黄作戦④
B軍集団(司令官ボック上級大将)の役割はベルギー方面で英仏軍主力を誘引する囮だ。
その戦力はわずか第六軍(ライへナウ上級大将)と第十八軍(キュヒラー大将)の二個軍に過ぎない。
しかも、第十八軍がオランダ方面にまわるので、実質一個軍で英仏軍主力と対峙しなければならない。
もし、アルデンヌでの突破作戦が失敗すれば一番最初に壊滅するのが、このB軍集団だろう。
当然、B軍集団司令部では俺のことを無茶な作戦をたてて、自分達を危険にさらした若造としかみていない人間も多く、居心地はあまりよくない。
「降下猟兵師団の一斉投入?」
「地形制約上、地上進撃が困難なオランダで迅速な進撃を可能にするには空挺降下しかありません。ハーグ、アムステルダムを一挙に制圧し、オランダ中枢部を麻痺させるのです!」
陸軍空輸師団参謀長ファングオール大佐の言う通り、オランダの迅速な確保に、空挺部隊の投入が不可欠なのは間違いない。
だが、オランダ軍は主力部隊をハーグやアムステルダムを守るホーランド防衛線に集結させていた。
史実だとハーグに降下した空挺部隊は甚大な被害を出して、撃退されている。
「いいと思います」
「小官はファングオール大佐の意見に賛成です」
「小官も同意します」
参謀部メンバーは俺以外全員賛同した。
唯一賛同しない俺がきになったのか、ボック上級大将が俺に意見をもとめてきた。
「ヴェステンハーゲン作戦参謀はどう思う?」
「私は反対です」
一同が俺に注目する
「オランダ軍が待ち伏せている地点に降下すれば、いくら降下猟兵が精鋭でも甚大な被害がでると思われます。降下猟兵は橋梁確保を優先し、ホーランド線への攻撃は野戦軍が実施すべきかと」
「少佐。貴官は我が部隊がオランダ軍相手に負けると言いたいのか?」
ファングオール大佐がじっとこちらをみつめてくる。
「はい。必ず負けます」
俺が断言しても大佐に怒った様子はない。
「・・・理由を聞かせてもらえるか?」
「ホーランド線内部にはオランダ軍の最精鋭部隊が配置されています。一個師団単独で制圧できる戦力ではありません」
オランダ軍は対独国境地帯のイーゼル=マース線、その背後のグレッベ=ペールラーム線という二重防衛線に加え、首都アムステルダム周辺を守るホーランド防衛線を展開している。
第二軍団、第三軍団、第四軍団はグレッベ=ペールラーム線に配置され、ホーランド線内部は最精鋭部隊の第一軍団が守っている。
携帯火器で戦う降下猟兵では重砲や装甲車で待ち伏せているオランダ第一軍団には抗しえない。
「司令官閣下、いかがでしょう?」
アルデンヌでの突破が成功し、フランスが降伏すれば、オランダも自然降伏する。
大きな被害を出してまで、無理に降下作戦を実施する必要性はないだろう。
降下猟兵が確保した地点を経由して装甲師団を投入すればいい。
「作戦参謀に任せよう。それでよいかファングオール大佐?」
「はっ」
ボック上級大将の発言でハーグ、アムステルダムへの降下作戦は採用されず、攻勢の主体は第十八軍が担うことになった。
ファングオール大佐は内心不満だろうが、ここは我慢してもらう。
言い方は悪いがオランダ程度に貴重な降下猟兵を消耗させるわけにはいかない。
対連合国と言っても最大の敵はソ連だと俺は考えている。
できれば対ソ戦まで戦力は温存しておきたい。
【1940年5月3日 フランス共和国 パリ ヴァンセンヌ城 陸軍最高司令部】
「ドイツ国防軍は5月8日~10日にかけて攻勢を実施する可能性が極めて高い。攻勢重点はアルデンヌ方面にむけられる模様」
スイスのフランス大使館付き武官から興味深い電文が届いた。
さらに、ここ数日各軍司令部、各軍団司令部からアルデンヌ森林地帯に大規模な車列を確認したとの報告が相次いでいる。
フランス第一軍司令官ブランシャール中将はフランス軍が長年練り上げてきた防衛戦略に、不安を覚えていた。
フランス軍の国防戦略は、防御に重点を置いたものだ。
ドイツとの国境に難攻不落の要塞線を建設してドイツ軍を食い止め、長期持久戦に持ち込む。
戦争が長期化すれば、イギリス海軍の海上封鎖により、資源に劣るドイツは先に枯れ果てる。
フランス軍はドイツが経済的な限界に達するその日までひたすら待てばいい。
無理をする必要性は全くないわけだ。
英仏軍の対独作戦計画「ディール計画」もフランスの伝統的な国防戦略に基ずき立案されている。
①永久要塞の建設に適さない地盤という地理的要因
②ベルギーの対仏感情を考慮した外交的要因
③ベルギー国境でドイツ軍を防いだ場合、北フランス工業地帯がドイツ砲兵の射程内に入るという経済的要因
この三つの要因を考慮してマジノ線はベルギー国境を含むフランス北東部には敷かれていない。
当然、ドイツ軍は先の大戦と同様にベルギー方面から進撃してくるだろう。
開戦と同時に英仏軍主力は迅速にベルギー領内へと進撃、ドイツ軍の到達前にディール河まで到達し、ベルギー軍と共同で防衛線を敷く。
ようするに、ベルギーの国土を戦略的縦深として確保する作戦だ。
ただし、この作戦には致命的な欠陥が二つある。
一つ目はベルギーの中立政策だ。
ディール計画の発動にはベルギー政府およびベルギー軍との綿密な連携が鍵となるが、ベルギー政府は依然として頑なに中立を守っている。
先の大戦で国土が焦土化したベルギー政府は戦争に巻き込まれることを過敏に恐れているのだ。
ベルギー政府の協力を前提としているにも関わらず、いまだに軍同士の協議すら行われていない。
二つ目がベルギー南部のアルデンヌ地方。
ディール計画では英仏軍主力がベルギー北部のディール河に全面展開することになっているので、南部のアルデンヌ地方はがら空きとなる。
もし、ドイツ軍がこの間隙に気付き、ベルギー南部地帯から奇襲をかけてきたら取返しのつかない事態になるだろう。
アルデンヌ方面の備えは現状ゼロに等しい。
「ガムラン元帥。意見具申よろしいでしょうか?」
「なにかねブランシャール中将」
「各軍司令部とスイス大使館駐在武官からの情報です。ドイツ軍はアルデンヌからの奇襲を計画しています」
途端にガムランの顔がくもる。
「またその話かね?何度も言ってるだろう?アルデンヌ森林地帯を装甲車両が通過することはできんと。ベルギー軍に任せればいいのだ」
「ベルギー政府は依然として旗幟を鮮明にしておらず、ベルギー軍などあてにはなりません。我が軍単独でアルデンヌを守る体制を作らなければ、大変なことになりますぞ!」
「あーあーわかった。わかった。だがなあアルデンヌ方面の守りはわしではなく、北東方面軍司令部が統括しておる。なにかいいたければそっちにいけ。わしはいそがしいんじゃ」
しっしと蠅でも払うように退出を促すガムラン。
フランス北東部に展開する陸軍の指揮は本来、北東方面軍司令官のジョルジュ大将がとるはずだった。
しかし、ガムランは陸軍最高司令官の権限を使って指揮系統に干渉。
ジョルジュは激怒するもガムランは干渉はやめず、現時点でも指揮権の二重問題は解決されていない。
恐らくうっとうしい意見具申者はジョルジュにでも押し付けておけばいい程度の思慮しか働いてないのだろう。
ブランシャールは官僚的弊害により異常なまでに硬直化した自軍の現状に嘆息せざるをえなかった。