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白い姫君と黒い巫女  作者: 標準的な♂
復活の日
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フルートの音色

 さて、結論から言うなら、わたしは非常に愚かであったと言わざるをえない。あの資料をもっと深く研究していれば、間違っても他人に貸すなどという発想は生まれなかったはずだ。


 母の資料に記述のある魔術の儀式のうち、実際に効果のあるものがどれだけあるのかは、今なお定かではない。なにしろ、文明社会においては忌むべきもの、例えば動物や人間の生贄を必要とするもの、口にするのもはばかられる卑猥な性行為を伴うものが多い。そんなことを試すわけにもいかないので、確認がとれないのだ。


 更に言えば、もし効果があった場合に、何が起こるか想像できないというのもある。わたしは『ハンノキの王』を呼び出す儀式を知っているが、それが理由で試していないのだ。ましてや、『ハンノキの王』達を従える森の女神――偉大なる『神々のマグナ・マーテル』をこの世界にお招きするなど、あまりにも恐ろしくて、自分にはとてもできない。


 しかし、それらの秘術のうちの効力を、図らずも確認する機会を得てしまった。


 最初の事件は、わたしが知る限りでは、ダニッチ村で家畜が何匹か盗まれた件である。ダニッチ村と言えば、アーカムのすぐ近くだ。マヤ先生の母君がダニッチ出身らしいが、彼女自身はあまり良い感情を抱いていないようだったから、どんな村かは推し測るべしと言ったところだろう。少なくとも美味しい食事とは縁のない場所には違いない。


 何はともあれ、生贄に家畜を捧げることは、大いなる『神々の母(マグナ・マーテル)』とその眷属をこの世界に招く為の儀式の下準備の一つである。聞けば、ダニッチで盗まれたのは発育良好な肉牛ばかりだったという。女神への供物としてはうってつけだったのだろう。


 次の兆候は、最初の事件とほぼ同時であった。あれほど図書館に足繁あしげく通っていた趙江の姿が、すっかり見られなくなったのである。


 それと時を同じくして、マサチューセッツ工科大学の生徒が何名か行方不明になったことも報じられた。これが疑惑が確信に変わった瞬間である。


 いよいよ危機が間近に迫っていると感じたのは、わたしが学校帰りに路上に打ち捨てられた犬の死体を目にしたときだ。


 犠牲になったのは白い毛皮の大型犬で、犬種は恐らくグレートピレニーズ辺りだろう。鋭利な刃物で喉を裂かれており、死因は素人目にも明らかだった。


 凶器は見つかっていないが、犯人の手がかりになりうるものとして、黒と紅の奇妙な砂が残されていた。


 良くないことは重なるもので、この飼い犬には見覚えがあった。わたしの知り合いに、愛犬家で知られるマーガレット・オルブライトという女性がいるのだが、彼女の愛犬がグレートピレニーズだった。そして、この犬の亡骸を発見した日から、彼女を見かけていない。


 いよいよ銃の携行が必要と思い、所定の手続きをとろうと思い立つ。もっと早くやれ、という意見はごもっともだ。これに関しては、一つのことに熱中するとそれ以外が疎かになる、わたしの悪癖が原因である。銃よりも魔術と考えていたのだり

 しかし、実のところ、必ずしも魔術を用いなければ撃退できない相手ばかりではなく、むしろ物質的な肉体を持った脅威が大半を占めているという事実に、目が行っていなかった。故に銃を携行するための手続き遅れたのだ。


 銃社会であるアメリカにあって、マサチューセッツ州には厳重な銃規制がある。携行許可やら免許やらが必要となり、所定の手続きから銃の購入まで含めると、結構な時間がかかる。


 わたしがどんな目にあったかは、もうお分かりだろう。結局のところ、わたしの行動は様々な面において後手に回っており、全ての自衛措置がワンテンポ以上遅かったのだ。


 わたしがやっと銃が持てるようになった日のことだ。わたしは書店で銃のカタログを買って帰る道で、フルートの音色を聞いた。


 その笛の音を除けば、アーカムの町は不気味なほど静まり返っていた。冬も近づき、幾分か日が短くなったとはいえ、まだ人が出歩く姿が見られ、車の通りはそこそこある時間帯だ。誓って言うが、わざわざ人通りの少ない寂れた場所を通った訳ではない。自分の身が危険に晒されていると知りながら、敢えてそんな道を選ぶ道理などない。


 音に反応して振り返ると、そこにいたのは趙江だった。ブラックマン氏の話の通り、有名なフルート奏者らしく、その音色は美しく澄んでいた。


 だが、わたし以外の観客が最悪だった。視覚、嗅覚に訴える不快感は、なかなか日常生活では味わえない程のものだった――だってそうだろう? 一般人にとっては、死体安置所の臭いなど無縁のはずなのだから。


 また彼らは、嫌らしい獣めいた顔――大昔のドイツ映画に『吸血鬼ノスフェラトゥ』というものがあるが、あれを更に凶悪にしたような顔つきをしており、まさしく餓えた肉食獣の如き敵意がみなぎっていた。そればかりか、異様なほど前屈みで、鋭い鉤爪、ゴムのような質感の肌、蹄のような足――これら全てに見覚えがあった。あの恐ろしい食人鬼、アルバート・フィッシュの変わり果てた姿に酷似していたのである。


 わたしは後ずさった。すると、足下に違和感を覚えたので、視線を下に向ける。舗装された道路を歩いていた筈なのに、まるで砂浜のような感触を覚えたのだ。わたしが見たのは、異様な黒と紅の砂地であって、今まで確かに歩いていた筈の道路ではなかった。


 趙江の魔術か。どんな性質のものかは定かではないが、アーカムの町に人一人見られない原因は、恐らくこの砂にあるのだろう。一種の結界だろうか?


 だが、悠長に術の分析をしている場合ではない。絶体絶命の危機に陥っているのだ。別段、起死回生の手だてがある訳ではないが。


「久しぶりですね、アリシアさん」


 趙江は笛から口を離し、わたしに一礼した。しかし、わたしはそれに応じることはできなかった。何故なら、何匹もの食屍鬼グールがわたしの四肢を拘束し、組み伏せていたからである。


「嫌! 離して!」

 わたしの叫びが虚しくこだました。食屍鬼グールの臭いと存在を間近に感じることで、わたしの恐怖は何倍にもなった。


「貴女は魔道を志す割に、警戒心が無さすぎます。いけませんよ、そんなことでは」


 趙江はからからと調子良く笑い、地面に押さえつけられたわたしを見下ろしていた。明らかな侮蔑の念が込められていた。


「今日は良い日です」


 趙江は空を見上げて言った。今夜は新月で、なおかつよく晴れていた。心なしか、夜空の星々の輝きが一段と増しているように感じられた。こんな目にあっているのでなければ、自分も同じことを思ったに違いない。


 首筋に何か鋭い痛みが走り、わたしは悲鳴をあげた。食屍鬼グールの一匹が、わたしに何か注射をしたらしい。急激な眠気がわたしを襲う。状況が状況なので、次に目覚められるかが不安で仕方がなかった。


「ぼくはこの日を待っていました。神々の母(マグナ・マーテル)をお招きするのに、今日ほど相応しい日はありません。資料のお礼と言っては何ですが、今夜は神の降臨の現場を特等席でお見せしましょう。食屍鬼グールよ、彼女をエスコートしておやり」


 かくして歴史は繰り返されたのである。わたしはまだ二十歳にもならぬ人生において、既に三度目の誘拐を経験した訳である。


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