ヴォロネジ会戦⑦
【1943年5月19日 南部作戦区域 】
第48装甲軍団は開戦以来、14の要塞陣地を突破してきたが、ついにスタールイオスコル陣地第三線目で足止めを余儀なくされていた。
先鋒を進むグロスドイッチュラント師団の損耗は大きく、開戦前に500輌を超えた装甲戦闘車両は200輌前後に減っている。
対するソビエト赤軍の戦略的意図は明らかだった。
徹底した縦深防御でドイツ装甲師団群を疲弊させ、その鋭鋒が鈍るまでひたすら作戦予備を前線に投じ続ける。
そして、ボロボロになった所で戦略予備軍による総反撃を行い、一挙に殲滅する。
「突破が出来ないのは東方から接近する敵予備兵力の移動を止められないからです。この流れを変えない限り、結果は同じかもしれません…」
アリス・ハーネ少佐はハインツにプランBの中止を遠慮がちに持ちかけた。
プランBは左翼の第48装甲軍団が北に回り込み、南を固めるSS装甲軍団、第3装甲軍団、第24装甲軍団と共に敵前線兵力を撃ち滅ぼす計画。
その性質上、左翼だけが北に突出してしまい、進撃すればするほど側面が脅かされ、攻撃中の師団は戦車や装甲車両を振り分けて側面を守らなければならなかった。
側面に戦力を割いた分、攻撃衝力は削がれてしまう。
このままプランBを続行しても成功は見込めないように思えたが、プランBを断念した時点で勝率が大きく下がるのは間違いない。変更を持ちかけておきながら、アリス自身も内心は忸怩たる思いだ。
アリスの葛藤をよそにハインツの反応は淡白なものだった。
「プランを変更しろと?」
「はい。プランCへの変更が妥当かと思われます」
プランCは単純愚直な正面攻撃作戦だった。左翼はひたすら北をめざして突破を続ける。
中央と右翼も北上し、主攻である左翼の側面を守る壁となる。
中央のSS装甲軍団は北東に部隊をむけ、右翼の第3装甲軍団、第24装甲軍団と共同で敵予備兵力の西進を遮断。主攻である第48装甲軍団は側面援護兵力にOKH予備も加えた全兵力で突破を行い、北の第二装甲軍との合流をめざす。
ただし中央と右翼も前線を押し上げねばならないので、犠牲は大きい。
左翼だけ突出した状況下で三軍の進撃速度の歩調をあわせるのもなかなかの難事業だ。
プランBは第48装甲軍団さえスタールイオスコルを抜けば、中央と右翼は突破戦をしなくとも、ステップ戦線軍を殲滅出来た。
最強戦力の第48装甲軍団が消耗してる状況で、北への突破が上手くいくのかどうか。
「わかった。ただし、弱冠修正を加える。OKH予備を投じるのは左翼ではなく右翼だ」
ハインツの修正案は直ちに第四装甲軍麾下の全部隊に発令された。
この作戦変更を最も喜んだのは中央部隊に位置するSS装甲軍団だった。
3個SS装甲師団から成るSS装甲軍団の装備は国防軍の基準でも精強といえた。
ヒトラーの近衛兵だけに、どの師団も1個装甲連隊と6個装甲擲弾兵大隊、1個多連装ロケット砲旅団、1個重戦車中隊を持っており、装甲車両や支援火器は気前よく支給されている。
しかし、国防軍はこの軍団に余り多くを期待していなかった。
各SS装甲師団が連隊規模だった1941年の東部戦線。
彼らは狂信的な戦いぶりで有名になったが、損耗率に反して戦果が乏しく、1942年のほとんどを休養地のフランスで過ごしていた。
勇猛ではあるが戦技には乏しいというのが、国防軍の評価であり、ヴォロネジ会戦においてSS装甲軍団に与えられた役割は支援だった。
当然、この処置に隊員たちは不満を覚えた。
自分達こそ戦局を変える戦力なのだと確信していた彼らは、プランCへの変更を喜び、猛然と進撃した。
SS装甲軍団は三つの点で赤軍より優位だった。
一つはステップ戦線軍が第48装甲軍団の進撃に対応するため右翼の第5親衛軍戦区に重点を置いたこと。
もう一つは途切れることのないドイツ空軍の支援。
そして、なにより戦技よりも純粋な力のぶつかり合いが求められる突破戦に、SS装甲軍団はイデオロギー面でも精神面でもむいていた。
軍団長のハウサー大将も猪突猛進という言葉がぴったりな指揮ぶりで有名だった。
各SS師団は常軌を逸した勇猛さでソビエト軍陣地に襲いかかった。
重砲、ロケット砲、戦車砲とあらゆる攻撃手段を集中して抵抗拠点を粉砕し、装甲擲弾兵は弾雨の中に躊躇なく突っ込んだ。
重戦車に遭遇しても肉弾で応戦し、収束手榴弾や火炎瓶、ガソリンで仕留めた。軍団が撃破した240輌の装甲戦闘車輌のうち170輌はこの手の肉弾攻撃によるものだった。
装甲擲弾兵連隊長が自ら塹壕に飛び込み、ソビエト兵相手に白兵戦をまじえることもあった。
SS装甲軍団と対峙していた第1親衛軍は相手がヒトラーの近衛兵であることをよく認識していた。
第1親衛軍司令官クリュチョンキン大将は第52親衛狙撃師団、第35親衛狙撃師団という精鋭師団群を前線に配置。
対戦車砲、ロケット砲、迫撃砲、戦車から成る複合組織体で迎え撃った。
しかし、万全ともいえる赤軍の防衛システムはSS装甲軍団の野蛮な突撃によって無茶苦茶にされた。
犠牲をかえりみない突撃が、赤軍対戦車防御陣地の大半を戦闘不能に陥いれ、第1SS装甲師団「ライプシュタンダルテ」が第52親衛狙撃師団戦区の抵抗拠点を確保。
第2SS装甲師団「ダス・ライヒ」と第3SS装甲師団「トーテンコップ」も第35親衛狙撃師団戦区を制圧し、第1親衛軍の抵抗線は見事にへしおられた。
ハウサー軍団長は崩れ立った防衛線に全予備兵力を投入。敗走するソビエト兵を蹴散らしながら、立ち塞がる要塞線を迅速かつ効果的に抜いていった。




