西方戦役③
セダンの北にある渡河地点ディナンをロンメル中将が指揮する第七装甲師団が攻略すると、ムーズ河防衛線のフランス軍は恐慌状態となった。
――――すでにドイツ軍装甲師団は我々の背後にまわり退路を断ちつつある。
この手の流言がパニックを引き起こし、劣勢の中かろうじて戦闘を継続するフランス軍の戦意を完全に打ち砕いた。
セダンでグデーリアンを必死に食い止めていた第十軍団も、装備を捨てて一目散に逃げ出した。
ムーズ河防衛線が崩壊した今、ドイツ軍を遮るものはなにもなかった・・・
【1940年5月15日 グレート・ブリテン連合王国 ロンドン 首相官邸 】
「この戦争は負けです。ドイツ軍にしてやられました。セダンは突破され、雲霞のごとき戦車と装甲車の大軍が海峡に殺到してきます」
フランス共和国首相ポール・レイノーから悲劇的な報告が届いたのは一時間前。
アルデンヌを抜けたドイツ軍はムーズ河を突破し、英仏海峡に到達しつつある。
ベルギーに展開中の英仏軍主力が包囲され、海岸線に追い詰められるのも時間の問題だろう。
連合王国首相ウィストン・チャーチルは決断を迫られていた。
フランスを見捨てて、海外派遣軍の救出に全力を注ぐか?
それともフランス軍と共同で包囲を破り、危機を乗り越えるか?
「今ならまだ遅くはありません。英仏軍の総力を挙げれば包囲を突破することはまだ可能です」
陸軍参謀総長エドモンド・アイアンサイド元帥。
彼は南方のアラスに機械化兵力をぶつければ包囲は解けると主張している。
ようするにフランスでの勝負をまだあきらめるなと言っているのだ。
「残念ながらフランス軍との合同作戦は難しいかと。レイノー首相はガムラン元帥を更迭し、中東方面軍のウェイガン元帥を後任に据えるそうですが、この時期の司令官交代は混乱に拍車をかけるだけでしょう。フランス軍との合同作戦が上手くいくとは思えません」
フランスが脱落しても連合王国の戦いは続く。
すでに敗戦が確定したフランスと一蓮托生することはない。
ブリテン島への退却が可能なうちに、海軍の総力を挙げて撤退作戦を実施すべきだ。
これが第一海軍卿ダドリー・パウンド元帥の主張だ。
フランスが落ちれば連合王国は欧州で孤立し、単身ナチスとの闘争を強いられることになる。
欧州情勢を一変する力を持つ北米大陸は依然として中立を保ち、東方の赤露は事実上ナチスの同盟国。
現状、連合王国が欧州で頼りに出来るのはフランスだけといっていい。
もちろん、フランスを守る余り連合王国が失われるという惨事は絶対に避けねばならん。
「アイアンサイド元帥。タイムリミットはいつかね?」
「20日です。あと五日以内に包囲を破れなければ、ドイツ軍は海岸線に到達し我が軍は南方への撤退路を全て失い、ブリテン島に退却するしか道はなくなります」
「ならばすぐにやりたまえ。なんとしてでも五日以内に包囲を破るのだ」
「了解いたしました。直ちに海外派遣軍司令部に実行させます」
「パウンド元帥。海軍に国内のあらゆる船舶を徴収する権限を与える。フランス沿岸部からの撤退作戦を直ちに準備せよ」
「はっ」
チャーチルは同盟国に五日の猶予を与えることにした。
この五日の間に指揮系統を立て直し、英仏共同で包囲を破れば、フランスは救われるだろう。
それが無理な場合、連合王国は欧州大陸を放棄するしかない・・・。
【1940年5月17日 フランス共和国 アミアン A軍集団 クライスト装甲集団 第十九装甲軍団司令部】
進撃停止命令が下ったのは一日前の16日のこと。
おじさまが指揮する第十九装甲軍団の上位司令部であるクライスト装甲集団司令部から、進撃停止の命令が下った。
もちろん、おじさまは無視して進撃を継続した。
――――可及的速やかに敵主力を包囲し捉えるのが本官の役目と心得ます。
そういって、おじさまは進撃を続けソンム河流域のアミアンを占拠した。
英仏海峡まであと一歩。
そう思った矢先に、今度はさらに上位司令部のA軍集団司令部から進撃停止命令が下り、司令官のルントシュテット元帥が直接おじさまに命令の履行を迫ってきている。
今二人は電話越しに舌戦を繰り広げている最中だ。
「アラスでイギリス軍機械化部隊が攻勢をかけてきた。我が軍の包囲を破る気だろう。現在応戦している第七装甲師団は応援を要請している。貴官は直ちに進撃を停止し、アラスへ転進したまえ」
「お断りします。我が第十九装甲軍団の任務は敵主力の後方を遮断することであり、包囲網の維持ではありません。アラスの救援は第七装甲師団の上位部隊である第四軍に任せます」
「グデーリアン大将!これは陸軍総司令部の命令である!」
「私は総統閣下から事前に状況に応じて動いてよいと約束をいただいております。本官の行動は陸軍総司令部の命令には拘束されません」
「そんな勝手は許さん!これ以上命令違反を繰り返すなら、総統閣下に訴え、貴官から指揮権を剥奪する!」
「ご勝手に。では私は指揮があるのでこれで」
おじさまの考案した電撃戦理論は速さが全て。
迅速に補給線、後方を遮断することでパニックを引き起こし、理性的抵抗を崩壊させる。
たんに、遮断するだけでは兵糧攻めと変わらなくなる。
敵の対処能力を越えた迅速さが肝になる。
陸軍総司令部からすればその速さが不安なのだろう。
――――突出した戦車部隊の後方や側面が逆に遮断されるかもしれない。
この恐怖が根底にあるからこそ、アラスでの反撃に過敏に反応したのだと思う。
冷静に考えればアラスに攻撃をかけてきた一個機甲師団、二個自動車化師団のイギリス軍など、第四軍だけで十分防げる。
それに、おじさまが英仏海峡まで到達すれば、イギリス軍は南での突破をあきらめざるを得なくなる。
陸軍総司令部は根底にある不安と恐怖を解決する根拠としてアラスを利用し、進撃停止命令をだしたというのが正解に近いのではないだろうか?
「グデーリアン大将。私は閣下に全面的に賛成です。」
「それは私への配慮かハーネ中尉?無理して私に付き合うことはないのだぞ」
「いえ。第十九装甲軍団参謀としての考えです」
「ほう?ならくわしくきかせてもらおう」
「私たちが英仏海峡まで到達すれば、英仏軍は南方での撤退路を全て断たれることになります。イギリス軍もアラスでの突破を諦め、海路退却することに全力を注ぐでしょう。わざわざ、アラスまで転進せずとも、英仏海峡まで到達することで、陸軍総司令部の任務は達成できると私は考えます」
おじさまは満足そうにうなずいた
「その通りだ。我々は命令を違反するのではない。陸軍総司令部の命令を達成しにいくのだ!全師団前進を再開せよ!」
私的な感情を抜いてもおじさまのいってることは正しい。
今ここで進撃を停止すればイギリス軍に脱出の機会を与えてしまう。
混乱しているフランス軍も再起するかもしれない。
――――大魚を逃してはならない。
――――逃がすと大変なことになる。
アリスは直観的にそう確信していた。




