運命の視える化
序
あなたに問う。
自分にだけ「視える」ものがあったとしたら、あなたは何を想う?
他の人間とは違うこと、オンリーワンであることに優越感を抱くだろうか?
それとも、その能力に恐れを抱くだろうか?
それとも・・・
一
その少女の短い髪は赤かった。染めている訳ではない、生まれつきなのだ。
それだけでも少女は目立つ存在だった。
しかし彼女はさらに強い個性を持っていた。
上は詰襟の学生服を着て、下は丈を短くしたスカートをはいているのだ。
そして、自分のことを「ボク」と呼ぶ。
少女の名は夫婦池五月、中学二年生である。
「先生、質問があります」
ここは学習塾「宇保ゼミ」の自習室。
五月に先生と呼ばれた男は、不健康そうな青白い顔に無気力な表情を
張り付けている。
若白髪、前髪の右半分が大量に白色と化していた。細見の銀縁眼鏡と合わさって、
神経質な印象を他者に与えている。
男の名は神田一次郎、三十歳、独身。この塾の講師である。
「なんですか、夫婦池さん」
「五月と呼んで下さい、先生」
一次郎はこのように、自分に対しての呼び方を他人に指示する行為が
大嫌いであった。
「・・・」
しばしの沈黙。それを破るように五月が口を開く。
「ここの塾長がガチホモだって本当ですか?」
それは真実であった。
しかし一次郎に他人の個人的な情報を言い触らす趣味はない。
講師の多くが塾長のおホモ達であること、塾長の愛を受け入れなければ、
教室長やエリアマネージャーに出世できないこと、それらが本当なのか?
と立て続けに質問する五月。
そして彼女にとって、一番重要な質問は――
「先生も許したのですか?」
「私はヒラの講師です。それだけ言っておきましょう」
「先生がノンケでよかったです。これでボクと付き合えますね」
十六歳も年上の中年男に恋をする、それも五月の個性であった。
(ウンザリだ・・・)
一次郎は大きなため息をついた。
二
日本のとある都道府県に存在する音鳩市。人口十万人。
名所は街中にある桜並木と珍獣しかいない小さな動物園。
元々犯罪の少ない静かな街だったが、「世界一法律を守る街」をスローガンに掲げ、
さらなる犯罪発生率の低下を目指している。
そんなありふれた街の中心地、音鳩駅前のマンションの一室にて――
男の肩に穴が開き、血が噴き出した。
男はもんどりうって床に倒れる。
まだ生きている。何かから逃れるように前へと這う男。
背に三つの穴が次々に開いた。男が仰け反った。
額に穴が開き、男は息絶えた――
三
「先生、つらぬき事件をご存じですか?」
つらぬき事件――近頃この音鳩市において、全身を何かでつらぬかれたように
穴だらけになった死体が相次いで発見されている。死亡時刻はすべて夜。
そして被害者には共通点があった。それは「犯罪者」であるということ。
犯罪といっても、殺人、強盗、強姦、年金・生活保護費の不正受給と様々であった。
――そういった情報が次々と五月の口から飛び出してくる。
五月は事件の情報に妙に詳しかった。それもそのはず、
彼女には「水月」という警察官の兄がおり、
妹に甘い兄は捜査情報をペラペラと妹に話してしまうのだ。
「昨日もマンションのベランダで大麻を栽培していた男が死んだそうです。
しかも密室状態の部屋で死体が見つかったとのことでした」
それは、一次郎には関係のない話であるはずだった。
しかし、どこか気になる話でもあった。
「その体の穴というのは、なにで開けられたものなのですか?」
「よくわからないみたいです。アイスピックにしては穴が大きいみたいだし」
「そうですか・・・」
「ボクはレイピア――西洋の刺突剣じゃないかと思っています。
洋風の仕事人って感じでかっこよくないですか?」
一次郎はどこか釈然としなかった。
犯罪者といえども、殺せば殺人だ。殺人は犯罪だ。
仕事人が殺すのはすべて犯罪者だ。
したがって、その仕事人は自分自身も殺さなければならない。
(それが道理だ・・・)
一次郎の銀縁眼鏡が鈍く光った。
四
――半年前――
一次郎は賽銭を投げた。当たり前だが、つり銭は出なかった。
「あら先生、こんな夜中にお参りですか?」
妖艶な声に振り向くと、巫女装束の女性が佇んでいる。
ケルト人である母親から受け継いだ長い金髪。切れ長の目が印象的な整った顔。
装束を着崩しており、胸の谷間があらわになっていた。
彼女の名は姫室くれは、二十三歳。ここ姫室神社の神職である。
姫室神社はこの地に機織を伝えた姉妹神を祀っている。
毎年一月には祭りが行われ、露店や多くの参拝客で賑わう。
「ええ、もうすぐ受験の時期ですから」
「神様にはお祈りされるのですね・・・私の占いには興味を示してくださらないのに」
すねた表情を浮かべながら、くれはは手に持った毛糸玉を弄んでいる。
彼女は副業として、「毛糸玉占い」なるものを行っていた。
その占いは「必ず当たる」と評判で、神社の片隅に造られた占い小屋の前には、
連日行列ができているそうだ。
一次郎は占いにまったく興味がなかった。
テレビで流れている星座や血液型占いなども、聞いてもすぐに忘れてしまうのだ。
神の存在も信じている訳ではないが、生徒達への誠意として神社へ参っていた。
「フフ、冗談です。先生に占いなど必要ありませんものね」
――そうだ、自分の性格、自分の行く末のことなど、自分が一番よく知っている。
りん――
一次郎の思考を遮るかのように、鈴の音が鳴った。
暗闇から、巫女装束の少女が現れた。肩口で切りそろえた量の多い黒髪。
頭頂部の髪を鈴のついた赤い紐でまとめている。まるで日本人形のようだ。
背は低く、手には巨大な縫い針を持っていた。
少女の名は姫室あやは、高校一年生、くれはの妹である。
コクリと一次郎に一礼し、あやはは立ち去った。
あやはは中学時代、「宇保ゼミ」に通っていたのだ。
現在は地元の井口堂高校に通いながら、巫女として
神社の仕事を手伝っている。
「御針仕事です」
くれはがつぶやいた。御針とは姫室神社に代々伝わる神具である。
先程、あやはが手にしていたものだ。
その御針を用いて行われる神事が「御針仕事」だという。
その内容は秘められており、外部には知らされていない。
あやはは今までそれを行っていたのだ。
一メートルはある巨大な針を、あやはは片手で軽々と持っていた。
彼女は幼少期より武術の鍛錬を欠かしておらず、装束に隠された体は
さぞかし鍛え上げられているのだろう。
「ちなみにわたしは恋愛を欠かしたことがありません」
今晩泊まっていきませんか、とのくれはの誘いに乗らず、一次郎は神社をあとにした。
五
半年ぶりに、一次郎は姫室神社の鳥居をくぐった。
「あら、お久し振り。わたしは前に先生にお会いした時から、
三人の男性とお付き合いしましたわ」
くれはの恋愛報告を聞き流し、一次郎が尋ねる。
「『御針仕事』について・・・教えていただけますか?」
くれはが目を細める。
「お断りすれば、可愛い赤毛の女の子のお兄さんに、
手柄を立てさせてあげるのですか?」
「いえ、手柄にはならないでしょう。彼女は法律では裁けない」
「やはり、ほとんどお分かりのようですね」
「ええ、それが道理ですから――」
一次郎は社務所の奥にある道場に案内された。
道場では、御針を手にしたあやはが、なにかと戦っていた。
御針を前に突き出す。
同時にあやはの体が後ろに吹き飛んだ。
受け身をとり、すぐに体勢を立て直す。
床すれすれに身をかがめ、斜め上に御針を突き上げた。
戦いは、あやはの勝利に終わったようだ。
あやはは肩で息をしながら、床の一点を見つめていた。
「妹は、人の『悪意』が視えるのです」
十六歳になった姫室神社の巫女は、御針を扱うことが許される。
御針で宙を突き刺す動作を繰り返し、人の心から生まれる魔物「あくひ」を
退治する――それが「御針仕事」と呼ばれる神事であった。
「今までは、それはただの行事でした。本当に悪意が視える巫女など
いませんでしたから」
しかし、ついに人の悪意が視える巫女が誕生してしまった。
「つらぬき事件の被害者達は、悪意の持ち主だったのですね」
「ええ、『あくひ』を倒されれば、その持ち主も死んでしまうのです」
この事実を知ることは、一次郎にとって意味のあるものだったのだろうか。
彼は確かめたかっただけなのだ。ぼんやりでも視えてしまったものを・・・
あやはが一次郎の姿に気付き、一瞬戸惑いの表情を浮かべる。
だが、すぐにいつもの無表情に戻り、一礼して道場から立ち去った。
「秘密の神事を穢して申し訳ありませんでした。私はこれで失礼します」
「フフ、先生は今の話をすべて信じるのですか?
わたしは嘘をついているかもしれませんよ」
「いえ、あなたが言うのであれば間違いないでしょう」
一次郎の言葉に、くれはは妖艶に微笑んだ。
六
塾長が死んだ――つらぬき事件の被害者となったのだ。
塾長は男子中高生に金を渡して、淫らな行為を繰り返していたのである。
宇保ゼミの評判は地に落ちた。
生徒数が激減し、音鳩の教室も閉鎖されることとなった。
一次郎は失業した――
「先生、こんなことになって申し訳ありませんでした」
くれはが頭を下げる。あの日、あやはが退治した「あくひ」の持ち主が
塾長だったのだ。
「いえ、遅かれ早かれ、このような結果になっていたでしょう」
「視えていたのですね?」
一次郎は、物事の「道理」が視える。
いや、彼からすれば、「視えてしまう」といった方が正しいか。
何を始めても、道筋が視えてしまう。そして先が視えてしまう。
起こるであろう嫌なこと、面倒なことが視えてしまう。
彼にとって人生とは、攻略本を見ながら進める、ネタバレをしたテレビゲームの
ようなものだった。そろそろいいか――と思うことも一度や二度ではなかった。
「先生、人生何が起こるかわかりませんよ。そうだ、わたしと
お付き合いしてみませんか?」
「姫室さん、あなたは強い人だ。生命力にあふれている。私にはまぶしすぎます」
「フフ、恋愛がうまくいかないのがわかっているのに、恋愛をやめないからですか?」
くれはは、人の「性」が視える。
その人の性格やするであろう行動が、すべて視えるのだ。
それは説明されずとも一次郎には薄々わかっていた。それが道理なのだ。
なぜなら、彼女の占いは「必ず」当たるのだから・・・
普通の精神の持ち主が、そのような女性と付き合い続けていける訳がない。
すべてを見透かされてしまうということに耐えられないのだ。
「たとえ視えたとしても、恋愛を知らなければよいアドバイスができませんからね」
客が占って欲しいということのほとんどは、恋愛に関してである。
彼女は仕事のために実りはしないであろう恋愛を重ねていた。
「でも、諦めてはいないのですよ。いつか、わたしのすべてを受け入れてくれる男性が
現れるかもしれないでしょう?」
そう言って微笑むくれはは、まるで天使のようだった――
人にはそれぞれ個性がある。
道理が視え、気力を失うのも、性が視え、それでも他者と関わり続けるのも、
悪意が視え、それと戦うのも・・・
みな、大切な個性だ。
「先生、あなたはまだ、ウンザリするほど人生を生きてはいませんわ」
たいしたことのない先が視えるが、もう少し生きてみるか――
くれはの笑顔を見ながら、そのようなことを想う一次郎であった。