フェリアス教の影
第五文明圏。
この文明圏は南北で文明レベルの幅が非常に広いことでも知られており、その中核となっているメーデル大陸の大きさは8000万平方キロメートルと、地球のユーラシア大陸の総面積5492万平方キロメートルを大きく上回っており、その大きさは現在この世界で確認されている9つの大陸の中でも2番目(一番はこの世界の南極にあたる氷河大陸)に大きい。
そして、特に文明が発達している大陸南部は地球で言うところの16世紀頃の文明レベルであり、その中で最も発展しているアルメディア王国などはガレオン船、鉄砲(火縄銃)、大砲などの兵器を保有している。
しかし、大陸南部の国々はその殆どが人族至上主義を掲げる国家であり、亜人に対する視線は厳しい。
その為、当然の事ながら亜人を中心とする第六文明圏の国々は彼らに対して強く反発しており、それが原因で現在、第五文明圏南部と第六文明圏はほぼ国交断絶状態となっている。
だが、一方で前述したように貿易や民間人レベルでの交流は行われており、両者は全く顔も姿も見ないという訳ではなく、大々的ではないものの、それなりに交流は行われていた。
そして、日本皇国もまたいずれはこの大陸と接触する事を考えており、その為の情報収集を行うために人手を現地へと派遣している。
──しかし、その派遣された人員はアルムフェイム大陸のような民間人ではなかった。
◇西暦1946年 8月23日 深夜 第五文明圏 メーデル大陸南部 某森
晩夏の夜。
“皇国”本土と殆ど変わらない緯度に存在するこの地域は第六文明圏程ではないものの、この時期だとかなり蒸し暑く、森では皇国の甲虫のような虫を始めとした夏に活動する虫達が活発に動いている。
──そして、そんな中、人気のないとある森の奥地では複数の“黄色い肌”をした男達が集まり、ある話し合いを行っていた。
「皆、任務の方はどうだ?」
「思ったより上手く行っております。“この世界”の住民はその殆どが白人らしいと聞きましたので、この世界でも人種差別が有るのかと思っていましたが、あまりそういうのは有りませんでしたな」
リーダーらしき男の言葉に対し、一番手前に居た部下の男がそう答える。
そう、『この世界』という言葉が会話の中から出てくることからも分かるように、彼らはこの世界の人間ではない。
そして、この世界には皇国以外に異世界から転移してきた国家は存在しておらず、その意味が表すのは彼らは皇国の人間であるという事実だった。
「油断するなよ。白人系の連中と違って我々の肌の色は珍しいから奇異の目で見られることも多い。下手なことをすれば、一気に排斥されるぞ」
「分かっております。我々は栄光ある帝国、いえ、皇国海軍から選別された精鋭です。そんなへまはしませんよ」
「その通りです。少なくとも海軍特殊工作隊の名に泥を塗るようなことはしません」
慢心を戒める為に発したリーダーの男の言葉に対し、男達は口々にそう断言する。
日本皇国海軍特殊工作隊。
アメリカ海軍の特殊部隊であるネイビーシールズを参考にして西暦1934年に創設されたこの部隊は日本海軍が保有する唯一の特殊部隊であり、歴史は浅いものの第二次世界大戦では多大な戦果を挙げてきた。
しかし、その戦果に相応して損耗も多く、また陸軍と違って特殊作戦に従事できるような人員がそれほど多くなかったことから補充される人員もあまり質が良くなく(それでも一般部隊の兵士よりは練度は優れていたが)、戦争末期には大分部隊全体の質が『一般部隊よりは強い』という程度にまで落ちてしまい、転移後に実戦に出ずに訓練に集中させたことによって練度“だけは”元の状態に近くなっていたものの、経験という意味では圧倒的に不足しており、部隊全体の質は戦前にはとても及ばない。
そして、今回の彼らの主な任務はメーデル大陸南部での情報収集なのだが、部隊の経験不足と白人社会で工作活動を行うという難易度の高さを懸念した海軍上層部は潜入部隊を特殊工作隊とは別に、海軍に所属する白人の混血(つまり、ハーフやクォーターなど)の人間を何人か選別して編成し、このメーデル大陸へと潜入させていた。
この世界の日本は多民族国家であり、黄色人種系は勿論の事、白人系の人間も少なくない数が存在している為、軍の方にも白人のハーフやクォーターといった人間はそれなりに居るのだ(流石に純白人は居ないが)。
その為、今回の任務ではうってつけの人材であると判断されて潜入部隊として登用されたのだが、それとは別に特殊工作隊を潜入させたのには理由がある。
政府上層部(転生者含む)はこの世界の人間の殆どが地球世界で白人系の肌をしていると聞いた時、1つの疑問を抱いた。
白人が殆どの世界に黄色人種が中心である我が国が割って入ったらどうなるのか、と。
なにしろ、地球世界ではあれほど肌の色で対立(差別ではない)していたのだ。
この世界では人族の敵意の対象は亜人に集中しているようだが、地球世界でのトラウマもあって日本政府はその視線が自分達に向く可能性を払拭出来なかった。
流石に今回の世界では世界の殆どの国を敵に回すという事態は避けたかった為、黄色人種が世界に入ったらどうなるかを事前にある程度精査する必要があり、その為の実験台として彼らはこのメーデル大陸に潜入することになったのだ。
都合の良いことに、このメーデル大陸南部は日本本土から5000キロ以上(大陸北部からは4000キロ程)離れており、しかもその間には中継する島も存在しない(正確には存在はしているが、第六文明圏よりの位置に在り、島民も居るために容易に手は出せない)。
なので、“何か”有ったとしてもすぐに戦争状態に陥ることはないという計算もあり、彼らの潜入任務は実施されることになった。
ちなみに潜入したのが陸軍の特殊作戦隊(西暦1916年創設)ではなかったのは、任務地があまりにも遠すぎて所属組織である自分達が行える支援が殆どないと陸軍が派遣を渋ったからだったりする。
「よろしい。では、成果を報告してくれ」
「はい。まず魔法についてですが、どうやらダークエルフの話はだいたいは本当のようです」
部下の1人が代表する形でそう言いながら、リーダーの男に情報収集の結果を報告する。
前述したように、この地に派遣された人間達の主な任務は情報収集であったが、その中で彼らが担当していたのはダークエルフの話の裏取りだった。
ダークエルフと出会って以降、日本皇国は彼らからこの世界についてだいたいの事を教わっている。
しかし、まだ出会ってから1年足らずの相手の言うことを完全に鵜呑みに出来る筈もなく、日本皇国中央情報局は独自に情報収集を行い、ダークエルフの話の裏取りを行おうとしていた。
彼らがこの大陸に派遣されたのもその一環で、比較的手に入りやすい情報の裏を取ることでダークエルフ達が言ってきた情報と照らし合わせようと考えたのだ。
「“だいたい”ということは違う情報が有るということか?」
「いえ、正しくは連中が知っていた筈なのに言わなかった情報です。この世界の我々のような存在、つまり、人族の魔法使いが女の方が圧倒的に多いのは知っていますよね?」
「ああ、それはもちろんだ」
部下の言葉をリーダーの男は肯定する。
この世界では魔法の源である魔力こそ皇国人を除けば全ての人間が持っているものの、そこから実際に魔法が使えるのは全人口の1割(10パーセント)程と、全員が使えるわけではない。
もっとも、この1割という数字はあくまで自力で魔法を使える人間という意味で、魔法杖などの魔道具を使えば自力で魔法を使えない人間でも──魔力を持ってさえいれば──魔法を使うことは可能だ。
もっとも、そういった魔道具は高い値段と技術を必要とするので、簡単に手に入りはしないのだが。
さて、話を戻すと、前述した自力で魔法が使える魔法使い(魔導師とも言う)の男女比率は大きく片寄っており、3・7と女の方が倍以上多い。
加えて、使える魔法も男女で違い、男の魔法使いは身体・物体強化などの直接戦闘に関わる魔法なのに対し、女の魔法使いは魔女と言われていて、空を飛んだり水上を滑走したり水中に潜ったりする補助系の魔法を使うが、どうやら魔女という存在は世界が変わっても嫌われる運命らしく、使える魔法の中に洗脳系のものが入っていた事によって人々からは忌み嫌われている。
・・・ここまではダークエルフからの説明と自分達の裏取りで一致している情報だ。
しかし、この話には続きがあった。
「どうやらその魔女。中世の魔女狩りのように処刑されるのではなく、捕らえられた後はフェリアス教という宗教団体に売られていくケースも多いようですね」
「フェリアス教?確かダークエルフを迫害する原因となっている宗教だったな」
「はい、なんでも経典の中に魔女の汚れは幼き頃より教会が落とし、聖女とするというものがあるらしく、魔女が身内に居るのは外聞が悪いと考える王族・貴族などでは生まれたばかりの魔女の娘を教会に出向させる例が多いようですね。そして、聖女として帰ってくる頃には敬虔なフェリアス教の信徒になっているとか」
「・・・ようは自我が確立していないうちから洗脳しているということか。しかも、そういった高貴な子女を敬虔な信徒とさせることで王族や貴族への影響力を高めていると。しかし、さっきお前が言った売られているというのはどういうことだ?」
だいたい想像はついていたが、その想像を否定して欲しかったリーダーの男は、敢えて部下にその点を指摘する。
しかし、現実は非情だった。
「その・・・どうやら教会は貧しい人達から魔女を引き取っているようです。魔女に呪われた貧しい人達に施しと言ってお金を与えて」
「・・・」
「それから、フェリアス教を信仰している王族や貴族の中では聖女を娶った者には神からの祝福が行われるという言い伝えが有るらしく、教会は引き取った魔女達の内、特に見目の良い者を聖女として、教会に寄付をした王族や貴族に娶らせているようです」
「もういい。分かった」
言い方は誤魔化されているが、やっていることは人身売買だ。
この事はすぐに本国に報告しなければならない。
そう思ったリーダーの男だったが、そこであることに気づく。
「しかし、そんな話を何処で聞き付けたんだ?我々は目立つから簡単に手に入る情報しか集めなくて良いと命じた筈だが?」
「はい。ですから、その・・・この情報は一般の民層でも知っている情報でして」
「嘘だろう!?」
リーダーの男は思わず叫んでしまう。
なにしろ、この情報は少し考えれば人身売買であるということは学のない人間でもすぐに分かる。
こんな犯罪的な事が“裏の世界”ならともかく、民層に広まるほど表沙汰になっているということがリーダーの男には信じられなかった。
「それで民衆はフェリアス教に対して何も思わないのか?」
「いえ、むしろ、貧しい人間が高貴な人間に娶られる良い機会だと思われているようです。加えて、魔女はそもそも嫌われていますので、逆に玉の輿に乗ったと忌々しそうに吐き捨てる者も」
「・・・つくづくこの世界の価値観が皇国、いや、元の世界とは違うということを思い知らされるな」
リーダーの男はそう言いながら、ダークエルフが何故この事を話さなかったのか、朧気ながら分かってしまった。
第一文明圏とやらに総本山があり、この世界の殆どの国々が国教としているというフェリアス教はこんな堂々とした人身売買が良しとされるほど、権威が強い。
それこそ皇国が敵にしたいと思わない程には。
おそらくダークエルフ達は恐れたのだろう。
皇国が彼らと戦うのを避けるために一族を差し出すといった事態になるのを。
だからこそ、ダークエルフ達はフェリアス教に関する情報提供を必要最小限とし、日本皇国が真相を知るまでに稼いだ時間で日本という国家との癒着を進め、その存在を定着化させるという事を考えた。
・・・その推測が合っているかどうかは分からないが、もしそうならよく考えられたものだ。
そう思いながら、リーダーの男は内心で苦笑した。
(そんなことをしなくても皇国がお前達を差し出すようなことはしないさ。皇国とフェリアス教では思想は絶対に合わないだろうからな)
この時点でリーダーの男は確信していた。
自分達の代か子の代、あるいはそれ以降かは知らないが、絶対に日本皇国とフェリアス教が本格的に対立する時が来ることを。