眠い
窓から挿す太陽の光が眠っていた目を刺激する。
締まり切れていないカーテンの隙間から容赦なく差し込む光は、目覚まし時計の鳴る三十分前に俺を目覚めさせた。
昨日決まったコンビニのバイトは朝八時からのシフトだ。
夢であるテレビ局のビデオカメラマンになるために東京の主要局の求人募集を調べ就職活動に専念したが、採用してくれるところはどこもなく、今年は就職浪人となった。
来年には必ず自分の実力を認めてもらいマスメディアの世界へ飛び込みたい。大好きなビデオカメラを抱えて、スクープでも名所ガイドでもなんでも撮って、自分のカメラの映像を皆に観てもらいたい。そして感動してほしい。来年は必ずテレビ局に就職する。そう願っているのだ。
しかし、そうは思っても結局今は就職できていないわけだし、当面の生活のためにはなにかをして生活費を稼がなければならない。就職できないのならバイトするしかない。
西口駅前にあるコンビニでバイトを募集していたから面接を受けたらすんなり決まって、店長が明日から来てほしいというから、はい、わかりましたと、今日の朝を迎えたわけだ。俺の後にもバイト希望の男が来たみたいだが、俺を採用したおかげで、後の人の採用を打ち切ったらしい。俺は運がよかったのだろう。別の男が先に訪れていたら、俺は切られていたはずだ。バイトを希望する輩は大勢いる。初日から遅刻をしたら即首になって、明日には違う人を採用しているだろう。そんな緊張感もあって目覚まし時計が鳴る前に目覚めてしまった。
春はまだこれからなのに今日は朝から暑い。
起きたままのティーシャツに短パン姿で洗面所に寝ぼけた顔を洗いにいく。
洗面台に備え付けてある鏡に目をやるとボサボサ頭のだるそうな顔が映る。ティーシャツも胸の部分が汗で湿っている。清潔感を必要とするコンビニのバイトにこの格好ではとても行けない。
洗面所の隣はすぐ風呂だ。六畳ワンルームのこの部屋は風呂と洗面所とトイレがセパレートしているところが気に入って契約した。台所もちゃんとあって二口コンロも備え付けだ。さすがに脱衣所はないが、男の一人暮らし、隠す必要はない。好きなところで裸になればいい。どうせ彼女もいないさびしい二十二歳さ。
裸になった俺は風呂の扉を開けた。
浴槽付の風呂。湯を溜めてゆっくり湯船に浸かりたいが、バイトの時間を考えるとそんな時間はない。シャワーを浴びて体を洗うだけにする。
しかし、おかしい。いつも風呂を出るときには、いすの上に桶を重ねておく習慣なのに、今は桶がいすから落ちている。
桶の裏が床に直接触れると水気でカビが発生して黒くなるからいやなので、床に置きっぱなしにすることはないはずだが……。
なにかの振動でいすから落ちたのか。一日位でカビることはないのでそんなに気にすることはないが。
頭からシャワーを浴びシャンプーで洗い、次にリンス。体もついでにボディーソープとスポンジを使って洗う。シャワーの蛇口を閉め、髪に残る水気を軽く手でぬぐい、風呂の扉を開けた。桶の中に残る湯を流し、いすの上に重ねて風呂を出た。
バスタオルで体中を拭き、濡れた髪をドライヤーで乾かす。鏡を見ると寝起きの姿とは別人のすっきりした姿が映ってる。
これならバイトにいっても印象は良いだろう。
服を着て身だしなみをチェック。そろそろ家を出る時間だ。
台所、ガスの元栓良し。窓の鍵良し。部屋の照明オフ。財布だけが入ったバッグと自転車の鍵と部屋の鍵。
良し、行こう。
外へ出て扉の鍵を閉めた。
今日一日がんばろう。
バイトを終えて帰ってきた。
初日だからまだ仕事も覚えず無駄な動きが多くて疲れた。八時間フル労働だったが、それ以上に働いた気がする。入荷商品の数量チェック。カートンの積み下ろし。商品の陳列。レジの操作。お客への対応。お客には疲れた顔は見せられず、かえって疲れがたまってしまう。
初日からここまでさせられるとは思わなかった。帰りに消費期限切れの弁当をひとつもらっていきたいと願ったが、それも叶わず。おかげで夜食べるものがない。
バイト先で弁当を買えばよかったが、もらうつもりでもらえなかった弁当を金を出して買う気にもなれず、明るくお疲れ様でしたと挨拶をして帰ってきてしまった。
店長には俺のことがどう目に映っただろうか。仕事もできないくせにもらうものだけもらおうとする卑しいやつと映ったろうか。
いろいろ考えると食欲もなくなってくる。それでもなにか食べなくちゃと思い、冷蔵庫の扉を開けた。
あるものはなぜかクリームパンとジャムパンの菓子パンばかり。あとは口の開いた牛乳パックとペットボトルのウーロン茶。飲まずに冷えてる缶ビール二本があるだけ。
手をクリームパンに伸ばすもためらってもどす。
歯を磨いて寝ることにしよう。
冷蔵庫の扉を閉めて、ティーシャツ、短パンに着替える。体が重い、まぶたも重い。
眠気にしたがってベットに入る。そのまま一瞬で眠りに付いた。
時は夕方五時を回ったばかりだった。
目覚まし時計の音に起こされベットの上でゆっくり目を明けた。
首を横にふり時間を確認すると蛍光塗料が塗られた針は七時を指している。部屋は薄暗く、音もない。カーテンごしに差し込む町の光が部屋を闇から救ってくれる。雨戸を閉めていたら時計の針やテレビの待機中を示す赤いLEDが光るだけで不気味な空間になっていただろう。
ぼーっとする意識の中、ベットから起きて蛍光灯照明のスイッチを点ける。
今は夜の七時。今日からバイトだ。
ビデオカメラマンになるために東京に越してきたのだが、面接で落とさせ、気持ちまで落ち込んでいる。一次試験に合格したからもう間違いなく採用されると思い込み、面接時に有利になるようにテレビ局から近いここに部屋を借りたのだが、期待に反した結果となった。
思えばなぜ一次試験合格だけで有頂天になったのか。冷静になれば分かるはずなのにその前に引っ越していたのだ。
ビデオカメラマンになる以外頭にないから、別の就職先をこれから捜すつもりもなく、今年は定職に付くのを諦めた。せっかく借りたこの部屋で来年に向けて猛勉強をするつもりだ。しかしここで生活を続けるにもお金が必要だ。
この前から目を付けていた駅前のコンビ二にバイトの相談に行ったら、入り口に張ってあったバイト募集の文字の上に消し線が引かれ、その下に「アルバイトの募集は終了しました」と書き足されていた。
昨日まで募集をしていたのに、ここにも縁がなかったのだ。仕方がないので線路を渡った東口前のコンビニをあたったら夜の八時からでよかったら採用すると言われ、そのまま決まった。
東口まで五分ぶんの距離が長いが贅沢は言っていられない。バイト代を稼がなければ家賃だって払えないのだ。
まず目を覚ますためにシャワーを浴びよう。
服を脱ぎベットの上に放り投げると浴室に歩き扉を開けた。
イスの上に桶が置いてある。
おかしい。風呂の床に置いておいたはずなのになぜイスの上にあるのか。
桶の裏に湿りつく水分がイスの上でいつまでも乾かぬままイスを湿らせてしまうのを嫌って床に落として置くのに、なぜわざわざイスの上にあるのだろう。なにかの拍子に床からイスへ飛び移ったのか? そんなばかなことがあるものか。非現実的だ。無意識の内に自分で置いてしまったのだろうか?
浴室に足を踏み入れ、まず桶を床に落とした。
シャワーを握り、イスの上に温水をかけて洗浄する。
ゆっくりイスに腰を下ろしてイスの触感を尻に感じた。熱処理したイスに不快感はなかった。むしろ温水で温められたおかげで座り心地が良い。そのままイスに体重をかけて頭からシャワーを浴びた。
しばらくして浴室から出た。
体から立ち上る湯気が気持ちよかった。桶はイスの上に置かず、床に置いてきた。
タンスから肌着を取り出し、着ながら冷蔵庫へ向かった。
バイトへ行く前になにか腹に入れなくては。
冷蔵庫を開け昨日買っておいたクリームパンとジャムパンを取り出した。
隣のシンクの上にパンを置き、水切り皿立てから乾いているガラスコップを手に取った。冷蔵庫から封の開いた牛乳パックを取り出し注いだ。冷たい牛乳が胃を冷やしておいしい。
牛乳を飲みながらベットまで行った。脱ぎ捨てたままの服のうち、短パンだけを残して洗面台横の洗濯機まで戻った。
飲み干した牛乳のコップを洗面台に置き、洗濯機の蓋を開け、手に持つ服を放り込んだ。昨日までの洗濯物が中に入りっぱなしだがまだ余裕がある。洗濯層がいっぱいになったら回そうと決めている。今日はまだ早い。
洗面台に置いたコップを手に取り、水洗いをして、水切り皿立てに戻す。
シンクに置いたクリームパンの包装袋を開け、口にした。
パンから水分が浮かび出て湿っぽい。パンの保存は冷蔵室より冷凍室と聞くが、凍ったパンを解凍するだけの時間はない。用は食べられれば良いのだ。
クリームパンに続きジャムパンもたいらげた。そろそろ時間だ。
バッグと鍵は小さな机の上にほおりっぱなしだ。
ここに置いた記憶はないが。無造作に置いてしまったのか。
あまり気にすることなくそれらを手に取った。
時計を確認すると十九時三十五分。急がなければ遅刻する。
急いで着替えて。行ってくるか。
家の扉が重い。足がだるい。
やっとのことで帰ってきた。
暗かった夜が少しずつ明るくなっている。時間は四時半。
深夜のバイトがこれほどにきついとは思わなかった。
学生のころから酒を飲んでは夜通し騒いでいたが、途中で眠くなることはなかった。なのに、バイト中瞼が重く、陳列しながら一瞬気を失った。手に持っていたポテトチップの袋を落として気を取り戻した。店員には気づかれていなかったようなのでよかったが、見つかったら店長に怒鳴られるところだ。最悪、解雇。
昼は寝ているはずなのに。夜は強いはずなのに。今日は体が付いていけていない。
窓から薄っすら差し込む朝日が眠気を煽る。
シャツを脱ぎ、ズボンも脱いだ。そのとき浴室に顔を向けたがその気になれない。今は風呂には入らない。明日起きてから入ろう。
ベット上に脱ぎ捨ててある短パンに足を通し、布団に入った。
横になり目を閉じた。すぐに眠りに付いた。
不意に目が覚めた。七時十分前。
そういえば今日、目覚まし時計をセットしていなかった。不思議と起きるべき時間に起きられるものだ。
しかし、意識はさめているものの、体が起きようとしない。硬直している。仰向けになっている体を横に向けたい。そう思うが思うような動作で体をひねれない。体がだるい。後十分寝ていよう。そうして目を閉じるがなぜか目だけはさえている。
ベットでじっとして十分。体にゆっくり力を加え、上体を起こした。
バイト二日目だ。
昨日店長に良い目で見られていないから今日は働きを認めてもらうためにがんばらなくてはならない。
そう思うと、両手で両ほほを軽く叩きながら、ベットから立ち上がった。
昨日と同じようにシャワーを浴びてさっぱりしよう。
その場で服を脱ぎベットへほおった。
なぜか別のシャツとズボンがベットに脱ぎ捨ててある。昨日の服を置きっぱなしにしたのか?
しかし、あの服を昨日身につけた覚えがない。記憶違いか?
頭の中がまとまらないまま浴室まで歩き扉をあけた。
すぐに気づいた。また桶が床に落ちている。なぜ? 昨日は意識していすの上に置いたはずだ。気味が悪い。
一瞬浴室に入るのをためらったが、裸の体の状態だからこのまま入らないのもどうかと思い、足を踏み入れた。なにも怖がるはずのない中に踏み入れられないことはない。
窓の無いユニットバス。シャワーの音でも出しておかなければ静かすぎて落ち着かない。
シャワーを頭から浴び、汗を流し落とした。
シャワーの蛇口を閉める。
浴室に音が無くなった。落ち着かない。
すぐにそこから出た。
なんとなく違和感を感じる。気にすると部屋の様子もへんな感じがする。
机の上にノートパソコン。その横に置いてある小さなバック。
どこか明確に変わったところがあるわけではないが、奇妙だ。
タンスの引き出しから肌着を取り出し身に着ける。
冷蔵庫の扉を空け牛乳パックに手を伸ばす。
ここでも違和感がある。牛乳パックが軽く感じる。それに、昨日あったはずのジャムパンとクリームパンがない。
冷蔵庫の中を見渡し、辺りを見通すと、冷蔵庫横のゴミ箱にジャムパンとクリームパンの包装袋が捨ててあることに気づく。食べた覚えはない。
俺のいない間に泥棒が入った?
慌てて机の上のバックに手を伸ばし、中の財布を確認した。
……ある。中身は抜きとられていない。現金はそのままだ。
少しホッとした。
しかし、だれかが部屋に侵入したのは明らかだ。
パソコンのデータはどうだ。中は見られていないか。
メールの内容。趣味で撮り溜めたビデオ映像。立ち上げて確認しようを思うが、時計が気になった。
七時三十五分。時間が無い。
このままなんの対策もしないで出かけるのは不安だが、バイトに行かない訳にはいかない。財布さえ持ち歩けば部屋に貴重品はない。パソコンを持っていかれたら困るが。
とにかく戸締りだけはきちんとしよう。
上着、ズボンを身につけながら、窓の鍵を確認。カーテンもきちんと閉める。後は玄関だけだ。各照明をオフ。
薄暗くなった部屋を確認し部屋を出た。玄関の扉を閉め確実に鍵をかける。扉が開かないことをノブを回し再度確認してバイト先へ向かった。
十六時半。バイトを終え部屋へ戻った。
昨日の反省から、今日は弁当をお金を出して購入した。から揚げ弁当だ。これをこれからの夕食とする。
部屋に上がると弁当を机の上に置き、力を落として座り込んだ。
疲れた。肩を落とし、頭をうなだれ、瞼を閉じた。寝むってしまいそうだ。
しかし、ここで寝るわけにはいかない。俺が留守にしている間になにか変わったことは起きていないか。なくなっているものはないか調べなくてはならない。
重い瞼を開き部屋中を見回す。
パソコンはある。一安心だ。
ゆっくり腰を上げ、立ち上がり確認に動いた。
冷蔵庫内。異常なし。
浴室内。桶はいすの上に置いてある。異常なし。
タンスが荒らされている様子もなければ、朝見た以外に脱ぎ捨てられている服もない。
今日のところは入られていないようだ。
少しホッとして机まで戻り、また座り込んだ。
少し冷めてしまった弁当のふたを取り、付いていた割り箸を割った。
から揚げに箸を伸ばす。うまい、最高だ。
さて、朝確認しようとして見なかったパソコンのデータを確認してみよう。
起動スイッチを押した。
パワーライトREDが赤く点灯するのと同時にモニターがゆっくり明るくなっていく。
起動完了を待つ間に冷蔵庫まで行き、中からウーロン茶を取り出し、コップに注いで、また机まで戻ってくる。
起動が完了した画面からドキュメントフォルダーにアクセスし、中のファイルを確認した。
趣味で撮り溜めた映像データは数にして百以上はある。これらの映像を失ったらショックで立ち直れないかもしれない。俺にとっては宝物だ。
最近撮影した近所の公園にある池の映像ファイルをクリックした。
静かな池の上を鴨が群れで泳いでいる。鴨が驚いて飛び立たないように木の影から撮った隠し撮りだ。
映像を見ながら思いついた。俺がいない時間帯をビデオカメラで撮ったら、もしかすると侵入者が写るかもしれない。
弁当を食べる手を止めて机の引き出しを開ける。愛用のビデオカメラがしまってある。
一年前に買ったコンパクトビデオカメラ。ミニDVテープ記録型だがハイビジョン画質だ。HDV規格のテープの記録時間は最大六十三分。この半端な三分が気になったときもあったが今はどうでもいい。ロングプレイモードなら九十四分撮れるがハイビジョンではなくなる。説明書によれば、バッテリー連続撮影時間は一時間四十分。しかし実際の撮影時間はいいとこ六十分だ。それならばロングプレイモードで画質を落とすより、高画質で録画したほうが情報が鮮明だ。
だとしても、たった一時間の間に偶然侵入者を捕らえることができるだろうか? ビデオカメラにはタイマー録画機能は装備されていないから、録画ボタンを押した瞬間から一時間しか撮れない。タイミングはバイトに出かける七時三十五分から八時三十五分まで。可能性は低い。しかしやってみる価値はある。
人目に触れず進入者を捕らえる位置はどこだ。
部屋を見回す。目が止まった。カーテンレールの上。
あそこならカーテンが邪魔してカメラを見つけにくい。人は気にしなければ目線より上のものには目がいかないものだ。それにあそこからなら玄関から部屋の中まで一望できる。
早速ビデオのチェック。新品のテープはストックがある。
包装ビニールをはがしテープをビデオカメラにセットする。電源オン。
画面にバッテリー残量五パーセントの表示。
しまった。この一ヶ月ビデオカメラを触っていなかった。充電もしていないので放電してしまっている。このままでは一時間どころか数秒も録画できない。予備のバッテリも持っていない。せっかく思いついた方法もこのままでは実行できない。どうする……。 まずはバッテリーを充電するまでだ。
引き出しからACアダプターを取り出し、接続端子をビデオカメラ本体に取り付ける。
ソケットを壁のコンセントに差し込むとバッテリーのLEDライトが赤く点滅し、充電が始まった。満充電時間は二時間十五分。
充電が終わったらセットしよう。ビデオカメラをカーテンレールの上に乗せよう。万が一落ちたら大変だからガムテープで貼り付けておこうか。ガムテープはどこにあったか。ところでまずは目の前の弁当をたいらげよう。
箸が進んだ。やるべき使命が見つかったとき、それに向けて動きが迅速になるものだ。
弁当のパックがきれいにかたずき、箸とともに冷蔵庫横のゴミ箱にすてた。
パソコンの電源を落とす。ファイルはいじられていないようだ。それなら今はパソコンを使ってやることはなにもない。
二時間十五分は長い。とりあえずいつものティーシャツと短パンスタイルに着替える。
食事をしたので歯を磨く。
机の前まで歩ってくると、その横のベットに腰を下ろした。
そのまま体を横に倒した。
急に睡魔に襲われた。抵抗することができない。
意識が消えていくのを感じた。そのまま眠りに落ちていく。
時計は十七時を回っていた。
突然目が覚めた。
いつの間に寝てしまったのか。
しっかり布団に入って寝むっていた。
時計を見ると十九時を回っている。
最近は目覚まし時計を使わなくともいつもの時間に起きられる。
ここ最近体が重いが疲れがたまっているせいなのか?
しかし、バイトには行かないわけにはいかない。
シフトでは明日が休みになっている。今日を乗り切れば、次の日は思いっきり寝ていられる。それまでがんばらなければ。
ベットからゆっくり体を起こした。
なにかの違和感を感じ目線を机に向けた。
なぜだ? ビデオカメラが机の上に出しっぱなしになっている。
大事に机の引き出しの中にしまってあったはずだ。それを自分で出した記憶はない。
寝てる間に泥棒が入ったのか?
しかし、もし本当にだれかが部屋に侵入したのであれば先日から部屋の様子が変化しているのも理解できる。風呂桶がイスに乗っている不思議。やはり泥棒が入った?
慌ててバックの中の財布を確認する。
財布はあった。中身を確認する。
残金をいちいち覚えていないが、少し減っているような気がする。いくら減ってるのか。いや、減っていないのか。気のせいかもしれない。だいたいもし現金を持っていくなら全ての紙幣を持っていくだろう。財布の中にはまだ一万四千円残っている。それにビデオカメラも出しっぱなしにしないで持ち去るのではないだろうか。なぜ、部屋に侵入してなにも荒らさずに消えていくのだろう。
昨日脱いだ服の他に、別の服が脱ぎ捨ててある。他に自分が確認できる範囲で変わったところはないか?
ベットから立ち上がり部屋の様子を探った。
浴室の扉を開ける。
恐れていたとおり桶がイスの乗っている。気味が悪い。
すぐに浴室の扉を閉め、視線を浴室からはずした。
胸の鼓動が激しくなった。
冷蔵庫の扉を開ける。見た目には変わった様子はない。中に冷える牛乳パックに手を伸ばす。中が軽くなっているか持ち上げてみたが、感覚的には分からない。そのまま戻して冷蔵庫の扉を閉めた。
胸の鼓動が止まらない。手も震えてきた。
冷蔵庫から視線を逸らすと、横にあるゴミ箱に目がいった。記憶にない弁当パックが捨ててある。胸の鼓動がさらに高まった。
やはりだれかが部屋に侵入している。勝手に風呂に入り、俺の服に着替えて飯を食っている。こんな気色の悪いことはない。
それに、このビデオカメラはなぜここに放置されてるんだ?
ビデオカメラを握り、状態を確認した。
バッテリーチャージが完了している。
そういえば最近使っていなかったからバッテリーは空だったはずだ。わざわざ泥棒がバッテリーをチャージしたのか? 目的はなんだ?
見るとテープが装てんされている。
なにか写っているのか? テープは最初まで巻き戻されているみたいだ。
再生ボタンを押してみる。
黒い映像が無音のままビューファインダーに表示されている。
なにも記録されていないテープのようだ。
ストップボタンを押し、停止させ、巻き戻した。
侵入者に壊され、録画ができなくなったわけではないだろうか。
気になって録画ボタンを押してみた。ビューファイダー内に録画の文字が表示された。モーターが回りだしテープを送り出した。
カメラを手に持って部屋の中を撮影してみた。部屋の様子を確認するための撮影ではなく、カメラが無事機能を果たすかが目的なため、被写体は必要なかった。ただこの位置から部屋全体をなめ回すようにカメラをパーンさせた。
続けてズームチェック。オートフォーカスチェック。
カメラは壊れていないようだ。
最後にビューファインダを百八十度ひねり、レンズを自分に向けた。
ビューファインダーに自分の顔がアップで映る。
疲れた顔はしているが、瞳は澄んでにごっていない。自分の顔にもピントは合っている。
カメラが壊れていないことを確認すると、ほっとしてため息を付いた。
ビューファインダーに指が伸びるのが写りこむ。その指は停止ボタンを押した。
ビューファインダーに停止が表示され、テープの送りも止まった。
巻き戻しを行い録画映像を確認する。
薄暗い部屋が写しだされた。声を出して録画していなかったから映像は静かだ。つまらない部屋の様子から自分の顔のアップ。そこで映像は終了。
別におかしいところは何もない。安心してそのまま電源を落とした。
ほっとして時計を見る。十九時半。バイトに行く時間だ。
浴室が気色悪くて今日は風呂に入っていない。脇の下を嗅ぎチェックをした。そんなに臭いは気にならない。このまま着替えるだけにしてすぐに行こう。
シャツ、短パン、パンツを脱ぎ捨て、タンスから洗濯済みの肌着、上着、ズボンを身に付け出かける用意をした。
脱ぎ捨てたシャツとパンツ。見覚えのないシャツとズボン。それらを一緒に洗濯機に投げ入れ、財布と鍵の入ったバッグを持って部屋を出た。
このまま部屋を留守にするのが不安でいっぱいだった。
大変な失敗をしてしまった。棚に陳列中の商品が入ったカートンを迂闊にも踏み潰してしまった。
中のポテトチップの袋が破裂してチップは粉々。とても商品として販売することができなくなった。
突然睡魔が襲ってきて視界が暗くなり、気づいたら片足をカートンの中に踏み入れていた。
店長に激怒され、裏の倉庫に引きずり込まれ、きつい教育を受けた。商品代を時給から引き、弁償させられるらしい。
いくらになるのか。一箱潰したから、結構な金額になるのだろう。頭が痛い。精神的に気持ちが衰退したままどうにか今日のバイトは終えた。
こうやって家に帰ってきても気持ちが晴れることはない。空腹のはずだが食欲も沸かない。
机に目がいく。大切なビデオカメラを出しっぱなしにしていた。かたづけなくては。しかし、やる気が起きない。
なにもかも忘れて今は眠りたい。少しでも長く、今日みたいな失敗を二度と繰り返さないために眠りたい。今は泥棒のことなどどうでもいい。
服を着替えることなくベットへ倒れこんだ。悔やむ気持ちに沈みながら眠りへと入っていった。
目が覚めた。なんだこの窮屈な感じは。
襟付きシャツにスラックス姿。足先を見れば靴下を履いている。
なぜこんなかっこをして寝ていたんだ。いつこの服を着た? このシャツを選んで着た記憶がない。汗で張り付くシャツの感触が気持ち悪い。すぐに着替えよう。
しかし体が思うように動かない。目が熱い。なぜ、こんなに眠気が取れないんだ。体が重すぎる。
やっとのことでベットから立ち上がった。すぐに机の上のビデオカメラに目が行った。
そうだ、充電が完了しているはずだ。
ビデオカメラを手に取った。
なぜだ? コネクターが外れている。いつ外れた?
これじゃ、充電できていないんじゃないか?
電源を入れてみた。
バッテリーはフル表示。充電はできている。しかし、別の事に気づいた。
テープが進んでいる。
なぜだ? いつ動いたんだ? だれかが操作した? やはり泥棒?
眠気は吹き飛び、体にしびれが走った。
テープを巻き戻す。
何か映っているのか?
スタートスイッチを押した。
薄暗い状態の、この部屋が映し出された。静かな映像だ。
無駄にパーンがありズームがある。部屋の隅々を撮影しているが部屋には変化がない。
だれも写っていない。
ビデオカメラが一瞬揺れた。画面が百八十度ひねられた。
心臓の鼓動が激しくなった。
ここに映っている俺のようなやつはいったい誰だ。
映像の服は俺の服。しかし昨日これを着た覚えはない。
画面に表示されている時間は十九時三十分。
その時間なら俺は寝ていたはずだ。
しかし、画面に映るベットに俺の姿はない。
では、この男は俺なのか? いや、俺のはずがない。カメラに映る行為をした記憶はない。頭が混乱する。どうなっているんだ。何も分からない。どうすれば真実が分かる……。
……そうだ。十九時三十分まで起きていてみよう。この男に会えるかもしれない。
しかし、バイトから帰ってきて、三時間も起きていられるだろうか? 帰ってくるといつも睡魔に襲われていた。
それでも今日は是が非でも起きていなければならないだろう。今まで分からなかった真実が分かるかもしれないのだ。
絶対に寝てはいけない! 今はまずバイトだ!
十六時三十分。バイトから帰ってきた。
終日、気が張っていたせいか、眠気は襲ってこなかった。
このまま、起き続けていよう。大丈夫。起きていられる。
そう思いながらベットに座った。
静かな時間が流れた。
秒針を刻む時計の音が耳に入った。
だめだ、急に眠くなってきた。体から力が抜ける。
顔を洗ってこよう。いや、風呂に入ろう。そのほうが体が寝ないはずだ。
服を脱ぎ、浴室へ向かった。
着ていた服を洗濯機へと入れた。そのとき、カメラに写っていた服が目線に入った。
この服はいつ入れられたんだ? 気持ちが悪い。
目線を逸らし、洗剤を手に取り洗濯機に入れ、蓋をした。
スイッチを押した。洗濯機が動き出す。
浴室の扉を開けた。桶はいすの上に乗っている。また、桶は落ちているのではないかと思っていたが、そうではなかった。いや、乗っていて正しい。俺はいつもそうしているのだから。しかし、その事実も気持ちが悪い。
浴槽に湯を溜める。湯を張るのは久しぶりだ。
シャワーと蛇口は切り替え式。湯を張っている間はシャワーが使えない。
寒いわけではないが、湯が溜まるまで待っていられない。間がもたない。
浴槽に入り、腰を下ろす。尻の先までしか湯が溜まっていないが、熱を感じて気持ちが良い。蛇口から流れ出る湯を手ですくい顔を洗う。次第に浴室は蒸気で曇ってくる。
全身が少しずつ暖まってきた。頭がぼーっとする。この気持ちよさが眠気を誘う。
頭を揺さぶり眠気と格闘した。溜まり始めた湯船の湯を手ですくい、もう一度顔を洗った。
だめだ、眠気が覚めない。
立ち上がり、足を浴槽から踏み出した。シャワーに手を伸ばした。湯の切り替えをシャワー側にした。頭からシャワーを浴びる。眠気を飛ばすために体を動かしたかった。
シャンプー、リンス、ボディーソープ。全身を洗い続けた。シャワーを蛇口に切り替え、引き続き浴槽に湯を溜める。その間も体を洗い続けた。
どれくらいそうしていたのか分からない。次第に体が疲れてきた。
浴槽を見ると湯が溢れるまでに溜まってきた。
もう一度シャワーに切り替え、体の泡を流し落とす。
湯船につかり直した。張った湯が溢れ落ちる。
しばらくして浴室を出た。
あれからどれくらいたったのだろう。時間が気になった。
十七時三十分。
あまり時間が進んでいない。
後二時間どうやって時間をつぶす。何か体を動かしていないと二時間起きてなどいられない。
座ったら眠くなる。立っていたってやることがない。
無駄に部屋を歩き廻る。
冷蔵庫を開けてみる。
牛乳にウーロン茶、それにビール。
ビール……。飲んでしまおうか……。いや、ここでビールを飲んだら余計に眠くなる。
取り溜めたビデオ映像の編集でもしていようか。
パソコンを立ち上げる。
起動が進む中、もう一度冷蔵庫に行って飲み物を探す。そのとき洗濯機がブザーを鳴らした。その音にびっくりして体が硬直した。洗濯が終わったことを知らせるブザーだ。洗濯機の表示パネルを見ながら心臓の鼓動を落ち着かせるために一度深呼吸をした。
冷蔵庫を閉めて洗濯機に足を向ける。
洗濯機の蓋を開け中の様子を見ようとしたとき、パソコンの起動が完了したことが先に目に入った。洗濯物を干そうか、パソコンの編集をしようか迷った。
時間はある。両方やろう。体を動かすにはちょうどいい。
洗濯機から洗濯物を取り出し、ベットの上に全て置いた。閉めていた窓を開け、雨戸を開ける。薄暗くなってきた外に街灯の光りが点る。風が暖かい。
狭いベランダにある物干し竿に、物干しハンガーが掛けっぱなしになっている。
ベットの上に積んだ洗濯物を一枚ずつハンガーに吊した。記憶以上に洗濯物がある。
いつ着たか覚えのない服が多い。たしかに全て俺の服だが数が多すぎる。もうひとりの俺が着た服……。
いや、もう一人俺がいるはずがない。
今は考えるのはやめよう。頭がおかしくなるだけだ。
洗濯物を干し終えると雨戸を閉めた。干した服が目に入るのは、気持ち悪く感じるからだ。
次にパソコンへ向かった。
ドキュメントフォルダーからビデオ映像ファイルを開く。
百以上あるデータから鴨が公園の池を泳ぐシーンを映し出す。
俺の構想は、群れでいる鴨の一羽が飛び立ち、空の青さに溶け込ませながら、旅客機をフェードインさせてさらに上空を目指すカットに編集するつもりだ。
一人の若者がなにも分からない異国の地へ希望を持って単身旅立っていく意図の演出だ。
素材の映像は全て用意した。来年の採用試験のために自分なりの映像作品を造っておきたい。
旅客機の映像は先月羽田に行って撮ってきた。
鴨が飛んだ空と、羽田の空の色が違うが、映像ソフトで調整して違和感なくつなげることができる。ただ、調整には時間が掛かる。
でも今は、時間が掛かることをこれからやるのが望みだ。
時計を見た。
なんとかあと一時間半起き続けなければならない。
キーボードに手を置く。
……集中できない。次に何をすべきか考えられない。
キーボードからマウスに手を変えて、必要な映像を選び、画面に表示する。
しかし、その先の編集に手が動かない。
手を机の下に落とした。
瞼が閉じる。
だめだ、限界だ。眠い。
意識を失いつつあった。頭の重さを首が支えられない。
だめだ、寝ちゃいけない!
頭を左右に振り、頬を平手打ちし、必死に意識を保った。
しかし、次第に眠気は増していく。
意識を失う。ふいに目覚める。それを繰り返した……。
頭が横に大きく揺れる。そのショックで目が覚めた。しばらく寝てしまっていたことに気がつく。
パソコンを見るとスリープモードに入って画面が消えている。
パワーキーを一瞬押して復帰させる。
選択した映像ファイルは最後まで再生が終わり停止している。
マウスを操作して最初から見直すか考えた。しかし、その気力はない。
あれからどれくらい時間がたったんだ?
目を擦りながら時計を見た。
十八時五十五分。
もう少しだ。あと三十分でいいんだ。
これからまた寝てしまわないように洗面所へ顔を洗いに立ち上がった。
疲れた顔が鏡に映る。自分の顔が醜く見えて視線を落とした。
俺は必死になにをやっているんだ。こんなことをしていて本当にビデオカメラの男に会えるのか?
蛇口をひねり水を出した。手ですくい顔を洗う。
そのとき頭が割れるような衝撃が走った。
なんだ、この記憶の波は。
頭の中へしまい込まれた記憶が一気に解放された。情報量がありすぎる。この記憶は俺ともう一人の俺の記憶。次々に襲い来る波は、眠気を吹き飛ばし、頭を活性化される。
鏡を見た。
目が輝いている。
自分の顔が自分とは思えない。
頭の中を走る記憶の整理が終わった。
風呂桶を床に落としておく心理。
冷蔵庫に有った菓子パンを食べた事実。
夜コンビニへバイトに行っている行動。
俺の姿がビデオカメラに映っていた現実。
全てが分かった。別のだれかが部屋に侵入していたんじゃない。
俺の中にもう一人の俺がいる。
朝の俺と夜の俺の記憶が今の俺の頭の中で一つになっている。俺が必死で起き続けたことにより本来俺が寝ている間に覚醒する夜の俺が今の俺と重なって目覚めたんだ。
時間は十九時を廻っている。
夜の俺はいつもこの時間に起きていたんだ。
俺が寝るのはいつも十七時だ。
そして夜の俺は朝の五時に寝て、この俺は七時に起きる。
つまり朝夜二時間ずつの睡眠時間を取り、朝夜八時間、合計十六時間のアルバイトをしているんだ。
体力が持つはずがない。
なぜこんな体質になったんだ? いつからだ? 俺の体はどうなっているんだ? 脳がどうにかなってしまったのか?
事実が恐い。おれはまともじゃない。こんな生活には耐えられない!
夜の俺、もう出てこないでくれ! 俺は俺一人だけで十分だ! おまえは寝てればいいんだ! おまえも俺なら俺の生活を守れ! 俺に生きる全てを任せろ!
このままでは体がおかしくなる。頭も狂ってくる。
頼むから俺を自由にしてくれ!
……あれから一日がたった。
あれ以来、俺の体に夜の俺が現れることはなくなった。体も楽になった。昨日は十分な睡眠も取れて、今日の朝は目覚めがいい。
雨戸を開けた。昨日干した洗濯物が乾いて揺れている。
夜の俺が着ていた服も一緒に揺れている。
昨日のことだが懐かしい。夜の俺という存在が本当にいたことを、洗濯物を見ていると思い出す。
ビデオテープは記念に保存しておこう。他人が見たら俺の部屋と顔が映っているつまらない映像だが、俺にとっては昨日のことが現実であることを証明してくれる記念品だ。
気持ちは晴れた。今日もまたバイトだ。気持ちよく出かけよう!
二十時を廻った。朝の俺は夜の俺の存在は消えたと思っているのか、昨日から元気だ。
昨日はちょうどバイトが休みだったから朝の俺の願いに応えて寝てやった。今日のバイトは普通にあるが休んでしまおう。これからも行く必要はないだろう。バイトは朝だけ働けば生活していけるはずだ。朝の俺が飯を食えば夜の俺も空腹にはならないだろう。朝の俺が、生活を守れというのなら望みどおりにしてやる。全ての生活は朝の俺に合わせてやろう。そのかわり、俺は夜中そっと起きて好きに遊ばせてもらうよ。もちろん朝の俺の体力を考えて睡眠管理もしてやる。ビデオカメラマンの夢も朝の俺に託す。託すもなにもお互い俺は俺だ。
俺は今自由な気分でいっぱいだ。
ビールを頂こう。
俺が今ビールを飲んでも、朝の俺の記憶を操作すれば、朝の俺がビールを飲んだ記憶として頭に刻まれる。なにも疑わない。夜の俺に気づくこともない。
夜の俺は朝の俺に悟られないように好きにさせてもらうよ。
これからもよろしくな。