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カローン・シリーズ  作者: 芹沢 忍
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TYPEⅡ「見上げた青空」

 雑踏の中、ふと気付く時がある。


 足元を過ぎる影。

 見上げてくる視線。

 親しげで、しかし、どこか淋しげな様子――


 面影が過り、私は何だか泣きたい気持ちになる。


 私より小さかった兄。

 私が拒絶したもの。


 それが自分にとってどんな存在だったのか、私は今でも判断出来ずにいる。


 死という現実が実生活と遊離して久しい。人々は死に打たれ弱く、その為に大きな問題も生まれている。

 その問題の事件で最たるものが、私が幼い頃に起きたロボット開発者の自殺だった。

 夫の死を受け入れられず、夫の身代りを作った女性。結局、彼女はロボットに夫の姿を見ることが出来ず心を病み、自ら命を絶ってしまったという。

 だが、カローン・シリーズと彼女が名付けた作品は、改良が重ねられ、今も引き続き生きている。

 彼女が所属していた研究室は、事件の後もロボットを実用化する為に研究を重ねた。今では国の許可が必要だが、緩和ケアタイプのロボットとして認可され、一般にも貸与されている。

 福祉目的のコンパニオン・ロボットの中でも、最も特殊で、近親者の突然の死が受け入れられない人の為に、死者の生前の姿を模して造られる。存命中に記憶を人工海馬に出力保存していた人々にのみ適用され、カローン・シリーズは死者の姿と記憶を纏い貸与されていくのだ。

 貸与期間は長くても一年。その間にロボットは記憶を自ら劣化し人に酷似した者から物へと化す。貸与を受けた側は緩やかにモデルの人物の死を受け入れるようになるという仕組みだ。

 医療という名目で保険が適用され、最近では一般の市民でも人工海馬への記憶出力保存が安価で容易に出来るようになった。その為このロボットの貸与も増加してきている。

 私の家にやって来たのは、現在普及しているTYPEⅢではなく、TYPEⅡ――いわゆる試作品だった。

 両親はカローン・シリーズの制作スタッフで、会社はスタッフとその家族に定期的な記憶のバックアップの協力を依頼しており、私達一家は十日に一度、研究所でバックアップ作業を行っていた。


 兄が死んだのはその帰り。

 交通事故だった。


 頸椎を断絶し、即死状態だったと後年母から聞いた。

 私は事故のことは殆ど覚えていない。でも、その前の研究所での様子は覚えている。

 机や白衣の研究員の間を走り回り、はしゃいでいた兄。様々な機材類を覗き込みながら移動する兄の後を私は追っていた。

 困ったような表情を浮かべ、私達を諭そうとする白衣の女性。少し遠くからそれを見守る両親。

 確か日差しの暖かい日だったように思う。バックアップを録り、研究室でおやつとお茶をもらい、両親が仕事を片付けるのを待った。食事をして帰ろうねと、母が言っていたことも覚えている。

 それなのに、事故の様子は霞みがかかったようにぼんやりとしている。

 大きな音と身体全体に感じた振動。それらが怖かったとしか思い出せない。

 故意に忘れてしまったのだろうと、父が母に言っていた姿が浮かぶ。

 事故後、真夜中に目覚めた時、兄の姿を探して私はさまよっていた。死というものが理解出来ていない年頃だった私は、兄がどこかへ隠れていると思っていたのだろう。その時の詳しい気持ちはどんなものだったのか、今では解らないが、不安感に苛まれ両親の元へと向かったのだろう。

 灯りが漏れる居間を覗き込むと、二人は私のことを話していたのだった。それから兄のことも。内容は難しくて良く解らなかった。

 ただ、それから幾日か経った、穏やかな日だったと思う。両親が複雑そうな顔をして、兄を連れて帰ってきたのだ。

 その兄に対し違和感を抱いたことは良く覚えている。


 日差しの射すサンルーム。

 お気に入りの積み木を積み上げている兄。

 いつもと同じ変わらない風景。


晴れた日の兄は全く同じように積み木を積み上げるのだった。そして私がサンルームへ入り兄の元へ行くと、微笑んで三角形の積み木を渡す。私は積み木のお城が大好きで、兄は良く自分が作っているお城の屋根を私に仕上げさせてくれた。だけど私は、ある時それに疑問を持った。


 何でいつも全く同じことを繰り返すんだろう。


 それは細かな場面でも感じた。例えばコップをひっくり返した時、私が泣き出した時など。兄は毎回同じ言葉を使った。私は何故兄が同じ台詞を言うのかが不思議だった。


「ねえ、ママ。お兄ちゃんは、何でいつもおんなじことをするの」

 母にふと聞いた、何気なく放った言葉は、母を酷く困らせたらしい。いきなり目の前で泣きだした母に私は戸惑った。親が泣くというのは子供には衝撃的で、今でも鮮明に記憶に残っている。


 母が泣いた理由を語ったのは、私が中学に入った頃のこと。

 私が目の前の兄が兄の姿をしたロボットだと理解し、母が兄を失った悲しみを癒せた頃である。

 ロボットの兄がサンルームで積み木を積み上げるのを懐かしそうに見つめる母が、思い出したように私に語ったのだった。

「あなたから『何でいつもおんなじことをするの』と聞かれた時があったわね」

 呟くように言われた瞬間、浮かんだのは母の泣き顔。悪いことを言ったという罪悪感。あまり良い思い出とは言えない。それが顔に出たのか、母は困ったように笑っていた。

「だって辛かったのよ。半年も経っていなかったんだから。あなたはお兄ちゃんが死んだことを本当の意味で理解していなかったし」

 記録媒体を眺めるように母がロボットを見つめる。私もその視線を追ってから口を開いた。

「小さかったからね」

 テーブルで向かい合った私たちはサンルームの兄を見てお茶を啜った。

 日差しの中の天使は無邪気だった。その様子は、私の中ではまだ兄として見え、母の中では既に立体映像記録として見えていたのだろう。

 私は兄の所へと移動した。しゃがみ込み見つめると、兄はいつものように三角形の積み木を渡してくれた。


 繰り返す

 儀式のように――


 成長しない兄と

 成長し続ける私


 母は私たちの姿を見てきて何を思っていたのだろうか。

 これも後で知った事実だが、この頃既に両親はロボットの処理を検討していたらしい。二人の傷は充分癒えていたのだ。

 現在ならば、とうに貸与期間が切れている年数である。アポトーシス・プログラムが作動し人工海馬の破壊が進み、老化をするように各所の機能が弱まって行く。しかし、兄のカローンはTYPEⅡだ。アポトーシス・プログラムはまだ導入されていなかった。いや、むしろ私の行動がこのプログラムの導入を決定付けた原因だったのだろう。


 両親が兄を研究所に返す話をした時、私は泣いて訴えたのだ。


 私には兄だったのだ。

 成長が止まってしまった、私が護らなければならない大切な人――


 生前の兄を記録した人工海馬。状況に応じてその記録から兄が取った行動を検索し、その場に最も適した対応を実行するボディは、滑らかに動き、生きた人間と比べても差が見当たらない程の出来栄えだ。本物の兄が亡くなっているのを理解してはいても、ずっと近しい存在だった彼をただの機械ものとして見ることが出来なかったのだ。

 カローン・シリーズの本来の目的とは異なる状況に、両親は困惑したに違いない。それでも彼らは私の我儘を受け止めてくれたのだ。だが、捻くれた見方をすれば、私の反応さえも研究の一貫だったのかもしれない。記録を録り、報告を上げ、今のTYPEⅢへ改良が加えられたのかもしれない。そう考えるのは決して間違いでは無いと思う。


 兄に対する気持ちが変わったのは、私が恋を覚えた頃からである。

 家族や友人の間は波風の立つことが少なかった。今考えると希薄な関係だったのだと思う。両親は兄を失った為に互いや私に負い目を感じていただろうし、友人たちとは本音を言い合う機会を持たなかったからだ。

 恋をして初めて本気で自分をぶつけることを覚えた。そして本当の意味で気付いた。


 今いる兄は過去の記録でしかない事実に。


 私が投げかける言葉も、触れる感触もロボットの中には新しく記録されない。兄が生前持っていた数少ない記憶の中で検索を繰り返し対応を探し出すのだ。少ない記録のループの中で、自分はずっと踊らされていたのだろうか。滑稽だと思った。


 ――その時、初めて廃棄という言葉が浮かんだ。


 そう、目の前にあるのはただの機械。

 それが幼い兄の姿を真似、兄がかつて取った行動を追っているだけなのだ。


 気付いてからの私はかなり不安定な精神状態に陥った。


 疑似物にせものが私を見上げて笑う。

 変わらない笑み。

 パターン化された言動。

 それらが、私を、苛立たせる。


 機械のくせに、人らしく笑わないで。

 心配そうに声をかけないで。

 あんたは機械、ただの物体なの。

 耳を塞いで目を瞑る。


 自分に言い聞かせるために、そのまま大声で叫んだこともあった。自室に鍵を掛け、部屋のシステムを作動させ、防音効果を最大値にして。そうしないと、心配した素振りで渡し守(カローン)がやってくる。そうしたら、きっと自分はロボットと人の区別が出来なくなってしまう――


 だからあの日、小さな兄の手を取った。

「一緒に出掛けよう」

 無表情な私に、カローンがあどけない眼差しで問う。

「どこへ?」

「天国へ」

 空々しい。自分の声が乾いているのがわかる。

 カローンは気付かない。いや、気付きようがないのだ。

「そこはどんなところ?」

「静かで素敵なところ」

 弾力性のあるボディを抱きかかえる。母が昔、兄によくしていたように――

「行ってみる?」

 カローンの頭髪に顔を埋めるようにして私は聞いた。肯定するように頭が小さく揺れる。


 ――これは私だけの意思じゃない。兄の同意も得たのだ。


 目の前にいたのは兄ではない。思考が矛盾するが、その時の私には他者の同意があったという拠り所が必要だった。全く、都合のいい考えだと、意識の奥深くでは感じていた。ただ、踏み出す勇気が欲しかったのだ。処理場へと向かう勇気が。

 車中での兄は静かであった。ただならぬ空気を察している時、子供ならば敏感に察する。兄の記憶の中にもそういったものがあったのだろう。

 会話が無いことに安堵しつつも、えも言われぬ重みを感じていた。


 何をしようとしているんだろう。

 私はどうしたいんだろう。


 衝動的に飛び出したのに近かった。だけれども、そうしないといつまでも手放せなくなる。そんな恐怖にも追われていた。

 処理場へ着き、手続きを取る。両親の処理の承認は既に済んでいて、私の承認だけがまだだ。製造番号を入力し電子書類を呼び出す。サインを入れると、受付の人間が怪訝そうな顔をした。経過年数を指差される。貸与期間を大幅に超えた年数が表示されていた。

「こちらの年数では違法になります」

 私は書類に目を通した。特記事項欄が空白である。カローン・シリーズTYPEⅡ(試作品)と記載する。これで違法扱いにはならない。

 書類を確認した受付が搬入許可を出した。私は子供を諭すように、しゃがみ込んでカローンの顔を覗く。

 そうしてから聞いていた停止の合図を口にする。


「もう必要ないの。ゆっくりお休みなさい」


 【必要ない】【お休み】という二つのキーワードが兄の動きを止めた。

 兄と呼んでいたものが、全く動かない物と化すのを目にし、とても不思議な心地がした。


 瞳が輝きを失ったように見えた。

 呼吸が止まるかのように一瞬体が揺れた。

 急速に沸き上がる違和感に身が凍るような想いがする。


 ――人の死を目撃するのはこんな感じなのだろうか。

 

 重い石を飲んだように身動きができない。


「あの、お預かりしますが宜しいでしょうか」

 人の声を遠くに感じる。一瞬、何が宜しいのかが解らず、ぼんやりと声の主を見返す。その人物が戸惑っていることが表情で判った。返事をしなければこの人はもっと困ってしまうだろう。私はゆっくりと、しかし深く頷いた。

 動かなくなったロボットを、小さな台車に移動させ処理場へ運ぶ姿を、私はただ見つめていた。


 いつ事務所を出たかは良く覚えていなかった。どことなく重い足を、引き摺るようにして歩いていた。

 前方からやってくる二人組が何かを話ながら通り過ぎる。すれ違い様に耳が勝手に彼らの言葉を拾った。

「処理の時、あいつら、何故か涙を流すんだ。オイルか何かだろうけれど、やっぱり、あれだけ人に似てると、いい気分はしないな」

 処理場の職員らしい。彼らにとっては昼休み後の他愛のない雑談。

 しかし私には衝撃的だった。


 人を模したものは本当に泣いているのだろうか。

 もし、そうだとしたら、彼らは何故泣いているのだろう。


 出口へ向かう私の心に過ったのは、罪悪感だったのだろうか。微かにうずく胸の奥には自分でも解らない何かがあり、それが酷く重苦しい。息が詰まるように感じながら受付を抜け外へと出た。


 眩しい光が目を焼く。

 私は目を細め空を仰いだ。

 見上げた空は一面の青――


 雲ひとつない澄み渡った天空に、周囲のビル群が落ちて行くように伸びていた。

 白壁のビルと青のコントラストが目に沁みる。それらが滲み、ぼやけて揺れる。瞬きすると、雫が目元から伝った。

 青空とビルのせい。そう言い聞かす。けれども伝う雫は留まらない。人通りは少ないが人目が無いわけではない。私は視線を避けるように駐車場へと急いだ。

 車へ乗り込み無意識に助手席に目を向ける。黙ったまま俯く兄の姿が見えた気がした。

 耳に呻くような声が聞こえる。それが自分のものだと気付くのに少し時間がかかった。


 何が悲しい。

 何が辛い。

 あれはただの物体だ。

 兄なんかじゃない。

 兄じゃない――


 理解している。

 それなのに何故涙が出るのだろう――


 涙が止まらない。運転席で声を出して私は泣いていた。それが離別によるものなのかどうかは解らない。どうしようもない感情が一箇所に集まり流れているようだった。その全ての気持ちを押し流すように涙が溢れていた。

 時間が気になったのは、涙が落ち着いてからだった。顔を上げたら辺りはうっすらと暮れていた。

 今、思い返しても、自分の気持ちの整理がつかない。


 私の近くにいたのは一体誰だったのだろう。

 心配そうに私を見る、幼い気遣いがのぞく顔。

 私を大切に思って積み木を渡す仕草。


 ――停止した時の無機質な姿。


 兄はそこにいたのだろうか。死んでしまった者に対してそれは可笑しな表現だと解ってはいる。

 けれども問わずにはいられない。

 私にとっては紛れも無く生きていた兄だった。ずっと一緒にいた兄はロボットの方だったのだ。


 今でも私は判断出来ずにいる。

 

 あの日と同じ青空。

 見上げた青空は、その答えを求めたりはしない。

 だが私は見る度に問われている気がする。

 近くにいたのはどんな存在だったのか――と。

今回は少しSFっぽい解説が入ってる気がします。――気休め? って程度ですが(´ε`;)


このシリーズって、みんな考えがグルグルしていますね。そう、ハツカネズミが回し車を回るように(´∀`;) そういう話なんですが、書いてる人間が病みそうになります。救いがある展開が欲しいです!(←だったらそんな話を考えろ! ってことなんですけどね)


次回は時間を少し遡り、TYPEⅢが普及する前の、面倒な倫理委員会の話でもやるかと思案中。更新がかなり先になりそうな予感がしてます。というか、確信してるかもしれない(^^ゞ


今回のテーマソングは中孝介「ホノホシの風」&「愛しい人へ」です♪ とにかく中孝介さんの声の空気感が似合うかなぁと思いまして。ご興味がありましたら聞いてみて下さいませ♪

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