45.元婚約者視点3
社交界シーズンの始まりの夜会に向かうため、私は更生した振りをしてみせることにした。
そして、私の前に姿を見せないマリエルの体調を心配してみせたりしたが、父は余程、辺境伯の怒りを恐れているのか、私を監視する見張りの目は緩むことはなかった。
友人の手を借りようと思っても、連絡するための手紙を届けてくれる人がいない。侍女は禁じられているからと、いくら言葉を重ねても手紙を届けてくれなかった。
誰の助けを得ることもできず、夜会の日の朝、窓からシーツを使って抜け出した。
といっても、屋敷の外に逃げ出すわけではない。
それでは、自由は得られても、王宮には忍び込めないだろうと踏んでいた。
だから、父が使うであろう馬車の中に潜り込むことにしたのだ。
当然、そのままでは見つかり、連れ戻されてしまう。
だから侯爵家の馬車に仕込まれている隠れ場所に身を潜めることにした。
かつて、嫡男としての教育をうけていた頃、万が一、盗賊に襲われた際に座席の下の空間を隠れ場所として使うよう教えられていたのを思い出したのだ。
厩務員が目を離した隙に馬車に潜り込む。
「くっ、狭いな……」
だが、運は私に味方した……!
父に気が付かれること無く王宮へと辿り着くことができた。しかしそのままの恰好では夜会会場には入れないため、庭に身を潜めシャルロットが庭に出てきてくれるのを待つ。
王宮の庭は、夜会の時には飾り立てられる。
茶会でも、夜会に出た者達により何度か話題になってシャルロットが羨ましそうに聞いていたのを覚えていたのだ。
しかし、シャルロットは庭に出てこないばかりか、夜会の途中で警備の騎士が急に増え、逃げる間もなく見つかってしまう。
うまく、忍び込むことはできたというのに……。
「どうしてこんなことになったんだ……」
捕まった私は王宮の地下にある平民用の牢に入れられた。
貴族令息だと主張しても信じてもらえない。
言い募っても、夜会の最中でただでさえ人手が足りないのに煩わせるなと怒鳴られるだけだった。
薄汚い空間で、呼吸することさえためらわれる。
私は呆然と、狭い牢の中で自身の行動を思い返した。
家に連れ戻されれば、どれ程叱責をされるのだろうか。
考えるだけで背筋が凍るが、どうすることもできなかった。
翌日、牢から出された。
父が手続きをして、従者を遣わしてくれたらしい。
(よかった。見捨てられなかったようだ……)
流石に言いつけを破り、愛想を尽かされたかと思ったが、やはり長男である私は必要だということだろう。
だが、牢を出ても、魔力封じの首枷は付けられたままで、屋敷で見たことのない、みすぼらしい馬車に押し込まれた。
「この馬車は……? いつもの馬車ではないのか?」
従者は私の言葉に答えることなく、馬車を進める。
外から鍵がかかっているようで、扉を開けることもできない。蹴破ろうとしたものの、扉はびくともしなかった。
時折、思い出したように食事や水は差し入れられたから、殺されるわけではないのだとわかった。
日付の感覚がなくなったころ、馬車は止まった。
馬車から下ろされ、明らかに平民とわかる、よく日焼けした肉体労働者の前に引きずられていく。
「おう、そいつが新入りか」
「どうぞ、よろしくお願いいたします。皆様に比べて非力かもしれませんが……」
「なぁに、最初は誰でもそんなもんさ」
がははと笑う平民に従者は頭を下げて、私に目を向ける。
「ここが、これからあなたの職場兼住居です。親方の言うことをよく聞き、しっかりと働いてくださいね」
「なっ、ここは、鉱山ではないかっ! 私は、侯爵家嫡男――」
「そう、嫡男だった方ですよね。侯爵様からのご伝言をお預かりしています。ここでよく働き、辺境伯夫人への慰謝料にかかった分の費用を少しでも返していくようにとのことです。よかったですね。温情で養育費までは返す必要はないと仰せですよ。あなたが夜会に紛れ込もうとしたことで発生した慰謝料は侯爵家が立て替えてありますから、その分を働いて返すようにとのことです」
「な、何故だっ」
「それをあなたがおっしゃいますか? 侯爵様はあれでも、あなたに情けをかけておられました。領地で、家のために働く道を考えておられましたからね」
「だが、社交期が終わったら領地へ幽閉すると――」
「そう。そこで、大人しく与えられた仕事をしていればよかったのです。まぁ、たいした書類は、触らせてもらえなかったでしょうが……」
あざけるような表情を浮かべ、従者は言う。
「ですが、それが嫌だから、逃げ出されたのですよね。大層、侯爵様はお嘆きでした。息子はやったことの責任を取らず、今まで学んだ知識を領地に還元することも考えず、ただ侯爵家に迷惑をかけるだけの存在でしかないと……。なら、せめて、自分がどれ程のことをしたのか、金銭の価値を体にたたき込めということで、ここで働くよう手配されたということです」
「っ、マリエルは、どうするのだ――」
「あの方にも、おかわいそうなことをなさいましたね。領地で、身分はなくとも、ジェレミー様と愛し愛される家庭を築くことは許されたとお喜びでしたが、ジェレミー様が逃げ出した上に、王宮に元婚約者様に会いに行かれたことを知り、本当は愛されていなかったのだと、絶望して……。ご出産までは侯爵家でお世話をいたしますが、その後は修道院に向かわれるそうです」
「どうしてそうなるのだ!」
「どうしても何も、あなたにとっては嬉しいのではないですか。大人しくしていれば、身分は失うとはいえ領地で二人暮らすことも許されていました。しかし、部屋を抜け出し、王宮に侵入してまで元婚約者様に会おうとなさいました。つまりは、本当は元婚約者様の方にお心が残っており、マリエル様は当て馬にされただけだったと、皆そういう風に理解していますよ。マリエル様も大層お嘆きでした」
「そうじゃない、そうじゃないんだ……」
だが、それを伝えるべきマリエルは側にいない。
絶望する私の横で、従者は親方に言う。
「脱走癖がありますので、くれぐれも逃げ出さないようにお願いします」
「大丈夫だ。なんせ、うちは犯罪奴隷も預かっているからな。逃げられないよう、きちんと管理している」
「それは安心しました。それでは、どうぞよろしくお願いします」
そして、従者は来た時よりも足取りが軽く、馬車に乗り込むと去って行った。
その姿を見送ることさえできず、私は親方に引っ張られる。
「おい、いつまでぼうっとしている。こっちに来い」
私は、また選択を間違ってしまったのだろうか……。
不意に胸が痛み、かきむしる。
「ごほっ」
「おいっ、どうした、病気持ちか!」
「瘴気がっ――、くるしっ――」
「はぁ、なんだ、瘴気に当てられただけか。これだから貴族の軟弱坊主は困るんだ」
「げほっごほっ――」
私が苦しむ横で、親方は安堵の息を漏らしている。
「この場所は、瘴気も多い。早く馴れるこったな。ま、瘴気じゃ死ぬことはないから、大丈夫だろう。さ、こっちだ」
無情にも親方は歩き出す。
けれど、ついていくことできない私に、親方は怒鳴り声を放った。
「おいっ、早くしねぇか! やってきて早々、サボるつもりかぁ!」
私はよろめきつつも足を踏み出した。
瘴気で死ぬことはないと聞いても、苦しいものは苦しい。
けれど、もう、誰も助けてくれる人はいないのだ。
私は、絶望に打ちひしがれながら、親方の後に続くのだった。




