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日本民族防衛戦線

作者: 鈴木美脳

 日本の若者には民族主義がわからない。愛国心や国家主義がわからない。

 過酷な国際的競争の中で日本がこれまで持っていたものを今後失っていくことのやばさがわからない。

 日本列島に居住して日本語を話す者達が地政学的に共有する利益を防衛する必要性がわからない。

 民族の利益のために戦うべきことがわからない。

 日本民族防衛戦線と呼ぶべき組織活動の必要性がわからない。

 だから、年寄りがやるしかない。


 日本の若者には民族主義がわからない。

 日本列島という規模において日本政府を中心として連帯する現実味を感じえない。

 彼ら彼女らは企業から酷使され、大企業の幹部や政府をむしろ恨んでいる。

 日本の若者は上級国民の不幸を望んでいるし、国や高齢世代から愛されていると感じていない。

 しかしそれは、愛国教育を禁じれば愚民化政策は成功するという占領軍の意図に沿っている。

 権力は悪だと考え自己愛を優先する世界市民主義に染められている。

 連帯して利益を守るための知的能力はゼロにまで愚民化させられてしまっている。


 諸外国は各々の利益ために日本人の統合と利益を破壊しようとする。

 外交の表面には偽善があっても実態は支配するかされるか、食うか食われるかが人間の生態系だ。

 パワーバランスが第一原理だ。だが日本人は核武装すら指向しない。

 核武装を真剣に模索する見識すらない者達に、他の何かが妥当に行えているはずもない。

 根本的なところで永遠に利益を搾取されつづける構造を問題視すらできていない。

 ゆえに奴隷化は進行しつづける。愚民化政策として模範的な成功例だ。


 日本列島に住む人々の合理的な連帯を破壊してきたのは、米国を始めとする戦勝国だ。

 その意味で最大の力は最大の悪であって、ユダヤマネーと米軍の軍事力は第一の攻撃目標だ。

 そしてその力の源泉には、国土と人口と知能と技術がある。

 テックジャイアントのソフトウェア・テクノロジーこそが第一の攻撃目標だと言うこともできる。

 逆に、技術的蓄積と優秀な脳の個数で劣位に立てば、他の資源があっても諸外国には絶対に勝てない。

 老人の利益のために若者に医療や介護のスキルをつけても、何も生まない。

 福祉は今の人間のための贅沢であって、集団の明日のためには何も生んでいない。


 米中の名門大学とテックジャイアントが形成するソフトウェア・テクノロジーに、日本の才能は挑戦できない。

 巨大な国家主義的な戦略的意図と莫大な設備投資を伴ったそれに日本の個人は挑戦できない。

 しかし、愛国心のない技術立国には戦える力がないから、投資は紐つきでなければ意味がない。

 数多の私立大学に外国から訪れる留学生のために金を撒いたところで意味がない。


 つまり、愛国心のない売国奴という表現は、予算の会議において最大の侮辱として成立しなければならない。

 しかし、戦後の会議でそんな表現を用いれば、戦前に共感を寄せる気違いと見なされて排除されるだけだ。

 日本の運営について権力を持つ上級国民は事実上すべて、愛国心のない売国奴だ。

 だから、占領軍の意向に沿った中央政府とは別に、日本民族防衛戦線は組織されなければならない。

 愛国心のない売国奴という表現が、最大の侮辱として成立する空間がそこに作られる。

 日本人は日本の若者の利益を守らねばならない。

 私達は、日本の政治に対する発言権を求めつづけねばならない。


 特別な新技術を開発して米軍を一夜にして壊滅させることはできない。

 特別な新技術を開発して日本の上級国民を一夜にして皆殺しにすることはできない。

 日本という構造の上層が日本の庶民の利益を外国のために売却する構造は、少しずつ修正されねばならない。

 日本の教育を一夜にしてあるべきものに一新することはできない。

 日本のマスコミを一夜にして一新することはできない。

 すべてはパワーバランスであり、私達は私達の発言権とプレゼンスを一歩ずつ獲得していかねばならない。

 法律は秩序と支配者の利益のために偏っているから、手段は合法的でも違法的でも構わない。

 違法な行為を行った個人や組織は叩き潰されるが、看板は何度掛け変わっても構わない。


 日本民族防衛戦線は、日本列島に生きる人達のためのレジスタンスだ。

 日本の国土から生まれる利益は、その国土を持続的に整備してきた日本人の手に落ちるべきだ。

 だから私達は支配を拒絶するし、日本人のための日本政府を要求する。

 政府がする諸政策がなぜ日本の庶民の利益に適っているのか、常に十分な説明責任を要求する。


 ただし、そこには一つ前提がある。

 日本列島に住む人々が利益を守るためには、民族主義という連帯が必要だという考えを前提する。

 それは自然な民族主義であって、血統主義や排外思想を含む。現実はいくらか排外的だからだ。

 血統主義や排外思想を排した世界市民主義は、偽善者の自己愛のためにある。

 世界市民主義は個人主義であって、客観的な実態はモラルのない利己主義に終わる。

 共産主義思想は、邪悪なる権力という永遠の仮想敵を追い求め、自分を無垢に美化しつづける。


 しかし、日本の若者には民族主義がわからない。

 すでに徹底した愚民化政策の中で世代を重ねたから、日本人には民族主義はわからない。

 日本民族防衛戦線は、日本の庶民から支持されない。

 日本人の利益のために真に努力する者は、日本人から報われない。

 負けた戦争ために死んでいった者達が、今も敬意より嘲笑の的にされるようにだ。


 だから私達は、庶民を信じているわけではない。

 だから昔から、テロリスト達は会社員達を憎んでもきた。

 フィールド・ニグロ達はいつだって、ハウス・ニグロ達を信用せず蔑んできた。

 体制に逆らう弱者の男達は、生活を優先して力に媚びる女達を蔑んできた。

 志ある奴隷達は、奴隷達の手によって殺されてきた。

 ゆえに、権力だけを憎むことでは、正義を語ることはできない。

 利益のために連帯を指向する者達は、大衆の利益のために大衆の愚かさを否定せざるをえない。


 それは、社会的な知性が必然的に含むことになる葛藤だ。

 それはつまりは、大域最適性と局所最適性の間にある葛藤だ。

 ある正義が実現しないとは、人という動物の知能がその程度のものだったということだ。

 だから、日本民族防衛戦線は、民族主義一般の支持者でもある。

 愛国者は古来、敵国の愛国者に敬意を持つ。どんな庶民よりも心通じ合う。

 そこで共有される価値観に、人の心の正義はある。

 すなわち、真の利己主義は集団主義に、真の集団主義は普遍的な倫理主義に開いている。

 賢い人は十歳でこれがわかるし、そうでない人は百歳になってもわからない。


 先人が若者達のためにいくら戦う背中を見せても、民族主義は伝わらない。

 優れた先人はいくらでもいたが、戦後の日本人は民族主義者として劣化しつづけてきた。

 金銭や学歴を権威として仰ぐまでに日本人の知能は劣化してきた。

 だから、私達は私達の説明責任を果たさねばならない。

 私達は第一に、民族主義を語らねばならない。


 祖先の人格を継承し、日本人として恥ずかしいことは行わない。

 ただそれだけの意識で、常に最高の結果はもたらされる。

 祖先からの愛情に感謝する本心から、我慢なく倫理的に振る舞ってこそ、真に倫理的になる。

 その謙虚さのためには、祖先や日本という概念は美化するに値する。

 そして、歴史的な民族文化を美化することがまったくの嘘にはならない日本人という人種は幸運だ。

 歴史的な精神規範は存在して、日本人の子はそれを守り育てればいい。

 私達が防衛すべきものは、主観的には、利益というより心だ。

 日本人としての誇りを持つことを通じて、良心ある人はすべて家族になる。


 家族とは血ではなく心だ。

 誇り高い人間だけが愛情深い。

 そして、日本人が日本の国土で歴史的に育んできた心には、精神規範としての普遍的な価値がある。

 しかしその精神的美徳を守り育てるためには、血縁的近縁性や国家的単位にもこだわらねばならない。

 なぜなら、現実は力の対立であり、そこにおいて集団的な連帯は欠かせないからだ。

 隣人を守るために汗も血も流せない者達が世界市民的な美徳を説いても偽善にしかならない。

 血に固執する者は心に固執するし、心に固執する者は血に固執する。

 外国から流入した汚い偽善は、この日本列島にはいらない。だから私達が排除する。


 それだけの視野を備えた民族主義を、どんな愚か者も論破はできない。

 そんな構造は、日本民族防衛戦線の礎に値すると私は思う。

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― 新着の感想 ―
[一言]  今の若い人には愛国心を考える以前の問題として挙げられるのが、 ・過去の戦争全てを肯定する話ばかりの壺も含めた似非保守の問題 ・過去の戦争全てを否定する話ばかりの野党や親隣国派宗教の問題  …
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