鍛錬開始
少しだけ汗ばむ手の平をスカートの端で軽く拭ってから、早速六芒星を地面に描き、材料を所定の位置に置いていく。
六芒星ちゃんと描けてる?どっか途切れたりしてないよね?
材料の場所は反対の性質を持つ似たもの同士が向かい合うように置いていって……。大丈夫?OK?
不安と緊張に駆られて、しつこいぐらい念入りに準備確認を終える。
「こ、これで大丈夫ですか?」
「ええ、ええ!大丈夫ですよ、ばっちりです。
ああ、ところで、祝詞についてですが、男に変身する際は月の性質ではなく、太陽の性質を持つ肉体、に言い回しを変えねばなりませんからご注意ください」
「はい!ほかに何かコツとか、気をつけることってありますか?」
「んー、特にはないですね。リリー様の場合、禁呪の適性がなくて発動しませんでした、なんてことにはならないでしょうし。まぁ、見てみないことにはなんとも」
「わかりました……」
すうっ、はぁーっ、と、軽く深呼吸をしてから、頭の中でスノクさんの詠唱を思い出しつつ、震える口を開いた。
〔闇の精霊よ。力を貸し与え給え。我、万象を反転させ、真理を覆すことを望むものなり。我が肉体、これすなわち、我、欲するものではあらず。望むは太陽の性質を持つ肉体なり。ノクス、セクト、アラディム!〕
ぼわっと私の周りに黒い濃密な霧が漂い始める。だけど、特に体に変化が起こるような兆しはゼロだ。
あれ、やっぱり失敗した……?
黒い霧が晴れても、私の姿は変わることなく、女の子のままだった。
「やっぱ失敗しました……」
「あ、あれだよ!リリーお嬢様は今でも十分すごいよ?まだ習い始めたばかりなのに、もう一人前の魔法を行使できるしね。もしかすると、僕よりも魔法が上手だと思うし!禁呪は向き、不向きが運で決まるような魔法なんだから残念だけどしょうがないよ。ほら、元気出して?」
隣にいたシーナ先生が焦ったようにあわあわと私にフォローを入れてくれるけど、そもそも禁呪の適性がないかもしれないから君の技術力のせいじゃないよ!という言葉は私にクリティカルヒットを与えた。
「うぐっ……」
「いやいや、いやいやいやいや!リリー様に適性はある!絶対あるはずなんだ……。なにか別の理由があるはず……」
「ええ?スノク君、どうやって禁呪適性があるかどうかなんてわかるの?王立教会の所持してる鑑定の魔導具使わないとわからないんじゃ?
そもそもあれも、王族ぐらいにしか使用許可が下りていないし……」
「あんなもん、なくてもそれくらいはわかる。リリー様は魔法陣だって間違えちゃいないし、詠唱だっておかしいところはなかった。黒い霧が発生したということは、8割がたは成功なさってるはずなのにそれが効果に現れない……。
ふむ……、リリー様、闇属性魔法の簡易な変身をやってみて頂いてもよろしいですか?」
「あ、はい。わかりました。ノクス、ムタティオ!」
ぼふんっと紫の煙が一瞬で体を包み込む。にゅにゅっと体が変わっていく感触がくすぐったい。そして、またすぐに煙が晴れた。
そこに立っているのは、猫になった私である。
「どうですか?」
「ああ……!!わかりました!原因は、魔法行使の過程でも、リリー様の適性でもございません!
闇属性魔法の変身の際のイメージ感覚に引っ張られているようにお見受けいたします。簡易的な変身においての身体の変化というのは、何か既存のなりたいもののイメージを思い浮かべ、その鋳型にあてはまるように自身の体を粘土のように一時的に変質させるものです。
しかし、リリー様の目指しておられる禁呪による性別の反転というのは似て非なるものなのです。まず、そこにはこうなりたい、といった具体的なイメージは存在せず、己の体構造を変化させるだけなのですから。そういったものは無用です。
ただ、自身の手足の末端、髪の毛にまで、意識を張り巡らせ、自分であり、かつ本来の自分ではないものに体を作り替えていることを意識しながら、黒い霧を体に纏わせればよろしいのだと思います」
「な、なるほど……」
「では、もう一度どうぞ」
「はい!」
思ってたより、めっちゃアドバイス具体的……。よし、次こそは!
そう意気込んで、もう一度魔法陣を用意し、詠唱を唱えた。また黒い霧が発生し、それが私の体を包んでいき、視界が真っ暗になる。
集中、集中……。少しずつ、自分であり、自分ではないものに変化……。
「あ、こら、来ちゃだめだよ。ノワール。リリーお嬢様の邪魔になっちゃうからね。ほら、これで遊んでおとなしくしててね」
え、ノワール?それって、うちで飼ってる黒猫?
あ、やばい、気がそれた。集中、集中……。
しばらくすると、私を纏っていた霧が晴れていく。自分の手をちらっと見ると、男の子の手のように少し骨ばっている気がした。
成功した?!
「どう、ですか?」
「リリー様……」
スノクさんが私を少し驚いた顔で見つめた後、ギッとシーナ先生を睨みつけた。
一方、睨まれたシーナ先生はノワールを猫じゃらしであやしつつ、こちらを見て、目を丸くした。
「リリーお嬢様……」
「え、え、なに、どうなってるんですか?」
「どうぞ、鏡です……」
スノクさんが出してくれた手鏡に恐る恐る自分を映してみる。
そこに映っていたのは、なんともいえない中途半端な変身をした中性的な猫人間だった。頭にぴょこんと黒猫の耳が生えていて、目は丸く、瞳孔が開いている。普段より、ものすごく縮んだサイズというか絶壁に近くはあるものの心なしか胸は膨らんだままで、下半身は女の子のままで、手足のみがごつごつしている。猫もどきの男の娘?のようななんだか変な状態になっていた。
「なんですか、これ……」
「9割がた、シーナ君のせいですが、リリー様も集中を途切れさせないための訓練が必要なようですね。禁呪を使いこなせるようになるまで、心を鬼にして、ビシバシ指導してまいります!まずは、精神面を訓練しなくては!!
それでは、東洋の訓練方法なども取り入れてまいりましょう!まずは、座禅です!」
「ええ?!は、はい!」
再びぐいぐい迫ってきたかと思うと、懐からハンカチを数枚だして、それを芝の上に広げるとそこに私に座るように私に指示するスノクさん。いや、スノク師匠。
「あ!また気がそれましたね、いけませんよ、そんなことでは!」
「すいません!!」
「リリーお嬢様、ファイトですよ!あ、ノワール、ちょっと足にじゃれつかないで、ふふ、やめてよー」
スノク師匠のきびきびした声と、横で人の気も知らないでノワールといちゃついてるシーナ先生の声が聞こえる。
あああ、目を閉じると、音とか声に意識がいっちゃうんだよー!
だから、とりあえずシーナ先生、ノワールにしゃべりかけるのやめて!
私が男になれるには、まだもう少し鍛錬が必要らしい……。