強制移住
◇西暦1949年 1月10日 午前10時38分 ラグーン諸島 ヘル島
「ママ・・・」
「大丈夫よ、大丈夫だから」
まだ年齢一桁の子供が不安そうに母親へと抱き付き、母親はそんな子供に励ますようにそう言うが、不安の色は隠せていない。
現在、この島は非常に殺気立っていた。
何故なら、皇国の巨大な鋼鉄の船が4隻も沖合いに停泊しており、上陸してきた皇国兵達もまた鉄の棒を持ちながら、睨むように人魚族の者達を見ていたからだ。
そして、不安げな顔をする人魚族の者達と警戒する皇国兵達の間で、人魚族の長老と日本の外交官──杉原千畝は2年と3ヶ月ぶりの再会を果たしていた。
「お久し振りです、長老。・・・しかし、出来ればこんな形で再会したくは無かったものですな」
「・・・」
皮肉げにそう言った杉原に対して、長老は何も言葉を返すことが出来なかった。
春間島で起きたあの一件から11日。
あの事件で襲撃してきた人魚族の殆どを射殺した春間島警備隊だったが、それでも何人かを取り逃がしてしまい、その中には首謀者も含まれていた。
その為、後日、皇国側は人魚族が協定を破ったと半ば強引に解釈して、周辺の島々を血眼になって捜索したものの、元々、ラグーン諸島全ての島々を隅から隅まで知っている訳ではない皇国側の捜索は難航してしまう。
しかし、その後、首謀者以外の襲撃犯が家族の元に戻っていることを知った皇国側はすぐさま襲撃犯の引き渡しを求めたのだが、襲撃犯の家族がこれを拒否したことで両者は一触即発の状態へと陥った。
だが、ここで事態を知った皇国外務省と長老が介入し、なんとか武力での解決は一時棚上げされたものの、ここでの交渉が失敗すればすぐさま武力を使った解決に移行されるということは両者共に理解しており、杉原と長老はそんな緊張の中で会談を行っていたのだ。
「まず我々の要求ですが、先月にこちらの警備隊を襲撃した襲撃犯を引き渡して頂きたい」
「あいにくですが、それは少々難しいですな」
「・・・」
長老の言葉に、杉原は眉をしかめる。
杉原という男は基本的に人道を重視する人物であり、祖国が直接的な被害を被らない範囲ならば、例え祖国の外交的な不利益になろうとも人道を優先させる男だ。
こういった点は一見、国益を重視すべき外交官として不適格な人物と思われるかもしれないが、国益だけを求めすぎて相手の反感を買って結果的に祖国に実害を与える外交官というのも存在する──その逆も然りだが──以上、杉原のようなバランスの取れた外交官は非常に貴重だった。
そして、そんな信条を持っているからこそ、彼は人魚族側が犯人を引き渡すことで今回の件を手打ちとしたく、外務省から指示されている“もう1つの要求”に関しては彼の外交官人生を賭けてでも出さないつもりだったのだ。
しかし、逆に言えば“襲撃犯の引き渡し”については杉原個人としても絶対に譲れない条件だった。
当然だろう。
どんな事情があれ、人魚族側が皇国側の人間を襲ったということは確かな事実であったのだから。
幾ら杉原が外交官として少々甘いところがあると言っても、流石に皇国人に直接的な害を為した存在を許すほどお人好しではない。
故に、仮に万が一犯人を引き渡さなかった場合、沖合いに展開する海軍の駆逐艦に威嚇砲撃を行わせようとすら考えていた。
とは言え、流石に理由も聞かずに砲撃するわけにはいかない。
その為、杉原は取り敢えず引き渡せない理由をまず聞くことにした。
「何故でしょうか?我々としてはこの要求が拒否された場合、あそこに展開する船を使ってあなた方を攻撃することも考えているのですよ?」
杉原は沖合いに展開する駆逐艦の存在をちらつかせながら脅すようにそう言ったが、長老はそれに怯んだ様子もなくこう返した。
「分かっておる。じゃが、今回の件は人魚族内でも同情の声がそれなりに多く、それらの説得に少々時間を要する。それまで待って頂けないじゃろうか?勿論、こちらが待たせる訳なので対価は払う」
「その対価とは?」
「我々人魚族の皇国への編入、というのはどうじゃろうか?」
「!?」
長老のその発言に、杉原は2つの意味で驚愕した。
1つは人魚族の命運を皇国に託すという内容の発言がこの長老の口から発せられたこと。
そして、もう1つは──
(まさか、本省が出してきた要求を向こうから提案してくるとは・・・)
そう、外務省が杉原に事前に指示していた人魚族への“もう1つの要求”。
それは人魚族、もっと言えばラグーン諸島の皇国への編入であり、たった今、長老が発した言葉の内容と偶然にも一致していたのだ。
「随分、極端な結論を出しましたな。対価としては幾らなんでも大きすぎると思いますが・・・」
「別に企んでいるとかそういった訳ではない。ただ、人魚族の未来を考えてそうしただけじゃよ」
その長老の言葉に嘘はなかった。
これは皇国に決して言えないことであったが、今回の事件の首謀者達は人魚族の族長候補達であり、長老はなにかと皇国と対決するように主張する彼らに心底失望していたのだ。
しかし、彼ら以外にまともな教育を受けた人間が居なかった為に、今から育成するにしても時間が掛かるし、仮にやったとしてもその人間が皇国との対決を主張したら結局は同じであり、もっと言えば誰を族長にするにしても皇国と関わる以上はリスクが必ず付きまとう。
ならば、いっそのこと皇国の傘下に入ってやっていった方が良いと長老は考えたのだ。
「勿論、この条件は我々人魚族が皇国の少なくとも平民と同等の権利を得ることが前提での話じゃがな」
「・・・そういうことならば、こちらに否やは有りません」
「ほう、こちらからいきなり言い出したのに随分と結論が早いのぅ。失礼だが、貴官にはそこまでの権限が有るのか?」
「ええ、そういった話に関しては私に一任されていますので」
嘘は言っていない。
確かに杉原は外務省から“例の要求”を人魚族に出すように指示されていたが、切り出すタイミングに関しては杉原に一任されていたし、長老が言った条件に関しても外務省が人魚族に対して出す予定だった条件と丸っきり同じだった。
なので、杉原が長老の提案をそのまま受け入れても、問題は全く生じない。
だが──
「ですが、その提案を受け入れる前に私から1つ、いや、2つほど質問があるのですが、よろしいでしょうか?」
「なんじゃ?」
「まず1つ目ですが、権利には相応の義務が生じます。あなた方は我が国の平民と同等の義務をまっとうする覚悟が有るのですか?」
「それは戦争となった場合、日本の兵士として戦う覚悟があるのかということか?」
「それもありますが、我が国は法によって統治される法治国家です。国民はその庇護を受ける代償として国が定めた決まりを守らなくてはなりません」
そう、史実もそうだが、この世界の日本も制度こそ若干違えど同じ法治国家であり、日本国民となったからには法を守る義務が生じる。
だが、今まで法という概念がなかった人魚族にそれを守ることが出来るのか?
杉原はそれを尋ねていたのだ。
「それは皇国人も守っておるのじゃろう?なら、問題はない。それに法というのは国によって細かい点は違うかもしれんが、盗みをしてはいけないとか、人を殺してはいけないといったところはだいたい同じじゃ。取り敢えずそれを守りさえすれば、少なくとも大きな問題にはならない。違うかの?」
「ええ。まあ、それはそうですが・・・」
「あと、戦争に行く話は仕方ないものと割り切っているよ。むしろ、我らの立場を認めてもらうにはそれが一番手っ取り早いとも思うからのぅ」
「そうですか。・・・では、もう1つの問いです。これに答えられたら、あなた方の提案を受け入れることを確約しましょう」
杉原はそう言うと、これまでよりも鋭い目差しでこう言葉を続けた。
「あなた方はこのラグーン諸島を差し出すことが出来ますか?」
その杉原の発言に場の空気は一瞬凍り付き、さしもの長老もすぐには言葉を返すことが出来なかった。
だが、それに構うことなく杉原は更にこう言葉を続ける。
「正直に言えば、あなた方がこの島に居られるのは我々としても困るんです。なにしろ、首謀者が見つかっていないので、その首謀者に独立を煽られたりして反乱でも起こされたらことですからね」
杉原はそう言ったが、実のところ、これも外務省からの指示の1つであり、もし人魚族を皇国の国民として迎え入れる事になった場合、沖縄を含めた南西諸島の有人島のあちこちにバラバラに移住させる方向で話を纏めるように言われていたのだ。
これは人魚族を分断して団結させないようにするという狙いもあったが、それ以上に人魚族を皇国民として迎え入れてこの世界の人間との同化政策についての研究を行いたいという政府側の思惑があった。
史実日本ならば日本国はもちろん、大日本帝国であっても、同化政策などよっぽどの事がない限り行わなかっただろうが、この世界の日本は多民族国家であり、その多民族国家故の歪みを矯正するために何百年という時間を掛けて同化政策を積極的に進めてきた歴史があったので、政府はそれをこの世界でも再現することを目論んでいたのだ。
もっとも、流石にいきなり本土に入れるのは危険だということで、まずは南西諸島にという事になったのだが。
「もちろん、住む場所はこちらで用意します。ですが、ラグーン諸島には今後50年は人魚族にとって立ち入り禁止の土地となるでしょう。それでもあなた方は皇国に編入されることを望みますか?」
「・・・」
杉原の言葉を受け、長老は目を瞑り、顔を若干上に向けながら考える。
人魚族がこのラグーン諸島へと移住してきたのは、だいたい今から半世紀ほど前だ。
この島々で生まれ育った者も多いために土地には愛着もあるし、そこを離れるとなれば反発する者も多いだろう。
しかし、このまま人魚族の独力でやったところで先がないというのも確かであり、ここでこちらが出した提案を撤回したところで何時か皇国と衝突したりすればこの島々に住む人魚族は良くて追放、最悪、皆殺しという憂き目に遭う可能性もある。
(やはり我々が生き残る可能性が一番高いのは、皇国という国に寄生して生きていく道じゃな。となると、ラグーン諸島を差し出す代償として我々の待遇の保証を確約させるのが一番か)
長老はそのように結論付け、瞑っていた目を開けて再び杉原の方を見ると、はっきりとこう告げた。
「良いじゃろう。それで皇国の一員として認められる保証が有るのならば、喜んでここを差し出そう」
「その言葉、天皇陛下並びに我が国の指導者である吉田首相にしかと伝えましょう。そして、我々はあなた方が皇国の一員となることを喜んで歓迎いたします」
──かくして、日本皇国とラグーン諸島の人魚族の契約は成立した。