モスクワ会戦⑨
【1941年8月11日 東部戦線 クリン 第24装甲軍団司令部】
第二装甲軍の先鋒を務める第24装甲軍団は装甲擲弾兵師団「ダス・ライヒ」、第3装甲師団、第10装甲擲弾兵師団の合計三個師団で構成される。
軍団長ネーリング大将は三個師団全ての砲兵火力をクリン陣地帯にむけた。
通常、陸軍の歩兵師団には一個砲兵連隊(四個砲兵大隊)の支援がつく。105ミリ榴弾砲が36門、150ミリ榴弾砲が12門の編成だ。
しかし、装甲師団は一個砲兵連隊が三個砲兵大隊の編制であり師団火力は通常の師団よりも低い。105ミリ榴弾砲28門、150ミリ榴弾砲8門の編成となる。
装甲擲弾兵師団は通常の歩兵師団と同じ編成なので、軍団の総合火力は105ミリ榴弾砲100門、150ミリ榴弾砲32門の合計132門。
対する赤軍はクリン陣地帯の第一線に三個狙撃師団を配置している。今までの戦闘で一個狙撃師団に付き支援につく火砲は60門と判明しているので、前線火力だけで180門。さらに軍団直属の遠距離支援砲兵群の支援も受けられる。
火力では明らかに劣勢といえた。
砲兵は懸命に榴弾を叩きつけているが、赤軍の防御砲火がやむ様子はない。
戦車の進撃路を切り開くため先行した突撃工兵は、120ミリ重迫撃砲の集中砲火を浴び、すでに三人の中隊長が倒れた。
遅々として進まない進撃にネーリングが焦りを募らせていると、参謀長が一人の捕虜を連れてきた。
「この捕虜の供述によると、敵の第342狙撃師団が先日の戦闘で大損害を受けたそうです。打撃部隊であるT-34大隊も二個大隊がすでに戦闘不能とのこと」
「ならばそこが敵の弱点であろう。砲兵指揮官に伝えよ。全火力を第342狙撃師団防衛区にむけろとな。空軍にも地上支援を要請するのだ」
ネーリングは嬉々として指示を出す。
全砲兵が一斉に火を噴き、急降下爆撃部隊が敵陣を焼き払うと、戦車、装甲擲弾兵が一斉に突撃する。
第286狙撃連隊地区が瞬時に踏みやぶられ、第311狙撃連隊も粉砕されていく。T-34大隊も会敵した途端に消し飛ばされた。
第342狙撃師団の戦線は蹂躙され、ここに陣地帯第一線の堤防が決壊した。
第24装甲軍団は決壊した箇所から濁流のような勢いで第二線陣地へと突入していった。
【1941年8月15日 東部戦線 カリ―ニン 第二装甲軍司令部】
先頭を進む第24装甲軍団の損害は7割を超えた。軍団の持つ戦車の稼働率も3割を下回り、7割以上の戦車が撃破されるか、修理を必要としていた。
防御側の赤軍はドイツ軍の侵攻方向に、戦車、工兵、砲兵を敷き詰めるだけでいい。
クリンからモスクワにいたる街道は赤軍の対戦車陣地帯でびっしり固められていた。
「犠牲が大きすぎるな」
グデーリアンがぽつりと呟く。
殺人的な防御砲火を強引に突破してきた。おまけに、大隊単位で独立した防衛戦闘を継続できる赤軍は、最後の一大隊まで皆殺しにしなければ、抵抗をやめない。敵襲撃機の執拗な攻撃で支援部隊の犠牲も大きい。
激戦に次ぐ激戦で、さすがのドイツ軍装甲部隊にも限界が近づき始めていた。
「第46装甲軍団と第57装甲軍団を解体し、自由になった師団を第24装甲軍団の補充としましょう」
師団ごとに組み立てが容易なのもドイツ軍の強みだった。先鋒の軍団が壊滅しても、新しい師団を送ることで軍団は進撃を継続出来る。
第三装甲軍から提供された第57装甲軍団も解体され、装甲師団と装甲擲弾兵師団だけが先鋒の第24装甲軍団に送られる。
ただ、大勢はすでに決していた。先鋒の第24装甲軍団はモスクワから20キロの地点にまで迫っている。
ここ数日の戦闘で対戦車火制地帯の位置、打撃部隊の規模、後方陣地帯の予備兵力と陣地帯の全てを把握した。補充と再編が完了次第、実施される攻勢で、モスクワは陥落するだろう。
「打撃部隊」と「阻止部隊」の存在はすでに全部隊指揮官に周知されている。そのため、一度敵の阻止部隊と打撃部隊を把握すれば突破は容易だった。戦車を集中して突破口を形成すれば、赤軍はその地点に全ての砲火力と反撃用の打撃部隊をむけてくる。
ようするに最初から打撃部隊による反撃が防御の前提なのだ。打撃部隊さえ叩いておけばたいていの陣地帯は粉砕された。仕掛けさえわかれば簡単だ。ただ、その仕掛けを知るのに多くの犠牲を強いられた。
「補充が完了次第、終わらせるぞ少佐」
「はっ」
タフなことで有名なグデーリアンも疲れているように見えた。
【1941年8月17日 クレムリン モスクワ防衛軍司令部】
「モスクワはいつまで持ちますか?」
スターリンの質問にジューコフは率直に答える。
「よくもって一週間でしょう」
クリン防衛線はすでに崩壊寸前だった。クリン=モスクワ陣地はもはや機能していない。陣地帯の八割はドイツ軍の手に落ち、守備兵力も六割が死傷した。残存兵力が後方陣地帯に立てこもり抵抗を継続しているが、陥落は時間の問題だろう。そして、クリン防衛線の崩壊はモスクワの陥落に直結する。
ジューコフはモスクワを失うことになっても、戦争そのものを失うとは考えていなかった。
それよりも彼の主が陥落の決まったモスクワに固執し、将兵を無駄に失うことを恐れていた。
「同志最高総司令官。ここは残存戦力を温存して再起を図るしかありません。全戦線に撤退の許可を」
モスクワが落ちれば主要な幹線道路と鉄道線もドイツ軍の手に落ちる。そうなれば、モスクワ防衛軍だけでなく、ドニエプルで南方軍集団を食い止めている南西戦線軍も、バルト地方で奮闘している北西戦線軍も退路を断たれてしまう。鉄道線を確保しているうちに安全圏まで全軍を下げて置きたかった。
「・・・陥落するというのであれば仕方がありません。撤退を許可しましょう。ですが、条件が一つあります」
「なんでしょうか?」
「今年中にモスクワを奪還すると約束しなさい」
ジューコフは慎重に答えを告げる。
「それは不可能かと思われます。最低でも来年の春にならなければ我が軍は損失から回復できません」
「ジューコフ将軍。私は可能か不可能かをきいているのではありません。これは最高総司令官としての命令です」
スターリンの考えはジューコフにもよくわかる。このままモスクワを奪われ来年までなにもしなければ、我が国は国際社会から継戦能力を疑われる。アメリカは欧州への干渉を諦めるかもしれない。イギリスもファシストとの単独講和に応じるだろう。
そうなれば、我が国は支援を閉ざされ、一国だけでファシストと戦うはめになる。
ソビエトの継戦能力を世界にアピールするための反撃。例え失敗してもソビエトの確かな抵抗をアピールできればそれでいい。恐らくそういうことだろう。
スターリンは赤軍将兵よりも西側の支援をたのんでいる。もしかすると彼は今回の敗戦で赤軍に失望したのかもしれない。あまりいい傾向とは言えなかった。
「同志最高総司令官。春まで待てば我が軍だけでもファシストを粉砕することは可能です」
「わかっていますよジューコフ上級大将」
スターリンの口調はどこか空々しいものだった。




