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白い姫君と黒い巫女  作者: 標準的な♂
復活の日
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アーカムでの生活

 既に二十一世紀も中頃にさしかかってきたが、アーカムは今なお古き良き時代の街並みを色濃く残している。それが証拠に、何世代も受け継がれてきたようなこぢんまりとした個人商店が、あちこちに見られた。ロサンゼルスやニューヨーク等に比べれば治安も良いようで、これから長い付き合いをする街としては、悪い場所ではないと思う。


 わたしが生まれるよりもずっと前に、酷いハリケーンがアメリカをおそった。アーカムの町並みを南北に貫くミスカトニック河の流域は、特に被害が大きかった地域であった。マサチューセッツ全域に大きな被害が出たこの災厄は、アーカムには殊更に容赦のない破壊をもたらしたものの、流石に五十年以上の年月を経た今となっては、その爪痕を復興の記念碑以外の形で見つけることは困難になっていた。しかし、かの大嵐が価値ある歴史的建造物の多くを破壊してしまったことは、やはり残念と言うほかあるまい。


 わたしが通うミスカトニック大学は、かのMIT(マサチューセッツ工科大学)にも比肩しうる名門校である。アメリカ全土で見ても、ここより良い大学はハーバードやプリンストン等、いわゆるアイビー・リーグに数えられるものしかない。そんな一流大学にストレートで入学を果たせたのは、素直に誇って良いところだろう。ただ、全体の傾向として、大学は入試よりも卒業が厳しいという話を聞くから、頑張りどころはこれからと言える。


 当たり前だが、学業ばかりが生活ではない。海外の人々との交流を持たずして、海外留学の意味はない。ただ勉強がしたいだけなら、地元のオックスフォード辺りにでも行けば良かったことだ。


 とはいえ、いくら同じ英語圏の国とはいえど、遠い異国の地で誰かと友情を結ぶ行為については、やはりその一歩を踏み出すのに勇気を要する。しかし、孤独な一匹狼の立場を自らに課すのは、それよりも遥かに危険なことだ。これは幼少の頃の経験から、散々教訓を得ている。


 わたし自身は元々社交的な方ではなかったし、少し前までは、交遊関係が限定されたものでも満足していた。なにしろ、本こそが最も重要な友であったから、少数の同好の士以外を寄せ付けずとも、さほど困らなかったのである。


 新しい友人を作るための一歩を踏み出そうというわたしの判断は、思ったよりも上手くいった。


 ミスカトニック大学入学から半月は経ったが、既に友人と呼べる人物が二人は居る。良く言えば深窓の令嬢、しかしどう見ても単なる根暗の引きこもり――自己評価としてはそんなものだから、これでも上出来だろう。もっと褒めてもよろしい。


 実のところ、ここで失敗していたら、恐らく、大変な目に遭っていた――大げさだが、命がなかった違いない。実際、彼らに危機を救われたことが何度もあるのだ。


「相変わらずちっちゃいわね」

「アビーが大きすぎるだけですわ」


 アビゲイル・アームストロングことアビーは非常に背が高く、がっしりとした体格の女性だった。ある意味、マヤ先生以上に印象的な容貌と言って差し支えないだろう。これでもっと細く小柄であれば、非の打ち所のないモデル体型だったのだが、そうではなかった。ファッション・モデルにしても背が高すぎ、筋肉が多すぎたのである。ボディビル雑誌の女性モデルとしては理想的ではある。レスリングを嗜んでいるとは本人の弁だが、どう見ても嗜んでいるという程度の言葉では説明がつかないほどの体格だった。


「もっと食べて、もっと動いて大きくなりなさい。あたしの地元には、良いレストランとトレーニング・ジムがあるから……」

「美味しいお店には興味がありますけれど……」


 確かに、わたしの体はいささか細過ぎるかもしれない。周囲に散見される、長身かつグラマーなブロンド美女と比べると、自分のは肉感的な魅力には欠け、少々物足りなく思える。しかし、アビーの誘いに乗ってもボディビル体型になる程度の成果しか得られないだろうことは明白だった。


 彼女はしきりにわたしを同好の士としようと躍起になっているが、いささか強引な誘いに、どう断れば角が立たないか考えるのに必死である。悪い人ではないから、友としては大切にしたいところなのだが。


 彼女はニューヨーク出身で、故郷や家族の話題になると、楽しそうに語る。自由の女神を見て育ったことを誇りとしているようだった。


「アビー、そこまでだ。そう無茶な要求をするものじゃない。第一、アリシアはこのままで良いんだ」


 こちらの美男子はジョージ・G・ルースベン氏で、東洋史を専攻している。


 ハイスクールの時分にはさぞスター性を発揮したのだろうと、最初に見たときは思った。事実、ハンサムで逞しく、教養があり、闊達で女性に親切な彼は、理想的なアメリカ人男性と言えた。


 また、彼は裕福な家庭に生まれ育ち、有力な貴族を先祖に持つという。真偽はさておき、それにまつわる面白いエピソードがいくつかあるので、機会があればそれらをお話ししよう。


 確かなことは、彼は育ちの良い人間で、一片の隙もない紳士としての教育を受けていることだ。陽気なアメリカ人と言うよりは、我々が思い浮かべるようなイギリス紳士を思わせる振る舞いも多いのが、その証拠と言えるのではないだろうか。


「彼女は見ての通り、理想的な大和撫子だ。ゴリラである君とは違う」


 ただし、わたしを見ての第一声が、やけに流暢な日本語による「おお、大和撫子……」であったことから、その人柄が抱える瑕疵については概ね察せられよう。確かに母は日本人だが、わたし自身はイギリス育ちのイギリス人だと説明したときの、なんとも言えない落胆した顔が忘れられない。しかも、今でもわたしが生粋のヤマトナデシコとやらだと信じてやまない。


 彼は大の日本好きで、それを変にこじらせてしまっているように見える。聞く話によると、やはりハイスクール時代以前から日本文化通を自負していたが、友人にいくつかの間違いを指摘されたのを切欠に、学術的に研究して真に日本を理解しようと、ミスカトニック大学の門戸を叩いたのだという。


 アビー曰く「賢い馬鹿」だそうで、わたしも危うくそれに同意しかけたところだったが、会って間もない人間にそのような評価を下すのも、いささか早合点が過ぎるというものだ。よって、わたし自身の評価はしばらく保留とする。


「……ゴリラですって?」

「意外と繊細なところも含めてだよ、アビー」


 ルースベン氏は自分の失言をそのようにフォローした。そして拳骨で打ちのめされた。彼女は「意外と」という語句を聞き逃さなかったのだ。それは慣れた手つきであった。付き合いが長く、仲も良いことが伺える。


 こうした愉快な友人を最初に得られたことは、一生の幸運である。故郷では友人がほとんど居らず、本だけが友と言っても過言ではない有り様だったから、これを期に自分の殻を破って良い方向に変われるかもしれないという期待があった。


 大学から帰った後は、食材の買い出しに行き、それから夕食を作る。原則として、三食のうち朝晩はわたしが作り、残せば昼食の副菜に適するものを幾つか選ぶ。特に白飯に味噌汁といった日本食は物珍しいようで、評判は悪くはなかった。最初にイギリス人の作る食事は不味いと思っていたと、堂々と口を揃えて言われたものだ。


 その日の夜は珍しく、マヤ先生の養父が仕事から帰ってきていた。代わりにマヤ先生が仕事の都合で留守にしていた。


「アーカムにはもう慣れたかい?」


 マヤ先生の養父であるナイル・アーサー・ブラックマンと話す機会は、やや貴重なものである。ここでマヤ先生が不在ともなると、もっと珍しい。


 この機会にブラックマン氏について紹介しておこう。彼もマヤ先生に劣らず特徴的な容貌の持ち主で、印象深い人物である。その特徴とは、痩身だがハンサムな白人の特徴を確かに備えつつ、その肌は黒いというものであった。東洋のことわざで『名は体を表す』というものがあるが、彼はまさにそれだった。この特徴はマヤ先生のようなアルビノとは逆の、メラニン色素過多によるものらしかった。


 しばしば聞かれる風聞として、いわゆる「肌の黒い白人」はサタンないしその他の魔神の化身であるというものがある。しかし、少なくともナイルさんに限って言えば、そうした悪魔的な性向は見られなかった。そも彼は神の使いたる神父であり、サタンとはまったく逆なのだ――旧約聖書のサタンが神の使いとしての側面を持つという点を、敢えて無視するならば。


 ともかく、ナイ神父の愛称で呼ばれる彼については、家庭を留守にしがちであることを除き、好人物であると述べておく。


「はい。楽しいお友達もできました」

「それは良かった」


 マヤ先生と比べて、ナイルさんとの団欒だんらんの機会は少ないものだから、わたしも一息に色々なことを話した。概ね前述した二名の好ましい友人のことである。どちらも話題に事欠かない人物だったから、話も弾んだ。


「何か困ったことはないかい?」

「ええと、それは、ちょっと言いにくいのですが……」


 アーカムでの生活には概ね不自由はなかったが、ここに来て困ったことが一つだけあった。それも結構深刻な問題が。


「ストーカー?」

「はい。確証は無いのですけれど」


 最近の悩みは、何者かの視線を感じることだった。確かに完全に東洋人の顔立ちをしていたから、学友からも奇異の視線を向けられることはあった。しかし、それとは明らかに質の異なる、個人による粘っこい視線を感じるのだ。


「なら極力、一人で居ないこと。そして確かな証拠を掴んだら、すぐにアーカム警察に相談するんだ。なに、アーカムの警察は優秀で親切だ。スコットランド・ヤードにだって、引けをとったりしないよ」


 彼はそう言って、わたしを勇気づけてくれた。その穏やかな口調には、どこか人を安心させる調子があった。


「それから、気休めだけれど、これをあげよう」


 また、ナイル氏は奇妙な人形をわたしにくれた。奇妙な、見たことのない形の生き物――フルートを手にした蛙のようであり、烏賊のようであり、もっと違った生き物のようでもある――ちょっと名状し難いものだった。それは携帯電話のストラップには大きすぎるが、鞄に付けるアクセサリーとしては、趣味はともかく大きさ的には悪くない。


「ちょっと不細工に見えるかも知れないけれど、これはディラエといって、『秘められたる神々』に仕える天使の一柱だ。ギリシャ神話のエリニュスのルーツにもなった、破邪顕正の力を持つ御使いだよ。きっと君を守ってくれる」


 それは手作りのように見える。オカルトはどちらかと言うと信じる方だが、それでもこのような真新しいものに霊的なパワーが宿っているかは、はなはだ疑問である。。しかし、彼なりの親切心だから、ありがたく受け取ることにする。


 この天使ディラエについても、興味深い話があるのだが、今回はそれほど関わってこない。それより、わたしの認識と生き方を大きく左右した最初の事件について、先に説明した方が良いだろう。

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