序章の終わり
◇西暦1949年 12月31日 深夜 日本皇国 埼玉県 蛯谷邸
「今年もあと少しで終わり。来年からは激動の年になりそうだな」
数日前、桜庭貞太郎に転生会の会長の座を譲って引退した転生会の元会長──蛯谷公二郎はそう予測する。
なにしろ、来年は大雑把に言っても物資統制の解除(ただし、食料を除く)、カラーテレビの放送(ちなみに東京タワーは今年11月に完成している)、第五文明圏への砲艦外交の実施という三つもの大きな国家行動を行う予定の年だ。
特に三つ目の政策がどう転ぶかは総力戦研究所を始めとした各所の予測研究機関ですら完全な予想はこの世界に関するデータが少なすぎて不可能であったが、どう転ぶにしても日本の情勢が大きく動くことは間違いない。
そのような時期に会長の座を退いたのはある意味で責任から逃げ出したと言われても可笑しくない行為だったのだが、蛯谷はそう思われても構わないと思っていた。
(・・・思ったより精神的に参っていたようだな。やはり後継者に道を譲ったのは正解だった。こんな私がこれ以上転生会を引っ張ったところでろくなことはない)
そう、実は蛯谷はこの世界で出来た息子を第二次世界大戦で亡くしており、その時から徐々に精神的に参り始めていた。
それでも戦争中及び戦後、転移後は日本の一大事であったことから気力を振り絞ってなんとかしてきたが、それもある程度余裕が出てきた今では限界になって来ており、そんな自分が転生会の会長の座に居続けて異世界情勢に不味いと判断し、自らの地位を後継者に譲ることに決めたのだ。
ちなみに後継者として桜庭を指名した理由は、彼が有能だったからということもあるが、それ以上に神州大陸の情勢をなんとかしようと精力的に働くその姿勢を評価したからだった。
「とは言え、些か引退するのが早すぎた気もするな。奴が思っているよりも今の日本をなんとかするのは大変だぞ」
蛯谷は今更ながら自分の引退が少し早すぎたのではないかと思い始めていた。
無論、前述したように後継者である桜庭の仕事への姿勢、手腕は評価している。
だが、今の日本には人口及び食料問題、本土と神州大陸の住民の溝、千芝大陸の害獣問題、外交関係の再構築と解決すべき問題があまりにも多すぎるのだ。
まあ、どれも自分の代から手をつけていた問題なので、全く解決までの道筋がないという訳ではなかったが、解決が困難な問題であることに変わりはない。
加えて──
「それに転生会は巨大な政治勢力だが、日本の政治を隅から隅まで掌握しているわけではないからな。非転生者達とも上手く折り合いを着けておく必要がある」
そう、何度も言うようだが、転生会は巨大な政治勢力である一方で、日本の政治を全て掌握しているわけではない。
これは掌握できないというわけではなく、日本の体制が転生会の独裁になってしまい、そのまま体制が完全に膠着してしまう事を嫌った転生会が敢えて掌握することを避けていたのだ。
なにしろ、日本という国は一度定着してしまった政権はそのまま長く続くことが多い。
史実の鎌倉の北条政権、室町の足利政権、江戸の徳川政権などがそうであったし、近年では保守派の政党がほぼ独裁体制──これについては野党の自業自得な面もあるが──で日本という国の政治を牛耳っている。
まあ、これはこれで考え方がほとんど変わらないために対外的な信用が得られやすいというメリットがあったりするのだが、逆に言えば考え方が膠着して革命でも起きないと大規模な改革を行うことが出来ないという欠点も存在しており、転生会はこれを危険視していた。
だからこそ、転生会はよっぽどな事態でも起こらない限りは政権の完全掌握は行ってこなかったし、完全掌握を行う場合も事が終わればすぐに別の優秀な人間にその座を譲っている。
そして、今回の場合、自分達が主導してやらなければ日本の存続に関わるという程の案件ではないので、おそらく政権の完全掌握は行われないだろう。
となると、非転生者の政治家達と上手く折り合いを着けてやっていかなければならない。
(ある程度健全と言えばそうなんだろうが、こういうときには足を引っ張ってしまうな。もっとも、例え完全に掌握していたとしても今の日本を戦前の状態へと建て直すのは至難の業だったろうが、それでも幾分やり易かったのは確かだろう)
蛯谷はそう思いつつも、今さら転生会の会長の座に復帰するつもりはなかった。
それは一度退いた手前、今さら戻るのは気まずいということもあったが、それ以上に会長を務められる程の気力がもう残っていなかったのだ。
だからこそ、桜庭が助けでも求めてこない限りは自分から動くのはよそうと考えていた。
「情けない話だな」
そう言って空を見上げた先にあったのは、夜空に輝く3つの月だった。
◇???
「もうすぐか。まったく、こんな世界を押し付けられた時はいったいどうなることだと思っていたけど、ようやくこの腐った体制に風穴が空けられそうだね」
現世に居る者では干渉できないとある世界。
そこでは既に更迭されたフェリアスに代わって新たなアークロイド世界の管理者に就任した少年神──マクオスがそう言って、日本が動くその時をじっと待っていた。
彼はアークロイド世界の管理者に就任して以来、なんとか“神界協定”に違反しない限りでこの世界の人間の思想の正常化を計ったのだが、前任であったフェリアスの干渉はかなり深いところまで行われており、なかなか思うように行かずに四苦八苦していたのだ。
そんな時、地球から日本という国がアークロイド世界に転移してきて、マクオスはアウロラ同様に日本にこの世界の秩序の破壊を行って貰うことを願った。
もっとも、彼は半ば無責任に送り出したアウロラとは違い、そういった大事をやって貰う以上は対価が必要だと考えており、アウロラが辞めてしまった転生者の転生や新たな科学概念を無意識のうちに転移して以降に産まれた一部の日本人達の頭の中へと植え付け、将来的にそれが何らかの形で開花出来るようにしている。
「しかし、問題なのはこの2ヶ国だな。逆に言えばこれさえなんとか出来れば既存の世界秩序は間違いなくひっくり返るんだけど」
マクオスはそう言って、2つの国の国旗と国土をモニターへと映し出す。
1つはゲルマニア帝国。
この国は地球世界のドイツを思い浮かばせる陸軍国家であり、国力は日本の半分程(ただし、この世界の外地を含めた日本の総合国力は史実第二次世界大戦期のアメリカと大差ないので、これだけでも相当大きい国力)ではあるものの、技術力では日本の10年先(史実換算ならば20年先)を行っている。
もう1つはリベリオン合衆国。
こちらは史実アメリカ同様に陸軍と海軍を両立させている国家であり、技術力では日本よりちょっと上という程度であるが、国力では日本の約1、5倍と史実第二次世界大戦期のアメリカを遥かに凌ぐ物量を持っている。
基本的に日本の技術レベルはこの世界で一番発展している第一文明圏の列強とほぼ同等であったが、いまモニターに映し出したこの2ヶ国だけは単独で日本に勝てる可能性を秘めており、決して油断は出来なかったし、仮にこの2ヶ国が組みでもすれば日本の滅亡はほぼ確定だった。
もっとも、この2ヶ国が存在する第一文明圏は日本の存在する第7文明圏から直線距離でも西へ5万キロ以上、東からだと10万キロ近く離れているので、今すぐ両国が衝突することは天地が引っくり返りでもしない限りあり得ないのだが。
「・・・まあ、大丈夫か。普通の日本人はともかくとして、この転生者と呼ばれる人間達は少なくともフェリアス教との全面衝突が起こった場合の事も想定しているみたいだし、この2ヶ国の科学力を知れば危機感を持って科学力の向上に勤めるだろうし」
しかし、その為にはどうにかして第一文明圏の情報が日本に伝わるようにしなければならない。
「少し、手を加えてみるか」
マクオスはそう言って、つい一月前に第一文明圏に入り込み、現在は日本のために情報収集を行っている前任のフェリアスが嫌悪した者達──ダークエルフを協定違反にならない限りで支援する事を決めた。
タイトルの通り、これで序章編は終了です。次話からは始動編に入りますが、ここまで読んで面白いと思った方はブックマークと評価をお願いします。




