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「進路と相棒」

※本編で出る描写はR-15程度になります。

※BL表現は心理描写がメインになります。

005.




 


 初めてこの制服を手にした日のことを、ふと思い出したのは、部屋の窓にうっすらと結露が浮かぶ、そんな朝だった。


 


 ぴんと張りつめた空気。


 外の気温が下がり、ガラス越しの世界がすこしだけ白く滲んで見えた。


 


 一年前の今日、自分がこの制服を胸に抱えて寮へ戻ったときの、あの高揚感。


 袖を通す指先が震えるほど嬉しくて――でも、それ以上に、自分が“ここにいる”ことの実感に、圧倒されていた。


 


 今はもう、それは毎朝の当たり前の動作になっている。


 けれど、布地に指を滑らせるたび、確かに少しずつ“自分のもの”になっていくのを感じる。


 


 ショウ・アヴェリンは、整えた襟にそっと手を添えて、深く息を吐いた。


 制服の重みが背にしっくりと馴染む感覚に、ほんの少し安堵する。


 


 



 


「おはよう」


 


 寮の共用スペースで出会ったトラフィムに声をかけると、彼はちょっとだけあくび混じりに返した。


 


「……ん、寒い。クソ寒い」


「そりゃ布団から飛び出してそんな格好じゃな」


「……うるせぇ」


 


 黒のカーディガンの裾を握りながら、トラフィムはソファの端にどさりと座り込む。


 手には湯気の立つマグ。窓の外を見つめる横顔は、少しだけ眠たげで、少しだけ穏やかだった。


 


「なあ、あれからもう一年だぜ。覚えてる? 制服着た日」


「……あんたが『似合ってる!』って無駄にうるさかった日?」


「おう、ちゃんと記憶に残ってて嬉しいよ」


「うるせぇ」


 


 けれど、その返しのトーンは柔らかかった。


 


 誰かに心を開くことの少ない彼が、それでもショウにだけは、少しずつ言葉を増やすようになった。


 


「二年目って、ちょっとだけ、責任があるっていうか……重いよな」


 


 ぼそりと呟いたショウの声に、トラフィムはふっと小さく息を吐いた。


 


「俺たち、来年には実地に出るかもって言われてるからな」


「うん……希望出すんだよな。配属先」


「ま、俺は最初から決めてるけどな」


「だろうな」


 


 トラフィム・マルカヴィッチは、犯罪取締課を目指している。


 それは“誰かを助けたい”という曖昧な想いではなく、もっと深くて静かな怒りに似た決意だった。


 


 ショウ・アヴェリンもまた、誰かを守るためにこの道を選んだ。


 けれど、自分がどこで何をすべきなのか、その答えはまだ見つかっていなかった。


 


 



 


 午前の訓練が終わったあと、ショウは人の少ない整備棟の裏手に回った。


 


 機材整備を終えたイーゴリが、薄いオイルの匂いを纏って腰を下ろしている。


 灰皿に立つ細い煙草の煙が、白く揺れていた。


 


「よぉ、悩める優等生って顔してんな」


 


 そう言って、イーゴリは片方の眉を上げる。


 


「……隠せてない?」


「隠せてたら俺に声かけないだろ?」


 


 飄々と笑うその姿は、いつもと変わらなかった。


 それが、今はありがたかった。


 


 


「進路、提出しなきゃならなくてさ」


「うん」


「……迷ってんだ。交通パトロールに出すつもりだったんだけど……本当にそこでいいのか、分かんなくなってきて」


「理由は?」


 


 イーゴリの問いに、ショウはしばし沈黙する。


 胸の奥で、言葉にならない何かが渦巻いていた。


 


「……自分の銃の腕で、誰かを守れる場所があるって思ったんだ。最初は、ただそれだけで十分だった」


 


「けど?」


「けど……今は、違うかもしれないって」


 


 それは、知識を得て、訓練を重ねる中で芽生えた実感だった。


 組織の構造、各課の役割、戦術配置。


 その中で、狙撃という分野がどこに最も活きるか――それは、必ずしも交通ではなかった。


 


「犯罪取締課。……多分、そっちの方が、俺の適性には近い」


「それだけじゃないだろ」


「……」


「相棒の背中、追いたくなったんだろ」


 


 その一言に、ショウは少しだけ目を見開いた。


 否定は、できなかった。


 


 トラフィム・マルカヴィッチという存在。


 初めは生意気で、無愛想で、どう接していいか分からなかった。


 けれど、同じ時間を過ごすうちに、無意識のうちに“並びたい”と思うようになっていた。


 


 その感情が、迷いを生んでいる。


 そんなことで、進路を変えていいのか?


 ……けれど、それほどに彼は、自分の中で大きな存在になっていた。


 


「俺、小さいな」


 


 ぽつりとこぼすと、イーゴリは煙草を灰皿に押しつけた。


 


「小さい奴は、悩んだりしない。全部“どうでもいい”で終わらせる」


「……」


「自分の中に“手放したくないもの”ができた時が、一番、人は迷うんだよ」


 


 それは優しげでもあり、どこか遠くを見ているような目だった。


 


「おまえが何を選んでも、正解になるよ。ちゃんと、自分で選びさえすればな」


 


 その言葉に、ショウはようやく小さく頷いた。


 


 ――自分は、もう一人じゃない。


 そう思えるようになったからこそ、迷えるのだと、少しだけ思えた気がした。


 


 ふと、沈黙を破るようにショウが尋ねた。


 


「……そういえば、イーゴリはもう希望出したの?」


 


「ああ、俺は通信課志望。国境警備総局の配属になる予定だ」


 


「国境警備って、確か、研修の期間も長いんじゃなかったっけ?」


 


「うん。軍事訓練付きで一年まるまるね。通信課つっても、機密管理や回線保守もあるから、下手すりゃ最前線だ」


 


「……相変わらず、すごいな」


 


「すごくはねえよ。ただ、向いてると思ったから選んだ。それだけ」


 


年齢こそ離れているが、イーゴリも自分と同じ、同じ年に入隊した同期だ。

 けれどその言葉のひとつひとつが、どこか大人びていて――気負いなく口にする覚悟に、ショウは少しだけ背筋を伸ばしたくなった。


 


「……すごいな。ちゃんと、決めてんだ」


 


「お前だって、決められるさ。悩んで、踏ん張って、それでも選んだなら――それは全部、自分の力だろ?」


 


 そう言って、イーゴリはふっと煙の匂いを散らすように立ち上がった。

 大きな背中が、眩しく見えた。


 


 選ぶということに、意味を与えるのは自分自身なのだ――

 そんなことを、ようやく少しだけ、わかった気がした。








進路希望届を提出し終えたあと、ショウ・アヴェリンは、少しだけ肩の力が抜けた気がしていた。


 


 決めてしまえば早かった。あれほど悩んだのに、いざ書類に「犯罪取締課」と記した時、胸の奥が静かに落ち着いたのを感じた。


 


 ……本当に、これでよかったんだろうか。


 


 どこか、まだ引っかかるものはあった。それでも――これしかないと、思えた。


 



 


 夕方、寮の共用スペースに戻ると、ソファの端にいつもの赤毛があった。


 


 トラフィム・マルカヴィッチは、マグを持ったままテレビも見ず、窓の方をぼんやりと眺めている。


 


「……おつかれ」


 


 声をかければ、こちらを見ることもせずに、気のない返事が返ってきた。


 


「……あんたも、行ってきたのか?」


 


「ああ、提出してきた」


 


 その言葉に、ようやくトラフィムがちらりと顔を向けた。


 睫毛の下から、探るような視線が伸びてくる。


 


「……で、どこにした」


 


 質問の意図はわかっていた。けれど、どう言えばいいのか、少しだけ言葉を選んだ。


 


 ほんのわずかな沈黙ののち、ショウは苦笑いを浮かべながら答えた。


 


「……犯罪取締課」


 


「は?」


 


 短く呟いたあと、トラフィムの眉がぴくりと動いた。


 マグを持つ手が止まる。


 


「……おまえ、交通パトロールにするって、ずっと……」


 


「うん。俺もそう思ってた」


 


 ショウは自分の襟元を軽くつまんで、指先に感じる布の感触に、そっと意識を預けるように目を伏せた。


 


 ほんの少しだけ視線を逸らして、しかし誤魔化すような笑いは浮かべない。


 その表情が、どこか決意と照れを同時に孕んでいて、トラフィムは言葉の続きを促さず、ただ黙って待った。


 


「……自分のことだから、自分で決めたつもりだったんだけどさ。いざ書類の前に立ってみたら、思ったより、迷いってやつが根深くてさ」


 


 ぽつり、ぽつりと、言葉が落ちる。


 まるで水底に沈んでいた本音を、ゆっくりとすくい上げているみたいに、ショウは丁寧に言葉を選んでいた。


 


「“助けたい”って思ったことに、嘘はないんだ。事故の現場に一番に駆けつけて、止血して、救って――そういうのも、きっと俺にできることだと思ってた。でも、それって、……誰にでもできるかもしれないって、気がしてさ」


 


 その言葉に、トラフィムがわずかにまばたきをした。


 驚いたのか、それとも意外だったのか、その表情は読めない。


 


 けれど、ショウは続ける。


 


「でも……いろんな現場の話を聞いてるうちに思ったんだ。俺、撃つしかできない。判断力も、柔軟さも、トラフィムみたいに頭がいいわけでもない。……でも、狙ったものを仕留めることだけは、ずっとやってきた」



 ぽつりぽつりと、ひとつずつ零れるように、言葉が出てくる。


 


「だったらさ、ちゃんと“必要な場所”に、その腕を使いたいと思った」




 言いながら、自嘲気味に肩をすくめる。


 その様子に、トラフィムはようやく目を伏せた。が、すぐにまた、ゆっくりと顔を上げてショウを見た。


 


「……でも、おまえ、それでもずっと交通パトロール目指してただろ」


 


「うん。そうだな」


 


 ショウは苦笑して、ソファの隅に身を沈める。


 座面がふかりと沈んで、彼の体温がじわじわと広がっていく。


 


「――でも、やっぱ、違ったんだと思う。俺、たぶん、ずっと“撃つ”ってことから逃げられない。なら、いっそ、そのまま突っ込んだ方がいいって、思った」


 


 ほんの少し間を置いて、続ける。


 


「……あと、まあ、その……」


 


 言いよどむ。少しだけ視線が下がった。


 まるで小言を言われた子どものように、己の手の甲を指でなぞっていた。


 


「……おまえと、違う課に行くの、……なんか、嫌だった」


 


 その一言に、トラフィムが小さく眉を寄せた。


 マグをテーブルに置き、無言のままこちらを見つめる視線が、じわりと熱を帯びる。


 


「は?」


 


 口に出してから、自分でひどく幼稚な理由だと気づいて、思わず顔を手で覆った。


 耳まで熱い。


 


「ごめん、今のなし。恥ずかしい。聞かなかったことにしてくれ」

 

 真っ赤なまま項垂れていると、トラフィムがふ、と息を吐いた気配がした。

 その声に、トラフィムはしばし動かない。


 


 しばらくして、ふと、頬をかくようにしてぼそりと呟いた。


 


「……なんで、そんな顔して言うんだよ。……言われた方が恥ずかしいだろ」


  そう言った彼の声は、けれど、いつもみたいにトゲはなかった。


 むしろどこか呆れて、笑っているようにさえ感じられた。




「でも、……そういうとこ、おまえっぽい」



 ショウが少し目を見張ると、トラフィムは顔を背けたまま、またぶっきらぼうに続ける。


 


「おまえが何を選ぼうが、俺には関係ないって思ってた。別に一緒のとこじゃなくても、やっていけるって思ってた。でも……」


 


 そこまで言って、彼はふっと息をついた。


 


「……でもまあ、こうやって言われると、悪くねえなって思っただけだ」


 


 声は静かで、決して強くはなかったが、それでもどこか真っ直ぐだった。


 ショウは、にやけそうになる頬を手で隠しながら、そっと笑う。


 


「素直に“うれしい”って言えばいいのに」


 


「……うるせぇ」


 


 そう言って顔をそむけたトラフィムの耳が、微かに赤い。


 その様子が、どうしようもなく可愛くて。


 つい、ショウは彼の肩に軽くもたれた。


 


「な……っ、にしてんだ、バカ!」


 


 驚いて肩を震わせるトラフィムに、くすくすと笑いながら囁く。


 


「んー……感謝と、ちょっと甘え。相棒に。」


「……そういうの、やめろって……」


 


 けれど、払いのけることもなく、そのまま二人は肩を寄せたまま、ゆるやかな時間に身を任せていた。


 


 外はもう、夕暮れの影が落ちていた。


 けれど、彼らの間には、まだほんのりとした熱が残っていた。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

なろうサイトに不慣れなので、もしタグ付けや、文章について至らないところがありましたらぜひ教えてくれたらと思います。


以降ちょこちょこBL展開がふえます!!!(歓喜)

よろしくお願いします。

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