自衛隊の産声
◇西暦1950年 3月8日 日本皇国 首都・東京 首相官邸
「自衛隊と生物災害庁、通称生災庁の設立、か。これは本当に必要なことなのかね?」
吉田は国土交通庁長官であり、悪名高き(吉田主観)転生会の会長である桜庭貞太郎に対してそう問い掛ける。
自衛隊。
それは言うまでもなく、史実の戦後日本が設立した軍隊擬きの組織であり、21世紀において転生者が生きてきた時代においても一度も戦争を経験しなかったある意味平和の象徴とされてきた組織でもある。
もっとも、戦後に軍が解体された史実と違ってこの世界では軍が未だに健在なので自衛隊をわざわざ創設する意味はなかったし、創設を提案した当人である桜庭とて完全に史実通りの自衛隊を組織するつもりはない。
では、どういう理由で創設を提案したのかというと、それは魔獣対策の為であり、現在は軍が担当している魔獣対策を自衛隊という魔獣専門の対策組織を成立させて対応させることで、対魔獣戦においての更なる効率化を狙っていたのだ。
・・・そう、決して『怪獣退治は自衛隊の伝統だ!』というセリフを言いたいが為にこの組織の設立を提案したわけではないのである。
「はい。今までは軍が対応しておりましたが、未だに千芝大陸開拓民に被害が出続けている以上、そろそろ専門的な組織が必要です。・・・ああ、人材の確保につきましては軍が全面協力してくれるとの事ですので、ご心配なく」
「よく軍が承諾したな」
「魔獣戦での死傷者の数が多すぎますからね。軍内部では出来るならば手を引きたいと考えている者も多いんですよ」
「なるほど。確かに千芝大陸での被害の大きさには私も頭を悩ませていたところだ」
吉田はそう言いながら、千芝大陸進出以降、毎年受け取っている軍の年間総計被害報告書を思い出す。
千芝大陸の魔獣は火を吐いたり、知能が高かったりすることもあって近代軍隊でも討伐に苦慮する事が多く、討伐を担当する軍は毎年1万人を越える死傷者を出している。
しかも、それだけの被害を出しておきながら、開拓民は死者は毎年1000人前後で、酷い時には3000人の死者を出した年もあった。
吉田はその軍と開拓民の被害の大きさに頭を悩ませており、早急に何かしらの解決を計りたいと考えていたのだが、軍人でもない自分が口を出したところでろくな結果になるとは思えなかったし、現状、軍よりも適任な組織が存在しないので、彼らに任せるしかなかったのだ。
だが、桜庭の提案した自衛隊という魔獣対策専門の組織を設立すれば今すぐには無理にしろ、数年後には被害を減らすことが可能かもしれない。
しかし──
「だが、何故、生物災害庁という新たな官庁を設立する必要があるんだ?事実上、軍隊から派生するわけだから、防衛省直轄の組織とする方が良いのではないか?」
省内に新たな組織を設立する場合もそうだが、新たな庁を設立する場合にはもっとお金が掛かる。
まあ、お金が掛かるからといって必要な対策予算をけちる程、吉田は守銭奴な無能ではないが、それでも一度お金を掛ければペイが難しい軍事面には予算をあまり掛けたくないという考えもあったので、わざわざ新たな庁を設立する理由を説明して欲しかったのだ。
そして、そんな吉田の問いに対して、桜庭はこう答える。
「それだと軍部隊の増設と判断されてしまう可能性があります。最近の国内情勢下では軍に予算を掛けることは白眼視される傾向に有りますので、それはよろしくないかと」
そう、この世界では転移直後こそ非常事態であることから敗戦のショックは誤魔化されていたのだが、段々と国民が自分達の状況を理解して戦前と同じような生活を送るようになると、まるで揺り戻しのように敗戦のショックを改めて実感することになり、軍の人気は戦前とは比較にならないほど落ちていた。
もっとも、流石に史実のように軍の存在を全面否定するほどではなかったが、それでも軍の志願者数は戦前の3分の1程に低下しており、正直、選抜徴兵制度が無ければ軍が機能不全に陥っていた可能性すらあったのだ。
そして、そんな空気を目敏く察した国会議員達も次々と軍批判を行うようになり、今や軍事予算の増額など滅多な事では言えないようになっていた。
「なので、新しく生物災害庁を設立し、軍の一部を自衛隊として切り離すと言えば、軍縮に見えなくもないので批判も少ないでしょう。もっとも、吉田総理の言うように新たな庁を設立するとなれば防衛省内に自衛隊を設立する場合よりも余計に金は掛かるでしょうが、要は軍縮に見えさえすれば国会の承認は得られます」
「・・・まあ、それは否定せんがね。しかし、それだけでは新たな軍が成立しただけという意見も出てきかねないぞ?」
「でしたら、自衛隊は害獣対策でのみ殆ど無制限での出動を許可し、通常の軍事行動は自衛と国会での承認を得た場合以外では如何なる場合においても許されないとしてはどうでしょうか?」
要は害獣駆除以外の部分を史実自衛隊と同様に法律で縛り付けてしまおうということだ。
史実だと『色々と問題があるのではないか?』という意見も少なくないこの法律だが、逆に言えば今回のように戦争を行うことを丸っきり想定しない場合においてはそれなりに有用な法律でも有る。
実際、怪獣退治という一般の兵士には出来ないような特殊技能を持つ人間をポンポンと戦争の最前線に投入されては困るのだから。
「・・・なかなか大胆な提案だな。確かにそれならば国会での承認はほぼ確実に通ると言っても良いだろう」
「では、承認頂けますか?」
「仕方なかろう。対案もない上でそこまでのことを提案されてはな」
吉田は渋々だが、自衛隊の創設を認めた。
「ありがとうございます。つきましては、もう1つばかり、私個人から提案があるのですが・・・」
「ほう?転生会ではなく、君個人からか。まあ、良いだろう。言ってみろ」
「はい。我が国の首都の事なのですが・・・現在、法律上、この東京が首都であることは言うまでもない事実であります」
桜庭はまず前置きとして日本の首都の現状について説明する。
史実では西暦1950年代に東京を明確に首都として規定する法律が存在したが、その後、廃止されたことで21世紀においても東京は法律上では日本の首都ではないとされていた。
この世界では西暦1601年に京都からの遷都に伴い、江戸から名称を改められたばかりの東京を首都として規定する法律が制定され、現在も残っており、東京は明確な日本の首都とされている。
だが、近年ではそれによってある問題が発生していた。
それは──
「ですが、20世紀に入ってから既に半世紀。東京は名実ともに日本一の都市となり、東洋のニューヨークと呼ばれるほどの経済都市となりました。そして、近年では更なる発展も見込まれています。しかし、この状態で首都機能がそのままとなると、都市機能の飽和が懸念されます」
そう、史実でこそ東京は日本の首都と日本最大の経済都市の兼ね合いが取れた都市だったが、この世界の日本は史実などとは比べ物にならない超大国であり、もし史実のように政治と経済を全て東京に集中させていたら、東京という都市の機能がパンクしかねなかっただろう。
だからこそ、転生会は政治中枢の幾つかを地方都市に分散させたのだが、それも近年では限界になりつつあり、東京から経済都市ではない地方都市への遷都が一部の会員から提案されるようになっていた。
もっとも、現状は提案だけで具体的な計画は練られていなかったのだが、桜庭もまたいずれ東京からの遷都は必要になると考えており、この機会に吉田に首都機能の移転が現状で可能かどうかを尋ねておくことにしたのだ。
「したがって、首都機能の移転がいずれ必要になってくると私は考えているのですが、吉田総理はどのようにお考えでしょうか?」
「・・・難しい問題だな。日本の首都の遷都は確かに実例があるが、それは300年以上前の事だからな」
「つまり、この国の歴史の深さそのものが遷都を難しくしていると?」
「そういうことだ。君も日本人ならこの国の伝統主義くらい分かっているだろう?この国は一度改革の流れに乗るとあっという間に改革するが、その流れに乗せるまでが物凄く難しい」
吉田はそう言って懐から葉巻とライターを取り出すと、葉巻を口にくわえ、ライターで葉巻の先端に火を点ける。
そして、口から放して煙を吐き出すと、改めてこう語り出す。
「それに法律上は天皇陛下が居られる都市こそが首都とされているからな。宮内省の連中の遷都するにはそれなりの理由が必要だ。だが、残念なことに首都機能の飽和程度の理由では弱い」
「そうですか・・・」
「まあ、首都機能の飽和の懸念は私も理解できる。だから、俺が在任中に東京に残った首都機能を宮内と議会を除いて東京以外に移転させるくらいのことはやってやろう。ただし、首都遷都は諦めろ。どうしてもやりたいなら、自分が首相になることだな」
「分かりました。では、私からの提案は以上です」
「そうか。では、退室しろ。俺もこれから別の仕事があるのでな。・・・ああ、さっき言ったことは必ず履行するから安心しろ」
「はい、よろしくお願いします。では、これで」
そう言うと、桜庭はそのまま部屋から退室する。
それを見届けた吉田は一言こう呟く。
「桜庭貞太郎、か。あいつと転生会がこれからの日本に害となるのか、それとも益となるのか。しっかりと見極める必要が有りそうだな」




