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2話 出奔

 光徳に連れられて向かった先は、かつて処刑場として利用されていた河原であった 国全体が割拠し、荒れていた時代は、ここて多くの人間が露と消えたという。

 しかし近代に入り、国内の戦乱その物が過去の話になると、斬首刑も廃れて行った。苦痛を感じる暇も与えず、一撃で首の骨を断つ事の出来る処刑人としての剣術を使える人間は数少なくなっている。そして、光徳はその一人であった。

 律はひなたを抱き変えたまま、地面に正座する。視線は目の前に流れる河へと向けられていた。

 太刀を抜いた光則が背後に立つ。


「······よろしいのですか?」

「未練が無いといえば嘘になります。が、こうなっては是非もありません」


 光徳の問いかけに律は振り向きもせずに淡々と答えた。


「この子の命を救えぬというならば、せめて共に死んでやる事位しか私には出来ません」

「何か要望はございますか?」

「痛みが無いようにお願いします。私はともかく、この子には」


 ひたなは律の膝に抱き抱えられたまま、不安な表情を浮かべていた。 はっきりとは分からなくても、これから自分の身に起きる事柄に関して、ようやく不安を覚えつつあるらしかった。


「心得ました。それでは失礼致します」


 光徳が太刀を振り被る。律は目を閉じて最期の瞬間を待った。

 ヒュンッ! と、太刀が風を切る音がした。

 だが、いつまで経っても律の首に刀は飛んでこない。

 律がゆっくりと目を開けると、太刀の鋒は律の首に触れる寸前で止まっていた。

 

「……光徳殿?」

「今、この瞬間、某の知る律様とひなた様は死に申した。間違いなく某が斬りました」

「どういうつもりです?」

「お逃げなされ」

「……今、なんとおっしゃいました?」

「逃げろと言ったのです。お急ぎなされ。時間がかかり過ぎれば怪しまれます。 一刻も早く氷陣家の領内から脱出するのです。他の四雄家の土地に逃げ込むのが良いかもしれません。 そこであれば厳康様とはいえ迂闊に手出しできませぬ。」


 光徳は太刀を収めると、懐から財布を取り出すとそのまま律に渡す。


「少ないですがそれを路銀としてお持ちください。それとこれを」

「それは・・・・・・!」

 光徳が差しだして来たのは、己の腰に差していた太刀であった。とある高名な刀鍛冶によって打たれた物で、刀身が白く光輝いてるように見える事から「白光(びゃっこう)」と名付けられた名刀だ。剣の道を志す者ならば、一度は手にしたいと思わせる逸品であった。


「受け取れません! それは光徳殿が何より大事にしていた宝のはず! それに、私には剣は振るえません!」

「ならば、質屋に渡して路銀の足しにでもして下され。多少の金にはなるはずです。 もしくは」

 

 光徳はチラリと律に抱き着くひなたを見た。


「いつかひなた様が剣を握る日が来たら、これをお渡し下さい」

「・・・・・・何故、そこまでして下さるのです? もしも露見すれば貴方も」

「構いませぬ。もう十分生きました故」


 律に抱き着いていたひなたが、よちよちと光徳の元へと歩み寄る。


「じいじ」

「ひなた様」


 ひなたの祖父、先代の当主は10年も前に既に世を去っている。ひなたにとって光徳は異母兄と並んで自分を可愛がってくれる存在であり、実の祖父の様な存在であった。

 光徳は寂しそうな笑みを浮かべながら、ひなたの頭を優しく撫でた。


「ひなた様が成長し、剣を握る姿を一目見とうございました。が、残念ながらそれは叶わぬようです」

「光徳殿・・・・・・」

「さ、お行きなさい! お二人に幸があらん事を!」

 

 律は一度頭を深々と下げた後、ひなたの手を引き駆け出した。



「・・・・・・盗み見は感心しませぬぞ、若」

「すまん」


 律とひなたが駆け出して、光徳の視界から見えなくなった後、背後の茂みから尊が姿を現した。


「二人とも行ったか」

「ええ。それでどうされますか?」

「何がだ?」

「某を手討ちになさいますか?」

「馬鹿言え。お前には俺がそこまで薄情に見えるか? 」


 尊の返答に光徳はふふっと笑いを漏らす。


「礼を言う。本来ならば俺がしなくてはならん事だ」

「それはなりませぬ。若は氷陣家の後継ぎです。万が一腹を斬る様な事があってはなりませぬ。」

「しかし・・・・・・」


 尚も言葉を紡ごうとする尊を光徳は押しとどめる。


「死ぬのは老いぼれからで良いのです。もし若が死ぬような事があれば、後を継ぐのは貞義(さだよし)様になります。が、貞義様にその様な器はございません」

「はっきり言うな、お前も」

「貞義様の側に仕えているのが辰吉(たつよし)なので、尚更です」


 氷陣貞義は氷陣家の次男で六歳年下の尊の実弟だ。そして、その側近として仕えているのが周防辰吉であり、光徳の息子であった。明朗で周囲の人望も厚い尊とは逆に、常にどこか陰気な雰囲気を漂わせている男であった。


「貞義はともかく、辰吉は自分の息子だろう。もう少し信頼してやってもいいんじゃないか?」

「実の息子だからこそです。あれに剣の才能はありませんが、多少頭は回るせいで無駄に策謀を好みます。 それ故に貞義様との相性は抜群です。 無論、悪い意味でですが」

 

 歯に衣着せぬ物言いに尊は苦笑する。光徳は昔から相手が世継ぎの自分であろうと、主君である厳康であろうと自分の思った事ははっきりと口にした。だからこそ、同時に信頼も厚いのだが。


「俺がここに来る際も背後は確認していたが、父上の手の者が追って来た気配は無い。つまり、あの二人が生きているのを知っているのは俺とお前だけだ」

「はい。某は今回の件は今後一切口に出さず、墓まで持っていきます。万が一露見した場合は、全ての責任を某に押し付けなさいませ」

「おいおい、それはいくら何でも」

「何と言われようと、生き飽いた老人の命一つで済めば安い物です。後継ぎである若と、たかが武芸指南役の某の命とでは価値が違い過ぎます」

「そういう言い方は好きじゃないな。 俺は」


 光徳から見れば、尊は頭の良さも人望も人格も申し分無いが、氷陣家の後継ぎとしては優し過ぎる面があった。上に立つ者は優しさだけではなく、時には冷酷さも必要だという事を光徳は嫌と言う程知っている。だからこそ同時にこの後継ぎの持っている優しさが好きでもあった。


「甘すぎますな、若は」

「主君に処刑を命じられた人間に、路銀まで渡して逃がした人間に言われたくないぞ」

「フフッ。 ごもっとも」

 

 光徳が笑う姿を見て、釣られるように尊も笑った。


 その後、光徳は屋敷で厳康に二人の処刑の完了を報告した。厳康は一言、「ご苦労」と言っただけで、それ以上は何も言わなかった。彼なりにうしろめたさは感じていたのか、それとも「光徳が自分の命令に違う事などあり得ない」という絶対的な信頼の表れか。

 何にせよ、二人の亡骸を確認せよとの命令も出される事は無く光徳が逃がした事が露見する事はなかった。それから五年後に光徳は世を去るが、律とひなたを逃がした事は一切口に出さず、誰に知られる事も無く、この事を知るのは長男の尊ただ一人のみとなったのである。

 

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