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白い姫君と黒い巫女  作者: 標準的な♂
復活の日
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不思議な出会い

 マサチューセッツ州のジェネラル・エドワード・ローレンス・ローガン国際空港に着いたのは、丁度昼食時だった。


 アメリカへの海外留学とは、我ながら思いきった事をしたものだと思う。アメリカ大陸の大地にこうして足をつけたが、耳を澄ませると、慣れ親しんだイギリス英語ではなく、わたしからすれ特徴的なアメリカ英語が飛び交っており、早くも自分が故郷から遠く離れた異国の地にいるという実感を味わっていた。


 わたし、アリシア・S・グリーンウッドは、イギリス西部のグロウスターシャーの片田舎の生まれである。父はイギリス人、母は日本人で、ハーフということになるのだが、気づけば典型的なモンゴロイドの顔立ちに育っていたから、どうにもハーフという感じがしない。ましてやイギリス人になど見えないだろう。また、仕事で忙しい父との会話はあまり多くなく、専ら家での話し相手は母だったから、考え方にも日本の影響が強く表れているようにも思える。それに加え、日本語も日常会話に不自由しない程度に話せるから、まったく日本人で通る――むしろ、イギリス人だと主張しても信じてもらえないことが多々あるほどだった。


 アーカムが誇る名門、ミスカトニック大学への留学を決めたのは、丁度わたしが十五歳の時分であった。わたしは本を読むのが好きで、それが高じて小説家や翻訳家の夢を抱くに至ったのだ。


 実家の近隣にはグロウスターシャーやオックスフォードといった名門大学があったが、敢えてミスカトニックを選んだのは、家族から離れての生活を経験しなければならないと思ったこともあるが、やはりかねてより学術の砦たるアーカムへ行きたいと思っていたという面が強い。地元の連中とあまり仲が良くないというのもある。ともかく地元の大学の魅力が、アーカムはミスカトニックのそれに勝らなかったのだ。


 アーカムへの留学にあたって、ホームステイをすることになったが、そこでわたしの今後の運命を決定付けた女性である、マヤ・ウェイトリーとの出会いがあった。


 彼女のことは以前から知っていた。若手の小説家で、わたしにとってはペンネームのヤズラエル・W・ウェイトリーの方が馴染みが深い人物であった。近年では雑誌のインタビューで顔写真が掲載され、わたし自身は実際に確認してはいないのだが、何でも女性(ペンネームと作風のために男性だと思われていた。わたしもそう思っていた)かつ、非常な美人だったとかで、インターネット上で話題になったらしい。また、彼女の養父共々、古物収集家の間では有名で、多くの稀覯本を所持していることでも知られていた。いつかのインタビューでは、養父の古書のコレクションから着想を得たことが何度かあるとも言っていた。


 当然、実際に会ってその人柄には触れあったことはないが、まだ若い独身の女性で、怪奇小説家で、なおかつ古物収集家――いかにも変わった人物なのは、そのプロフィールだけで十分にわかった。


 敬愛する小説家の先生のもとでホームステイをさせていただくことができたのは、このときは幸運ととらえていた。


 ホームステイ先の家主である彼女の養父、ナイル・アーサー・ブラックマン氏からは、自分が家を留守にすることが多いこと、マヤ先生は生活能力が著しく欠けていることなどを聞かされ、食事や洗濯などの世話をしてやってほしいとも言われた。ホームステイ先としては甚だ問題のある環境と言えたので、仲介業者も渋い顔をしていたものだが、わたしのたっての希望であった。また、母に相談したところ、今のうちに家事全般をこなして花嫁修行をせよと言われた。逆に言えば了承は得られたのである。


 大学卒業までは結婚の予定はないとはいえ、この機会に家事全般の練習をしておくのは悪くない。


 マヤ先生とは空港で落ち合うことになっていた。わたしは公衆電話を探し、あらかじめ知らされていたウェイトリー家の連絡先を聞き、空港到着の一報を入れた。


「もしもし、アリシア・S・グリーンウッドです。今、空港に着きました」

「ああ、アリシアちゃんね。話は聞いているよ」


 電話に出たのは、穏やかな口調の男の人だった。マヤ先生の養父のブラックマン氏であった。


「今からマヤがそっちに行くから、適当なところで時間を潰しておいてくれ」


「はい、わかりました」


 ここでわたしの不手際が明らかになる。アーカムからボストンまでは電車で二時間ほどかかる距離があり、それまで待たなければならなかった。となると、出発の時点で知らせていれば、もっと良いタイミングで落ち合うことができたのだ。


 いくつかの本を持ってきていて本当に良かった。読書は食事を終えた後の時間潰しにはもってこいだった。わたしは件のマヤ先生ことヤズラエル・W・ウェイトリーのデビュー作である『聖母への祈り』を読んで待つことにする。これはタイトルとは裏腹に、異形の子を出産する冒頭が印象的な、非常にグロテスクかつエロティックな作品である。間違っても、電車の中などで堂々と読めるものではないので、ブックカバーには気を使う。


「すみません」



 しばらくして――二時間ほどかかると思うと、意外なほど時間は経っていない――後ろから話しかけられた。特徴的な英語の発音だった。これから慣れないといけないアメリカ式の英語とは異なる、わが故郷で馴染みの深いイギリス英語だった。


「アリシア・S・グリーンウッドさんですか?」

「はい、そうで――」


 振り返ると、この世のものとは思えない生き物がそこにいた。驚くほど白い肌、白い髪、そして赤い瞳――いわゆるアルビノというやつだろう。しかし、アルビノのモデルの写真を見たことがあるが、目の前の彼女からは、単にそれだけではない、名状し難いものを感じる。人間という感じがせず、妖精や天使の類だと言われた方が信憑性しんぴょうせいがある。


 インターネット上で話題になったのも無理はなかった。確かに、一度見たら忘れられない。


 少し気まずい。結構、相手のことをまじまじと見つめていたからだ。気にした様子が無いのが幸いだが、表情に出ていないだけで、あまり快く思ってはいないのではないかと不安になる。


「はじめまして。マヤ・ウェイトリーです。ヤズラエルの方が通りが良かったかしら?」

「は、はい」


 そう答えられるまで、結構時間がかかったような気がする。実際には即答していたのだが。


 わたしは深呼吸して、努めて呼吸を整えてから、自己紹介を始めた。


「はじめまして。わたくし、アリシア・S・グリーンウッドと申します。今日からウェイトリーさんのご自宅でお世話になります。どうかよろしくお願いいたします」

「こちらこそ、よろしくね」


 お互いに軽く会釈えしゃくをして、握手を交わす。そして次に――マヤ先生は顔を近付けた。眼前に彼女の顔がある。誓ってそんな趣味は無いと断言するが、こうまで距離が近いと、同性でも流石にどきどきする。


「……ごめんなさいね。目があまり良くないものだから」


 アルビノは総じて視力が弱く、普通の明かりが非常に眩しく感じるらしい。肌も色素が無いために紫外線に弱いとも聞く。見たところ、何の防護策も講じていないように見えるが、大丈夫なのだろうか?


「……失礼だけれど、アリシアって感じの顔ではないのね。日本人?」

「よく言われます。母は日本人ですが、これでもイギリス育ちのイギリス人ですわ」


 多分、これからミスカトニックの学友にも言われるであろうことを、やはり言われた。わたしだって気にしているのだ。そしてそれへの説明はしておいた。


 先にも述べたが、ボストンからアーカムへは電車で二時間ほど。電車に揺られる間、われわれは互いの故郷のこととかについて話した。


「グロウスターシャーはどんなところなの?」

「景色が良くて、古い建物がいくつもあります。わたくしの地元の近くには、面白い伝承も少々ありますわ」

「そう――機会があれば、今度行ってみたいわね。でも、アーカムも良いところだから、きっと気に入ると思うわ」


 それから、互いの家庭環境のことについて語り合った。


 わたしの家は古くから続く家柄らしく、経済的には何ら不自由は無かったが、「家」に縛られる部分もある旨を説明した。要は両親が決めた許婚だとか、そういったもののために将来の自由を奪われる運命にあるということだ。


 一方、マヤ先生の家庭事情も、なかなか複雑なようだった。何でも、物心つく前に父は失踪、母は他界し、養父に引き取られたのだとかいう。ウェイトリーという名字は、亡き母の忘れ形見だとも語った。


 以降は趣味や好きな食べ物などの月並みな雑談に花を咲かせ、気付けばアーカムのマヤ先生のご自宅の最寄り駅に着いていた。


「うわ……」


 マヤ先生の家に上がって最初に驚いたのは、マヤ先生の自室だった。わたしは思わず呻き声を上げた。その部屋が本当に酷い有り様だったからだ。仕事で使っている机の周囲を除き、足の踏み場もない有り様である。


「あら、あら……ごめんなさいね、散らかってて」


 彼女は思い出したかのように、部屋を片付け始めた。その手際自体は良いので、単に面倒臭がりな性格にのみ由来する状態のようだった。


 わたしもマヤ先生の部屋の片付けを手伝い、それが終わってから自分の荷物を降ろし、腰を落ち着ける準備をした。


 初日からわたしは料理の腕前を振るった。冷蔵庫も空だったので、最寄のショッピングモールでの買い出しを済ませてからの準備になった。お陰で時計の針は午後八時半を指しており、若干遅い夕食となった。


 食卓においては、電車の中で話した趣味の話題について、より深い形で話した。


「そういえば、マヤ先生は古物収集を趣味にしていらっしゃるとお聞きしましたけれど」

「ええ。元々、養父の趣味だったのだけれど……わたしのコレクションに興味がおあり?」

「はい。よろしければ、是非ご拝見したく思いますわ」

「そう……それなら、食後に案内するわ」


 約束通り、わたしは食事の後片付けを終えた後、彼女のコレクションを拝見させていただいた。


 そこは窓のない、狭い書斎であった。コレクションの大半は古書であったため、それらを痛めないために空調が効いており、部屋の清掃も十分に行き届いていた。特にわたしの目を引いたのは、ドイツ語版の削除のない『無名祭祀書むめいさいししょ』に、ラテン語版『エイボンの書』、そしてかの『ネクロノミコン』といった、ビブリオ・マニア垂涎の品々だった。これらの稀覯本きこうぼんは、きっと彼女の怪奇小説家としての活動に多大な力を与えているのだろうと推測された。


「すごい……」


 わたしは感動のあまり破顔した。実在さえも疑われる伝説の本が納められた書斎の威容は、筆舌に尽くしがたいものだ。


「……そんな顔しなくたって、時間のあるときにゆっくり読ませてあげるから」


「はい、ありがとうございます」


 そう、できるだけ早く読みたい。その気持ちは全く隠せていなかったようだ。


 ただ、疑問に思ったこともあった。私生活があれだけずぼらな彼女にしては、これらの古書にはこまめな手入れが適切に行われていたのである。先程、慌てて片付けたときの手際を見ると、掃除や手入れそのものが苦手なわけではないのだろうが、日常的に欠かさずそれを行なうとなると、面倒になって続かないのではないかとも思える。誰か信頼できる管理者でも雇っているのだろうか。


「もっと大きな彫刻とかは、別の場所を借りて保管しているわ。これより凄いのがね。時間があるときに、ゆっくり見せてあげる」

「ありがとうございます……これより凄いのですか?」

「ええ」


 これだけの稀覯本よりも凄いものと言われて、よりいっそうの興味が湧く。わたしが上に挙げた三冊のタイトルは、どれも途方もない値段で落札されたことが記憶に新しい。それらよりも更に珍しく、彼女が自慢するような逸品とは、果たしてどのようなものなのか? わたしはいつの日か彼女が誇るコレクションをこの目で見てみたいと思った。


「それから、こっちの書斎を使うときは一声かけてね。わかってると思うけど、貴重な本が多いから」

「はい、わかりました……ありがとうございます!」


 ミスカトニック大学附属図書館でも厳しい閲覧制限のあるこれらの奇書を、ただで読める――読書家としては、これほどの贅沢は他にはなかった。そう、このときのわたしは幸せを噛み締めていたのだった。このときまでは……

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