改革案
快速部隊総監ハインツ・グデーリアン大将に呼び出されたのは二日後のことだった。
一介の少尉が大将閣下に呼び出されるなんて尋常なことではない。
もしかしたらアリスが口聞きしてくれたのかもしれない。
ポーランドからベルリンの陸軍総司令部に戻った俺は面会室でグデーリアンを三十分近く待っている。
「君がハインツ・ヴェステンハーゲン少尉か?」
「はっ。自分がハインツ・ヴェステンハーゲン少尉であります」
「報告書は読ませてもらったよ」
「ありがとうございます」
ここでグデーリアンと会談できたのは僥倖だ。
俺の考えを統帥部中枢に分かってもらう千載一隅のチャンス。
「このままでは我々は滅亡する。それが君の結論かね?」
「はい。現状我が帝国には国家総力戦を戦い抜く国力はありません。従来のドクトリンでは、後先考えずに国家総動員を実施しても、数年以内に連合国の物量に押しつぶされ、人的資源は枯渇するでしょう。この危機を乗り切るには国防軍のドクトリンを、いや帝国の国家機能そのものの改革が必要です」
「その結論を踏まえて君が提言したのが、この改革案というわけか」
「はい。戦争を短期間に終結させるには、快速の戦車部隊による縦深突破作戦しかありません。敵部隊ではなく敵の縦深そのものを一撃で崩壊させ、継戦能力を迅速に断つのです」
「具体的にはなにをするのだ?」
「まず、縦深突破に最適化した新型戦車の開発、量産が絶対条件です。四号戦車の火力、機動力では敵戦車との格闘戦や対戦車陣地戦闘に耐えきれません。一撃で勝負を決めるには最低でも新型戦車のみで構成された十個装甲師団が必要になります。二つ目に全ての戦車に無線を常備し、通信能力の大幅な強化が必要になります。三つめに全ての航空戦力は戦車部隊の支援を第一とします。戦略爆撃能力や航空撃滅戦能力にリソースを割いている余裕はありません。全リソースを地上支援に回すのです。そのためには指揮系統や組織の抜本的な改革が必要になります。新型戦車の量産、通信能力の強化、地上支援用空軍の創設。この三つが改革の基本方針となります」
「つまりドイツ国防軍が積み上げてきた全ての遺産を全否定して、代わりに、君の提言した新理論に全てのリソースを投入しろといいたいのか?それも、海とも山ともつかない新兵科に」
「はい。帝国を滅亡から救うには、戦争の帰趨を決める決勝理論を軍全体で体系化するしか道はありません」
グデーリアンは考えこんでしまった。
重苦しい沈黙が場を支配する。
「不可能だな」
沈黙を破ってグデーリアンが語り始める。
「・・・・ドクトリンや装備の抜本的な改革というが、そのための政治的、経済的な解決策を君は持っているのか? 改革には莫大な資金が必要になる。どうやってその資金を調達する気だ?他兵科や他軍種を巻き込んだ改革となると軍内部での反発は必須だろう。君には反対派を説得して、自論を確立するだけの政治的基盤があるのか?現段階で君の改革案は机上の空論どころか、妄想の域を脱してない」
「おっしゃるとおりです」
正論だ。
一介の少尉の俺にこれだけ大規模な改革を実行する力はない。
だが、問題なのはグデーリアン本人が俺の改革案をどう思っているかだ。
箸にも棒にも掛からない愚論だと思っているのか。
それとも。
「・・・・十月にベルリンで総統閣下も参加する戦略研究発表会がある。君をその発表会に推薦しよう。総統閣下に今ここで話した改革案を直接訴えられる数少ないチャンスだ。私が出来るのはこれぐらいだ」
「ありがとうございます!」
どうやら感触は悪くなかったようだ。
グデーリアン大将は俺の改革案に乗り気で応援してくれるらしい。
後は結果をだすだけだ。
【1939年10月25日 第三帝国 首都ベルリン 総統官邸】
「・・・・以上を持ちまして発表を終わりにさせていただきます」
この日の発表会にはヒトラーをはじめ、空軍元帥ゲーリング、海軍元帥レーダー、陸軍総司令官ブラウヒッチュ、陸軍参謀総長ハルダ―、国防軍参謀総長カイテル、親衛隊全国指導者ヒムラー、宣伝相ゲッベルスと、ナチ党と国防軍のそうそうたるメンバーが集まっている。
俺はその場でグデーリアンに披露した改革案を発表した。
ドイツは世界規模の総力戦に突入すること。
従来のドクトリンでは滅亡してしまうこと。
敵野戦軍の包囲殲滅ではなく、縦深突破に戦車部隊を運用すべきだということ。
空軍は戦車支援に全てのリソースをさく必要があるということ。
総力戦を勝ち抜くには他に手段がないということ。
現在同盟国であるソ連との戦争を前提とし、帝国は滅亡すると断言。
そのあげくに空軍は陸軍に従属させろと言ったのだ。
どれだけの人間を敵にまわしたかわからない。
ゲーリング国家元帥にいたっては顔を真っ赤にしてこちらをにらみつけている。
傍聴席にいる将校達も顔面蒼白で静まりかえっている。
最初に沈黙を破ったのはヒトラーだった。
「君の名前はなんといったかね?」
「ハインツ・ヴェステンハーゲン少尉であります」
「おもしろい。実におもしろいではないかヴェステンハーゲン君!私が求めていたのはこれだ!」
「ありがとうございます総統閣下」
「これからの帝国を支えるのは過去の栄光や教訓に囚われ硬直しきった老人ではない!彼のような新進気鋭な若者なのだ!我がドイツの未来は明るいぞカイテル君!」
「そ、そうですな総統閣下」
「そうですなではない!早速彼の改革を実行したまえカイテル君。彼にも相応な地位と身分をすぐさま与えるのだ」
興奮したヒトラーを陸軍のメンバーは冷めた目で見つめている。軍事エリートの彼らは、新しい物好きの軍事素人でしかないヒトラーを馬鹿にしきっている。
なにより旧来のドクトリンを全否定した俺に好感を抱いていない。空軍だけでなく陸軍上層部にも嫌われたのは、正直痛い。
だが、ヒトラー個人の知己をえたのは大きな成果だ。
独裁国家では独裁者本人にさえ気に入られれば、一気に権力の中枢に食い込める。
まだスタート地点だが、これで確実に改革は進むだろう。
俺の本当の戦いはこの日から始まることになる。