モスクワ会戦⑥
【1941年7月28日 ソビエト社会主義共和国連邦 ロシア社会主義共和国 第二装甲軍 第四装甲師団司令部】
第二十軍陣地帯に対して、第四装甲師団麾下の砲兵大隊が一斉に火を噴いた。
背後には戦車、突撃砲、装甲擲弾兵、突撃工兵が突撃の命令を待っている。
師団の苛烈な面制圧にも関わらず、陣地帯からはなんの反撃もなく、各指揮官が訝しげに中の様子を探っていると、前線偵察部隊から連絡が入った。
「敵はすでにいません!戦車部隊と狙撃部隊の大軍がクリン方面へ撤退していきます」
敵はクリンに撤退し、増援部隊との合流をはやめる気だ。逃がせば戦力比は逆転してしまう。増援と合流される前に背後から猛追して撃滅しなければならない。
エーベルバッハは全装甲部隊に追撃の命令を下した。パンターを中心とする快速打撃部隊に、突撃砲部隊、装甲擲弾兵部隊が続き、さらに後方を牽引車両にひかれる支援火砲部隊、補給部隊が続く。
装甲師団は歩兵から砲兵に至るまで、全ての部隊が機械化され、高度な機動力を持って移動が出来る。歩兵のスピードにあわせて撤退する赤軍に追い付くのは容易だと思われた。
第四装甲師団は猟犬のように撤退するソ連第二十軍の追撃を開始した。
【1941年7月28日 ソビエト社会主義共和国連邦 ロシア社会主義共和国 モスクワ防衛軍 第二十軍司令部】
「ファシストの動きはどうだ?」
「はっ。司令部が予想した通り、敵は追撃を決めたようです。100両以上の戦車が我が軍を追って、こちらにきています」
ジューコフ大佐は指揮車両の中で偵察部隊からの無線報告をきいていた。ファシストは予想通り、第二装甲師団との合流を待たずに各個撃破を狙ってきた。火力でも機動力でも勝る相手に追撃を受けている。一見、最大の危機に見えるが、ナポレオン時代の兵学家がいった通り、最大の危機は最大の好機でもあった。ファシストの装甲戦力がこちらを捕えた時こそ、全力をあげて反撃に移る。
モスクワ防衛軍司令部は先行している第四装甲師団こそ最大の脅威ととらえた。この師団を阻止するために大規模な作戦機動集団を送ったが、精強なドイツ軍装甲師団相手では、勝利に確信を得られなかった。
そこで、モスクワ防衛軍司令部は第二十軍を餌に確実に勝利する策を選んだ。他の装甲師団はクリンに到達するまで時間がかる。
第四装甲師団さえ叩いておけば、時間を稼ぐことができ、さらなる戦略予備軍をクリンに投入できる。
「よし。全部隊に伝達しろ。予定通りに動けと」
いままでの敗戦を鑑みる限り、赤軍の単純な暗号通信はファシストに解読されたとみていい。
無線を使う時は最低限の情報だけを盛り込むよう全指揮官に徹底してある。
「あとは空軍次第か・・・」
すでに反撃の主力となるT-34部隊は配置を終えている。工兵による地雷原の敷設も完了した。
ファシストを罠にはめるには戦車部隊と後続の支援部隊を引き離す必要があった。
そして、敵を分断できるかどうかは空軍の働きにかかっていた。
【1941年7月28日 ソビエト社会主義共和国連邦 ロシア社会主義共和国 第八襲撃機集団】
第662、第663、第687襲撃機航空連隊は意気揚々と出撃した。
久しぶりに本来の任務である、地上支援が実施できるのである。戦争序盤の奇襲攻撃で赤色空軍は地上から飛び立つ間もなく破壊され、膨大な損失を出した。結果的に前線爆撃機、長距離偵察機、護衛戦闘機といった特別な役割を持つ軍用機が破滅的なほど不足し、襲撃機であるIl-2が代用されることになった。
幸いなことにIl-2は優秀な機体で多様な任務に耐えられたのだが、本来の任務以外で運用されることが多く、肝心の地上支援がおろそかになっていた。
とくに「スターリンの罰直」と呼ばれた爆弾の搭載を強制する命令は、Il-2の機動力を著しく損なわせた。
それが今回、モスクワ防衛軍司令部の特命により、命令が一時的に解除された。
しかも、モスクワ防空軍直属の二個戦闘機連隊が護衛につく。戦闘機が不足する赤色空軍は襲撃機に護衛戦闘機をつけることも出来ず、各襲撃機は低空戦闘に持ち込むことで敵戦闘機になんとか対抗していた。今回の任務では敵戦闘機の存在は確認されていないが、例え現場に敵がいなくても帰投中に敵戦闘機の追撃をうけて壊滅という事例は何度も発生していた。護衛がつくことで襲撃機は安心して基地に帰投できる。
襲撃機三個連隊の任務は第四装甲師団の支援車両を叩くことである。先行する戦車部隊と後続の支援車両を引き離すことが任務であり、敵戦車部隊の始末は陸軍がやる。
ただし、第687襲撃機航空連隊は全機が23ミリVYa航空機関砲を搭載した対戦車仕様のIl-2から成る、対戦車任務部隊なので、この連隊だけは敵戦車部隊の撃滅に参加することになる。
出撃から一時間、ようやく下方に大規模な装甲部隊を発見した。情報通り敵の護衛戦闘機部隊は確認されない。
一個襲撃機連隊の定数は本来33機だが、現在の定数は二個中隊18機に連隊本部の2機をあわせた20機。つまり、60機あまりの襲撃機で数千両もの車両を叩かねばならない。この任務が敵後方車両の「殲滅」ではなく「足止め」な理由がわかるだろう。
「襲撃機集団長より各機へ。目標である敵装甲部隊を発見した!直ちに敵上空へ直進し、攻撃を開始する!」
目標を確認した各襲撃機は猛禽のように襲いかかり、軍需物資や兵士を満載した輸送トラックに爆弾、ロケット弾、機関砲を叩きこんでいく。攻撃を受けた車両は次々と爆発炎上する。装甲擲弾兵はハーフトラックに搭載された対空砲であわてて応戦するが、対処はまにあわず、あちこちで車列が寸断されていた。
広範囲にわたって黒煙が上がり、爆発音と火柱の波があたりを包みこんでいく。
奇襲を受けた装甲擲弾兵連隊と支援砲撃部隊は一旦進軍を停止した。
大戦果を挙げた襲撃機連隊の隊員は帰投後に空軍初のレーニン勲章を授与されることになる。




