32.ドレスを巡る攻防
「それで、まずはこのデザインを見て欲しいのだが」
ノエル様はラポワリー夫人が見ているデザイン画の束の中から一枚を指し示す。
「こちらですか。なるほど、たしかに。お似合いになるでしょうね。ですが、こちら、採用したい部分と、もっと良くできるのではないかという部分があります」
「聞かせてもらおう」
「まずはこちらのイブニングドレスですが、この裾の広がりを活かすのでしたら、逆に胸元はこのようにすっきりとさせた方がより奥様の美しさが映えるように思います」
さらさらと、ラポワリー夫人は取り出した帳面にデザインを書き付ける。
それを吟味し、ノエル様は頷く。
「あぁ、確かに夫人の言う通りだな」
「では、そのように。色はいかがいたしますか?」
「当然、紫だ」
「では、透けるように薄い素材を重ねて、色味を出すのはいかがですか。丁度良い素材があるのです」
夫人が布の見本帳を取り出すと、真剣な眼差しで確認するとノエル様は頷いた。
「なるほど。確かにこの布は合うだろうな。夫人の提案でいこう」
「では、奥方様がよろしければ、こちらで進めましょう」
「シャルロット、どうだ?」
不意に話を振られ私は頷いた。
正直二人の熱量の高さに私は会話についていけないが、なんとなく素敵なドレスになりそうだということは想像が付く。
「良いのではないかと思います」
「では、こちらは決まりということで、こちらのデザイン画はいただいてもよろしいでしょうか」
「もちろんだ」
夫人は、先程デザインを描いた紙と共に、ファイルに挟み込む。
その間に、ノエル様はテーブルに置かれたデザインをパラパラとめくり、一枚を取り出した。
「次に、こちらのイブニングドレスなのだが」
「拝見いたしましょう。確かに素敵なデザインでございますね」
「だろう。これを、王都の一番目の夜会でと考えている」
「そうでございますか。しかし、このデザインを実現するための布が当メゾンにはあるかどうか……」
悩む様子を見せる夫人に、ノエル様が言う。
「候補はあるんだ」
そして、トーマスの方を見ると指示をする。
「トーマス、あれを運び込ませろ」
ノエル様の言葉で、トーマスが侍女に指示を行う。
すると、たくさんの布が運び込まれる。
だが、夫人はノエル様が何か言う前に興奮したように別の布を手に取った。
「こちら、どうなさったのですかっ! この布は昔は出回っていましたが、今は全く手に入らない北の国の毛織物ではありませんか……!」
「それは、随分前に購入した物ではなかっただろうか。つい、見かける度に購入してしまうのだ。シャルロットに冬用のコートをと思っている。そんなに珍しいのか」
「この毛織物に使われている動物の数が少なくなり、今はなかなかこちらまで出回らないのです。軽くて暖かく、加工もしやすいという最高の素材なのですが。しかも、最高級と言われる白……」
「そちらも、加工は任せようと思っている」
「よっ、よろしいのですか……! 感謝いたします!」
「それで、先程のデザインはこの布をと思ってデザインしたんだ」
たくさんある布の中から、ノエル様は一巻きの布を指し示す。
一端が白く、その反対側に行くにしたがって紫がかった色にグラデーションが出るように染められていた。また、グラデーションの色味には金色にも見える差し色が入っていた。
「なるほど。こちらでしたら確かに。素晴らしいものが出来上がるでしょうね」
「夫人もそう思うか! シャルロットの意見はどうだ?」
ノエル様からはキラキラした瞳で聞かれるが、素敵だろうなという感想しか出てこない。
「このような素敵なドレスで夜会に参加できるのは楽しみです。ですが、こちらを作るのならば先程のドレスかコートのどちらかを取りやめた方が……」
「ダメだっ!」
「ですが、まだ他にも素敵な出材がありますし、流石に一度に沢山作りすぎるのも……」
流石に買いすぎではないだろうかと遠慮しようとしたところ、ノエル様が首を振る。
「王都では、王家の夜会以外にもシャルロットの両親への挨拶や、他の家からの招待もあるだろう。イブニングドレスを一着だけというのは心許ない。それに、王都の夜会が終わればこちらでも夜会を行う。その時のためにも必要だ。コートについては、この地の冬は王都よりも冷える。防寒具は必需品だ」
「……そういうことでしたら」
けれど、嫁いだ途端にこんなにも沢山ドレスを作るとなると、この領地の負担にもならないだろうか。
私の不安を汲み取ったかのように、ノエル様が言う。
「安心して欲しい。シャルロットのために作るドレスは全て私の個人資産から出している。このデザイン画を全てドレスにしたとしても、揺らぐようなものではないから安心して欲しい」
「なら、私から言うべきことはないですけれど、流石にこちらのデザインの全ては作りませんから」
「だが、全部、シャルロットに似合うと思うのだ」
「すぐに全てのドレスができ上がるわけではないですし、流行を見つつ、数年おきに時々作ってもらえる方が嬉しいです」
「……うーむ、そうか? シャルロットがそう言うのなら仕方ないな。なら、この半分は作っても良いか?」
期待した眼差しで見つめられるが、私は首を振った。
「いえ、五着もあれば十分です」
「少ない! せめて十着」
「いいえ、七着で」
「うーむ、八着ではダメか?」
ノエル様の必死な様子に、私はつい頷いてしまう。
「……コートも作るので、作りすぎかもしれませんが、では八着お願いします」
「わかった。ならば、厳選せねば……」
ノエル様は私の主張に渋々納得し、デザイン画の吟味を始める。
流石にデザイン画全ての量を作られては着ていく場所がないのではと心配していたので、私もほっとする。
「では、シャルロット、こちらから、後六着を選んで欲しい」
厳選されたデザイン画を渡され、私は選んでいく。
好みの物だけを残しても、十着以上残ってしまった。
「…………」
これでは、ノエル様と変わりがないではないか。
もう一度、絞ったデザインを見直していくと、不安げに話しかけられる。
「もしや、シャルロットの好みはなかったか?」
「逆です。どれも素敵で、選びにくくて。一応、ここまでは絞ったのですが」
「嬉しいことを言ってくれる」
そんな風に話をしていると、夫人がにこやかに口を開く。
「もしよろしければ、私から助言を差し上げてもよろしいでしょうか」
「お願いします」
「聞いてみようか」
私達の言葉に、夫人は口を開く。
「選ばれている中で、こちらとこちらは先に選ばれているドレスと違うデザインのようですので、お好きなようなら優先的に作られていいと思います」
「なるほど。デザインが違うもの……その視点はなかったです」
「後は、こちらのデザインは、殿下と揃えてお作りになるとコーディネートが映えると思います」
「それはいいな!」
私ではなく、ノエル様が食いついている。
「シャルロット、これは是非作ろう」
「わかりました」
その後も、デザイン画を元に話を進められ、さらには夫人から、この場で私を見てひらめいたというデザインを提案されてしまい、結果的に十着ドレスを作ることになってしまった。
(私もノエル様を抑えなければと思ったのに、流されてしまったわ……)
夫人からの提案はデイドレスで、お茶会を開くのだからとノエル様にも勧められて、結果的に二着作ることについ頷いてしまったのだ。
午後の早い時間から始まった打ち合わせは夕方近くまで続き、全てがなんとか決まると、ようやく落ち着くことができた。
「もうこのような時間か。夫人、本日は世話になった。晩餐に招待させてほしい」
「ありがたき幸せに存じます」
夫人とノエル様の話が途切れたところで、私は疑問を尋ねた。
「これだけの量の布、どうやって集められたのですか?」
「王都にいる時から、母上や姉上がドレスを作る際に同席させてもらっていた。その際に布だけを私の分にと買い集めていたら、どこからか商人の耳に入っていたのか、私に直接布を持ってくる者が出始めたんだ」
「それは、今もですか?」
「あぁ。この城にもたまにやってくる」
ということは、このノエル様の布コレクションはこれからも増えていくということだろうか。
「……今後はこんなに沢山ドレスを作ることはないかと思うのですが」
「だが、先程の毛織物のように、その時に買っておかないと後からは手に入らないなんて物もあるのだ」
確かに、ノエル様の言い分にも一理ある。
それに商人もノエル様の購入を見越して布を買い付けてきている者もいるかもしれない。
いきなり今後は買わないというのも、申し訳ない気がする。
どうしたらいいだろうかと悩んでいたところ、夫人が口を開く。
「ご提案があるのですが」
「なんだ?」
「当メゾンの支店をこちらに出したいと考えております。殿下には、城に布を売りに来た者をメゾンにもご紹介していただきたいのです。もちろん、殿下がご購入なさった後で構いません」
「ほう? この先、必ずドレスを夫人のところで作るとは約束はできんが、それでもいいのか」
「はい。私の方では、独り立ちさせる弟子に店を出させる場所を探しておりました。もちろん、当店にてドレスをお作りいただけると嬉しいですが、布を扱う商人をご紹介いただけるだけでありがたいのです。殿下のコレクションの中には、当店では売っていただけなかった物もございますので」
「なるほど。……メゾン・エトワールの支店が出るとなると、王都にまでドレスを作りに行けない者も近隣からやってきそうだな。ちなみに、貴族向け以外の服を取り扱う予定は?」
「弟子の中には、裕福な平民向けの服を取り扱いたいという者がございますので、その者にも提案しましょう。もしその者が来られなくても、こちらで弟子を取るという手段もございます」
「そういうことなら、私も支援しよう。できればこちらで弟子を取る件は、夫人の弟子の動向と関係なく、前向きに考えてもらえると嬉しい」
「そのようにいたします」
そして、部屋の端に控えるトーマスの方を見る。
「トーマス、南区の目抜き通りに空き店舗がないか確認を」
「かしこまりました」
返事をして静かに退室するトーマスを見送って、私は話の詳細を詰めていくノエル様と夫人を見守るのだった。




