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「拒絶すること、受け入れること」

※本編で出る描写はR-15程度になります。

※BL表現は心理描写がメインになります。

006.



 夜。


 部屋の扉を閉める音が、いつもより重たく響いた気がした。


 同室の男――ショウ・アヴェリンと、また明日、と言い合って別れたあと。


 どうしようもなく顔が熱かった。


 制服の襟元を緩めながら、舌打ちひとつ。ベッドへ向かい、ばすんと身を投げる。


 安物のスプリングが、情けない悲鳴を上げた。


 


 仰向けのまま、両腕で顔を覆う。


 それだけで、こめかみまでじわじわと熱が上がっていく気がした。


 


「……ありえねえだろ、ほんと……」


 


 目の奥に残っていたのは、あの笑顔だった。


 背を預けるように寄りかかってきた時の、ショウの顔。


 「感謝と、ちょっと甘え。相棒に」――そう言われた言葉が、脳裏に焼き付いて離れない。


 


 撫でられた髪の感触を、まだ指先が覚えていた。


 思わず、枕に顔を押し付ける。呼吸が詰まる。吐息が喉に引っかかって、どうしようもない。


 


「……クソ、なんでだよ」


 


 吐き出すように呟いて、また唇を噛んだ。


 思えば始まりは、銃の扱いを教えてもらっている時だった。


 手の形、肩の角度――それに、照準器を覗いたときの、真っ直ぐな目。


 射抜くような、まるで誰も寄せつけないような、その視線に、ぞわりと背筋が粟立った。


 


 あの感覚を、最初は“緊張”だと思っていた。


 でも、違った。


 背中に回された手が、支えるように腰を押さえたとき。


 耳元で呟かれたアドバイスの息が、うなじをかすめたとき。


 


 そのすべてに、体が反応していた。


 


 今思えば、あれは――明らかに、“そういう気持ち”だった。


 関心でも、憧れでもない。


 もっと生々しくて、もっと本能的で、逃げられないもの。


 


「……なんでよりによって、あいつなんだよ……」


 


 手の甲で額を覆ったまま、呟く。


 こんな気持ちになるはずじゃなかった。


 俺は――俺は復讐のためにここへ来た。


 過去を、過ちを、血を清算するために、全てを捨ててここに来たのに。


 


 どうして、よりによって、同室の男なんかに――。


 


 気づけば、ズボンの生地をなぞる自分の手に、ぞっとして肩が跳ねた。


 唇を噛みしめ、ベッドの縁を握りしめる。


 


「違う……これはいらない……こんなこと、してる場合じゃねえんだよ……」


 


 過去が、背を引く。声がする。


 「おまえにはそれだけが残ってるはずだ」と、呪いのように。


 


 けれど――それでも。


 


 胸に浮かぶ、あの笑顔。


 軽く自分に肩を預けてきた時の、あたたかな重み。


 無防備な、真っ直ぐな、信じてくれている目。


 


 それらを思い出すたびに、どうしようもなく、胸が締めつけられる。


 背を向けることができなかった。


 彼が言った言葉。


 『……おまえと、違う課に行くの、……なんか、嫌だった』


 


 あれを聞いた瞬間、頭のどこかで何かが崩れた。


 引き金の重さを思い出すような、沈み込む感覚。


 その奥に、何かが、確かに芽生えた。


 


 ああ――もう、抗えないのかもしれない。


 それを“好き”だと自覚するのは、まだどこか気恥ずかしくて、悔しくて、認めたくないけれど。


 それでも、確かに俺は――


 


「……あいつと、肩並べんの、悪くねぇって……思っちまったんだよ」


 


 小さな声が、ベッドに吸い込まれる。


 頬に触れた自分の指が、やけに熱くて、少しだけ悔しかった。


 


 


 それでも、心のどこかで――それを受け入れた自分がいた。


 


 窓の外、夜の気配が深まっていく。


 この夜が明けたら、ふたりで希望した見学の日が来る。


 


 相棒と並んで歩く一歩が、どこか、自分の人生を変えるような気がしていた。







 朝、寮の廊下に出たとき、すでに空気は冬の匂いをまとっていた。


 吐く息は白く、制服の内側にもじわりと冷気が忍び込んでくる。


 手袋をはめた指先をこすり合わせながら階段を降りると、ちょうど正面口をくぐったところで名前を呼ばれた。


 


「トラフィム!」


 


 反射的に振り向く。


 煤けたクリーム色の制服が、こっちに向かって軽く跳ねながら駆けてくる。


 ショウ・アヴェリンだった。


 


 軽く手を振りながら、いつものヘラリとした笑みで駆け寄ってくる姿に、胸がひとつ鳴った。


 ――こいつ、ほんとに無防備すぎる。


 


 その無邪気な笑顔を見ていると、なぜか胸の奥がざわつく。


 思わず笑い返しそうになるのをこらえて、ぶっきらぼうに返した。


 


「……なに」


 


「冷てえー」


 


 そうぶー垂れながらも、どこか楽しげだ。


 もう慣れたのか、気を悪くする様子もなく、当然のように俺の隣に並ぶ。


 


 少しだけ背を伸ばしたこいつが、見上げるようにこちらを見る。


 その目が、やけにまっすぐで、なんでもない日常の一コマすら、妙に色づいて見える。


 


「……まぁ、何ってこともないんだけどさ、どうせ同じ所にいくんだから一緒に行こうと思って」


 


 照れくさそうに、ぽり、と頭を掻く仕草。


 その言葉に、心の奥がじんわり熱くなるのを感じて、思わず口が勝手に動いた。


 


「……別に、犬みたいに走って来なくても、待つし」


 


 言ってから、耳の奥がじんわりと熱くなる。


 けれどショウは、目を丸くしてキョトンとしたあと――にか、と笑った。


 


「犬ってなんだよ」


 


 その笑顔にまた、胸がきゅっと締めつけられる。


 ……どうしてこんなに、目が離せないんだろう。


 


 わからないまま歩き出した足元で、靴音が並ぶ。


 ただそれだけのことで、今朝の空気は、少しだけやわらかく感じた。


 



 


 本部庁舎の前に着いたとき、見学希望者たちはすでに数人が集まっていた。


 皆、言葉少なにざわついていて、誰もが落ち着かない様子で辺りを見回している。


 俺も、できるだけ無表情を装っていたが、制服の下では少しだけ肩が強張っていた。


 


 それでも、横に立つショウの存在が、どこか支えになっていたのは、間違いない。


 


 今日この場所に一緒に来るとは、正直、思っていなかった。


 ずっと交通パトロールを希望していたこいつが、土壇場で進路を変えたと聞いた時、胸の奥に湧いた感情の正体を、俺はまだ正しく名付けられていない。


 


 ただ、あの時確かに、どうしようもないほど“嬉しい”と思ったことだけは覚えている。


 


 これ以上、期待しちゃだめだって思っていた。


 けど、たった一言で――簡単に心が崩された。


 


 足元に落ちた影に気づいて、顔を上げる。


 ふいに、ざわめきが止んだ。


 


 誰かが息を呑む音が聞こえた。


 


 そして、誰かが呟く。


 


「……ブリンニコフ、総指揮官……?」


 


 


 そこにいたのは、若すぎる総指揮官。


 銀灰の髪をなびかせ、まっすぐ歩いてくるその姿に、誰もが言葉を失っていた。


 


 思いがけない登場に、息を詰めるような緊張が場に満ちる。


 


 まさか――本人が出てくるとは思っていなかった。


 


 制服の階級章が、偽物ではないことを示している。


 足音が、静かな空気を刻むように近づいてきて――そのまま、列の前に立った。


 


 


「訓練生諸君。よく来てくれた」


 


 


 その第一声は、穏やかだった。


 だが、声の芯は鋼のように強くて、誰もが直立の姿勢を取っていた。


 


 まるで、指揮官として“見られている”だけで、試されているような気がした。


 


 ブリンニコフは、ざっと全体を見渡したあと、切り出す。


 


「本来は見学案内のみの予定だったが……予定を変更する」


 


 一枚の資料を手にしながら、言葉を続けた。


 


「現在、犯罪取締課第二課が軽度の市内捜査に出ている。危険度は高くない」


 


 そして――その瞳が、鋭くこちらを射抜いた。


 


「希望者には、現場に同行してもらう」


 


 一瞬の静寂。


 何人かが視線を交わし、ざわ、とざわめきが広がる。


 


「……は?」


 


 思わず漏れた声は、誰のものだったか判別できなかった。


 


「拒否しても構わない。断った者には本部内の案内と、簡易の業務体験を用意してある」


 


 ブリンニコフはそう言って、にこりともせず、ただ真っ直ぐに告げた。


 


「だが、この課が求めるのは、“即応力”だ。選ぶのは君たちだ」


 


 沈黙が、重く張り詰めた。


 選ぶ者と、選ばない者。


 


 その境界線を、俺たちは――今、踏み越えようとしていた。


 


 


「……希望する」


 


 


 俺の声だった。


 静かに、しかしはっきりと。


 


 すぐ隣で、ショウが続いた。


 


「俺も、行く」


 


 あいつの横顔は、少しだけ緊張を含んでいたが――まっすぐだった。


 その姿が、胸の奥に火を灯す。


 


 他にも、数人が手を挙げた。


 全体からすれば、ごくわずか。


 けれど、それでも、誰も笑わなかった。


 


 ブリンニコフは小さく頷いて、最後に一言だけ、言い残す。


 


 


「……覚えておけ。臆病者を責めるつもりはない。だが――命を張れる場所を選んだ者のことは、私が必ず、覚えておく」


 


 


 その言葉を、胸の奥に刻みながら。


 俺たちは、訓練生として――初めて、“現場”へと歩き出した。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

なろうサイトに不慣れなので、もしタグ付けや、文章について至らないところがありましたらぜひ教えてくれたらと思います。


トラフィムの葛藤描いてるのがめちゃくちゃ楽しかったです(満足) 以降はちょっとアクションが増えます。

また読んでもらえると嬉しいです。ありがとうございました。

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