防衛大臣・山本五十六
◇西暦1948年 8月21日 日本皇国 皇都・東京 防衛省 庁舎 某部屋
「山本閣下、防衛大臣就任。おめでとうございます」
今月新たに組閣された第二次吉田内閣の防衛大臣に就任した山本五十六に向かってそう言ったのは、海軍軍令部総長──小沢治三郎上級大将(本来日本軍に上級大将という階級は無かったが、史実のように連合艦隊司令長官の階級と並べて軍令部と連合艦隊司令部での意見の対立を防ぐために転生会によって作り上げられた)。
史実では樋端久利雄が唱えた機動部隊という概念に真っ先に目を付けた人物であったが、日本軍パイロットの練度が低下し、尚且つ米軍機動部隊が強大になった時期に機動部隊の司令官となってしまった為にマリアナ沖海戦やレイテ沖海戦(厳密にはエンガノ岬沖海戦)などの壮絶な負け戦を経験する羽目になった悲運な人物でもあった。
この世界では機動部隊の指揮官にこそならなかったが、史実で最後の連合艦隊司令長官を勤めたことによる実績を買われ、開戦当初から連合艦隊司令長官に就任し、終戦後は軍令部次長を勤めた後、現在の軍令部総長へと昇格している。
そして、そんな小沢の隣に座る人物。
彼の名は山口多聞。
史実では着任から僅か1年で第二航空戦隊を第一航空戦隊に並ぶほどの練度に仕上げた人物であり、当初、参加する予定はなかった自らの指揮する第二航空戦隊を真珠湾攻撃に参加させるように訴えた人物でもあった。
猛将という言葉が(その太った体格以外は)似合う人物であり、史実では赤城、加賀、蒼龍の三空母が被弾した後、残った飛龍を率いて米空母3隻に立ち向かい、最終的には撃沈されて山口自身も戦死するものの、米空母ヨークタウンを大破させるという戦果を挙げている。
この世界では開戦当初こそ第一航空戦隊(蒼龍、飛龍)の司令官にすぎなかったが、米軍による真珠湾攻撃の被害の責任を取らされて更迭された南雲忠一中将の後を継ぐ形でハワイ方面艦隊司令長官に就任。
史実では名将の1人に数えられながらもあまり大した戦果を挙げられなかった彼だが、この世界では西暦1941年5月に起きた北太平洋海戦では米空母を1隻沈める戦果を挙げ、西暦1942年6月に起きた第一次ハワイ沖海戦では乗艦であった蒼龍が撃沈されながらも飛龍に将旗を移して戦闘を継続し、同海戦を勝利へと導いている。
その後、西暦1942年8月に第一機動部隊の司令官となり、以後、終戦まで乗艦を何度か撃沈される憂き目に遭いながらも機動部隊の司令官として多大な戦果を挙げ続けた。
戦後は連合艦隊司令長官に就任(それに伴って大将に昇進している)して今に至っており、そんな彼もまた小沢に続く形で、かつての上司であった山本五十六に祝福の言葉を述べる。
「おめでとうございます、山本長官」
「ありがとう、山口君。だが、前から言っているが私はもう“長官”ではないし、第一、今の長官は君だろう?」
「これは失礼を。しかし、驚きましたな。山本長官が防衛大臣に就任するとは。こう言っては失礼かもしれませんが、てっきり統合作戦本部長を境に隠居するものかと」
「流石に失礼だぞ、山口大将!」
山口にそう注意する小沢であったが、彼も内心では山口同様に山本が防衛大臣に就任したことに驚いていた。
当然だろう。
そもそも防衛大臣という役職は退役軍人の中から(ただし、戦時の場合は予備役軍人やら選ばれる場合もある)選ばれるために一度軍を辞めてからでないとなれない。
だからこそ、出世欲は人並みに有れど、基本的に『軍人は政治に関与せず』という立場だった山本がなるとは小沢も思っていなかったのだ。
「ハハハ。なに、堀に誘われていなければ山口君の言う通り、あと数年ばかり統合作戦本部長を続けて引退していただろうからな。そう考えれば、むしろ、自分の今の立場に驚いておるよ」
「そうでしたか」
「うむ。将来的には総理大臣も夢ではなさそうだが、まあ、取り敢えずそれは置いておくとしてだ。最近の海軍将兵の様子はどうかね?」
「はい。皆、意気軒昂。海魔との戦いに全力を掛けて望んでおります。ただ、戦艦部隊の将兵の方は練度の低下が著しいようで、現在は各鎮守府付近の海域にて猛訓練を行っております」
そう、転移後、燃料の問題もあって全く動かせずにいた戦艦部隊であったが、今年になってようやくある程度の燃料の余裕が出来た為に4月から一部の戦艦が、5月になると全ての戦艦が訓練を再開している。
が、2年以上もの間、訓練を怠っていた為に練度はかなり低下しており、現在は猛訓練によって必死に練度の向上を計っているが、転移直後くらいの練度に戻すまでにはまだ少し時間が掛かりそうな状態だった。
「そうか。まあ、戦時中と違って今すぐ実戦に行けという訳ではないからな。“例の計画”の発動までまだ2年は有るし、のんびりやってくれ」
「ハハハ。長官、2年などあっという間ですよ。なにより、手を抜いたところで結局苦労するのは将兵達です。であれば、訓練を厳しくして実戦でやり易くした方が良いでしょう」
山口はそう言って笑うが、その言葉を聞いた山本と小沢は思わず彼の指揮下で訓練を受けさせられている将兵達に同情してしまった。
当然だろう。
山口の訓練は2人がドン引きしてしまうほど厳しかったのだから。
「そ、そうか。まあ、あまり死人が出過ぎてもいかんからな。そこら辺は上手く調整してくれ」
「分かりました。それはそうと、長官。現在、海軍で建造されている艦の事で少々お話があるのですが・・・」
「ほう?なんだ?言ってみろ」
「はい。現在、本土の各工廠や造船所では祥鳳型空母が2隻と改秋月型駆逐艦、更には量産型の原子力潜水艦、そして、来年初めからは信濃型戦略指揮戦艦が1隻建造が開始されることになっていますが、私としては原子力潜水艦と信濃の建造は後回しにして、改秋月型及びその後継駆逐艦を優先して建造すべきだと考えます」
「それは、海魔討伐を最優先事項にしたいということか?」
「はい。潜水艦と戦艦はあれらの相手にするにはあまり役に立ちませんので」
山口はキッパリとそう告げる。
そもそも海魔というのは基本的に海中に潜んでいることが多く、水上で会敵することはあまりない。
よって、討伐には対潜作戦が出来る艦艇が有効であり、駆逐艦や巡洋艦程の機動性や対潜能力を持たない戦艦や潜水艦ではあまり役に立たないのだ。
だからこそ、こうして新たに防衛大臣となった山本に戦艦や原子力潜水艦を後回しにしてでも駆逐艦を多く製造してくれと頼んでいるのだが、それに対して山本は渋い顔をしながらこう言った。
「山口君の言っていることは理解できる。だが、今回の建艦計画は俺が防衛大臣に就任する前に可決されたものだからな。今さら、それを覆すのは難しいな」
「しかし、海魔という存在が油断できないものであることは長官もご存じでしょう?」
そう、海軍は今でこそ海魔相手に勝利することが多くなっているが、初期は結構苦戦していたし、今でも年に松型駆逐艦が数隻沈められるほどの被害を出しており、つい最近では重巡『熊野』が艦底部を海魔に押し上げられる形で体当たりされ、結果的に僅か一撃で大破している。
つまり、海軍、それも現場の人間にとって海魔という存在は決して油断して良い相手ではないのだ。
「『熊野』が大破したという報告は受けておるよ。だが、大型艦艇の建造中止は無理だ。万が一、元の世界に帰った時の事を考えるとな。まあ、駆逐艦なら追加建造は出来るかもしれんが・・・」
それでも結構ギリギリだろう。
何故なら、今の日本では輸送船やタンカーの建造が優先して行われており、戦闘艦の建造を会議の場で口に出した者はまるで罪人を見るかのような目で見られる始末だ。
勿論、首相である吉田とて話の分からない相手ではないので、駆逐艦の追加建造くらいならば通商護衛での必要性などから最終的に許可してくれるかもしれない。
もっとも、それでも散々嫌味を言われる事になるだろうが。
「とにかく今度の大臣が集まる会議の場で提案してみよう。まあ、通るかどうかは五分五分といったところだし、今から通したとしても完成するのは2年後になるがね」
「それでも戦艦や原潜を完成させるよりは早いです」
「そうか。しかし、2年は結構長いぞ。それだったら、戦時中と同じく松型駆逐艦を量産するほうが良いのではないか?それならあっさり通るかもしれんぞ」
「松型駆逐艦は欠陥とまでは言いませんが、量産性が重視されているゆえにあまり質が良くないですからな。それに動員が解除されている今となっては、乗員の調達も大変ですし」
「・・・そうか。そういうことなら、話は通しておこう。ただし、さっき言ったように最低でも2年は我慢してくれよ?」
「勿論です」
山本の言葉に山口はそう答える。
そして、今まで蚊帳の外に置かれていた小沢は2人の話にある程度の区切りがついたと判断してこう言った。
「まあ、何はともあれ。山本閣下が防衛大臣に就任されたのは目出度い事です。どうです?後日、就任祝いをするというのは」
「悪くない・・・と言いたいところだが、最近、女房から酒を控えるように言われていてな。酒は飲めん」
「そうでしたか。では、食事だけというのはどうでしょう?最近、部下の間で評判の定食屋に行ってみたのですが、そこがなかなか上手くて。山本閣下もどうです?」
「そうだな。たまには料亭などではなく、定食屋に行くのも良いかもしれん」
「決まりですな。では、日程は──」
3人はそう言いながら、食事の約束を行う。
──そして、後日、行った先の定食屋で山口が3人前の食事を平らげ、相変わらずの大食漢に2人は呆れることになるが、それはまた別の話。