吸血鬼退治論
敵が吸血鬼だという確信が生まれたところで、わたしは墓から蘇った死者を再びあの世に送り返す方法について調べることにした。
かのヘルシング教授と同じ偉業を達成するためには、少なくとも彼が吸血鬼退治に備えてやっただけのことはしなければならない。即ち、吸血鬼について知ることである。
吸血鬼は疫病の流行のような歴史的な出来事や、埋葬をはじめとする各種風習との結びつきが強い。民族学的な観点から見ても、吸血鬼は重要な題材であると言える。そのため、ミスカトニック大学の図書館には、吸血鬼伝承にまつわる資料が豊富にあった。
わたしが大学の図書館で吸血鬼に関して調べていると、ルースベン氏に声をかけられた。
「アリシアも吸血鬼を殺したいのか?」
ルースベン氏は、吸血鬼の話題となると、敏感な反応を示した。まるで吸血鬼の親でも殺されたかのようだ。アリシア『も』という言葉――そのたった一文字が、彼の吸血鬼への感情をほのめかしていた。
ルースベン氏といえば、かの吸血鬼ルスヴン卿と綴りが同じだ。彼もそのことは知っているらしく、わざわざルースベンという発音で呼ぶよう念を押されたこともあった。
「いえ、昨日の講義で吸血鬼文学を扱っていたものですから……」
「それで、実際にはどう退治するのか、興味を持ったという訳か」
「……ええ」
今日のルースベン氏は妙に勘が鋭い。いつもの彼は、女性の微妙な心の機微を察せず、そのために痛い目を見ているのだが、今日に限って、わたしの目的をよくご存知のようだ。
まあ、今のわたしの心の動きは、明らかに女性特有の心の機微とは違うので、比較的容易に察せられるのかも知れないが。
それにしても、普段からその洞察力の半分でも女性に向けてやれば良いのに、とは思う。
「ルースベンさんは、吸血鬼の存在を信じるのですか?」
「ああ。連中は実在する」
信じる信じないという個人的な考えを一言で示し、そして実在すると断言した。
ルースベン氏が話す言葉には、肯定にせよ否定にせよ、断言する形での物言いが多い。こうだと思う、という形での発言は少ない。
「それはエリザベート・バートリやジル・ド・レ、それにフリッツ・ハールマンのことですか?」
わたしが今挙げたのは、どれも吸血鬼呼ばわりされるほどの鬼畜の類である。うら若き乙女の口から出るべき名前ではない。こんな連中の名前がスラスラと喉から出る辺り、わたしも相当女を捨てているのだと痛感する。
「その通り――と言いたいところだが、どちらかと言うと、ドラキュラやカーミラのような感じの吸血鬼のことだな。アリシアが挙げた連中は、確かにモンスター的な精神を持ってはいるが、普通に殺せば死ぬから」
真っ昼間から殺すだの死ぬだのという言葉が飛び交うのはどうかと思う。彼は周囲の視線を気にしない性格だったから、人目を憚らず、そういう剣呑でマニアックな話ができるのだろう。いつか通報されないか心配である。
ただし、エリザベート・バートリと事を構えるのであれば、事の解決には相手の殺害が必須である。彼女が少し痛い目を見せるだけで諦めるようなら苦労はしないが、もし彼女がそんな人物であれば、そもそも何百人も殺したりはすまい。
「吸血鬼退治の入門書として最良のものは、やはりヘルシング教授の活躍を著した『吸血鬼ドラキュラ』だな。カーミラでも良い」
意外なことに、彼が吸血鬼退治の資料の例として示したのは、民間伝承に関する体系だった資料ではなく、個人の創作物であった。
それによれば、吸血鬼を殺すには、その居城を突き止め、墓を暴き、棺桶で眠る吸血鬼の心臓に杭を打ち込むべし、とある。
ドラキュラ伯爵の最期が、もっと違った死因(彼は普通の刃物で斬殺されている)によることには注意すべきだが、少なくとも、彼に血を吸われて吸血鬼と化した犠牲者は、この方法で葬られている。
また、カーミラも同様の方法で殺すことができるようなので、心臓に杭を打つという手段は信頼性は高い、ということになる。
「でも、ドラキュラはフィクションなのでしょう?」
「その通り。しかし、そのドラキュラ自体、ヨーロッパ各地の吸血鬼伝承を下地にして書かれたものだから、吸血鬼退治の資料としての信頼性は高い。少なくとも、日本のライトノベルよりはね」
ルースベン氏が言う『日本のライトノベル』とやらがどういったものなのかは、わたしにはわからないのだが、恐らく資料的価値には乏しいものなのだろうという想像はつく。
次に、民間伝承における吸血鬼退治の手法について紐解いてみる。この場合だと、死者が吸血鬼として蘇らないようにする方法や、吸血鬼に襲われないための方法が多く伝わる一方、明確な退治方法が記されていないものが多い。しばしば見られる記述は、やはり心臓に杭を打ち込む、首を切断する、もしくはそれらに加えてニンニクを口に詰め込む、といった具合であった。
「吸血鬼文学を吸血鬼退治の資料として読む場合、見落としてはならない点がある。何だと思う?」
「読み手はスピエルドルフ将軍やヴァン・ヘルシングではない、ということでしょう?」
「そうだ。吸血鬼は弱点が多いし、その弱点は広く知られている。だからといって、自分も容易に吸血鬼を退治できるなどと思ってはならない、ということだ」
吸血鬼退治がどれほどの難業であるかは、やはり多くの吸血鬼文学が示している。彼らの隠れ家を見つけないといけないし、吸血鬼自身の必死の抵抗もある。想像を絶する危険な冒険と戦いの末にしか、為し得ないことなのだ。
それがありふれたモンスターとして登場するようなゲームの世界を除けば、吸血鬼を殺すというのは大きな仕事だ。ヘルシング教授とその仲間のような英雄的行為が、果たしてわたしなどにできるだろうか?
「ありがとうございます。とても、ためになるお話でした」
「どういたしまして。アリシアが本当に吸血鬼を殺したがっているように見えたから、つい世話を焼いてしまったが、満足していただけたようで光栄だ」
彼は優雅な仕草で一礼した。上品な顔立ちだったから、それが様になっている。
「あともう一つ、気を付けなければならないことがある」
ルースベン氏は、それが今回の話題で最も重要なことであるかのように強調した上で、次のように述べた。
「人智を超えた化物を倒すことのできる人間を、果たして本当に人間と呼んで良いのか、ということだ」
「どういうことです?」
わたしは思わず聞き返した。
「古典的な吸血鬼文学のように、人間として知恵と勇気を振り絞った末に勝つなら、それで良い。けれど、強力な魔術とか、そういう力技で吸血鬼を殺すようなことがあれば、そいつはもう、吸血鬼よりも手に負えない怪物だ。人間でありたいのなら、そうなってはいけない」
真っ先に思いついたのは、マヤ先生の存在であった。
自分が吸血鬼退治をするなら、ヘルシング教授のように手順を踏み、作法に則って殺すのだろう。
だが、マヤ先生は多分、たとえ相手が恐ろしい吸血鬼であろうと、わたしが想像もできないような方法で、理不尽な破滅をもたらすに違いない。かつてアルバート・フィッシュにそうしたように。間違っても、心臓に杭を打ち込むなどという、平凡な方法で吸血鬼を殺したりはすまい。
「……肝に銘じておきますわ」
最後の注意点も含めて、ルースベン氏との吸血鬼談義は非常に実のあるものだった。
わたしはルースベン氏に別れの挨拶を述べた後、いつも通りに買い物を済ませ、帰宅して夕食を作った。
今日はブラックマン氏が居て、代わりにマヤ先生が留守にしていたため、辛い料理を作ることができた。
本来なら、マリアや母とも食卓を共にするのだが、今日に限って二人とも帰りが遅く、先に食事をいただくことになった。
「……ナツキさんとマリアの帰りが遅いな」
「そうですね。母はともかく、マリアさんは心配です」
このときはまだ、いつもよりも帰りが遅いという程度で、あまり心配はしていなかった。
念のため、占ってみることにした。こういった場面において、わたしの占いが有効な成果をあげることは、趙江の件で実証済みである。茶葉占いは完全に的中したし、あれ以降に行った占いも同様であった。正しくメッセージを読み取ることさえできれば、有効な情報を得られるのである。
わたしは水晶球をじっと見つめて、その中に映る映像を幻視する。
わたしは街頭で見るような占い師は信用していない。タロットカードや星占いはわかるのだが、この水晶球を用いた占いだけは、占い師が適当なことを言っているだけなのではないかと思っている。
だが、わたしの霊能力はどうやら本物らしく、水晶球の中に恐ろしい映像が見えてしまった。しかも、今回はカードや茶葉が示す謎めいたメッセージによる暗示ではなく、鮮明な映像による明示であった。
そう、夢の中のゴーツウッドで出会った、あの嫌な感じのする女性――恐らくバートリ夫人と思われる人物が映し出されたのである。
わたしは母とマリアの行方を占ったのだが、その結果として、この邪悪な人物が映し出された。これを楽観的に受け止めることはできない。二人は悪の手に落ちたのではないか――そんな恐ろしい想像をしてしまう。
彼女がこちらを向いた。そして言った。彼女の言葉は、確かにわたしの耳に響いた。
「貴女がそうするのを待っていたわ」
背筋が粟立つのを感じた。わたしが彼女を見るために作った、ある種の魔術的な通り道を通じ、彼女もまたこちらを見ることができたのだろう。
迂闊だった!
安易に占いの魔術に頼ったからこそ、わたしは敵に発見されてしまったのだ。図らずもミイラ取りがミイラになってしまったのである。
とはいえ、母やマリアが彼女の手に落ちたのであれば、結局のところ、魔術的な手段によらなければ、追跡は不可能だったのだろうが。
「あのときのお礼をしたいの。こちらへいらっしゃい」
彼女がそう言うと、わたしの体に無数の手がまとわりつく感触を覚えた。視覚的な情報はもっと酷いもので、その手は人間との類似性を持ってはいたものの、鉤爪やゴム状の皮膚といったおぞましい奇形を伴っていたのである。
わたしの意識はそこで途切れた。




