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彼に対する彼女の思い


彼のおねだりはよくわからなかった。最初は掃除道具である。彼は、彼女ら家族が寝静まった頃、どうも掃除をしているらしかった。また、彼女が母親から礼を言われたことで分かったのだが、食器洗いや洗濯物も干しているらしかった。時に、パート働きにいっている間の母親にかわって料理を作る事もあった。そして別のおねだりには、ノートや参考書の購入がある。何をするかと思えば、手製のノート作りだ。わざわざ赤いシートで言葉を隠すことができたり、やたらと凝っている。


そしてさらには、カラオケに行きたい、ボーリングがしたい、この店に行きたい、とわめく事もある。彼女は今までカラオケなど行ったこともなく、彼がそう言うのも驚きしかなかった。


だが、次第にわかってきた。彼女は友達と遊ぶのだが、その時の世界ときたら、彼からの懇願がなければ知らない事しか無いのであった。おそらく彼女が知らないままならば、あたふたとするしかなくて友達から幻滅されていただろう。普通の学生ならば誰もが知り得る事を、初めて知ったのだ。


彼の行動はおねだり懇願も含めてすべて彼女のプラスに繋がっている。彼女の学校での成績、バイトに友人の多さ、その結果が物語っていた。彼女の中学生の頃とは正反対なのだ。


彼女はあることに気付いた。


――――彼は私を通して、やり残した事をやっている。




2009年8月



夏休みに入った頃、彼女は部活、バイト、講習の合間をぬって、友達とキャンプに行く計画をたてた。実を言えば、彼が言いはじめたためだ。女子三人、男子の友達二人をどうにか誘い、一泊二日だ。


「男子が少なくて当たり前。こちらはか弱い女の子たちなんだから!」と彼女は言っていた。


それに対して「体育の時、校内トップクラスの実力派男子生徒と殴り合う女の子がか弱い女の子とか。寝言も戯れ言もほどほどにしてよ」というのは男子生徒である。


因みに、男子生徒が言っている事は事実であった。それもあって、彼女は女子生徒から慕われていた。思いで作りで異性と一泊など、普通はしり込みしてしまう。しかし、彼女の築いた印象が可能としていた。


集合場所で予定通りのメンバーが集まり、早速出発となった。目的地は、綺麗な川が流れる山間だ。


行くまでややこしい電車の乗り換え、他の交通機関や最悪に備えた宿泊施設の確認、キャンプに必要な道具のレンタルの手配、すべて彼女が請け負って皆を引っ張っていた。さらには目的地に着いた後の、夕食の準備に花火の後片付けと、ほとんど彼女がしていた。


最後まで彼女に楽しむ点は無かった。それなのに、彼女はずっと笑顔であった。


一人で夜空を見上げて、彼女は誰かに語りかけるように、楽しそうに呟いた。


「いいねさっきの二人。付き合っちゃうかもね! 来て良かった! あなたはついてきてどうだった?」


「文句なしに最高だわ。見ているだけでも楽しかった」


彼女に応えるのは、隣に座った彼である。彼は続ける。


「俺も生前によ、二年の秋の時にここでキャンプしたんだ。修学旅行が無くなって、せめての思いで作りにさ。学生らしい事をしたのは、それが最後だ。もう寒いってのに川遊びして、誰彼構わず顔に落書きしたり、だ」


「もっと楽しみたいって思った?」


「そりゃ勿論!」


「じゃあ、またこういう事しようね!」


頷く彼の表情は、優しい顔をしていた。






「彼は私を通してやり残した事をやっている」


彼女は心の中で呟いた。どうやら、それを意識してから随分行動範囲が広がったと自覚してしまう。彼が生前に釣りをしていたと呟けば、興味もなかったのに一から道具を買い揃えて釣りに出掛けたり、本格的なスポーツバイクを買ったり、彼がランニングが趣味だと言えば目的もなくランニングをしたり、だ。


彼は彼女からの質問には、はっきり答えない。どういう考えなのか「わからない」「無い」と答えるばかりなのだ。しかし、何かのはずみで思い出すように彼は語ることがある。


彼女が「魔力なんて退化していく器官で、いずれは必要なくなる」という話をしていたとき、流れで「俺のこの気配消しの魔術は、一年の時の友達と俺の三人で作り上げたんだ」と言うことを聞いた。また話題のレストランに行ったときには「二年の冬、友達で作った下手くその料理をマズいマズいって言いながら食ったんだ。それで餅が俺の嫌いな食べ物になったんだ」など話してくれた。



彼は彼女だ。彼女は彼だ。だというのに、彼女は何一つ知らなかった。そんな彼を知る事ができる瞬間が、その彼の思い出話なのだ。彼は秘密にしている訳ではない。切っ掛けがあれば、いくらでも彼は語ってくれるのだ。


今、彼女の傍らにいる彼は、何一つ欠点の無い人間に見えた。しかし彼が語る思い出の中に出てくる彼は、随分消極的な性格で、うっかりやで、皆にからかわれる存在だったのだ。


ギャップもあったのか、彼女は彼の事を知るのが楽しみになっていた。ランニングにしてもそうだ。


「肉体を失っても良いことばかりじゃない。肉体があるこその楽しみはあるんだ。なんていうか、ランナーズハイって言うのかな? ランニングするだろ? 息が切れて、頭が真っ白になって、でも言葉にできない感覚で心地よくて、気持ちがたかぶる瞬間。疲れて少し休んでも、襲ってくる快楽を求める衝動。俺なんか、満たされずにもどかしさだけが残って、眠れずにまた走り出して気付けば朝が来てた、なんて事もよくあったもんさ。あの感覚はもう感じられないっての」


彼が言うには、生前、あの感覚がよくて、体を動かしていたそうだ。彼女は、彼の言う感覚がわからなかった。それでも、彼の言う感覚を少しでも味わってみたくてランニングをはじめたのだ。彼女は彼のどんな事でも、どれだけ小さな事でも、些細な関わりであっても、知りたくなっていた。

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