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創造主は今宵ダンスを踊る  作者: 青海空人
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前編・前奏曲(プレリュード)①

「新入りよぉ、お前ここに落っこちてきてどのくらいになるね」

 地面に転がった鉱石を一つまた一つとトロッコに投げ入れながら、襤褸の布切れを纏った、痩せこけた禿頭の男が叫ぶように問うた。乱暴に伸びた髭をかき分けて覗く口の中の黄ばんだ歯は、ところどころで抜け落ちてしまっている。

「三年」

 初老の男の問いかけに不愛想に答えたのは、見た目にも筋骨逞しく、一心不乱につるはしを振るう青年だった。汗が顔から、首筋から、露出した肌の全てから噴き出している。この地の底では、惑星の核から放出されるエネルギーがそこら中に充満していて、その膨張した熱量で蒸し焼きにされる恐怖がそこに居座る者の身にまとわりついて、離さない。

 しかし星の最果てに落とされた人間たちは、そんな恐怖にもとうに慣れ切ってしまっていた。それは麻痺に近いのかもしれない。恐怖や苦痛、それら感情からの麻痺である。

そうしなければ瞬時に生きることを諦めてしまうような、過酷な環境がそこにはあった。

 初老の男はひゅーひゅーと喘息の発作の時のような音を喉から出して、笑った。

「三年か。それじゃあもうお前は新入りじゃねえがな。まぁ今更変えらんねえ。ずっとお前は新入りだ」

 そうしてもう一度笑った。そのまま死んでしまうのではないかと不安になるような笑い声だ。青年は表情一つ変えることなく、つるはしを叩きつけている。力いっぱい叩きつけても、壁面からは拳よりも一回りも小さい鉱石しか取れない。それを初老の男が布切れでゴシゴシと磨く。黒光りしたそれは、彼らに取っても、また、この〝世界〟に取っても貴重な資源となる。つまりそれは〝命の(もと)〟となるのである。

「よっしゃ。今日の収穫はまずまずってとこさね。これでまた娑婆の空気が近付いたってもんだ。なぁ、新入り」

 男がまたも奇妙な笑い声をあげようとした時、傍らのトロッコからけたたましい警告音が発せられた。

「貴様タチ私語ガ多イゾ。既ニ本日ノ採石量ハ規定値ニ達シテイル。速ヤカニ鉱石ヲ収納セヨ。繰リ返ス。既ニ本日ノ採石量ハ——」

 トロッコの下部には黒い楕円の形をしたカメラレンズが二つ付いている。それがこのトロッコ型ロボットの目にあたる。その目の下に荒い網目のフィルターが一つ。口を模したスピーカーだ。そこから二人に対する警告が繰り返し再生される。

 男は聞き取りにくい声でそのロボットに向けて悪態を吐くが、それは〝彼〟には認識できなかったとみえて、注意することなく警告文を読み上げ続けていた。。青年は額の汗を腕で拭うと、トロッコの縁に据え付けられたモニターに何かを打ち込んだ。

「作業終了ノ報ヲ受理。第二五一班甲・乙両名は直チニ収容区ヘ帰投セヨ」

 トロッコ型ロボットは男たちが指示通りに行動し始めるまでその場を動かない。彼らが重い足取りで横穴から出て、地上へと上がる粗悪なエレベーターに向かって坑道を進み始めたのを見届けてから、ようやく動き出した。モーター音を響かせながら、四つの車輪を回転させて。

横穴から次々と同じ形をしたトロッコ型ロボットがジリジリと進み出てきて、坑道の奥の暗闇へと消えて行った。奥には彼ら専用の良く整備されたエレベーターが備え付けられていたのだった。


   *


 青年は、名をフィーリウスといった。一度、誰かが彼の名を尋ねたときに自身でそう名乗ったのだ。しかし、誰も彼を名前で呼ぶことなどしない。ロボットたちに『第二五一班・乙』と記号で呼ばれるか、いいところが〝同居人〟たちから好き勝手に名付けられるのだ。

「よう、でく人形。調子はどうだい」

 今も気さくにフィーリウスに声を掛けてきた男も、そんな風に彼を渾名で呼んだ。一見けなしているようにも思えるが、呼びかけた本人は屈託のない笑顔を浮かべている。ここ〝大穴の底〟では、そんな失礼な渾名で呼ばれることくらいどうということはなかった。

 だから最初、青年のことを『フィーリウス』と呼びかける声が聞こえたとき、彼を茶化したその男は一瞬目を丸くしたのだった。しかも駆け寄ってきたのは女だ。若い、美しい女だった。顔じゅう煤と埃だらけだが、その美貌までは汚せなかったとみえる。

「フィーリウス、今日もご苦労様。はい、これ」

 赤茶色の髪の長いその女は、フィーリウスに声を掛けて労うと、綺麗な白い布切れを差し出した。フィーリウスは布切れをじっと見つめて、緩慢な動作でそれを受け取った。

 そんな二人の様子を傍らで眺めていた男が、顔を引きつらせながらフィーリウスに詰め寄る。

「おい!でく人形よぉ、おめぇ女なんていたのかよ⁉でく人形のくせに!やることやってんじゃねぇかよ。まったくよ、こんなでく人形のどこがいいってんだ?」

 男は唾を飛ばしながら叫ぶように言い放つと、大げさに地団駄を踏む。言葉の端々に嫉妬と蔑みが感じられた。どうということはないそんな男の感情の発露を、しかし女の方は放ってはおかなかった。

「でく人形でく人形って、あんたさっきから誰のこと言ってんのさ!もしこの人のことを言っているんだとしたら、大間違いだからね。この人にはちゃんとフィーリウスって立派な名前があるんだ!今度また嫌な渾名で呼んでるところを見つけたら、あたしが承知しないから!」

 女はその眼力でもって男を威圧する。背の高さでは男より頭一つ分小さい女が、腕まくりをして突っかかってくる様は傍から見れば滑稽である。しかし頭に血が上った当の本人にしてみれば、男勝りなその女の態度にさらに怒りがせり上がってくる。

「なんだとこのアマ!」と右腕を振り上げた。

 その腕をフィーリウスが掴む。ギリギリと力が加えられていき、やがて耐え切れずに男は悲鳴を上げた。悪役にお定まりの負け台詞を吐き捨てて、男は去っていった。

「何度目かしら、こうやってフィーリウスに助けてもらうのって」

 感謝の意を伝えてから、女は青年に対してしみじみと呟いた。この地の果てでは、兎角女は生きずらかった。危険な目に何度も遭遇し、その度に青年は女を助けた。

 何の感情も読み取ることができない人形のような表情で、フィーリウスは天を仰いでいた。彼がまばたき一つしないのはいつものことだ。

「ねえフィーリウス。何を考えているの?」

 女はまれに、そんな問いを青年に投げかけた。それがフィーリウスという人間なのだと理解してはいても、およそ意思というものが宿る気配が感じられない彼の横顔に相対した時、女は言われようのない不安に駆られるのだ。

「空が小さい」

 そして決まってその問いにフィーリウスはとても短く、哲学的にも捉えられるような答えを返すのだった。

 女もつられて天を見上げる。フィーリウスの言う通りに、小さく円形に切り取られた暮れゆく空が、そこにポツンと浮かんでいた。


「二人そろって何見てんだ?空に何かあんのかね」

 傍らで不意に声を掛けられて、女は首を勢いよく下げた。急激な視野の変化に少し戸惑った。やがて、そこかしこで談笑に花を咲かせている人々の群れが目に入ってきた。

 皆、一日に一度、日没前に与えられる自由時間であるこのわずか十分の間を心から楽しんでいた。

「アモルの嬢ちゃん、変わりはないか?」

 隣りには、白髪の長い髭をたくわえた禿頭の初老の男が立っていた。アモルと呼ばれた女よりも更に小さい小男だ。彼は採石抗でフィーリウスとコンビを組んでいた妙な笑い声のあの男である。

「お久しぶり、ウィルおじさん。あたしは至って元気よ。おじさんは?」

 さっそくウィルはひゅーひゅーと笑いながら、

「儂はほれこのとおり、ピンピンしとるよ!そうだ、この前坑道で親父さんに会ったぞ。あそこの班はいつもは遅番なんだが、その日は偶々早番組だったようでな。アモルに会ったら変わりはないか聞いてくれと言っておった。なに、親父さんも息災だよ。背筋もピンと伸びておったしな。しかしこうも早くにお前さんに会えてよかった」

 アモルは大きく頷くと、なおも空を眺め続けているフィーリウスに一瞬目をやった。空なんて何にも珍しいものなどないのにと、彼女は頬を膨らました。

「今日は久しぶりの広場の草取りだったの。ねぇ聞いて、おじさん。あたしまたフィーリウスに助けられちゃった」

 自分に注意を向かせるように、大げさなほど大きな声でアモルは言った。

 しかし即座に反応したのは、残念ながら禿頭の小男の方だった。

「そうかそうか。お前さんたち親子はよっぽどこやつに縁があるとみえるな。おい、新入りよ!上ばっかり見てねえで、せっかくお前の隣りにこんなべっぴんさんが控えてるんだ。もっと愛想よくしねえかや!」

 思わぬところから助け舟が出されたので、アモルは胸の内で禿頭の小男に感謝した。

 いつものだみ声で咎められて、ようやくフィーリウスは視線を女の方に向けた。

 優しい、澄んだ瞳だとアモルは思った。全身から硬質な緊張感をいつも放っているくせに、その瞳だけは穢れを知らない少年のまなざしのような純粋な光を湛えていた。

 この瞳に、自分は惹き込まれたんだ。アモルは瞬間、父親のパテルが落盤事故に巻き込まれた日のことを思い出していた。


二年ほど前にこの坑道で落盤が起こった。多くの男たちはかすり傷を負う程度で逃げ出してきたのだが、アモルの父パテルが一向に上がってこない。一人娘であるアモルは周囲の男たちに懇願した。父が坑道に取り残されているはずだ、誰か助けに行ってくれ、と。再三にわたって求めたにもかかわらず、誰もその場から動こうとしなかった。

そうしているうちに、監視ロボットたちが坑道入り口を封鎖し始めた。アモルがそれを食い止めようとロボットたちに駆け寄ろうとした時だった。一人の青年がパテルを背負って坑道を上がってきたのだ。その青年こそ、フィーリウスであった。

 父の名を叫びながら駆け寄ったアモルを、青年は真っすぐに見つめた。その時も、彼の瞳は一点の曇りもなく澄んでいた。ごく自然に自分の身体がその瞳の中に惹き込まれていくのをアモルは感じたのだった。


「新入りよ、儂とお前の残りの刑期を見てきたぞ。儂が百五十年、新入りは二百八十年。ざっと数えてみたらな、お前と組んで三年だが、そのたった三年で十年も縮んだぞ。儂はな、このごろ諦める気が失せてきたんだ。生きているうちにまた上に戻るつもりだよ。本気でそう思っておる。必ず上がってみせるぞ。必ずな!」

 ウィルが拳を突き上げて叫んだ。その様子を見ていたアモルは、悲しげに眉根を寄せた。

「嬢ちゃんがいると分かっていたら、一緒に見てきたんだがの」

 そう言うとウィルは一度視線を背後に向けた。そこにはディスプレイの付いた筐体が横一列に十台ほど並んでいて、多くの者たちがわらわらとそれに群がっていた。

「あたしはもういいのよ。子供の頃にここに落ちてきてから、あっという間に二十年も経っちゃったんだから。——ほらみて、あそこがあたしのお墓になるの。みんなと一緒に眠るのよ」

 今度はアモルが背後を振り向いた。虚空の暗闇をたたえた洞窟の入り口がぽっかりと開いていた。

その中には共同墓地があった。アモルの母親もそこに眠っていた。

 ウィルもじっと洞窟を見つめていたが、ふと視線を足元に落とした。

「時間だ」

 アモルもウィルも、フィーリウスが呟いたその言葉に、重い感傷から瞬時に我に返った。

人々が束の間の自由を味わっていた広場に、重苦しく忌々しいサイレンが響き渡った。周囲に立っていた監視ロボットたちが一斉に警告を発し始める。

「囚人ハ速ヤカニ収容区ヘ帰投シ、食事ノ後、就寝前ノ作業ニカカレ。繰リ返ス――」

 広場に集まっていた者たちは一様に深い溜息を吐いて、男女別に分けられた二つの収容区へと入っていった。その足取りは重く、皆引き摺るようにして歩いて行く。

 ただ一人、フィーリウスだけが、背筋をまっすぐに伸ばして歩いていた。


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