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白い姫君と黒い巫女  作者: 標準的な♂
黒い聖母
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夢か現か

 目覚めはいつものベッドではなく、勉強机に突っ伏す形になっていた。机には水晶玉が置かれている。時計を見ると、わたしが占いを始めてエリザベートの手にかかった時点から、時間は殆ど経過していないようだった。


 果たしてマリアは無事なのだろうか。先程までのエリザベートとの戦いが、実際の出来事であるなら、もはや彼女は帰らぬ人となってしまったということになる。


 母も帰ってきていない。少なくとも、母はわたしが気絶する直前まで元気だった。こちらは五体満足であるばかりか、わたしと一緒に悲鳴を上げる吸血鬼を追いかけ回していた。そんな彼女が死ぬとは考えづらい。


 不安が募った。夢であれば、どれだけ良いことか。


 時計を見ると、そろそろ午後九時を回る頃だった。この時間には紅茶かコーヒーが欲しくなる。平常心を保った状態でさえそうなのだ。不安からなるストレスを和らげるために、ハーブティーが欲しくなる。


 わたしがジャスミンティーでも淹れようとリビングに戻ったところ、マヤ先生の姿があった。彼女と向かい合うように、母とマリアが並んでいた。その表情は暗かったが、沈痛な面持ちというよりは、悪戯を叱られた悪童のような趣が強いように感じられた。


 見ると、マヤ先生の目が玉虫色の輝きを見せていた。これは本当に気がかりなことだ。彼女が今抱いている感情が、日常の範疇での怒りであることを祈るばかりである。


「あら、お帰りでしたか。随分遅かったみたいですけれど、どちらへお出かけだったのですか?」


 わたしはまず、二人に事情を訊ねた。


「お帰りではなくて、わたしとアリシアを驚かせようとして、クローゼットに隠れていたそうよ」

「……まあ」


 ひとまず、二人の無事を確認できたことは、素直に喜ぶべきなのだろう。ただし、じっくり反省してもらう必要がある。


 どうやら、母とマリアは同じ人種らしい。極度の悪戯好きである。母については、二度と心配なんかするものかと思った。


 同じ人種と言えば、一度死んで、何事もなかったかのようにここにいるという点においては、マリアはわたしと同じ人種とも言える。彼女に()()()()ことも、忘れてはいない。また、わたし自身も、エリザベート・バートリを吸い尽くして殺害している――あれが夢でないのならば。彼女がわたしと同じ秘密を抱えていたところで、何ら驚くには価しない。


「どう反省してもらおうか」


 見れば、ブラックマン氏は珍しくご立腹だ。マヤ先生の怒りなどは言わずもがなである。ただ、わたしが懸念するような類の憤怒ではないことは幸いだったが。


「わたしが読書を終えるまで正座をして待っていただくのは、いかがでしょう? 実家で母が悪さをしたら、そうさせています」

「ねえアリシア、恥ずかしい秘密を暴露するのはやめて」

「でしたら、恥ずかしいことをおやめになられたらいかがですか?」

「ぐぬぬ」


 これには母も反論できないらしい。


「それは面白そうね」

「何時間もクローゼットの中に隠れているくらいですから、さほど堪えないでしょうけれど」


 玉虫色の目をしたマヤ先生を味方につけられたのは、これが初めてだ。


「ま、マヤ姉! アリシアも、そんな恐い顔しないでよ。ちょっとお茶目な悪戯をしただけじゃない」

「まあ、悪い子。アリシアも貴女の叔父様も、本気で心配していたのに」


 マリアはマリアで、マヤ先生に対して慈悲を求めていたが、言葉の選び方も何もかもが間違っていたので、効果はなかった。


 こんなやり取りをしていると、つい先程まで恐ろしい体験をしていたのが、嘘のように感じられる。


 マリアの存在は、わたしにはこの上ない、理由のわからない安らぎをもたらすと共に、言い様のない不安も同時にもたらした。彼女の存在により、わたしがこれまでの経験のうち、どれが真実のもので、どれが幻影に過ぎないのか、ますます混乱するのである。何もかもが夢、あるいは真実であると断言できたら、どれだけ楽だろうか。


 わたしは確かに見た。吸血鬼の残忍な毒牙にかかり、見るも無惨な姿に変わり果てたマリアの姿を。そして今、何事もなかったかのように健在のマリアが目の前にいる。夢だったのか、それとも普通の方法では死なないような存在なのだろうか。


 母にしてもそうだ。目の前で反省させられているお転婆娘(何が悲しくて、実の母にそんな表現を用いなければならないのか)と、妖艶で恐ろしい、吸血鬼じみた振る舞いを見せた母とを見比べてみると、同じ人物とは到底思えない。


 何より、わたしが気絶する前に最後に見た、()()()の姿――ここで言う『お母様』は、もはやおわかりのことと思うが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()――筆舌に尽くしがたい美と驚異に満ちた、あの偉大な生命こそ、夢か現かわからぬものだ。あのような存在は、人間の想像力が生み出しうるものではないと断言できる一方、現実にはありうべからざるものだとも言える。


 わたしの母はナツキ・グリーンウッドただ一人であるにも関わらず、わたしは彼女が()()()であると自然に認識していた。離婚などの特別な家庭環境があるわけでもないのに、二人の母がいるという特殊な状況に対する混乱は、不思議なほどなかった。そして、その言語に絶する美しさと、偉大な生命力の一端に触れることで、魅了されてもいた。


 わたしは心の安らぎを、趣味である読書に求めた。エリザベートとの戦いで知った『黒い巫女』と、最後に見た()()()に関する真実の知識が欲しいという、生理的な意味における飢餓にも似た、飽くなき渇望に駆られたのである。それを満たさなければ、わたしの心に平安は訪れないのだ。


 わたしはマヤ先生に許可をいただいて書斎に入り、久しぶりに『無名祭祀書』を読んだ。なお、あの二名は、もう少し反省してもらう必要があるので、わたしが『無名祭祀書』を読み終えるまで、そのまま正座して待つよう言いつけておいた。


 それまでの経験からなる予備知識もあってか、ある記述――恐らく、今のわたしにとって最も重要な問題であろう、『黒い巫女』についての記述を見つけることは容易であった。


「ヨーロッパに点在したドルイドの集団の中には、一風変わったものが見られる。普通、ドルイドは自然、特に木々を崇拝する素朴な信仰を持っているが、その中でも『黒い巫女』なる救世主的存在を見出す特殊な宗派が、ごく少数ながら存在していた。『黒い巫女』は、『真紅の輪』を通って現れ、猟犬を解き放ってよこしまなる者どもを滅ぼし、やがて来る『祝福されしもの(ゴフ・フパデン)の時代』の到来を告げる、というのである。古代より綿々と受け継がれてきた自然崇拝にあって、このような一神教的な性格の色濃い救世主の要素は、特筆に値する事項であるように思える」


 ここまで読んで、目眩を覚えた。やはり予想通り、『黒い巫女』はシュブ=ニグラスにとって重要な存在であった。しかも、ドルイドの予言が真実を語っているのなら、『黒い巫女』は人類の運命に深く関わる存在ということになる。


 わたしはますます興味を引かれ、時間を忘れて読みふけった。


「こうした『黒い巫女』の伝承を受け継ぐ宗派は、決まって黒山羊を象徴として掲げており、それらは人身御供や性行為を伴う邪悪な儀式とは、切っては切れぬ関係にあった。事実、それによって繁栄が約束されていたようであり、したがって、彼らが崇める黒山羊の神の実在を認めぬ訳にはいかない。恐らく、こうしたドルイドの宗派の存在が、一神教の勢力と邂逅かいこうを果たすや否や、やはりヨーロッパ各地に点在する地母神信仰と混同され、われわれが知るサバトや魔女の扇情的な悪のイメージへと変化していったのではないかと、筆者は考える次第である」


 フォン・ユンツトが記した『無名祭祀書』は、まこと良い仕事をしてくれた。しかし、今はまだ、パズルのピースがやっと揃った段階に過ぎない。


 わたしはふと、まだ一度も目を通していない、ある別の資料の存在を思い出す。そう、『屍食教典儀』である。


 書棚を確認してみると、やはり『屍食教典儀』のページは増えていた。アルバート・フィッシュから手に入れたこの書物は、趙江に続き、バートリ夫人と、どうも大地母神を奉じる者共にまつわる事件の後に、必ずページが増えている。これで少なくとも、これでエリザベート・バートリの一件が真実である可能性は、きわめて高くなった。


 わたし『屍食教典儀』を読むことを殊更に躊躇(ためら)う理由は、その呪いが死よりもおぞましい結果をもたらすものだと伝えられるからである。どうなるかは、アルバート・フィッシュのなれの果てを見れば、理解していただけると思う。()()にはなりたくないのだ。


 ただし、エリザベートの一件を経験した後にページが増えているということは、少なくとも吸血鬼としてのエリザベートが実在し、マリアが危険な目にあっていることの証明でもある。一連の出来事が夢ではない物証なのだ。また、『黒い巫女』に頁を割いていることは疑いようもない。つまり、わたしが求める『黒い巫女』の手がかりを掴む上で、この忌まわしき書物は、避けては通れぬ道なのである。


「……」


 わたしは細心の注意を払いながら、『屍食教典儀』のページをめくる。呪いの存在を抜きにしても、カニバリズムを扱った専門書だから、長時間読むと気分を害するものである。わたしは素早くページをめくり、必要な記述を見つけるよう努めた。


 幸か不幸か、その記述は簡単に見つけられた。エリザベートが滅びた後に追加された頁に絞ることで、比較的容易に見つけることができたのである。


「ドルイドの中でも特に忌まわしき宗派は、黒山羊に象徴される謎めいた女神を崇めており、その御使いとされる『黒い巫女』あるいは『黒山羊の巫女』と呼ばれる聖者の到来を待ち望んでいる。そのような邪教の輩の中にあって、殊更に熱心な者達は、汚ならしい食屍鬼どもと結託してでも、その降臨を手助けしようと試みたり、あるいは、女神と巫女が歩くべき大地の地ならしをするという使命に駆られている。黒い巫女の姿は獣のように見え、木々のようにも見え、ギリシャ神話に伝えられる美しいニンフのようにも見え、人間の女性のようにも見えるが、何より彼女自身の母によく似ているという」


 実際に『黒い巫女』と相対したときのショックを和らげる記述は、その明確な描写だろう。とはいえ、複数の矛盾を孕んだ描写である。獣であり木々であるという言い伝えは、恐らくわたしの知るシュブ=ニグラスの黒い仔山羊のものだろう。だが、後半の人間やニンフに似た姿というのが、どうもこれらと矛盾するように思えた。


 ここでダルヴァリを思い出す。彼女の正体は黒い仔山羊であったが、人間に化ける能力を十全に備えていた。


 ただ、確かに美しい人ではあったけれど、森のニンフに似ているかと言われると、これは疑問である。


「また、『黒い巫女』は、彼らが崇める大地母神の直系の娘にして、祝福されし人の子から生まれ出づるものなり、と予言されているらしい。わたし自身は、ドルイド達の中でも異端の集団が、結束を高めるために、人の中からこのような存在が産まれるという言い伝えを敢えて残したのではないかと考えている」


 これで少なくとも、ドロテアがエリザベートの中に黒い巫女を見いだしていた理由がわかった。どうやら、人の子から産まれるという予言を信じていたようだった。

 

 ダレット伯はこのように結んでいるが、わたしは事実がこの記述と微妙に異なることと、これを書いたダレット伯自身が真実に気付きつつ、敢えてこう記したことを確信している。


 『屍食教典儀』を読むのをやめて、わたしは問題の二人の状態を確認する。


「あ、アリシア、その、わたし、もう、その……」

「――っ、――っ!」


 泣きそうな顔で正座を続ける母とマリアの姿があった。ざっと二時間ほどか。少しは反省しただろうか? 今までの経験からすると、母はこのくらいで懲りたりはしない。マリアも母と同類と仮定するなら、彼女も明日には同じようなことをするはずである。


 何かを必死に堪える母とマリアの表情を見ていると、もう少し苛めたくなってきたが、明日に差し支えるので、ここまでとしよう。

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