人魚族の反発
◇西暦1948年 6月28日 夜 ラグーン諸島 ヘル島
人魚が住まう島々──ラグーン諸島。
2年前に日本が接触した時はいきなり自分達のテリトリーに入ってきた日本人に人魚族の者達は反発していたものの、長老の説得とその後日本側が積極的に関わりを持とうとしなかったことから、目立った衝突は起きず、人魚族の者達は時おり春間島へとやって来る巨大な鉄の船を不気味に思いながらも平穏な日々を過ごしていたが、そんな日々も3週間前に起きた“とある事件”によって終わりを迎えようとしていた。
「──ダメじゃ」
人魚族の長老はそう言って、若者達の申し出を却下する。
彼らの申し出。
それは皇国に対する報復の嘆願であり、長老としては絶対に許可するわけにはいかない内容だった。
ちなみに何故彼らがこのような申し出をしたのかというと、それには今から3週間程前の6月6日に春間島近辺で起きた人魚族の子供が皇国船のスクリューに巻き込まれて死亡した事件が大きく関わっている。
船のスクリューに巻き込まれたことによる死亡。
それは皇国においてはわざとやらない限り事故として扱われる案件であったが、スクリューというものがどういうものかよく知らない人魚族にとっては皇国人がやった殺人行為に見えており、人魚族の者達の中には皇国に対して抗議と実行者の引き渡しを求める者も現れ、実際に春間島に出向いて皇国側の責任者にそのような事を言った者も居たものの、そんな彼らに対して皇国側の責任者が返した言葉はこうだった。
『あなた方と結んだ協定で定められた我々の航路に入ってきたあなた方の方に問題がある』
正論だった。
実際、事故(人魚族からすれば殺人事件)が起きた場所は昨年の始め頃に人魚族の者達と結んだ皇国船の航路であり、そこに無断で侵入した時点で人魚族側に問題があったのは明らかだ。
とは言え、今回ひいてしまったのはまだ一桁の年齢の子供であったので、事態を知った国土交通庁の役人も流石にそれではあんまりだと思ったのか、謝罪こそしなかったものの、子供の遺族に対して補償金を出したのだが、それだけで納得できるはずもなく、人魚族の対皇国感情は急速に悪化することとなった。
そして、元々皇国に良い感情を持っていなかった若者達は『今こそ皇国に一泡ふかせるべき!』と主張しており、それは今の人魚族の間で一定の支持を集めている。
だが、前述したように長老としては皇国への報復行為を絶対に許可するわけにはいかない。
何故なら、2年前の会談でも分かったが、彼らはあれだけの船を作る力を持つ大国にしてはえらく寛大だ。
しかし、常識的に考えてそんな大国が寛大なだけで生きてこれた訳がない。
必ず何処かに血生臭い歴史がある筈で、今はなんらかの事情で戦争などの争い事を避けたい意図もあってか、人魚族に対して対等な立場で望んでいるようだが、自分達が強硬手段を取れば必ず報復してくるだろう。
それに今回の一件も協定を破った人魚族側に問題があるのは確か。
理不尽に幼い命を奪われたのなら長老とて怒りを抱き、若者達の意見を限定的であっても認めたかもしれないが、今回の件は人魚族にも問題がある訳だし、謝罪こそ貰えなかったが賠償金(実際は補償金で賠償金とは少し違うのだが、流石の長老にもその区別が分からなかった)は支払ってくれた。
これ以上を望むのは強欲に過ぎる。
それ故に、長老は若者達の意見を全面的に却下したのだ。
だが、目の前の若者達にはそれが不満だったらしく、彼らは口々にこう反論する。
「しかし、幼子の命が奪われたのですよ!にも関わらず、皇国は謝罪すらしていない!!」
「その通り。これでは皇国に血の代償を支払わせなければ、島の人間は納得しません!」
彼らはそう主張し、尚も皇国への報復を訴えるが、彼らのこの主張は皇国の人間が聞けば理不尽だと感じていただろう。
そもそも皇国側の謝罪がなかったと言っても、人魚族の方も皇国の航路や領土に勝手に入ってきてしまったことを謝罪していないのでその点はお互い様であったし、第一、今回の件は人魚族側が勝手に航路に入ってきた事が原因なので、皇国としては謝る必要性も義務も感じていない。
まあ、それでも遺族に対する補償金を支払ったのは、向こうが悪かったとは言え、幼子の命を奪ってしまったという皇国側の罪悪感による慈悲にすぎず、本来ならば彼我の国力差の関係もあって無視しても特に問題はなかったのだ。
・・・つまり、彼らの主張は身の丈を弁えぬ暴論だった。
──しかし、悲しいことにこの現実を理解できる人間は今の人魚族の若手にはあまり居ない。
平和な時の中で生まれ育っていたし、そもそも人魚族の中で国との付き合い方が分かっている人間の方が稀だ。
“井の中の蛙大海を知らず”とはよく言ったものだが、少なくともその言葉は今の彼らにそっくりそのまま当てはまっていた。
「馬鹿を言うんじゃない!そんなことをしたら、我々はあっという間に潰されるぞ!!なにしろ、我々の人口はたった2万しか居ないのに対して、向こうは2億以上の人間が居るのだからな」
そう、人魚族は人口は2万人と、小さな島々に住むにしてはそれなりに多い人口を持ってはいたが、相手となる皇国はその1万倍以上の人口を持っており、逆立ちしても勝てる相手ではないのだ。
だが──
「そんなのは虚偽に決まっているでしょう!!」
「その通り!そして、こんな虚偽を言ってきたという事は皇国とやらは実際には大したことのない奴等に違いない!!」
根拠なき楽観論。
現実を受け入れられない人間や自分に都合の良い展開しか想像できない人間がよく展開する理論であったが、そんな現実という壁の前には害悪にしかならないことを人魚族で数少ない知識層の若者が言う光景に長老は軽く目眩を覚えた。
そもそも仮に2億人以上という人口数が虚偽の情報だったとしても、あれだけの船を製造・運用する国力があるという現実は変わらないのだ。
しかし、そんな現実を彼らは一切見る事はない。
見れば、自分の主張が通らなくなると思っているからだ。
(これはダメじゃな)
長老はそう思いながら、人魚族の先行きの暗さに絶望した。
なんせ、次代を任せる知識層がこの有り様なのだ。
これでは自分達が居なくなった途端、皇国に喧嘩を売って人魚族滅亡という笑えないシナリオが発生しかねない。
しかし、彼ら以外に後継者が居ないというのが皇国と違って教育が民全体に行き届いていない人魚族が抱える悲しい現実でもあった。
「そんなことが有る筈が無かろう。第一、それならあの巨大な船はどうやって作ったというのだ?」
「あれは張り子の虎です。実際はハリボテに違いありません。実際、我々が所有する書物の中にも鉄の船など載っていませんでした」
「書物など所詮は過去の事を書き記したものにすぎん。それに載っていないからといって絶対に無いとは言えんよ」
「しかし、実際に鉄の船など存在しません。あれはハリボテです」
「ほう。では、お前は実際に皇国船に触ったことがあるのだな?」
「それは・・・」
長老の問い掛けに、若者は返答に窮した。
実のところ、彼は皇国船に触ったことはなく、船に使われている素材が本当に鉄かどうかも確認していなかったからだ。
「それ見ろ。分からんじゃろうが。まあ、鉄の船なんぞ見たのはワシも初めてじゃが、仮にあれが鉄でなかったとしても、あれだけの巨船を造れる技術を持っているという事は確かなんじゃ。それは分かるな?」
「はい・・・」
「では、大人しくしていろ。幸い、向こうは賠償金を払ってくれた。あの子の遺族には気の毒な話だが、人魚族の最低限の面子も保てている。これ以上を望めば、皇国が本気で怒ることになるやもしれん。そうなったら、我らは終わりだ」
「「「・・・」」」
その悟すような長老の言葉に遂に黙り込んだ若者達だったが、その顔は何処か不満げだった。
何故なら、長老の言葉は彼らからしてみればまるで皇国に媚びを売っているように聞こえたからだ。
もっとも、長老としては人魚族の最低限の面子さえ保てれば、媚びでもなんでも売るべきだと考えていたので、彼らの見方はある意味正しかったのだが。
「良いか。なんとしても、皇国を怒らせてはならんのだ!分かったな?」
そう言いつつも、何処か彼らを信用していなかった長老は、後で信頼できる者に彼らの監視を任せることにした。
そして、同時に彼ら以外の有望な若者を今からでも自分達の後継者として育てることを考えつつ、どうにか人魚族が皇国の手によって滅びるという未来を避けようとする。
──だが、彼は知らない。
この行為こそが彼らの思考の更なる先鋭化を招き、凶行に走らせることになるということを。