先生とのご対面
げ、多い……。でも、インガードが生活魔法得意でよかった。流石におじいちゃんのインガードにあんな大荷物運ばせるわけには……。
この世界では、何気に使える者が少ないため忘れがちになってしまうが生活魔法、というものも実は存在している。
この魔法は200年ほど前は老若男女、誰でも使うことができて無属性魔法なんて分類に分けられていたらしい。
だけど、この魔法が5属性魔法とはとても比べ物にならないんだけど、ちょっとしたお助け魔法という認識で普及してしまったせいでこの魔法を手助けしてくれる妖精たちがへそを曲げてしまったのだ。
彼らは親切心で、人間の手伝いをしてくれてたのにそれが当たり前、精霊様の助力を受けた魔法に比べれば大したことない、感謝もされず小間使いのように扱われる、そんな状況が続けば、どうなるか。
もちろん、機嫌を損ねるに決まっている。当時は一斉に妖精たちの魔法ボイコットが行われたせいで
随分と人々は混乱したらしい。今まで当たり前に享受していたそれが使えなくなることで目に見えて人々の生活に支障が出始め、そんな状態に陥ってから急に彼らをよいしょしだした者達もいたが彼らは機嫌を直してくれなかったらしい。
今となっては、妖精たちを軽視しなかった数少ない家系の者か、妖精を直接見ることが出来る稀有な目を持ち、かつ彼らに気に入られた者にしか扱うことが出来なくなってしまったし、人間に対してよくない感情を持ってしまった一部の妖精たち、その中でもピクシーと呼ばれている妖精たちが、ささやかな腹いせとしていまだに気まぐれに悪戯を続けているくらいである。
かくいうモルガン家も先祖が妖精を軽視してしまったらしく、その加護はない。インガードの家だってそうだったらしいが彼は妖精を見る目を持っているらしくて「時たま彼らとお茶するのがとっても楽しいんですよ」と前に話してくれた。
私にもそんな不思議な目があれば、少しは攻略対象どもを内密に翻弄できたかもしれないけど残念ながらいまだ彼らを見ることはできていない。
ただ一応インガードから大事なお嬢様なんだと話を聞かされて気にかけてでもくれてるのか、たまーに興味本位でお手伝いしてくれることがあったり、たまーに不自然に攻略対象どもを何もないところですっ転ばせてくれたりしている程度には友好的だ。
そんな彼らにはスカッとさせてもらったことや軽く助けてもらってありがったこともかなりある。
私はこれでもそんな妖精たちに精霊様と同じぐらい感謝しているつもりだし、軽視するつもりなんてさらさらない。
だから、いつか見えるようになる手段を見つけたら、ぜひともお友達になって、できればあいつらをぎゃふんといわせるような壮大な悪戯を一緒にしてみたい。
まず、大抵のルートに関わってきやがるあのくそ王子を全校生徒の前でズボンおろしの刑とかに……。
「お嬢様、こちらが一般的な禁呪についての考察で、こちらが……。あの、お嬢様、聞いてらっしゃいます?」
「あ、ごめんなさい!ぼーっとしちゃってたわ」
いかんいかん。つい楽しい悪戯計画に思いを馳せすぎてしまった。
「おやおや……、お嬢様にはちと難しい内容のものもございますから眠くなってしまわれましたか?」
「そ、そんなことないわ!大丈夫!ただ、ほんとにちょっとだけぼーっとしてて……。インガード、ごめんなさい。悪いんだけど、もう一回全部説明してもらってもいい?」
「さようですか?でも、本当に難しめのものも含めて関連書籍はすべて持ってきてしまったのですが……」
「いいから!」
「……それでは、ご説明いたしますね。こちらの一番分厚い本がモルガン家に伝わる特殊な禁呪の具体的な行使についての本です。モルガン家のみが所有している本は、あとは、こちらと、こちらですね。大体が具体的な魔法行使の手引きとなっています。こちらが、王立図書館にも置いてある禁呪の基礎的な知識が書かれている本。そして、こちらがその危険性についての本。
でも、この本に書かれていることは7割方嘘っぱちなのでさらっと読み流してよろしいかと。そして、こちらが――」
そんな調子でインガードが一つ、本を出しては説明し、説明が終わったものから机の上に重ねていき、というのをしばらくの間繰り返していたら、私の目の前に私の身長の倍ぐらいはありそうな本の山が築き上げられていた。
「以上となります」
「う、うう……。やっぱり多いわね……」
「ああ、でも、こちらと、あとはこれとこれと……。何冊かは王都が発行した禁呪についてのデマ本なので世間一般の常識的な範囲で禁呪を行使するためには読んでおきたい本ですが、ただ行使するための知識が欲しいのでしたら今は読まないでもいいかもしれませんな」
ひょいひょいと私の目の前から10冊程度の本が消えて、やっとインガードの目がちらりと本の隙間から見えるようになった。
「それでも、結構な数があるのね。意外だわ。私、禁呪について書かれた本だなんて、正直言って数冊程度しかないと思ってたの。禁呪なんてなんだか恐ろしげな名前だし、みんな触れちゃいけないもののように扱ってるとばかり思っていたのだけれど……」
「いやいや、そのように思ってる方も多いようですが意外とそんなものではないんですよ。人間、これはやっちゃいけませんよ、なんて言われると逆にやりたくなってしまう、なんて者が一定数出てくるものです。
それに特に禁呪はお偉方が隠蔽しようと必死になっているどこかきな臭い魔術でしたから。隠されると暴きたくなるというやつですな。それに加えて、禁呪を探ろうとする民が増えてくるにつれて、さらにお偉方が慌てて、矛盾がちらほらある間違った情報を氾濫させてまで隠匿しようとするものですから、それに気づいた一部の者たちが、これは何かあるぞ、とまた様々な憶測を巡らせ、宝探しに興じる子供のように夢中になる。禁呪とは、そういった類の魔術なんです。
かくいう私も若かった頃は、禁呪にどっぷりはまったものですよ。妖精たちも一番面白い魔術は禁呪だよ、だなんてしきりに口をそろえて言うものですから…。まぁ、残念ながら、私は適性がございませんでしたが」
「へぇ、そうだったの」
「以前は現在のご当主ザグラス様もここの本を引っ張り出してお勉強なさっていたものです。ただザグラス様もモルガン家の血筋とはいえ、適性が中途半端でいらしたようで偏った種類の禁呪しかお使いになれないようなご様子でしたが…。
ああ、でも、確かリリーお嬢様のひいおばあ様はかなりの使い手でいらっしゃったそうですよ。お嬢様も色々な魔術をお使いになれるようになるとよろしいですな」
禁呪がそんなカルト的人気を誇る魔術だなんて全然知らなかったなぁ。
学校の先生も詳しいことは教えてくれなかったし、さらっとそういうものもありますよ。って授業で流されただけだった。
あと、お父様も禁呪勉強してたのかぁ……。でも、アドバイスは期待できなそう。
顔にでかでかと「頼む、失敗してくれ!後生だから!」って書いてあったし。
「よし!じゃあ、頑張って知識を叩き込むことにするわ!インガード!しばらくの間、ここに入り浸りになると思うけどよろしくね!」
「ええ、ええ。ごゆっくりお勉強なさってください。簡単なお茶ならすぐにお出しできますから、喉が渇きましたらすぐ仰ってください。……それでは失礼します」
それからというもの、毎日、毎日、時間を見つけては大書庫を訪れ、寝る間も惜しんで本を読破していった。
まずは基礎的な知識から、その危険性について、具体的な行使の仕方、と段階的に大まかに知識を頭に叩き込んでいった。
*
そして、予習に予習を重ね、ついにやってきた月曜日。
幼少期スタートの時は必ず会うことになるので、変な話だけどシーナ先生とはこれで3回目の初対面である。
「先生!!初めまして!私、リリーと申します!ようこそいらっしゃいました!」
「おや?わざわざこんなところまで……。初めまして、リリーお嬢様。僕はシーナです。これから、二人で頑張って魔法をお勉強していこうね」
約束通り、きっかりお昼の鐘を少し過ぎた頃に来てくれた先生を玄関までお出迎えに行った。
少しだけ驚いた顔をしたシーナ先生はすぐにぴょんとはねた自分の焦げ茶色の髪を撫でつけ、少しだけずり落ちていた眼鏡の位置を直したり、あわあわと身だしなみを整えるとわざわざ中腰になって私ににっこり微笑んでくれた。
次の瞬間、せっかく撫でつけた髪がまた間抜けにびょん!と元に戻ってしまったが、そういうところもシーナ先生らしい。
シーナ先生はまだ年若い青年で魔法学院を卒業して3年のまだまだ駆け出しの先生だ。
今は経験を積むために貴族の子女の家庭教師のようなことを沢山掛け持ちしてやっているらしい。
本来だったら、貴族家ならもっと高位な年配の魔術師を家庭教師として雇い、子供にバリバリ高等な教育を施すのが一般的だが、その点、シーナ先生は特例の期待のルーキーである。
全属性に対して満遍なく優秀な成績をとって学院を卒業したシーナ先生は教え方がとても丁寧でわかりやすい。また厳しいインテリ、といった感じの先生が多い中で穏やかで親しみやすい近所の優しいお兄ちゃんのようなシーナ先生は子供達に慕われやすい上にどこか頼りなさげなところが一部の奥様に人気を博している超人気講師である。
うちもシーナ先生確保するために結構苦労したって前にお父様がぼやいてた。
「はい、シーナ先生!よろしくお願いいたします!」
ぺこりと勢いよく、もうこのまま土下座しそうな勢いで頭を下げた。
まじでお願いしますね、先生!こっちは人生かかってるんで!
「ごきげんよう、先生。リリーは、魔法にとっても興味津々で先生のお越しを今か今かとお待ちしておりましたのよ。私からも娘をどうかよろしくお願いいたしますわ」
先生が部屋に到着するのを待てずに来訪のベルが鳴り響いたとたんにダッシュでお迎えに行った私を見かけて追いかけてきたのかいつの間にかお母様が後ろに立っていて、保護者らしく、しかし、貴族らしくはないような態度で軽く先生に会釈をした。
「え?レミリア夫人まで……。いやぁ、僕みたいな若輩者をここまで歓迎して頂けるなんて恐悦至極です」
「先生、先生!さっそく魔法の授業をお願いできますか?!私、禁呪にとっても興味がありますの!」
「ええ?禁呪、なんて派生魔法までもう知ってるのかい?リリーお嬢様はたくさんお勉強してるんだね。
そんなに楽しみにしててくれたんだ、ありがとう。勉強熱心な子は伸びるのが早いから、僕も教えがいがあるよ!じゃあ、さっそく魔法の練習するかい?」
「ぜひ!」
「じゃあ、最初は自己紹介ね。改めて、僕はシーナ=ガリスです。あ、ところで、リリーお嬢様はお花って好きかい?」
「えーと、そうね。好きよ。いい匂いがするし、きれいだもの」
「そっかそっか、じゃあ、はい、どうぞ」
先生が軽く掌を叩くと、先生の手の間に浮かぶように水で出来た百合が現れた。ちゃぷちゃぷと花弁が揺れながらもその形を保ち、日の光に透けてキラキラと輝いている。
「じゃじゃーん、これが水属性魔法の応用だよ。これは、お近づきのしるし。お水をあげないと、どんどん縮んでなくなっちゃうから気を付けてね」
「きれい……」
何回同じようなことをされても慣れないもので大丈夫とはわかっていても、水の百合が崩れてしまわないかドキドキしながら先生の手からそっと受け取った。
その時、水で出来た百合から、スッと頭をすっきりさせてくれるような、なんだか気持ちをリラックスさせてくれるような、上品でどことなく清涼感のある香りがふわりとした。
やっぱりこれ、水属性魔法なんてかるーく言ってるけど木属性魔法と合わせて使うことでちゃんと土台を作って、植物として命を与えている。
本来、水属性魔法のみで作った魔法ならば、術者の集中が途切れた瞬間に花も溶けてなくなってしまうし、そもそも本物の花のような匂いまでつけられるはずがない。
属性を混合させた魔法の行使は緻密なバランスで行わなければ失敗してしまうことが多いのに……。
ループで会う度に、初対面の時は打ち解けようと似たようなものをぽいぽい簡単そうに作ってくれるがやっぱり先生は魔術の天才だ。
適性を持つ者がかなり限られている、という話だったけれど、シーナ先生なら、ひょっとしたら禁呪もすでにマスター済みかも。
そう期待が高まってしょうがなかった。