オーバーロード⑬
【1944年6月 ゴールドビーチ シャトー・ド・クルーレ イギリス第21軍集団前進司令部】
15万人以上が戦死・負傷・行方不明になった。
しかも、ドイツ軍戦線の背後で10個師団30万人が閉じ込められている。
その大部分は機甲師団でありイギリス第二軍の最精鋭師団が含まれていた。
このまま兵力の最強部分が破砕されれば、使える兵力はほとんどなくなってしまう。
ダンケルク以上の惨劇になると上も下も大騒ぎしている。
モントゴメリーは周囲の人間ほど事態を悲観視していなかった。
陣地に籠っていたドイツ兵は包囲運動のため無防備な側面をさらしている。むしろ、内外からの攻撃でドイツ軍を撃滅する絶好のチャンスともいえる。
孤立部隊は自力での脱出許可を求めてきていたが、モントゴメリーは救援部隊を待つようにと促した。
モントゴメリー以下連合軍首脳部は孤立部隊の救出と包囲網の撃滅に全力を挙げていた。
解囲部隊の編成と集中、物資・兵力輸送の整理、ポケット内への継続的な空輸、全戦略爆撃機、戦闘攻撃機の集中投与。
うてる手は全てうっている。
アイゼンハワーもパットン麾下の5個機甲師団を投じると約束してくれた。
航空兵力も急ピッチで出撃の準備を進めている。
カーン方面に集結した攻撃機の大編隊は移動中だった歩兵師団の隊列を捕捉し、これを壊滅させた。
包囲の外縁ではドイツ兵の遺体や炎上した車輌の残骸が何マイルにもわたって散乱している。
Dデイ始まって以来の大戦果に多くの将兵が溜飲を下げた。
しかし、戦果といえるのはこれだけだった。
すでに包囲陣地に入り込んでいた装甲師団に対して航空攻撃はほとんど効果がなかった。
連合軍航空部隊は形成された包囲陣地を粉砕しようと猛攻撃を続けているが、軽微な損害しか与えられていない。
ドイツ空軍の抵抗も日に日にうるさくなっている。
救出には強力な機甲兵力が必要であることがあらためて証明された。
しかし、機甲兵力のほとんどはポケットの内部にとじこめられている。
パットン戦車軍団も第7機甲師団と第9機甲師団しか到着していない。
それまで待つしかないが、ドイツ軍は待ってくれなかった。
ポケットへの総攻撃が始まった。
重砲、ロケット砲が雨あられとうちこまれ、重戦車が怒涛のようになだれこんでくる。
補給を断たれ、飢えて装備も貧弱な部隊がこれを迎え撃った。
ポケット内の状況は想定をはるかに上回る速度で悪化していった。
戦車と重火器の多くは行動不能となり、弾薬も食料底をついた。
連日の空輸作戦でなんとか持っているが、集中化した兵站システムに支えられてきた野戦師団の要求分は到底満たせなかった。
強力な師団ほど一度補給を断たれるともろかった。
多くの機甲師団が打撃力を失った。
もはや、一刻の猶予もなかった。
モントゴメリーは計画を前倒しにし包囲下の孤立部隊と連絡を取りつつ、救出作戦を決行に移した。
アメリカ軍2個機甲師団(第7、第9)とカナダ軍1個機甲師団(第4)を基幹戦力とし、シャーマンとチャーチルを装備した2個独立戦車旅団を支援に加え、さらにアメリカ軍4個歩兵師団と独立戦車大隊3個が両翼を固めさせる。
戦車の総数は1470輌。その他各種支援戦闘車輌700輌が投じられる。
包囲の内側からはアメリカ軍3個機甲師団(第2、第3、第4)とフランス軍1個機甲師団(第2)、ポーランド軍1個機甲師団(第1)がカーンを突く。
内と外からカーン一点を突き破る。
ドイツ軍もまたカーン方面に重点を置き精鋭装甲師団を集結させていた。
グロスドイッチュラント装甲師団、装甲教導師団、第1SS装甲師団「ライプシュタンダルテ・アドルフ・ヒトラー」、第2SS装甲師団「ダス・ライヒ」、第3SS装甲師団「トーテンコップ」、ヘルマン・ゲーリング装甲師団、第1降下猟兵装甲師団。
選りすぐりの重装甲師団7個が包囲網北端の閂を厳重に固めている。
死闘が始まった。
突撃路の回廊に沿って連合軍重爆撃部隊2000機が猛烈な爆撃を行った後、機甲師団が砂煙の中を突進していく。
攻撃はすぐにけつまずいた。
ドイツ軍装甲師団は防衛に有利な生垣や村落で虎視眈々と待ち伏せていた。戦車部隊と対戦車部隊がそこら中に隠れている。
連合軍戦車はあちこちで巧妙な防御砲火にからめとられ、次々と撃破されていく。
炎上した戦車から脱出した兵士も一人残らず射殺された。
後続の兵員輸送トラック、支援車輌群も集中的な待ち伏せ攻撃で壊滅的な被害を受け、何十もの破壊された車輌と何百もの遺体がそこかしろに散らばった。
連合軍は味方の残骸を踏み越えて阿修羅のように突進を繰り返す。30分ごとに中隊規模の戦力が消し飛んだ。
上空ではドイツ空軍の精鋭戦闘機集団が大集結し、連合軍航空兵力の地上支援を効果的に阻んでいた。
ドイツ空軍は全力を挙げて局地的な航空優勢を狙ってきたため、カーン上空の制空戦においては連合軍得意の数的優位がいかせないでいる。
地上支援の減衰は地上部隊の損耗率増加に直結した。
地上の機甲師団は凄まじいスピードで消耗している。
攻撃のたびにパンター、ティーガー、88ミリ砲、パンツァーファウストの餌食となり、追い返される。
強引な突破戦闘を繰り返したにも関わらず、ドイツ軍の封鎖線は揺るぎもしない。
カーン高地一帯は殺戮場と化した。
戦車兵力の半分が1日目で燃える残骸となった。3日目にはもう半分が消し飛ばされた。
最後の突撃が潰えた時、撃破され炎上した連合軍戦車の残骸が戦場を何マイルにもわたって赤々と照らしていた。
アメリカ軍2個機甲師団は500輌の戦車を撃破され、壊滅した。
カナダ第4機甲師団は全ての戦車を失った。
どの師団も戦力構成がズタズタになっていた。
歩兵師団の損耗は機甲師団よりもひどかった。歩兵師団だけで24000人が死傷している。
内側の各機甲師団は兵力の末端までうちのめされた。
救援行動の全てが叩き潰された後、ドイツ軍は二度目の総攻撃を開始した。
砲撃の嵐と共に戦車と機械化歩兵の群れが四方八方から踏み込んでくる。
モントゴメリーにできることはなにもなかった。
無心で壊滅する味方の最後の瞬間をききふける。第21軍集団司令部内は氷のように静まり返っていた。
十数か所で突破を許し、ポケットは複数の破片に切り刻まれた。
ドイツ軍は防御の割れ目から潮のようになだれこんでくる。
一部部隊は最後の一弾まで射ち尽くして驚くべき戦果を挙げたが、多くの場合ドイツ軍は抵抗点を迂回して素通りしていき、ポケットの分断に専念した。
分断されては十字砲火を浴びせられ、一つ一つ孤立した部隊が殲滅されていく。
激しい飢えと敗北感とドイツ軍の殺人砲火がポケット内を覆った。
無慈悲で野蛮な殲滅戦が繰り返された。
孤立部隊は小火器のみを携えて家屋や森に立て籠もり、擲弾兵相手に絶望的な戦闘を続けた。
南部包囲圏で奮闘していた第7機甲師団と近衛機甲師団、第11機甲師団は着実に戦力をそぎ落され、最終的に森林地帯においこまれた。
3万人が傷と飢えに苦しみながら森で死に絶えた。
北部包囲圏でも突破に失敗し力尽きたアメリカ機甲師団が砲火の中で消滅した。
数万人分の屍が折り重なるように積み上げられ異臭をはなち始めた。
絶望した生き残りは次々と投降している。
イギリスから陸軍は失われた。
錯綜する思考の中でモントゴメリーはその事実だけを理解していた。




