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白い姫君と黒い巫女  作者: 標準的な♂
黒い聖母
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休日の過ごし方

 宴の翌日は静かなものだ。一番やかましい母が二日酔いで潰れているので、結局は元の静けさがブラックマン邸に帰ってきた形になる。


 以前よりは遥かに社交的になったとはいえ、わたしの休日の過ごし方は昔とあまり変わらない。つまり、一日中読書をして、静かに過ごすのだ。ただ読む本が変わるだけである。


「何の本?」

「昔の本よ。ラヴクラフトはご存知?」

「知ってる。マヤ姉がよく読んでるやつよね」


 マリアはあまり読書をせず、どちらかと言えば外を駆け回って遊ぶタイプのように見えたが、マヤ先生の好みくらいは知っているらしかった。

 

 今日は趣味と実益を兼ねて、ラヴクラフトの著作を読むことにする。


 さて、ラヴクラフティアンは大別して二種類に分かれる。彼の著作が完全にフィクションだと考える者と、一部または全部が真実であると考える者だ。かく言うわたしなどは、以前は前者の立場であったが、ラヴクラフトの作中における食屍鬼グールの描写そのものの怪物に実際に襲われたことで、後者になった経緯がある。


 思うに、我々にとっての幸運とは、彼が作家であったことに違いない。幾つかの驚異的な真実についての洞察を刺激する作品の数々を世に送り出しつつも、それが小説という媒体であったがために、フィクションとして受け入れる余地が残っていた。彼の友人や弟子にあたる作家の怪奇小説についても、同様のことが言える。


 これらがもし、例えばフォン・ユンツトの『無名祭祀書』や、ダレット伯爵の『屍食教典儀』のような、純然たるオカルトの記録であったなら、彼らの名前はもっと忌まわしきものとして歴史に残っていただろう。


「……」


 わたしが本を読む姿の何が面白いのか、マリアの熱い視線がわたしに注がれている。しかし、やはりじっとしているのが苦手なようで、それも長く続かなかった。


 マリアはテレビの電源をつけた。


 偶然やっていたニュース番組では、ストーカー被害を取り扱った特集が組まれていた。これにはわたしも苦笑いするほかない。わたしの日常が変わるきっかけとなった食屍鬼グール、アルバート・フィッシュも、少なくともわたしに対しては同じ性質を持っていたからだ。


 ストーカーと言えば、わたしは一つ疑問に思ったことがある。マヤ先生はストーカー被害に遭ったことはないのだろうか、という点だ。


 最初にマヤ先生の顔写真が世に知れ渡ったのは、彼女がシナリオライターを務めたビデオゲームが発売されたときの、雑誌でのインタビュー記事だったという。悪趣味なホラー作家であるヤズラエル・W・ウェイトリーとされるアルビノの美少女の写真は、インターネット上で話題になったものだ。


 そんな経緯で顔が知れ渡ったのだから、ストーカー行為に及びそうな輩の一人や二人くらいは居たところで、何ら不思議ではない。


「ストーカーって恐いね」

「ええ」


 マリアの言葉には同意しておく。


 怪物と神々の実在を知った今でも、より身近な犯罪に対する恐怖が和らぐことはない。確率で言えば、例えば邪神を奉じる魔術師に襲われるよりも、ごろつきに襲われる可能性の方が、ずっと高いのである。趙江の件では間に合わなかったが、あの事件の後、わたしも銃を購入している。マヤ先生には「当てれるの?」と言われた。まったく失礼な話である。


 次の特集はもっと穏やかなもので、紅茶に関するものだった。マーマレード、蜂蜜、ブランデー、そして蜂蜜酒。これらをブレンドした紅茶を扱っていた。紅茶そのものには甘味はないが、どんなものを添えて甘味を加えるかによって、随分と味わいは変わる。わたしは蜂蜜派である。もし、わたしを家に招く機会があって、紅茶を淹れるようなことがあれば、覚えておくとよい。


 蜂蜜といえば、以前マヤ先生に振る舞われたミード・ティーのことを思い出す。蜂蜜そのものを入れるよりも甘さは控えめで、これはこれで悪くはない。何より、あのとき入れた蜂蜜酒の質は最高のもので、素晴らしい味と香り、飲んだ後の心地よい酩酊感が忘れられない。その後見た極めつけの悪夢についても同様なのだが。


 休日は一日中家にいるので、昼食も作る。あまり身体を動かしていないので、ランチは軽めのものにし、食後にストレート・ティーでも飲むのが良いということになった。


 ハムとレタスを挟んだ簡素なサンドウィッチと紅茶で、質素なランチタイムとした。


 昼食の折に、例の蜂蜜酒について訊ねた。もう一度飲みたいと思ったからだ。


「マヤ先生、この間飲んだミード・ティーなのですが………」

「ああ、あれ? 飲みたいの?」

「はい。あれを飲んだ後は寝つきが良いので」

「……わかった。そうだわ、実家に帰った後も飲めるように、あの蜂蜜酒の作り方を教えてあげましょう」

「ありがとうございます。母も喜ぶと思いますわ。母はお酒が好きですから」


 これで素晴らしい美酒を実家でも楽しめるというものだ。


 実際にレシピを確認してみると、何種類かの薬草が書かれている。その製法は複数のハーブを用いるもので、アブサン(ニガヨモギを用いた酒で、過去には禁制の酒であった)の製法にも似ていた。量が少なく、それを作るのに苦労するのも頷けるが、苦労に見合うだけの価値がある品には違いなかった。


 ただし、マヤ先生は魔女であり、この蜂蜜酒は魔女が作った飲み物で、実際にその効能の片鱗を体感したことがある。だからこそ求めたのだが、まさかマヤ先生が自ら教えてくれるとは思ってもみなかった。


 わたしの故郷では、魔女が作った飲食物には魔法がかかっているので、口にする際には十二分に警戒すべしという言い伝えがある。セヴァン谷の田舎は、二十一世紀も半ばにさしかかった今なお、未だ迷信が根付いているのだ。わたし自身も、故郷で忌み嫌われるような魔女になりつつあるのかもしれない。


「んあー、おはよう……あれ、なにそれ」


 母が起きてきたのは、わたしがアフタヌーン・ティーを丁度飲み干した辺りだった。


 わたしにそっくりな間抜け面を見て、これが恐るべき魔女だとは到底思えない――母のことを知らないのであれば、警戒なんかしないだろう。


「これは、マヤ先生のミード・ティーのレシピですわ」

「ああ、これ……そうそう、これよ、これ! 一回だけ飲んだことがあるのだけれど、あの味が忘れられなくって。後で先生にお礼を言っておくわね」


 母も、あの黄金色の美酒を飲んだことがあるらしい。


 母もマヤ先生と同じ魔女であり、しかも酒好きなので、この黄金の蜂蜜酒のことは知っていて当たり前なのかもしれない。


 このレシピを得たことで、今度は蜂蜜酒の使い方について知る必要がある。意味のある夢を見ることができる、という効果以外は確認していない。


「ちょっと外で酔いを覚ましてくるね」


 母はおぼつかない足取りで出て行ったが、大丈夫だろうか? 彼女自身のことではない。グリーンウッドの名前に泥を塗ったり、わたしそっくりの顔なのを良いことに変なことをしたりしないか、という点においてだ。


 そういえば、許婚のウィルバー・ウェイトリー・ジュニア氏が近々こちらに来ていて、しかも母も来ているということは、父も来ているはずである。あの面倒臭い父が! 彼に今の状態の母を見せたら、きっと面倒なことになる。なにしろ母に禁酒を強いている張本人なのだから。


 慌てて追うも、あんな千鳥足のくせに足が速く、もう見失ってしまった。酔ったふりをしているのではないかとさえ思う。


 しょうがないので、午後からは、平日と同様の魔術の研究を進めることにする。


 趙江の一件でブラックマン氏から受けた助言は、あらゆる魔術の基礎に立ち返るべし、つまり占術に注目せよというものだった。


「占い?」

「ええ。最近、凝っているの」


 間違ってはいない。趙江の一件の時点で、試すに試せない危険な魔術は概ね習得し、そこから行き詰って基本に立ち返って占術に凝り始めたのだ。


 この前の占いは茶葉を使ったが、紅茶はもう飲み干してしまった。そこで、今度は水晶占いの手法について学ぶことにする。そういえば、母も水晶占いが得意で、よく的中させていたのだが、あれの原理は本当によくわからない。水晶球の中に何らかの幻視を見出すもののようなのだが、どうやったらそれが可能なのかがわからない。結局のところ、本人の霊的な素質に依るのではないかという気さえする。


 母の資料の中に記述があった気がするので、再び資料を漁らなければならない。


「ただいまー。お腹すいたー」


 帰ってきた母はすっかり酔いが覚めており、それどころか、普段よりも更に顔がつやつやしている――何があったのか、それを聞く勇気はなかった。


 涼風に当たって酔いを覚ました母は、アフターディナー・ティーに例のミード・ティーを求めた。アルコールがどうしても欲しいらしい。


「少ししかないから、飲みすぎは駄目ですよ」

「わ、わかってますよ! ……いいもん、自分で作るから」


 わたしが言うよりも先にマヤ先生に釘を刺された母は、図星を突かれたようで、途端に狼狽し、そしてねた。相変わらず、わかりやすい人だ。酒は浴びるように飲むべしという持論を抱えた母は、大して強くないのに、飲むだけ飲んで、さっさと潰れて寝る。昨日もそうだった。


 見ているだけなら面白い人なのだが、あの資料を読めば、単にそれだけの人でないことはわかるだろう。なにしろ、あの資料の中には他人を呪い殺す魔術についての言及もある。わたし自身はまだ試していないが、かの魔道書の著者である母がそうしていないと、一体誰が言い切れる?


 黄金色の蜂蜜酒を混ぜた極上のミード・ティーの酩酊の中、わたしは眠りについた。


 思い起こせば、今日は実に静かな一日であった。いつもこうなら良いのだが……

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