08. 新たな竜の王
「お目覚めください。朝です。ご準備致します」
不機嫌そうな声が聞こえ、そちらをふり向くと……昨日の召使が、相変わらず不服そうな様子で……寝台に横たわる私を見下ろしていた。
既に目覚めてはいたが……無事朝を迎えられた歓びを味わっていたのだ。
昨日のことは、聞くべきか、聞かざるべきか……。
悩みながらも、寝台から身体を起こし、ボウルに張られた冷水で顔を洗うと、さっぱりとした気持ちになった。
この召使の不機嫌な態度も、身体的な害はないのだから、全くもって問題はない。
その時、扉をノックする音と共に、弾けるような声が聞こえた。
「姫様? お目覚めですか!?」
驚いてそちらに顔を向け返事をすると、扉の隙間から、明るいグリーンの瞳に、茶色い髪をお団子にまとめた若い女性が姿を現した。
「朝のご準備をお手伝いいたしますね! あっ!! 申し遅れました! 私、姫様の侍女を申しつけられましたハンナと申します。これからどうぞよろしくお願いいたしますー!!」
若草色のドレスのスカートが、軽快な彼女の動きに合わせて揺れている。
こんな朗らかな表情で、声をかけられたのはいつぶりだろう。
「ありがとう。よろしくね」
そう返事すると、ハンナはきょとんとした様子で私を見返したが、また満面の笑みを浮かべた。
「では、後は任せます」
元いた召使は怪訝な顔でそう言い捨てると、こちらを振り返りもせずさっさと出て行った。
「殿下直々に私をお選びくださったんです!姫様の専任だなんて! 光栄です! 昨夜はとってもせわしなくて、まだ場内がピリピリしているんですよ! 突然陛下が退位されて、殿下に王位継承されることになって!」
「???」
「……退位??」
「ええ!そうなんです!突然で皆驚いています。まだ、この城内のものにしか通達されていませんが、間違いありませんよ。……けれど、殿下……あっ、ご存知ですよね? 我が国唯一の王子であられるカイラス様! の即位は元々決まっておりましたし、それでもここまで急だなんて皆驚きました! 何があったんでしょうね〜?! 陛下いえ、正確には元陛下……は、近日中に離宮に移られる予定ですよ」
「…………」
一体何が起きたのか! ハンナの早口に圧倒されつつ、予想外の事態に困惑する。
寝ている間にクーデターでも起こったの?
『新たな竜王の誕生』という世紀の一大イベントが……まさか深夜に、なんの前触れもなく進められるはずがない。
「姫様、朝食はいかがなさいますか?」
理解が追いつかず、とても朝食をとる気分にはなれない。
「朝食は結構よ」
首を振る。
「承知いたしました!では念の為温かいスープなどご用意しておきますので、いつでも仰ってくださいねっ!」
ふと、昨夜の甘く香ばしいスープを思い出して、気持ちが和らいだ。
「ありがとう。そうするわ」
「それでは、このまま殿下、あっ、また間違えました。国王陛下に謁見する準備をいたしましょう!」
「ええ?」
思わず怪訝な声が出てしまう。
その声にハンナも少し驚いた様子だったが……
「ご安心ください」
そう言い、また明るく微笑んだ。
「こちらのお召物でよろしいですか?」
ハンナの両腕には、昨夜の目通りの際に着用したドレスが掛けられている。
白絹に銀糸をふんだんに使って仕立てた、精人の皇城にいた頃は触れることさえ許されないようなドレスだ。
だが、それがただ一着、持たされた私の着衣であり、唯一の嫁入り道具だ。
精人の国から贈られた物全て、あくまでも支援軍の見返りであり、私もその一部。
よくよく考えてみれば、このドレスでさえ、私のものではなく、竜の国への贈り物だ。
けれど、これしか着るものは持っていない。
……少し考えて頷いた。
着付けを終え、全身を隅々まで注意深く見ていたハンナだったが突然部屋を出ていったと思ったら、しばらくして籠いっぱいに生花を持って戻ってきた。
「ヘアアレンジはお任せください!」
ハンナは慣れた手つきで、流れるように優しく髪をかき上げると、サイドに編み込みを作り、最後は襟足の付近でふんわりまとめた。
「姫様の髪はまるで綿のように柔らかいですね」
そう言いながら、編み込みとシニョンの境目に、花を挿すハンナはとても楽しそうだ。
手際よく、器用に手先を動かしながら朗らかにおしゃべりをする、鏡に映るハンナは、まるでリスのようなハムスターのような……とても愛らしく感じた。
まるで結婚式のような装花に、ここまでしなくてもと、気後れしたが……確かに、新しい竜王様への謁見なのだから、装いに失礼があってはいけないわね。
突然の謁見への懸念は拭えないが、目の前ではしゃぐハンナを見ていると、なんでもないことのように思え……自然に笑みが溢れた。