、15秒で接触圏内に入る』


 


 


 その一言が、静かに、しかし確実に緊張を裂いた。

 糸のように張り詰めていた空気が、微かに揺らぐ。


 誰もがそのわずかな変化を感じ取った。


 


 ショウの肩に、隊員の手が一度だけ触れる。

 言葉はなかった。けれど、その手の重みが、目前の状況に対する答えだった。


 

 ――もうすぐ終わる。


 


 けれど、それは「安心」ではない。

 視界の端で、トラフィムが小さく息を吸った。

 浅く、途切れそうな呼吸。


 その瞳は未だ揺れている。怒りと憎しみ、迷いと戸惑い――そのすべてが、彼の身体の中で渦巻いている。


 


 対するあの男は、わずかに笑みを深めた。

 追い詰められてなお、焦りの色ひとつ見せない。


 むしろ、すべてを計算に入れているかのような目をして、わずかに首を傾けた。


 


 ――分かっているのだ。こちらの意図も、包囲の気配も。

 それでも、彼は引かない。


 この状況すら、自らが描いた劇の幕間だと言わんばかりに、堂々とそこに立っている。


 


 ショウの指が、わずかにトリガーに力をかける。

 狙撃の照準は、乱さない。


 終わらせるには、十分すぎる距離だった。

 だが、その引鉄を引くのは、自分ではないのだ。




 張り詰めた一秒一秒の中、ただ一つ――沈黙だけが、現場を支配していた。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

なろうサイトに不慣れなので、もしタグ付けや、文章について至らないところがありましたらぜひ教えてくれたらと思います。

気づいたらサイコな兄が生えてきました 元の小説にはなかったです (は?)

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