29話 助っ人は最強
世界には二種類の人間がいる。
恐怖に直面したとき、叫び声をあげる人間と、あげられない人間だ。
個人的な考えだが、あげられない人間は、恐怖の感情を外に出すことができないので、感じる恐怖は倍増する。だから、あげられない人間は不幸だ。
そして不幸にも、凛花はあげられない側の人間。足がすくみ、目から涙が漏れ、体は震えているが、叫び声はあげられなかった。
「大丈夫」
そんな凛花を守るように、アイナメは自分の体の陰に凛花を入れる。
「顔は伏せてていい。ゆっくり、後ろに下がって」
アイナメは凛花の恐怖を取り除こうと、頭をやさしく撫でながら促した。
奇妙なことに目の前の巨大な人形は微動だにしていない。
二人は一歩ずつ後退していった。その間凛花は地面ばかりを見続け、アイナメはあの人形を見続けた。
しばらくして、あの人形が廊下の暗闇に消えたころ、凛花はあの人形が見えなくなったことを確認して、安心したように大きく息を吐いた。
その間も、アイナメは廊下の先、とっくに見えなくなったはずのあの人形を睨み続けていた。
凛花はあとどれくらいで部屋に戻れるのか気になり、後ろを振り返った。
「ひっ」
振り返った先には奴がいた。ただ向かってくるわけでも、何かしようとするわけでもなく、ただそこに立っていた。奴の顔はプラスチックでできているように見える。ただ作られた顔だ。なのに、凛花にはさっき見た時よりもニヤニヤと、下卑た笑みを浮かべているように見えた。
「来た道を戻るよ。歩けそう?」
凛花の悲鳴を聞いてアイナメは振り返る。そしてあの人形を視界に入れた。そして凛花を再び自分の後ろに隠し、やさしく問いかけた。
「は、早く逃げようよ」
凛花はアイナメの袖を引き、全速力で逃げることを提案した。
「多分、それは意味ない」
「ど、どうして?」
「私はさっき見であれを見ていた。でも、いつの間にか後ろに現れた。ということはあれは複数いるか瞬間移動できるってこと」
「そ、そんな、、、」
「でも、私の予想があってるなら、なんとかできるかも」
それを聞いて、凛花をばっと、アイナメの顔をすがるように見た。
「ど、どうやって?」
「けど、これは確実じゃない。だからそれを確かめるために、協力して」
凛花は握っているアイナメの手が少し震えていることに、いまさら気が付いた。
凛花は決心し、軽く深呼吸する。
「わかった。どうすればいい?」
「私はあれを見てる」
そう言ってアイナメはあの人形を睨んだ。
「だから凛花は私の真後ろ、廊下全体を見ていて。視野を360°にする」
「わかった」
凛花は体ごと振り返り、アイナメと背中合わせになるようなかたちになる。
「それじゃあ、一歩ずつ下がって」
アイナメの指示に従い、一歩ずつ、ゆっくりと下がっていく。
「何か見えたら、すぐに足を止めて私に言って」
凛花はアイナメの言葉を思い出しながら、廊下全体を見て進んだ。
しばらく進むと、凛花の足が止まった。
当然、背中合わせになっていたアイナメの足も止められる。
「どういたの?」
アイナメは振り返らない。そして、何が起きたかもうすうす感づいていた。
「前、廊下の向こうに、あの人形が、」
(やっぱり)
アイナメは心の中でそうつぶやいた。
「凛花、あの人形、いえ、呪いの回路がわかった」
「の、呪いの回路?」
凛花は初めて聞く言葉を問い返した。そのとき、凛花はうっかり目線をアイナメのほうに向けようとした。
しかし、凛花の顔の横をアイナメの人差し指が通過した。
人差し指はまっすぐ、あの”呪い”を指していた。
「目をそらさないで!今から説明するから」
突然大きな声で注意された凛花は、体をこわばらせ、すぐさま目線を元に戻した。
幸いというべきか、凛花の視界内から呪いが外れる直前の忠告だったため、呪いはまだそこにいた。
「呪いは魂力の内の負、つまり普通の生物にとって毒となる力である呪力の塊。今私たちの前にいるのは特に呪いの霊、呪霊と呼ばれたりするやつ。回路のほうは授業でやったよね」
「う、うん。えっと、『力を源に能力を発動させるための構造』、だった、よね?」
「そう、それであの呪霊の回路、能力は『遊び』だと思う」
「あ、遊び?」
急に緊張感のないことを言われ、凛花は拍子抜けしてしまった。
「十字架ごっこは昔の物語をもとにした子供の遊び。最初に宣言したってことはこれ以外にもまだ種類はあるってことだと思うけど」
思い出されるのはあの呪いが現れる直前に聞いた『十字架ごっこ』っという宣言。
「ほかの遊びに切り替えないのはあの呪いが遊んでいるのか制約があるのか。それにほかの回路も使えるかもしれない」
どんどん悪い情報がアイナメの口から出てきて凛花は絶望する。
しかし、アイナメは諦めてはいない。
「だから、私たちがやるべきことは時間稼ぎ」
「時間稼ぎ…?」
それが一体何になるのか、凛花にはわからない。怖い時間がただ長引くだけではないのか。
「上級生や先生たちは当然呪いについても詳しい。学校に侵入してきたなら、必ず誰か来る。私たちに今できることはそれまでで耐えること」
「そうすれば、助かる?」
「必ず」
力強い言葉に、凛花は少しだけ希望を取り戻す。
「わかった」
凛花がそう言った次の瞬間、呪いが凛花の眼前に立ち、凛花の右腕に触れた
「え?」
つ~かま~えた!
呪いが宣言した瞬間、凛花の腕は液体のように形を失い、うねうねと呪いの口の中を目指してうごめいた。もう少しで吸い込まれそうになったとき、その液体を、アイナメが掴んで引っ張った。
すると、腕はすぐに形を取り戻した。凛花の腕に、特に違和感はない。
何が起こったか分からず、凛花が放心していると、呪いが叫んだ。
い~けないんだ、いけないんだ!
それは子供が先生に言いつけるときによくきく言葉だった。その言葉、呪いは繰り返す。
あまりのうるささに凛花は耳をふさいだ。
その瞬間、体が後ろ、呪いとは逆方向に引っ張られた。
引っ張ったのはアイナメだった。
アイナメは凛花の体を担ぎ、一目散に逃げた。
「瞬きをするときは片目ずつっていうのを忘れてた。ごめん、言葉足らずだった」
その言葉で、凛花は何が起きたのかなんとなくわかった。
おそらく瞬きをした瞬間の一瞬のうちに、呪いは私の腕をつかんだのだろう。
あの一瞬で。
「うそでしょ、、、」
しかしその事実は凛花にとっけ受け入れがたく、思わずそうつぶやいていた。
「あの呪い、やっぱり遊んでた。あんな速く動けるくせに」
アイナメはそう愚痴った。
後ろからあの呪いが追ってくる様子はない。しかし、光る弾が何発も二人にめがけて飛んできている。
「アイナメ、さっきみたいにこれ、消せないの?」
アイナメの固有回路は『無効化』。自分の固有回路以外の回路を無効化するというものだ。
体育祭前の作戦会議のとき、凛花、アイナメ、アカネハナは互いに自身の固有回路について話し合っていた。
「私が無効化できるのは『回路』。あれはただ呪力を飛ばしているだけだから無理」
不意に、アイナメの足が止まった。それと同時に、あれだけとんできた呪力の塊がぴたりとやんだ。
「逃げ切れたの?アイナ、ッ!」
そこまで言って、凛花が言葉を止めた理由は、アイナメを見ようと顔を上げたその先に、あの呪いが立っていたからだった。
「くり返し型の結界ッ!」
アイナメは何が起きたのかを察し、悔しそうに叫んだ。
力を逃げることだけに使っていたのがあだとなった。
「キャッ!」
アイナメに向かって、呪いの強力な拳が飛んでくる。アイナメは大きく後ろに飛んで、それを回避した。急激な動きに、凛花は思わず声を出してしまう。
アイナメを仕留めそこなった拳が地面を殴り、ドン!!!という低い音を結界、廊下中に響き渡らせた。
「ヒッ」
凛花はその鈍い音に慄いた。
結界は、基本的に術者の攻撃によって壊れることはないが、本来破壊に使われるはずだったエネルギーが音エネルギーや熱エネルギーに変化するので、あのパンチがどれほどの強さなのかはアイナメは瞬時に理解した。
(防御していたら、下手をすれば凛花ごとつぶれていたかも。しかもこの呪い、結界の壁を自在に変えられる!)
大きく後ろに飛ぶことで、結界の縁から縁に瞬間移動して逃げようという目論見は失敗に終わった。
しかしがっかりしている暇も、次の時間稼ぎの方法を探す余裕もない。
そんな暇は与えまいと、呪いは次々に攻撃を繰り出す。といってもほとんどパンチか踏みつぶし、たまに呪力の放出。アイナメの固有回路を理解しているような戦い方だ。
(ただでさえ魂力は慣れていないのに)
学校では習うし、入学する前から存在自体は知っている。しかしどうしても魔力や体力のほうが使い慣れているので魂力を使おうとすると、無駄が大きい。無理に使えば余計な疲労が蓄積され、助けが来る前に死んでしまう。
死は怖い。だからこそ、冷静にならなければいけない。幸いにも、凛花は無理に暴れず、小さくなって怯えているため動きやすい。
アイナメが攻撃をかわし続けていると、ある違和感を覚えた。
(もしかして、、、)
アイナメは、自分の裾をつかんで怯えている凛花を呪いの後ろの方に投げた。
「えっ?」
そんな小さな声が凛花の口から漏れた直後、その体は廊下に打ち付けられた。
「なんで?」
訳も分からず呆然とする凛花。本来ならば死の直接的な原因にもなるその行為を呪いは歯牙にもかけない。
「やっぱり!」
アイナメは賭けに勝ったと確信した。
「凛花!」
「は、はい!」
呼ばれた声の大きさにつられ、凛花の返事も大きくなる。
「この呪いは私を標的にしているみたい!だから私がおとりになるから、あなたは逃げて!」
「えっ?!で、でも、」
正直、逃げられるのなら今にも逃げだいたいと凛花は思っているが、アイナメを置いて逃げられるほど、薄情ではない。
「ア、アイナメは?!」
「私は大丈夫!」
アイナメは攻撃をひらひらよけながら返事をした。
「それより!あなたの右手に私の固有回路を付与したから!」
凛花が右手を見ると、魔法陣が浮かび上がっていた。
付与。やり方としては、付与の魔法陣を展開し、そこに魔法、魔術を撃ちこむ。魔法の部分は魂術、魂法、体術、体法、ただの力の塊、要するに力由来ならば何でもいい。再び使うときは付与の魔法陣を解除する。そのときに至高性を持たせないと自分に来るので注意。学校で習ったことはざっくりこんな感じだった。厳密には付与ではなく封じ込めといわれるものだが。
「結界の前でほどいて!外に出たら先生に連絡して助けに来て!」
魔法は魔力、体術は体力、魂術は魂力でないと、対抗はできない。できてもちょっと押しのけるくらいだ。だから呪術は防御魔法では防げないし、体力を使った体術では、呪い、呪霊の体にかすり傷一つつけられない。アイナメはそれを利用した。
アイナメの固有回路『無効化』は、自身の回路以外をすべて無効化させる。それを今回、稚拙ながら、魂力を用いて発動させた。当然、付与魔法は無効化されない。
この付与魔法のすごいところは、魔法で発動させようが魂力で発動させようが、付与できるものにほとんど差はないというところ。こういった力に左右されない術はものすごく便利なので、多くの研究がされている。
今、凛花の右手には、魂術の無効化が付与されている。当然結界は魂術。
しかし凛花はそれを理解していない。
「わ、わかった。すぐ戻る!」
凛花はアイナメのことを信じることにした。おそらく、私がいても足手まとい、私だけは逃げられる、先生を呼べば、何とかなる。わからないなりに、それだけは理解したようだ。
そうして凛花は駆けだした。アイナメと呪いを背にして。
走って走って走って、右手を突き出して。アイナメを助けるために。
しかし、凛花とアイナメは、致命的なミスをしていた。
凛花が走り続けていると、遠くに何かが見えてきた。
「あれは、、、え?」
はっきりと映ったそれに、凛花は絶望した。
それは呪いとアイナメの姿だった。
「なんでっ、戻ってきたの?!」
こちらに気付いたアイナメが驚愕する。呪いの攻撃を捌くのに疲れてきているのか、息切れしているようだった。
「戻ってくるつもりはなかった。けどいつの間にか」
「結界のっ、縁でっ、魔法陣を解かなかったの?」
「結界の縁ってどこ!?」
その言葉に、凛花とアイナメは同時に気付き、絶望する。
二人はそもそも呪いを感知しきれない。強力な攻撃ならいざ知らず、呪いという、呪術の達人のはった結界を感知することは、魂力をまともに習い始めて数ヶ月の素人には無理だった。
「くっ!」
一瞬のスキが、致命的になる。アイナメは呪いに殴り飛ばされた。凛花とアイナメの間には、数メートルほどの距離があったが、アイナメは易々と凛花の元まで飛ばされた。
凛花はなんとかアイナメをキャッチするが、とんできた勢いに押され、思いっきり後ろに転んでしまった。
「う、うう、、」
「ひっ、、、」
アイナメの腕は変な方向に折れていた。おまけに赤黒く変色している。
呪いは文字通り、呪力によってできている。だから魂力由来以外の力によるダメージはほとんど受けない。しかし生物は、魂力を含め、様々な力からできている。したがって、呪いは人間に強力な一撃を打ち込めるが、普通の人間は呪いにカスみたいなダメージしか与えられない。
「ど、どうすれば」
目の前での友人の破壊は、凛花の心を折るのに十分だった。
呪いは余裕しゃくしゃくと近づいてくる。
アイナメはなんとか立ち上がり、凛花をかばいながら構える。
凛花はただ、目に涙を浮かべ、座り込んでいた。
「ん?」
だから、先に異変に気付いたのはアイナメだった。いや、もっと正確に言うなら気づいたのは呪いだ。
呪いは、アイナメではなく、凛花でもなく、ただ二人の向こうを見ていた。
そして、アイナメにはニヤッと笑ったように見えた。
その証拠に、
キャハハ!アハハ!
呪いは笑い始めた。忌まわしいあの笑い方。
流石に凛花も異変に気付き、顔を上げた。
顔を上げれば、呪いとアイナメはそろって凛花の後ろを見ている。
凛花もつられて後ろを振り向いた。
凛花が見たのはとても可憐な女性だった。
黒曜石よりも黒い髪、スラっとして見えるのは背が高いからだろうか、アイナメよりも頭一つ高いように見える。顔もモデルのように整っており、その血色の良い肌には、シミ一つ見つけることができない。服装は、皆と同じく体育着。この学校の体育着は、伸縮性、通気性に優れており、肌触りもいい。それこそ、寝起きの凛花が違和感を感じなかったくらいには。しかしだからこそ、その豊満な胸がよく目立つ。それを惜しまず、見せつけるように堂々としているのも、目立つ要因の一つではあると思うが。
「あ、あの、ここは危ないので逃げてください!」
一瞬見とれていた凛花だったが、今の状況を思い出し、すぐに女性に警告した。
「いや、あの人は―――」
なにして遊ぶ?
影くいごっこ!!
アイナメの言葉にかぶせるように呪いが例の言葉を発した。
そして目にもとまらぬ速さで女性のもとに駆けよった。
何かを考える時間すらない、瞬きの間に、女性と呪いの距離はほとんどゼロになった。
影くっ―――
「ガキの遊びに付き合うつもりはねえ」
音速を超えていると思えるほどの高速移動ができる呪いの一歩。その刹那の間に、そのやり取りは交わされた。
直後、パンッという高い音が鳴り響いた。何かをたたいたようなそんな音。
凛花を思わず体をこわばらせ、目を閉じてしまった。しかしそれは一瞬で、凛花はすぐに目を開いた、呪いと女性を見た。
そのときにはもう、呪いの頭部はなかった。
後ろで、ゴンゴロン、という音が聞こえた。
振り返れば、見失った頭部はそこにあった。
ア、ア、、、
頭は壁際で止まり、徐々に煙となって消えていった。
女性のほうを再び見ると、呪いの体のほうも半分ほど消えており、女性の顔が見えていた。ごみを見るような、そんな目が見える。
口は、八重歯が見えるくらいに大きくへの字に曲がり、眉は中央によって、顔は少し斜め上を向いている。なのに見ているのは下のほう。わかりやすく見下している。
その表情は、美人な人、という評価から、猛獣という評価へ変えるには十分だった。
そして手には先ほどの高音を鳴らした武器が握られていた。
「ハンカチ?」
凛花が困惑したようにその物の名前をつぶやく。
凛花は元の世界の部活動で男子がやっているのを見たことがあった。
一枚のタオルの端と端を両手で持ち、利き手を前、逆の手を後ろにし、タオルを前後に思いっきり引っ張り、後ろの手を離す。前の手は依然力を入れているので、タオルはゴムのように勢い良く前に行く。といってもしょせんタオルの張力、弾性力などたかが知れているので、当たったところで目にさえ入らなければどうということはない。それよりも顔の直前で前の手をこれまた勢い良く引くと、パンっと高い音が出る。いわば道具を使った猫騙しだ。
しかし、彼女の行ったことは違う。彼女はハンカチという小さく、軟弱なものを、鞭として使い、あの呪いの頭を一撃で吹き飛ばしたのだ。
「ありがとうございます」
アイナメはそう言って頭を下げた。
それを見た凛花も、慌てて頭を下げる。
「あ、ありがとうございます」
そこで凛花は違和感に気付く。
立ち上がれないのだ。
「凛花、大丈夫?」
「・・・腰、抜けちゃったみたい」
自分はアイナメにおんぶに抱っこされていただけなのに、腰が抜けるほど怖がっていたことに、情けなさを感じ、それと同時にあの化け物に一歩も引かず、対峙していたアイナメと、あれを一撃で倒した目の前の美人に少しの尊敬の念を抱いた。




